肝試し(玉城)
闇夜が溶けていくようにぽっかりと空いた『穴』。
薄明りの照明のおかげでその穴の中に道が続いていることだけはかろうじてわかる。しかし、穴の先が見えない。穴の奥にある闇が点々とした光すらも吸い込んでいるかのようだ。
「……なかなか、雰囲気があるな」
「言ったじゃないですか、この辺りは不良も来ないんですよ、ガチなんです」
「……」
俺は周りを見る。このあたりに民家はあまりないので人影が見当たらないのはまだわかる。
しかし、夜のとばりは降りているが、まだ深夜と呼ばれている時間帯ではないのにも関わらず、車一つ通らないというのはなんだか不気味だ。
俺たちを照らすのは道路に等間隔に設置された街灯の光。その光だって、この闇と静けさの前ではあまりにも心もとない。
「……それじゃあ、行くか」
「……はい」
俺と秋名は、目の前にある穴……『猫鳴トンネル』に向かって歩を進めた。
時はさかのぼって数時間前。
『どこか遊びに行きたいです』
『どこかってどこだよ』
夕飯も食べ終わり、適当にテレビでも見るか、と思っていると、秋名から電話がかかってきて、遊びに誘われた。
いや、誘われたのか、これは?
『どこかですよ』
『だからどこだっての』
『先輩、夏に行きたいところとかありません?』
こいつは相当暇を持て余しているようだ。まあ夏休みも終わりが近くなっているし、家にいるよりもとにかく遊んで夏休みを満喫したい、という気持ちはわからんでもない。
『俺に丸投げか』
『だっていつも私から提案するじゃないですか、たまには先輩からもお願いしますよ』
確かに言われてみれば、俺はいつも秋名に「どこどこに行きましょう」と言われて、そこに遊びに行っている。
普通に考えれば、後輩を遊びに誘ってやるのが先輩というものじゃないか。にも関わらず、後輩に引っ張られてばかりというのは、少々情けない話だ。
せっかくの夏休み、後輩との青春を満喫する為にも俺からも積極的にならなければいけないだろう。
『そうだな……夏といえばやっぱり海かな』
俺はかなり秋名に寄った提案をした。
以前、秋名とプールに行ったが、その時にこいつは俺にビキニパンツの水着を着る事を要求してきた。この貞操観念逆転世界の女子らしく、秋名は男の露出に飢えているのだ。
俺の方から水着を着ていく場所を提案すれば、喜んで食いつくに違いない。
『海ですか……』
しかし、俺の思いとは裏腹に、秋名の声のトーンは低く、あまり気のりしていなさそうだ。
『どうした、テンション低いな』
『だって、それって私もビキニ着なきゃいけない奴ですよね?』
『俺がビキニパンツを履くのならな』
俺だってタダで秋名の要求を飲むほどお人好しじゃない。
俺にビキニパンツを履かせたいのならば交換条件としてお前もビキニ水着を着ろ、と要求し、二人揃ってビキニを着て市営プールを満喫したのだ。
『それなら……うーん……咲ちゃんを誘って……』
『加咲も誘うか? 全然いいぞ』
加咲が来るのならば、当然ながら加咲にもビキニを着てもらう。あの巨乳少女がビキニなんて着た日には、俺はきっとときめきと興奮を抑えきれないだろう。
『……やっぱり無しでお願いします、海とプールとかは』
これは驚いた、まさか秋名がプールを断るとは。前回もビキニ姿は恥ずかしがっていたが、どうやら今回は羞恥心が勝ったようだ。
『それなら、別の場所に行くか』
『はい、お願いします』
『あと他には……』
せっかくだから遊ぶのなら、夏でしか行けないような場所にしたい。俺は貧困な発想力でなんとか二人で楽しめそうな『夏といえば』を考えた。
スイカ割り……? いや、それこそ海でやるものだ。それにスイカを食べたかったらスーパーで買えばいいじゃないか。秋名と連れだって遊びに行くほどの事じゃない。
虫取り……? まあ俺と秋名が小学生男子とかだったら選択肢になったかもな。あいにくと俺はカブトムシに興味はない。秋名もだろう。
甲子園……? わざわざ兵庫まで行くのか。それはそれで楽しそうだが、旅費とか色々な問題があるし、そもそもまだ甲子園大会ってやってるのか?
あとは……肝試しとかかな…………肝試し?
……これだ!!
『……肝試しなんてどうだ?』
『え? 先輩肝試しスポットとか知ってるんですか?』
『いや、知らん』
それは今から調べるのだ。肝試しのスポットなんて、ネットで探せばいくらでも見つかる。見つからなかったら、そこら辺の墓場にでも行けばいい。日が落ちた時の墓場は割とホラーだと思うし。
『あれ、てっきり私の地元の猫鳴トンネルの話だと思ったんですけど』
『猫鳴トンネル? なんだそれ?』
猫鳴……どこかで聞いたことがある名前だ。
『なんかお化けが出るとかで有名なんですよ』
『……待て、確か犬鳴トンネルとかあったよな? それの間違いじゃないか』
思い出した。確か福岡のあたりにそんな名前の有名な心霊スポットがあったはず。
『いえ、猫鳴トンネルです、犬鳴トンネルをもじってますから』
『パクリか』
『まあ、地元で勝手に呼んでるだけですから……』
猫鳴トンネル……全く怖くなさそうだ。猫がニャーニャー鳴いてるのならむしろ行ってみたい。きっとそれは可愛い光景だろう。
『それ絶対に心霊スポットじゃないだろ』
『いや、心霊スポットですから、ガチのやつですから!』
『じゃあ、そこに行こうぜ』
俺の予想では、その『猫鳴トンネル』というのは、猫たちの住処になっていて、通行人に対して猫がニャーと鳴いてくるのだ。心霊スポットどころか癒しスポットである。麗ちゃんのような疲れた社会人に紹介すれば毎日のように通い詰めるかもしれない。
『いいですけど……何度も言いますけど、ガチですからね』
『ガチで可愛い猫がいるのか』
『だからもじってるだけで猫は関係ないんです!』
まあ、冗談はこのくらいにしておいて、ガチの心霊スポットならそれに越したことはない。
『場所はどこだ、お前の駅から遠いか?』
『ちょっと遠いですね……自転車とか使う必要があるかもです』
『自転車か……』
それは困った。俺の自転車をこいで秋名の駅まで行くのは結構なホネだ。
『あ、自転車はうちのやつ使いますか』
『いいのか?』
『いいですよ、別に……でいつ行きます?』
時計を見る。時刻は7時過ぎだ。
『……今から行くか?』
『え、今から? マジですか?』
『すまん、無理なら別にいい』
秋名の『いつ』は日時を聞いたものだっただろうが、時間的に肝試しをするのならば今がちょうどいい時間帯だ。なので、思い立ったが吉日、その場のテンションで提案してみたが、さすがに急な提案すぎたかもしれない。
『いえ、無理じゃないです! 良いですね、これから行きましょう』
しかし、秋名は乗り気になってくれたようだ。
まあ、俺が送り迎えをすれば、トラブルに巻き込まれることはないだろう。
『よし、それなら今からそっちの駅……いや、自転車を借りるのなら家に行った方がいいな』
『いえ、駅で大丈夫ですよ、待ってますから』
『うん? そうか、それなら駅に向かうぞ』
『オッケーでーす!』
俺は電話を切ると、素早く身支度を整えて家を出た。
その場のノリで女子と夜遊びなんてまさに青春じゃないか。これこそが俺の思い描いていた夏休みだ。
秋名の地元の駅までつき、改札を出ると、駅の出入り口で秋名が待っていた。
ジーパンにサンダル、そして『三歩進んで二歩下がる』と大きく書かれたTシャツを着ている。相変わらずこいつのTシャツのセンスはわからん。秋名は遊びに行くときは大体こんなのばっかり着てくるのだ。
そんな秋名の横には、一台のママチャリが留まっている。
「よお、秋名……自転車はこれか?」
「はい、空気も入れておきました!」
自転車のタイヤを触る。確かに空気は充分入っているようだ。
「……で、これからお前のうちに行くわけか?」
自転車はこれ一台しかない。それならば、どちらか一人が自転車に並走することになるわけだが……まあ、俺だろうな。そして秋名の家でもう一台自転車を借りて……
「いえ、直接猫鳴トンネルに行きましょう」
「直接って、お前、俺が自転車に並走するのか?」
「先輩がこの自転車をこぎます」
「じゃあ、お前はどうするんだ?」
秋名がニヤリと笑いながら自転車の荷台を指差した。
なるほど、秋名の体格ならこの小さな荷台にも座れるだろう。
自転車二人乗り……男が頑張って自転車をこぎ、女の子は男の腰に手を回してギュッと抱きつく。
……いいじゃないか。一度はこういうのがやりたかった。
「よし、それで行こう、道案内よろしく頼むぞ、あと落ちるなよ」
「オッケーでーす」
秋名はサムズアップで応えた。
秋名を荷台に乗せ、自転車をこぐ。
駅前から商店街を抜け、住宅街を走り、さらにしばらくすると、国道に出た。道が広く、天気の良い昼に走れば気持ち良く風を切れるだろう。
「この道をしばらく真っ直ぐです」
「わかった」
荷台にいる秋名が俺の腰に手を回し、時折ナビゲートしてくれる。
やはり天気の良い昼に来たかった。そうすればまさに「青春の1ページ」を切り取った情景になっただろう。
秋名もそういう気持ちだろうか?
いや、コイツの事だからそんな爽やかなこと考えているはずがない。単純に100%下心で「先輩に抱きつけてラッキーだぜ、くくく」みたいなことを考えているのだろう。
まあ、俺だってその気持ちはわかるさ。秋名の胸もないわけじゃないが、もうちょっとデカければ「胸の感触が楽しめるぜラッキー」って気分だったはずだし。
「あ、先輩、そこを左です」
国道をしばらく走り、周りの風景が田園やら畔やらのようになってきたころ、秋名の指示によって国道を外れ、細い道を走る。
道は舗装こそされているが、街灯は少なくなり、人通りはおろか車のとおりさえあまりない。民家はところどころにポツンポツンとあるが、光が漏れている家はあまりないように思える。
さっきまで青春を感じていたのに、なんだか一気に不気味な雰囲気になってきた。
「……秋名、この道で本当にあってるか?」
「あってますよ、行ったことありますし」
「なんだ、あるのか?」
「はい、有名な心霊スポットですから友達と一緒に入り口までは行きましたよ……でも、中までは入ったことないです」
「ちなみに、あとどれくらいだ?」
もう小一時間くらい自転車をこいでいた。秋名は軽いとはいえ、疲れていないといえば嘘になる。せめてゴールくらいは知っておかないと俺の気力が持たない。
「もうすぐですよ、この道をまっすぐ行った先ですから……あ、先輩、そこのコンビニで休憩しますか?」
前方を見ると、チェーン店のコンビニが一店ポツンと立っていた。町はずれのコンビニらしく無駄にデカい駐車場もある。さきほどまでちょっと不気味な思いをしていただけに、現代の光を感じることができるこのコンビニは、少なからず俺を安心させた。
「すぐなんだよな? それなら、大丈夫だ」
「ちなみにこのコンビニから先は休憩するところとかないです」
「マジか……まあいいや、そのトンネルから帰ってきたら、ここで何か買うか」
「おお、いいですね、先輩の驕りですか?」
「アイスくらいなら奢ってやるよ」
「先輩、太っ腹ですねー!」
アイスなんて200円もしない。それくらいなら奢ってやるさ。
俺は秋名の『もうすぐ』の言葉を信じて、ペダルをこぐ力を強めた。
そして件の『猫鳴のトンネル』に着いたわけだ。
闇夜に溶けるようにぽっかりと空いた『穴』と形容するのがピッタリだ。
一応、トンネルの側面についている照明のおかげで奥に続く道は見えるけど……それでも薄暗い事には変わりない。
「……なかなか、雰囲気があるな」
「言ったじゃないですか、この辺りは不良も来ないんですよ、ガチなんです」
「……」
なるほど、確かにガチかもしれない。ここに来るまでは「猫鳴トンネル? 猫でも鳴いてるのか?」と軽くバカにしていたが、いまこのトンネルを目の前にして同じことを言うことはできない。この言い様のない気味悪い雰囲気。ここは心霊スポットとしてはガチな部類な気がする。
俺は自転車を止め、降りた。秋名も降りる。
「……それじゃあ、行くか」
「……はい」
俺は自転車をトンネルの入り口に置き、秋名とともにトンネルの中に入った。
トンネルの中は生暖かかった。
空気が流れておらず滞留しているせいなのかもしれない。
しばらく歩きながら、何となく黙っているのが耐えられなくなって、俺は秋名に話しかけた。
「……なあ、秋名」
「はい?」
「このトンネルって、何で心霊スポットって言われてるんだ? なにかいわくでもあるのか?」
これは結構肝心な部分だ。
確かにこのトンネルは不気味だが、何もなければ単に俺が雰囲気にビビっているだけである。犬鳴トンネルをもじって猫鳴トンネルなんて名前を付けているんだから、もしかしたら相応のいわくでもあるのかもしれないが……だが「単に人気がないトンネルをみんな面白がって心霊スポットにしている」っていう可能性も否定できない。
「ありますよ」
しかし、秋名はあっさりと俺の思いを否定した。
「……どんなのだ?」
「なんか事故があったらしいです、車の死亡事故」
「……まあ、トンネルくらいなら、そんな事もあるかもな」
車が通るんだから事故くらいは起きるだろうさ。でもまあ、どうせ十年前とか二十年前とかそういう大昔の出来事だろう。
「一昨年の話です」
「……」
意外と発生した時期が近かった。
急に『死』というものが身近になった気がした。もしかしたら、まだ血痕とかが残っているかもしれない。
「……ちなみに、どの辺で事故ったんだ?」
「さあ? そこまでは……探してみましょうか?」
秋名がキョロキョロとしている。俺は内心少しビビってるけど、こいつはさっきから普通だな。もしかしたら意外と俺よりも肝が据わっているのかもしれない。
「……そうだな、適当に探しながら歩くか」
「そこで写真とか撮って見ますか」
「ああ、じゃあそれやって帰るか」
そもそも俺たちはゴールを決めていなかった。
このトンネルは微妙にコーナーになっていて先が見えないせいで、どこまで続いているかわからないし、適当に見切りをつけてとっとと帰った方がいいだろう。
決して、ビビってるから早く帰りたい、というわけではないぞ。
「先輩、ちょっと怖いので手を握っていいですか?」
秋名がムフフっと少し鼻息を荒くしながら聞いてきた。
本当に怖がっているやつの顔じゃない。おそらくは理由をつけて手を握りたかっただけだろう。だが、手を握ってほしいというのなら握ってやる。
決して、ビビっているから誰かの手を握りたい、というわけではないぞ。
俺はギュッと手を握った。
「秋名、猫鳴トンネルって別名なんだろう?」
「はい」
「それなら、正式名称はなんなんだ?」
「さあ?」
とにかく何か話して気を紛らわせたかった。俺は秋名に適当な話題で話しかけた。
「じゃあ、このトンネルの長さってどれくらいあるんだ?」
「さあ?」
「……このトンネルはどこに繋がってるんだ?」
「さあ?」
「知らない事ばっかりじゃねえかよ」
「だって、中に入ったの初めてですし」
当たり前じゃないですか、と言わんばかりの表情をする秋名。
別に胸を張るところじゃないぞ、それは……
「……先輩、何か聞こえませんか?」
「え?」
先ほどまでのしごく平静だった秋名が急に神妙な顔をして、変な事を言い出した。
「何か音がするような……」
「……」
おい、止めろ、コイツは俺を怖がらせたいのか……俺が生唾を飲み込んだ瞬間に、俺にもその音が聞こえてきた。
風を切るような音と、唸るような人工音、そして地面をゴリゴリと削るような摩擦音が後ろから俺たちに近づいてくる。
俺と秋名は、足を止めて同時に後ろを振り返った。
ヘッドライトをつけた一台の乗用車がこちらに向かって走ってきている。その車はおそらく法定速度を超えたスピードで走っており、またたく間に止まっている俺たちを追い越して、トンネルの先に向かった。
……なんだよ、普通の車じゃないか。
ここは普通の車もちゃんと走るのだ。
このトンネルに全く車が通らなかったのは、本当にただこのトンネルを利用する人が少ないだけで、何かしらのホラー的な要素がそうさせているのではない……それが確認できて、俺の緊張は一気にほぐれた。
「きゃー、先輩、怖いですー」
手を握っていた秋名が俺の腕にしがみついてきた。
何が怖いというんだ、ただの車だろうが。
というか、秋名の声にはメリハリがなく、棒読みだ。明らかに俺にしがみつきたい方便で怖がっている演技をしている。
でもまあ、別にいいさ、こんなこと咎めるほどのことじゃない。緊張から安心に変わった今の俺の心境は、大抵の事なら笑って許せるくらいに大きいものになっている。
「秋名、ここら辺で写真撮って、それで帰るか」
「あ、もう帰りますか?」
「ああ、この先どれくらいあるかわからないし、時間も結構遅くなりそうだしな」
ここが本物の心霊スポットでない事を確認できたし、これ以上長居するのも無用だ。
スマホを見れば、時刻は9時を回っていた。秋名を家まで送ってやることを考えれば、時間的にもこの辺りが切り上げ時だろう。
「先輩、うちとか泊まります?」
「アホ、そんなことできるか」
「……ですよねー、わかりました、この辺りで写真撮って帰りましょう」
なんでそんなことを提案してきたか知らないが、異性の後輩の家にいきなり上り込むわけにはいかない。
「それじゃあ……あ、これなんてどうですか、血のシミっぽくないですか?」
秋名が壁を指差したのでその部分を見る。
確かによく見れば血の跡に見えなくもないが……が、ただの壁のシミだともいえる。というか十中八九ただの壁のシミだ。
だが、それでいいのだ。ここは一般的には心霊スポットと言われているかもしれないけど、実際は心霊現象が起きるような場所ではない。これが実際に交通事故でついた血痕かどうかは、今は関係ないのだ。いうなればこちらの気分の問題である。
「じゃあ、写真撮るか……」
俺がスマホのカメラモードを起動し、そのシミに向ける。
「先輩、せっかくだから二人で写った写真にしません? 霊も人と一緒の方が写りやすいって聞いたことありますよ」
「そうか? でも二人ってどうやって?」
俺のスマホにタイマー機能はあっただろうか。いや、それをやるにしても三脚とかないとうまく撮れないと思う。
「だからこうするんですよ、先輩と私がまずこのシミの前で並びます」
言われた通り、俺は秋名と並んでシミの前に立った。
「そして、自撮りモードで撮るわけです」
なるほど、その発想はなかった……いや、でもそれもかなり厳しいんじゃないか? 距離を稼げないから俺たちと壁のシミを一緒にフレームインするのはかなり難しい気がする。
「さあ、先輩、撮ってください」
そんな風に疑問に思ったが、秋名に急かされ、俺は自分のスマホを自撮りモードにして思い切り腕を伸ばした。そして俺と秋名はそこにフレームインできるように身を寄せ合った。
「おい秋名、あまりグイグイくるな」
「いや、こうしないと入らないんですよ」
俺は膝を軽く曲げ、秋名と顔の高さが同じになるようにしているのだが、秋名はそのまま俺の首元に顔をうずめようとしている。絶対にそんなことしなくてもフレームに入ると思うんだが。
「いい加減撮るぞ」
「うーん、もうちょっとこのままでいいですか?」
「はい、3、2、1」
秋名の妄言を無視して強引にカウントを始めると、秋名は慌ててカメラの方に顔を向けた。
パシャリ、薄暗いトンネルにシャッター音とフラッシュがたかれる。
「撮れました?」
「ああ、撮れたぞ」
撮れた写真を確認する。多少、俺たちの顔が入りきっていないが、壁のシミはバッチリ写っているので問題はあるまい。
「……先輩、自撮り下手ですね」
「うるせえな、初めてやったんだから仕方ないだろ」
「とりあえず、この写真、私のスマホにも送って下さい」
「わかった」
まあ、霊なんか写っていないと思うが……俺は写真を秋名のスマホに送った。
「帰るぞ」
「あ、はい……」
秋名はスマホを操作しながら俺の横を歩く。
「……」
「……」
行きと違って特に会話もなく歩いた。
チラリと秋名の方を見るとやたら熱心にスマホを操作していた。今さらこのトンネルの心霊ネタでも仕入れているのだろうか?
ほどなくして、トンネルの入り口まで来た。
自転車のカギを開け、スタンドを外す。
俺は自転車にまたがったが、秋名はまだスマホを操作していた。
「おい、秋名、何やってるんだ、帰るぞ」
「……あの、先輩」
「うん?」
気のせいか、秋名の顔が青い気がする。
「先輩に言われて、ちょっとこのトンネルについて調べたんですけど……」
「ああ、何か心霊ネタでもあったか?」
「いえ、それはなかったんですが……」
なんだ、それすらもないか。本当に心霊スポットかどうかも怪しくなってきたな。
「その、スマホの地図アプリでこの場所を調べてみたんですが……」
秋名がスマホの画面を俺に見せてきた。
「ここが、このトンネルです」
秋名が指差す。
道が途切れているが、『矢張トンネル』という文字があった。『猫鳴トンネル』の正式名称は矢張トンネルというらしい。
「それで……このトンネルがどこに続いてるかなんですけど……」
秋名がスクロールした。
トンネルの先には……特に何もなかった。どこか他の道につながっているわけでもないし、何か建物があるわけでもない。
「特に何もないみたいだが……確かに言われてみると奇妙だな……」
「いやそれも奇妙なんですが、それよりも……さっき私たち車に追い抜かされたじゃないですか?」
「ああ……」
「あの車どこを目指してたのかなって……だってこの先行き止まりなのに……」
秋名の言葉に、一瞬、俺の心臓が凍りついた。
確かにおかしい……先が行き止まりのトンネルをあんなスピードで走る意味はないはずだ。
「……ちょっとそのスマホ貸せ」
「はい……」
秋名からスマホを受け取り、地図をズームしようとする。
地図を拡大すれば、きっとトンネルの先には、表示されていない建物か何かが見えてくるはずだ、あの車はそこを目指して走っていったに違いない……
「……それ最大で拡大した状態です」
秋名が俺の行動を先読みして応える。
「……」
「……先輩、もしかしてあの車って……事故を起こした車の幽……」
「秋名、乗れ」
「え?」
「いいから乗れ」
「は、はい……」
俺は秋名の言葉を最後まで許さず、秋名を荷台に乗せると、可能な限り早く、しかし秋名を振り落とさないように注意しながら、ペダルをこいだ。
とにかく今は、一刻も早くこのトンネルから離れたかった。