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お見舞い(たわわ)

「熱は……ないみたいだねえ」

「ううぅ……」


お母さんが体温計を見ながら言う。


起きた時から何となく調子が悪かった。

お母さんにおはようの挨拶をした時、鼻声だったので、それで確信した。

私は風邪を引いてしまったのだと。


お母さんはすぐに「今日は店の手伝いをしなくていい」と言ってきた。普段なら、喜んで休むのだが、今日ばかりはそういうわけにはいかない。こんな風邪なんともないということをアピールしようとしたが、その瞬間にくしゃみをしてしまい、それが決定打となった。


今、私は自分のベッドで寝かされている。


「また冷房付けっぱなしで寝たんでしょ?」

「……だって、暑かったんだもん」

「それで風邪を引いてたら意味ないでしょ、冷房はタイマーで消すの、わかった?」

「……ううぅ」

「今日は冷房付けるのは止めなさい、その代り窓を開けるから」


お母さんが窓を開けて網戸を閉める。


「暑い……」

「今日はまだ涼しいでしょうが」


私にとっては暑いのだ。冷房がギンギンに聞いた部屋で布団を被るのが私の夏の過ごし方である。


「しかし、まあ……なんで風邪を引くかねえ……」

「ううぅ……」


そうだ、なぜ今日に限って風邪を引いてしまうのか。


先輩に付きまとっているストーカーっぽいキャリアウーマン、『キリマンさん』の魔の手から先輩を逃がすため、先輩を一時的にアルバイトから外したあの日から、久しぶりに玉城先輩がうちにアルバイトに来るのに。


あの時のあの決断、それは、まさに苦渋の決断だった。


玉城先輩をアルバイトから外すことは、「先輩のエプロン姿と一緒に楽しく家の手伝い」という天国から「ただの面倒くさい家の手伝い」という地獄への転落を意味する。

しかし、何よりもまずは玉城先輩の安全が第一……先輩を守るためならば、この程度の苦難を受け入れられないでどうする、と歯を食いしばって頑張ってきた。


そんな苦難を乗り越え、やっとキリマンさんがうちに来なくなってから数日、先輩に来てくださいとラインを入れたのは昨日の事。


……なのに……なのに……


「とりあえず、店舗の方にいるから、何かあったら電話しなよ」

「うぅぅ……」

「あとでカフェオレ作って稔に持って行かせるからね」

「うぅぅ……」


私は自分の悔しさと情けなさから唸り声しか出ない。

別に熱が出ているとか体が怠いとか、そういうわけではないのだし、手伝うこと自体は問題なくできる。マスクさえつければ。


「お母さん……私も……お店……行きたい」

「ダメ、寝てなさい、それで明日、元気な姿を見せるの、分かった?」

「うぅぅ……」


お母さんには「マスク姿の店員は飲食店で働いてはいけない」という持論がある。お母さん本人が風邪を引いてしまった場合は仕方ないが、私や稔が調子を悪くすると絶対にお店に立たせない。


お母さんが部屋から出て行ってからそれほど間をおかず、今度は稔が部屋に入ってきた。


「お姉ちゃーん、入るよ~」


満面の笑みで嬉しそうな顔だ。姉がこうなっているのに。


「うぅぅ~」

「お姉ちゃん、大丈夫?」


風邪は全く大丈夫だが、この状況が全然大丈夫じゃない。


「み、みのり……私は行かなくちゃ……」

「無理しちゃダメだよ、そこで寝てて」

「こんなの平気……今日は……」

「風邪引いちゃったから仕方ないって、あとは私に全部任せて」

「だ、だめ……私も……」

「はーい、病人は寝ててくださーい、お母さんに怒られたくなかったらねー」


稔は私の顔を覆うように布団をかぶせる。

抵抗できる体力はある。でも無意味なのだ。お店に行ったところでお母さんに怒られるだけなのは事実だし。


私がいない間、稔はきっとアルバイトにきている先輩に色々とちょっかいを出すだろう。

なんてことだ。まるで彼氏が別の女に寝取られたような気分になる。彼氏いたことないけど。


悔しい、私に寝取られ属性はないのに。乙女ゲーはなるべく主人公以外の女キャラが出ないハーレムものしかやらない。アニメとかのカップリングも主人公ハーレム以外は許せないタイプだ。


私は目をつぶる。どうか、今日が早く終わりますように、と祈りながら。




私が浅い眠りから目を覚ましたのは、近くに置いていたスマホが振動したからだ。


見ると、稔から画像が送られてきていた。


玉城先輩のエプロン姿だ。それも、私が選んだエプロンを着ている。


『三┗(┓卍^o^)卍<私もそっちに行く』


もはやこんなところで寝ている場合じゃない。エプロンを着た先輩が私を待っているのだ(待ってないけど)。これを生で見なければ何のために生きているかわからない。

私はベッドから出るが、またスマホが振動した。


『来たらお母さんに怒られるよ』

『(´;ω;`)』


しかし、お母さんに怒られるのは嫌だ。というか、げんこつを貰うのが嫌だ。

私は顔文字のとおり、ぐすんと涙ぐみながら、すごすごとベッドの上に戻った。



私は虚無の時間を過ごしている。いつもなら、部屋にいればネットでもやっているだろうけど、そんなものをやる気力もない。

気温の方も正午を境に上がってきている。窓は開いているが、風もあまり吹き込んでこないから正直言うと暑い。しかし、それでも冷房をつける気すら起きなかった。

汗だくになる私。これは良いダイエットになるかもしれない。もしくは溶けて死ぬかもしれない。

まあ、どっちでもいいか……先輩のエプロン姿が見えない世界なんて生きる意味もない……


時間はあっという間に過ぎていく。気が付けば5時を過ぎていた。先輩のアルバイトが終わる時間だ。

何でこんなことになったのか、風邪さえ引かなければ……稔はきっと玉城先輩と楽しく家の手伝いをしていただろう。エプロン姿と先輩と……悔しい……


コンコン


ドアがノックされた。


「お姉ちゃん? 入るよ~」


稔だ。そういえば、お母さんがカフェオレを持っていかせると言っていたっけ。


「うぅぅ……稔……」


ニコニコ顔の稔が入ってくる。


「あらあら、お姉ちゃん大丈夫?」

「も、もう……五時になっちゃった……」

「そうだねえ」

「玉城先輩が……帰っちゃう……」

「帰っちゃうねえ」


稔はまるで他人事のようだ。自分はたくさん先輩との時間を堪能したからって……

これがおそらくラストチャンス。私はベッドから起き上がろうとする。しかし、稔がそれを阻んだ。


「い、いかなくちゃ……」

「はいはい、病人は寝てようね~」

「稔……とめないで……エプロン姿の先輩を……」


明日以降見ればいい、と言う話ではない。私は今みたいのだ。

例えるなら「明日発売の週刊漫画雑誌がフラゲで今日発売されるのなら、明日を待たずに今日見に行きたい」とかそんな感覚に近いと思う。

それにもし仮にまた「キリマンさん」が来店すれば、またしばらくの間、先輩を喫茶店に呼べなくなる。あらゆる可能性を考えれば、もうこれはお母さんから一発げんこつをもらってでも行く価値があるはず……


「お望み通り、エプロン姿で来たぞ」

「え?」


太く通る声、聞き覚えのあるその声の方を向く。

部屋の入口にお盆を持ったエプロン姿の玉城先輩が立っていた。


「久しぶりだな、風邪だと聞いたが……ちょっと元気はあるみたいだな」

「な、なんでここに……?」

「もちろんお見舞いだ、風邪の」

「……」


そんな……先輩がお見舞いをしてくれるなんて予想外過ぎる。今まで、女友達ですら私が風邪を引いた時にお見舞いをしてくれなかったのに。


もしかしたら……先輩の半分は優しさで出来ているのかもしれない。


というか、感動してる場合じゃない!

今、メチャクチャ元気な姿を先輩に見せてしまっている! これじゃあお見舞いされてもすぐ帰られてしまうかも!


私はそっとベッドに入った。


「うぅ……こほんこほん……」


さりげなく咳とかもしてみた。


「いや、今さらとりつくろわなくていいぞ」


……でも先輩は誤魔化されてくれなかった。苦笑いを浮かべながら、先輩は手に持っていたお盆をこちらに差し出してきた。


「とりあえず、満さんが作ってくれたカフェオレがあるんだが、飲むか?」

「の、飲みます!」


私は飛び起きて、カフェオレのカップを手に取る。


「玉城さん、椅子に座って下さい、お盆はお姉ちゃんの机に置いちゃってどうぞ」

「ああ、ありがとう」


玉城さんが椅子に座る。

私はその様子を、カフェオレを飲みながら眺めていた。カフェオレはアイスでこの蒸し暑い部屋でも飲みやすい。味も甘味が強い私好みの味だ。


「稔、そろそろ戻らなくていいのか?」

「いやあ、もう少しいようかな~って」

「あんまりいると満さんに怒られるぞ」

「……戻りまーす」

「そうしとけ」


稔が大人しく部屋から退散する。

稔にしては珍しい。稔の事だから、なにか理由をつけて部屋に居座るつもりだと思った。お母さんに怒られるにしても、稔は口が上手いから、少しくらいサボっても平気で言い逃れできるのに。


部屋を出る直前、稔が振り返って机の上にあるお盆を指差した。


「お姉ちゃん、その梨、玉城さんからのお見舞いだってさ」

「え?」

「じゃあ、あと頑張ってねえ」


稔は私に向けてウィンクすると、手をヒラヒラさせながら部屋から出て行った。


頑張ってねって……稔が意図的に私と玉城先輩を二人きりにしたということだろうか。でもなんでそんなことを? 稔も「隙あらば」みたいな感じだったのに。


稔の意図はいまいち読めないが、一先ず私は玉城先輩を盗み見ながらカフェオレを飲むことにした。


やはり、先輩のエプロン姿は写真で見るよりも生で見た方が断然よかった。先輩の強面の顔と可愛い柄のエプロンのギャップがとても素敵だ。この柄を選ぶために一時間売り場で悩んだかいがあった。


「しかし残念だったな、たわわ、夏休みに風邪をひくなんて」

「え、あ……私が悪いんです、冷房付けっぱなしで寝ちゃったから……」

「この時期なら俺もやる、暑いもんな」


そう言って先輩が首元に空間を開けるように服を引っ張って、手をうちわ代わりにして扇いだ。

鎖骨見えそう……じゃなくて、私はこの部屋が暑い事を思い出した。


「あ、すみません、冷房付けます」


チビチビ飲んでいたカフェオレを一気飲みしてベッドに置くと、枕元に置いていたリモコンを掴む。

いや、待て、冷房をつける前にまずは開いてる窓を全部閉めないと。


「いや、いいんだ、冷房が原因で風邪引いたんだろう? だったらつけない方がいい」

「いえ、もうだいぶおさまったので、大丈夫です、それに私も暑いと思ってましたから……」


正直暑さが体に慣れつつあったけど、玉城先輩はそうでもない。お母さんは冷房をつけるなとか言っていた気がするが、優先順位でいえばお母さんの小言よりも玉城先輩の居心地である。


私がベッドから降りようとすると、先輩が目で制した。


「わかった、とりあえず俺が窓を閉めよう」

「え、でも……」

「お前は病人なんだから、大人しくしていてくれ、あと、飲み終わったのならカップもくれ」

「はい……」


そんな過保護にならなければいけない程の病気ではないのだけども……でも、先輩が優しくしてくれるのならば、それに甘えよう。


先輩が窓を閉め、それと同時に私はエアコンのスイッチを入れた。


エアコンが音を立てて起動し、冷風が部屋に行きわたる。

涼しい。やはり夏は冷房をつけないと快適に過ごせない。


「……たわわ、エアコンの温度は何度に設定している?」

「えっと、23度です」

「もっと設定温度を上げろ、27度前後で十分だ」

「は、はい、27度にします」


先輩に言われてすぐに温度を設定し直した。ここは私の部屋でも、私の居心地よりも玉城先輩の居心地が優先されるのだ。


布団を被る必要がない程度の冷風が部屋を満たす。

私はその風に当たるためにベッド上に座った。実をいえば、先ほどまでかいていた汗を少しでも乾かそうとしたのだ。まあ、いっそのこと着替えてしまった方がいいかもしれないけど。


「寝てなくていいのか?」

「もう体調はほとんど回復しました、大丈夫です」


先輩に話しかけられて、私は両腕で力こぶをつくるポーズをした。

実際、鼻声やくしゃみももうほとんどないし、風邪はほぼ完治したと言ってもいいだろう。


「……あの、先輩」

「うん、なんだ?」

「着替えます、汗がにじんで気持ち悪いから……」

「ああ……いや、うん?」


やっぱり着替えよう。汗は乾きつつあるけど、それでもなんだか気持ち悪い。

私はパジャマのボタンを外す。玉城先輩の前で自分の太った裸を見せるのは少し気が引けるけど、まあ別にわざわざ部屋から出て行って着替える程の事じゃないし。


パジャマを脱いで、シャツの裾を手にかけた時、自分がブラジャーを着けていない事に気が付いた。このままだと、先輩に胸を晒すことになる。

……まあ手で隠せばいいか。それに先輩には一言声をかけたし、見たくなかったら目を逸らすだろう。


私がシャツも脱ごうとしたその瞬間、


「たわわ!」

「は、はい!?」


玉城先輩が大声を上げて私を呼んだ。驚いてビクンと動きが止まる。何かいけない事をしてしまっただろうか? ……あ、やっぱり、先輩の目の前で着替えるのは失礼すぎたかな……


「……トイレは、どこだ?」

「え?」


と、思ったけど違った。

どうやらトイレに行きたくて切羽詰っていたらしい。


「えっと……私の部屋を出て、まっすぐ行ったところの左に……あの、案内します」

「いや、いいんだ、たわわはそのまま着替えてくれ、俺はトイレに行ってるから」

「は、はい……」


先輩は素早く部屋の外に出た。


私は先輩がいないうちにさっさと着替えることにした。

シャツも脱いで、あとズボンも脱いでしまおう。タンスからブラを取ってつけて、さらに部屋着を取り出そうとした時、手が止まる。

私の部屋着はダサいし汚い。胸元のところになんか食べ物か飲み物のシミがついている。胸が大きいとこういうのがあるから嫌だ。


というか、先輩が来ているんだから、ちゃんとした服を着よう。

そうだ、この前買ったおろしたてのブラウスがあったはず。あれは可愛いやつですごく気に入っているのだ。


クローゼットのドアを開けて、目当てのブラウスを取る。さらにそれに合うスカートをタンスから取って着替えた。


クローゼットのドアの裏にある姿見で確認する。ちょっと胸のデブさが目立つけど、まあでも全体的にみれば大丈夫だと思う。


ふと、スマホが振動した。

見れば、稔からのラインだった。


『調子はどう?』

『良くなった』

『いや、お姉ちゃんの体調じゃなくて玉城さんとどうなってるかって話なんだけど( ̄◇ ̄;)』


やはり、稔は私を応援してくれているらしい。一体どういう風の吹き回しなのだろう。もしかしたら、とうとう私に対しての尊敬の念が生まれたのかもしれない。


『まだどうともなってないけど』

『梨は?』

『食べてないよ』

『それなら玉城さんに食べさせてもらえば? そんな関係になったら恋人まであと一歩だよo(・ω・´o)』


あやうくスマホを取り落としそうになった。

先輩に食べさせてもらう……もし可能ならやってほしいけど、まず出来ない。だってそんなことどう頼めばいいかわからないし。


『そんなの出来るわけないじゃん( `Д´)ノ できたらやってるし』


でも……確かに稔の言うとおり、そんなことを出来る関係になったら、きっと玉城先輩との関係は一気に進展すると思う。前に一度、先輩のおにぎりを先輩の手で食べさせてもらったことがあるけど、あれのおかげでグッと私と先輩の距離は近づいた気がした。つまりもう一回やれば、さらに進展できる可能性は高い。

ただ、あの時ははっちゃんに便乗した形で食べさせてもらえたのだ。今、この場にはっちゃんはいない。


『土下座してお願いすればやってもらえるんじゃない?(*^_^*)』


土下座……確かにそれも選択肢の一つかもしれない。誠心誠意こちらからお願いすれば玉城先輩だってきっと……


『土下座で何とかなるの?』

『玉城さんは優しいから土下座してきた女を無視することはないと思うよ☆』


やはり、稔も同じ意見らしい。

土下座……頼むのならそれしかないか。


『わかった』


私は稔に返信した瞬間に、ドアがノックされた。私はスマホをベッドに置く。


「はい」

「たわわ……着替え終わったか?」

「はい、終わってます」


ドアが開いて先輩が中に入る。

わざわざノックすることもないのに。先輩は律儀だ。


「これからどこかに出かけるのか?」


玉城先輩が私の姿を見た時の第一声がそれだった。


「いえ、どこにも行かないですよ?」

「じゃあなんでそんな格好を?」

「あ、あの、ちゃんとした服を着ようと思いまして……先輩の前ですし……」


どうでしょうか、とちょっとスカートを広げてみたりする。これで先輩に良い印象を持ってもらえれば……


しかし、私の思いとは裏腹に、先輩の顔は厳しかった。


「たわわ、そう思ってくれるのは嬉しいが、俺の事なんか二の次でいいからまずは自分の事を考えてくれ」

「え、は、はい……」

「その服だとゆっくり休めないんじゃないか? 俺は部屋着のたわわでも全然いいと思うぞ?」

「そ、そうですか?」


しまった……しくじった。そうだ、先輩はお見舞いに来ているんだ。私は元気になったとはいえ病人なんだ。こんな格好普通するものじゃない。


「……わかりました、じゃあ部屋着に着替えますね……」

「ああ、そうしてくれ……」


私の自業自得とはいえテンションが下がっていく。ちょっとこの格好に自信があっただけに、先輩からのダメ出しは効いた。

そもそも陰気キャラの私が変な色気をだそうとしたのが失敗だったのかもしれない。根暗なオタクは背伸びをしてはいけないのだろう。空回りをして恥じをかくだけだ。


私は心の中で大反省会を始めつつ、ボタンを外し始めた、その時、


「……って、ちょっと待て!」

「は、はい?」


先輩が大きな声を出して私を止めた。


「ど、どうしたんですか先輩……?」

「……たわわ、よく見てみると、その服は可愛いと思う」

「え? ……そうですか?」


先輩は真剣な顔で私の服を見ながら言った。


「ああ、やっぱりその服を着ていてくれ」

「わかりました!」


大反省会は中止だ。

急に意見が変わったのはちょっとびっくりしたけど、先輩から可愛いと言われて嬉しくないわけがない。先輩に褒められたおかげで私のテンションはV字回復した。

陰気キャラでも、頑張れば報われることがあるのかもしれない。


先輩の方を見ると、グッと目をつぶっていた。まるで何かに耐えているかのようだ。


「……先輩、どこか痛いんですか?」

「いや……俺の心の問題だ……」

「はあ……」


心が痛いということかな? でもなんでいきなり?


「……ちゃんとボタンは閉めたか?」

「はい、閉めました」


玉城先輩がゆっくりと目を開ける。


先輩は、ふうっと息を吐きながら椅子に座った。私も向かい合うようにベッドに座る。せっかく可愛い服だと褒めてくれたのだもの。もっとよく見て貰わなくちゃ。


「……あ、そうだ、梨も用意したんだ、良かったら食べてくれ」

「い、いただきます!」


先輩のほうから、例の梨の話題にしてくれた。

先輩が、梨ののった皿をこちらに差し出す。

私は梨を見た。先ほどの稔とのやりとりを思い出す。


「……どうした? もしかして梨は嫌いだったか?」

「いえ、大好きです!」

「そうか……」


先輩はキョトンとした顔をしている。なぜ梨を食べないのだ、と思っているのだろう。私だって食べたい。ただ、食べ方にちょっとした注文があるだけだ。


……土下座、いってみようか……稔もやってみればいい、と言っていた。あの妹は私よりも男子との付き合いがある(彼氏がいるという意味ではない)。それに、稔はなぜか私のことを応援してくれている。それならば、あの意見に従ってみるのもありかもしれない。


「……先輩……お願いが……あります」

「なんだ? なんでも言ってくれ、何でもしてやるからな」


『何でもしてやる』

とても重要な言葉だ。私のお願いの成功率が上がったとみていいだろう。

私はベッドから座ったまま滑るように降りて、床の上に正座した。そしてそのまま。流れるように両手を床につき上半身を前に倒した。


「梨を……先輩の手で食べさせてください」


今の自分の姿を見ることはできないが、完璧な土下座をしていると思う。


「ば、馬鹿、何やってるんだ、お前……」


先輩はすぐに私を起こした。


「お、お願いをしようと……」

「そんなことで土下座なんかするやつがあるか、梨でも何でも食わせてやるから、ほら、ベッドに座れ……」


焦ったように先輩が私をベッドに座らせる。

これは土下座の効果覿面ということ……? なんだか私が想定していたのとは違う方向な気がするけど、でもまあ結果オーライ、というやつ……かな?


「ほら、たわわ、食べろ、あーんだ」


先輩が私の隣に座ると、梨を一切れ私の口の前に持ってきた。


「……あーん……」


それを頬張る。シャリシャリという梨特有の歯ごたえとほのかな甘味。


「美味しいか?」


当然美味しいに決まってる。だって、先輩が食べさせてくれたのだから。美味しくないわけがない。


「よし、どんどん食べろ」

「ふはい」


先輩は息つく暇もなくどんどんと私に梨を食べさせてくれる。

今の私は全自動梨食べマシーンだ。先輩が食べさせてくれる限り、無限に梨を食べられそうだった。


「よく食べたな、もうなくなったぞ」


夢中に食べているうちに、梨を食べつくしてしまったらしい。

そこで、大変なことに気が付いた。


「あ……ごめんなさい、先輩の分が……」


多分、梨はまるまる一個分あったはずだ。だとしたら、私だけでなく、玉城先輩にも食べてもらうべきだった。


「たわわのために買ってきたんだから、俺の分なんか気にするな」


しかし、そんな私の失態も、先輩は優しく微笑んで許してくれた。これで確信した。やはり先輩の半分は優しさでできている。


「まだ何個かお店の冷蔵庫に入れておいたから、稔や満さんと食べてくれ」

「はい、いただきます」


先輩の手で食べさせてもらえないのは残念だけど、でも先輩から貰ったものならば、普通の梨よりも数倍美味しいに違いない。


「たわわ、それじゃあ俺はそろそろ帰るよ」

「え、もうですか?」


まだ先輩が部屋に来てから30分くらいしか経っていない。もうちょっといてくれても私は全然いいんだけど……


「ああ……もうだいぶ調子も良くなったみたいだけど、明日は店に出れそうか?」

「で、出れると思います……あ、いえ、出ます! 必ず!」

「そうか、俺も明日来るから、明日はお店の方で会おうな」

「はい!」


私は大きく頷いた。




その夜

我が家の食卓には先輩から貰った梨が並んだ。


その一切れをフォークで刺して食べる。

美味しい。梨の瑞々しさが全身にいきわたるようだ。


「稔も梨食べな、ほらほら」

「う、うん……なんか今日のお姉ちゃん気持ち悪いんだけど……」


稔に失礼な事を言われた気がするけど、今日の私はそんなことを聞き流せるくらいに上機嫌だ。なにせ、稔は今日最大の功労者。たくさん労ってあげないといけない。


「稔、お腹減ってない? 私の分のおかずも食べる?」

「いや、いらないけど……食べ過ぎたらお姉ちゃんみたいにデブになっちゃうもん」

「もう稔ったら、育ち盛りなんだからたくさん食べないとダメだよ? ほら、遠慮しないで? ご飯も大盛りにしとく?」

「……お母さーん!! お姉ちゃんが気持ち悪いー!!」


私が今日のおかずのハンバーグを半分にお箸で切って稔に渡してあげると、とうとう稔は半泣きになりながら台所にいるお母さんに助けを求めた。


「マジでお姉ちゃんどうしちゃったの? まだ風邪引いたままなんじゃないの?」


稔がガチで心配そうな顔をしている。そんなに稔に優しくする私は奇妙なのか。


「今日はね、稔に感謝をしようと思って」

「……え? なんで?」

「先輩にね、梨を食べさせてもらえるよう頼んでみたらって提案してくれたじゃない?」

「う、うん……」

「それで、稔の言うように土下座してお願いしてみたの、そしたらなんと本当に食べさせてくれたの」


稔のあの一言がなければ実現しなかったことかもしれない。稔は私のことを応援しているようだし感謝するのは当然だ。


「あー……やっぱりやっちゃったんだ、土下座……」


しかし、私が成功報告をしているにもかかわらず、なぜか稔は引いている。


「やっちゃったって……だって稔がラインで……」

「お姉ちゃん、ライン最後まで見た? 既読ついてないからもしかしたらって思ってたんだけど……」

「え?」


私はスマホを見る。確かにラインのアプリのところにまだ未読がある表示がされていた。

それを開く、と私と稔のあの時のやりとりの続きがあった。


『まだどうともなってないけど』

『梨は?』

『食べてないよ』

『それなら玉城さんに食べさせてもらえば? そんな関係になったら恋人まであと一歩だよo(・ω・´o)』

『そんなの出来るわけないじゃん( `Д´)ノ できたらやってるし』

『土下座してお願いすればやってもらえるんじゃない?(*^_^*)』

『土下座で何とかなるの?』

『玉城さんは優しいから土下座してきた女を無視することはないと思うよ☆』

『わかった』


ここまでが既読、そしてその次に稔がこんなコメントがあった。


『あ、マジでやるの? 止めといた方がいいよ、絶対引かれるから』


「……」

「マジでやったんだね、お姉ちゃん……いや、まさか本気にするとは思わなかったよ……」

「……み・の・り……!」

「ま、待ってお姉ちゃん、いま怒るのは違うって、だって普通土下座で頼むっておかしいって思うじゃん!?」


確かにおかしいかもしれない、でも私が信じてしまったのは、男女とのやりとりに関して、稔を全面的に信頼しているせいである。こんなこと稔に対しては口が裂けても言えないけど。


「それに時間見てって! 私すぐに訂正の返信コメントうったんだよ? なんでお姉ちゃん見てないの」


確かに前のコメントから1分経たずに『止めといた方がいい』のコメントがついている。

この時、私がラインを見れなかったのは確か……そう、タイミングよく先輩が部屋に入ってきてしまったせいだ。


稔に言われたことを総合的に考えてみた結果、確かにここで稔を怒るのも違う気がしてきた。なんだか不慮の事故が重なっただけな気がする。


「それにさ、お姉ちゃん食べさせてもらったんでしょ? じゃあオッケーじゃない?」


……そして確かにその通り、結果的にはオッケーだった。


稔に対して怒るのは止めた。代わりに和解のしるしとして梨を一個、稔の皿に乗せる。


「あ、ありがとう……」


そこへお母さんがサラダを持って台所から戻ってきた。


「あんたら、もう食べちゃってるの?」

「梨だけ食べてるよ」

「……もう半分くらい無くなってるじゃない、あれだけあったのに」

「ほとんどお姉ちゃんが食べたからね」


お母さんがテーブルにサラダを置く。


「そういえば、たわわ、玉城君がお見舞いに来てくれたでしょ?」

「うん」

「あんた部屋の片づけとか……してないよね」

「え?」


お母さんに言われて気が付いた。私の部屋って確か……


「私もねえ、店に出る前に片づけとけばよかったかな、と思ったんだけど、突然の事だったし、やる暇がねえ……玉城君がお見舞いしてくれるって分かってたのなら、せめて漫画とかを片づけたんだけど……」


いや、漫画はまだいい。それよりも重要なことがある。


「あ、そういえばお姉ちゃんの部屋、ポスター貼りっぱなしだったよね」

「……」


私は床に崩れ落ちた。

そうだ、私の部屋はレスラーやらアニメのポスターが貼られているんだ。前に来た時は、ちゃんと剥がしておいたのに、今回は不意打ちだったから剥がせなかった……あんなもの見られたら、どんなに可愛い格好をしたって引かれるに決まっている。オタクだとばれる……


「う、うぅぅ……」

「お、お姉ちゃん、大丈夫?」


せ、せっかく明日から楽しい家のお手伝いが始まると思ったのに……


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