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久しぶりのアルバイト(玉城)

『明後日くらいからまたアルバイトをお願いしたいです』

『明後日といわずに明日からでも出れるぞ』


加咲たわわからのラインには、そう返信しておいた。夏休みの暇を持て余す高校生のフットワークなんてこんなものだ。家でゴロゴロしているよりも何かしていた方が有意義だし、それが後輩の実家でバイトということならなおさらだ。


『じゃあ明日でお願いします! また11時くらいに来てください』

『わかった』


数週間ぶりのアルバイトだ。不安はないこともないが、それ以上に久しぶりということでやる気が溢れている。たわわ曰く、俺にクレームをつけたあの爺さんは、かなり大人しくなったらしいし、もうトラブルに巻き込まれることもないだろう。

ついでに明日、なんでいきなり喫茶店のアルバイトを中断しなくちゃいけなくなったのか、その理由をたわわに聞いてみるか。




次の日

俺が11時ぴったりに加咲家の喫茶店のドアを開けると、稔が出迎えてくれた。


「こんにちは、お久しぶりです」

「おう、久しぶり」


稔は変わりない。まあ久しぶりといっても数週間程度だしな。

店内を見渡す。そこそこ人が入っている。これから昼時、さらに夕方にかけて人は増えていくだろう。


チラリ、カウンターの方を見ると、マスターである満さんと目が合った。


「玉城君、早速で悪いんだけど、アルバイトお願いね」

「あ、はい」


満さんに促され、準備をしようと思ったが、その前にまたもう一度店内を見渡した。


店内にたわわがいない。


俺は首を傾げながら店の裏に入った。



棚に入っているエプロンを取ろうとした時、


「玉城さん、エプロンこれですよ」


俺の後ろについて来ていた稔に言われて手を止める。

稔はその手に、大き目の畳んだエプロンを持っていた。


「ああ、ありがとう……あれ、これ、前に着けてたやつじゃないな」

「玉城さん用に買いました、あれ、お父さんのだったし」


以前俺が着用していた奴は、満さん曰く旦那さんのだと言っていた。確かに、いつまでもあれを着るわけにはいかないだろう。

……しかし、俺のために新しくエプロンを用意してくれるとは、これは俄然やる気が出てきたぞ。


俺は早速用意されたエプロンを身に着けた。ちょっと柄がピンク色で可愛らしいものだと思ったが、俺は顔が恐いし、逆にこれくらいのやつのほうが中和されていいのかもしれない。サイズの方もピッタリだ。これは申し分ない。


「どうだ?」

「いいですよ~」


パシャリ


稔はいつの間にか構えていたスマホで俺を撮影した。


「うん? なんだ?」

「いえいえ、何でもないですよ」


そう言いながら、何やらスマホを操作している。

まさか、ネットとかに上げるつもりじゃないだろうな……いや、俺のエプロンを着けた写真なんてアップしても何の意味もないか。


「……なあ、ところでなんだが」

「はい?」

「今日は、たわわは買い出しか何かに行ってるのか? 店舗にもいなかった気がするんだが……」


店の裏の方にいるかと思ったが、いなかった。あとは買い出しで外にいるとか、そんな理由しか思い浮かばない。


「お姉ちゃんはですねえ、風邪引いちゃってます、今日の朝から」

「え、大丈夫なのか?」


稔から予想外の答えが返ってきた。

ラインでとはいえ、昨日普通にやりとりしていたのだが……


「うーんまあ、ただの風邪ですし、お客さんの前には出れないから部屋で休んでます」

「そうか……」


風邪、ということなら大事にはならないだろうが、心配であることには変わりない。せっかく来たのだし、バイトが終わったあと、迷惑でなければお見舞いでもしておきたいところだ。

たわわも、朝のうちに風邪の事をラインで教えてくれれば、何かしら用意したのだけど……いや、スマホを操作できないくらいひどい風邪、という可能性もあるな。


「……そういえば、なんで俺はしばらくこの店に来ちゃいけなかったんだ? たわわは説明してくれなかったんだが」


これはたわわに聞こうと思ったことだが、肝心の本人がいないし稔に聞くしかない。


「ああ、それはキリマンさんが来てたからですね」

「……キリマンさん?」

「命名はお姉ちゃんです、キリマンジャロばっかり頼むからキリマンさん」


『青山さん』みたいだ。こうやってあだ名がついている客が他にもいるのかもしれない。


「そのキリマンさんってのは誰なんだ?」

「お姉ちゃん曰く、玉城さんの付きまといだそうで、お母さんもちょっと怪しいと思ったみたいです」

「なるほど……」


少なくともこの世界に来る前の俺なら「俺に付きまとってくる奴なんていないだろう」と鼻で笑っただろうが、2回のナンパと痴姦の経験があると、さすがに考え方も変わって、「もしかしたら……」みたいな感じで受け止められるようになった。俺もようやくこの世界に少し順応しつつあるのかもしれない。


「……その人がずっとこの喫茶店に通ってたってことか?」

「ええ、だいたいは朝早くに来て、それから日によって昼とか、夜とか、時々顔を出していました」


それは確かにちょっと怖いな。

まあ、俺は図体がデカいし、相手が女性なら、物理的な意味で何かされる心配はないとは思うが……


「その人が最近になってようやく店に顔を出さなくなったので、そろそろ玉城さんを呼んでもいいだろうってことになりました」

「そうだったのか、それならそうと説明してくればよかったんだが」

「お姉ちゃんなりに気を効かせたんじゃないですかね、心配させたくなかったとか」


心配してくれるのはありがたいが、そういうことならむしろ言ってくれ。俺は加咲の実家で何かあったのかと気を揉んだのだから。


「あ、そうだ大丈夫ですか? バイトのやり方覚えてますか? なんだったら私が一からレクチャーしますよ?」

「多分、覚えているから大丈夫だ」

「本当ですか? ちゃんと笑顔で接客とかできます?」


稔に言われて、俺は笑顔を作った。ちゃんとできている自信がまるでない笑顔だ。


「こうですよ、こう」


稔がお手本の笑顔を作った。

やはり女の子の笑顔は華やかだ。稔がこんなに可愛い笑顔を作れるのなら、たわわの笑顔もきっと可愛いだろう。あいつのはあまり見たことない。


俺は稔を真似て、なんとか自然な笑顔を作ろうとしたが、どうにも上手く出来ていない。


「ちょっと失礼しますね」

「ん、んん!?」


稔が背伸びして手を伸ばし、俺の頬を引っ張った。


「玉城さん、笑顔っていうのは、こう、頬を横にやる感じです」


そう言いながら、稔は俺の頬を横に引っ張っている。


いきなりこんなことをしてきて驚いたが、嫌かといわれるとまったくそんなことはない。むしろ気安くこんなことをしてくれたことが嬉しい。秋名と違って下心が一切ないスキンシップ。そして何よりも、背伸びしてまで密着してくれるおかげで、その中学生にしてはかなり豊満な胸の先っぽの部分が俺の腹に当たるのだ。なんて嬉しいハプニングだ……つねられて俺の頬が痛いということを除けば。


というか、稔は先ほどからニヤニヤと笑っている。


「みのり」

「はい?」

「おまえ、あそんでないか?」

「あ、バレました?」


稔がテヘっと舌を出す。

この野郎、可愛いじゃねえか。

俺はお返しとばかりに稔の頬を引っ張った。


「いたいですよ~」

「おれだってちょっといたいんだぞ」

「ふふふ……」


女の子とイチャイチャするのは楽しい。というか、これは傍から見たらまさにバカップルじゃないか?


「……あんたら何やってるの?」


声の方を見ると、呆れ顔の満さんがそこにいた。

いかん、遊び過ぎた。


「しゅ、しゅみません……」


稔に頬を引っ張られているせいで、俺は情けない声しか出せなかった。




気を取り直し、俺はホールの仕事をせっせとこなした。バイト再開初日からあんなところを見られては、満さんに「不真面目なやつ」という印象を持たれてしまう。たわわの先輩として、それだけは避けたい。


「玉城さーん、お買い物行きましょう!」


しばらくホールで働いていると、稔から声がかけられた。


「ああ、わかった」


買い出しということならばまさに俺の出番だ。




俺と稔がスーパーに向かって肩を並べて歩く。


「しかし抜けてよかったのか? これから忙しくなる時間帯だろ?」


客も段々と多くなってきていた。買い物ぐらいだったら、俺に任せてくれてもよかったと思う。


「本格的に忙しくなる前に買っておくんですよ、本当にギリギリのタイミングなんです」


なるほど、そういうものなのか。


「買って来るものは卵とあとなんだ?」

「野菜とかパンとかですね、とりあえずスーパーに着いてから説明します」

「そうか……」


スーパーに行くのならば、ちょうど買いたかったものがある。


「……ならついでに果物とかも見ていいか? 買うのはもちろん俺の金だ」

「いいですけど……買ってどうするんですか? わざわざこんな買い出しの時に買わなくても……」

「たわわのお見舞いの品にしようと思ったんだ、バイト終わったら、顔を見るついでにな……それで、たわわの好きな果物ってなんだ?」

「……」


お見舞いの品といったら果物だ。俺も風邪を引いた時は、母さんがリンゴを剥いてそばに置いてくれたし。


「なんだ、ジッと見て……」

「玉城さん的に、お姉ちゃんのどこら辺が良いと思ってます?」

「……いきなりその質問はなんだ?」


唐突に『たわわの良いところ』と言われて、一瞬、あの巨乳を思い浮かべてしまったのは内緒だ。


「いやあ、お姉ちゃんを心配してくれる男の人がいることに驚きでして」

「稔には冷たいのか?」

「冷たいなんてもんじゃないですよ、あれは暴君ですね」


なるほど、『バイオレンスたわわ』だな。

前に喫茶店に行った時も、稔にアームロックを食らわせていたが、気を許した相手にはそういう態度になりがちなのだろう。まだ俺はその域までいっていない。


「ははは、そうなのか……まあでも、俺にとっては可愛い後輩だよ」

「顔が好みのタイプだからってことですか?」

「うーん、というか……」


難しい質問だ。素直に言えば、顔も可愛いとは思ってる。でもそれを素直にそのまま稔に言うのははばかられた。


「というか?」

「……まあ、健気なところが良いかなと思ってる」


たわわは健気だ。ちょっと口下手な部分はあるけど、後輩として俺を立ててくれる。良いところを挙げるとすればそこだろう。

ちなみにたわわのダメなところは……秋名と組むと、時々秋名と同レベルの下心満載モンスターになってしまう、というところかな。まあでもたわわに迫られる、というのも悪い気はしていない。


「健気、ですか……」

「ああ……俺たちは先輩後輩って関係だが、俺はこれからもたわわと仲良くやっていきたいし、それに……」

「それに?」

「苦しんでるっていうのなら、力になってやりたいだろう? たわわを心配することに理由はいらないと思う」


先輩として、後輩を世話するのは当然だ。それが異性の後輩ならなおさらであり、さらに俺のことを慕ってくれる後輩なら、逆に押しかけてでも世話をしてやりたいところである。


「……ミカンですかねえ」

「うん?」

「お姉ちゃんが好きな果物です、冬とかずっとミカンばっかり食べてますもの」


その様子が容易に想像できる。きっとこたつに入りながら、丁寧に剥いたミカンをムシャムシャと食べているに違いない。

だが、ミカンということになると問題がある。


「ミカンか……今の季節だとあるかな……」


ミカンの旬は冬だ。夏みかんという品種もあるが、あれも夏には食べられなかった気がする。


「探してみて無かったら別のにしましょう、お姉ちゃんの事だから玉城さんから貰えるものだったらパセリだって喜ぶと思います」

「はは、随分安上がりだな、あいつも」


そんなので喜んでくれるのなら休みが明けてから、昼休みに毎日でもくれてやる……まあ、稔流の冗談だろう。




スーパーに着いて、必要なものをカゴに入れてから、俺たちは果物を見て回った。

案の定、ミカンは置いていない。


「やっぱりミカンないですね」

「そうだなあ……別のにするか」

「あ、デラウェアって美味しそうですよ」

「たわわはデラウェアが好きなのか?」


個人的にはあの後味の強い酸味があまり好きになれない。ブドウ系でも、食べるのなら巨峰とかそっちの方が……いや、今は俺の好みは関係ないな。


「いえ、特に好きかどうかはわからないです」

「……もしかして、稔が好きなだけか?」

「はい!」


元気良く答える稔。

それじゃあ意味ないだろうが……と呆れそうになるが、よくよく考えてみれば、たわわの好みの物がない以上、別の物を買わざるを得ないし、それなら稔の好みの物でも問題ない気がする。


「じゃあ、デラウェアを買ってやるか」

「え、私の意見通っちゃいますか?」

「ああ、他にたわわが好きな果物って何か思いつくか?」


稔は首を横に振った。


「じゃあデラウェアでいいだろう、それで二人で食べてくれ」


俺がデラウェアに手を伸ばそうとした時、稔が俺の手を掴んだ。


「どうした?」

「……そういうことならですね、玉城さんの好きな果物を買ってあげましょう」

「俺の?」


それは意味がないだろう。だって俺は食べないんだし。


「いえ、きっと玉城さんの好物はお姉ちゃんの好物ですよお」

「なんだそれは」


まったく意味の分からない理論だ。


「まあ、こちら側のリサーチみたいなものですから気にしないでください」

「なんのリサーチだ」

「それはもちろん玉城さんのリサーチですよ、好きな物とかをチェックしておこうかなーって」


だからそれをリサーチしてどうするという……いや、待てよ、これはもしかしてお誕生日にお祝いをしてくれるとか、そんな話なのかもしれない。多分、バイトを頑張っている(まだ三日しかしてないけど)俺に対して、労をねぎらってくれるのかも……それならば俺の誕生日を教えておいた方が……


いやいや、それこそ待て、もし仮に先ほどのセリフが稔の気まぐれで言っただけ、とかだった場合、俺がこの場で誕生日を教えてしまうと「え、祝ってほしいの?」という印象を与えてしまうかもしれない。


それだとマズイ。非常に俺が格好悪いことになる。


ここはとりあえず様子見だ。質問されたことだけに答えよう。


「……俺が好きなのは、梨だ」

「じゃあ、梨を買っていきましょうね」


稔が梨をカゴに入れる。


そのまま俺たちはレジで会計を済ませ(梨の分の金は俺が払った)スーパーを出た。

結局、それから喫茶店に着くまでの間、俺の誕生日を質問されることはなかった。

あの時、言わなくて本当によかった……




喫茶店に戻り、買ったものを冷蔵庫に入れてからアルバイトを再開する。


トラブルに巻き込まれて以来、久しぶりにやったアルバイトだが、今日は特に何の問題もなく、俺の終業時間になった。


「玉城君、ご苦労様」

「はい、お疲れ様です」


時計の針が5時ピッタリになった瞬間に満さんに声をかけられて、カウンターに向かう。


「それで、悪いんだけど、この後時間ある?」

「ありますよ、何か仕事ですか?」

「いや、アルバイトじゃないんだけど……」


満さんがカフェオレの入ったコップと切った梨……おそらく俺が買った梨だ……を置いた皿を、お盆に乗せてカウンターの上に置いた。


「これね、たわわに届けてほしいのよ」

「あ、そういうことですか」

「うん、やって……くれる?」


そんなこと聞かれるまでもない。むしろ、こちらから言おうと思っていた事だ。


「もちろんです、たわわのお見舞いをしたいと思っていたので」

「うん、ありがとう、きっとあの子も喜ぶよ……稔!」

「はーい」


稔が小走りでこちらにきた。


「玉城君をたわわの部屋に案内してあげて」

「了解!」


稔がビシリと敬礼する。


「あんたはその仕事が終わったら戻ってくるのよ」

「えー……」

「じゃあ、玉城君お願いね、あの子風邪だけど、別にインフルエンザとかそういうのじゃなくて、単なる鼻風邪みたいなものだから、うつる心配とかもあまりないと思うし……寂しがってるだろうから、話し相手にでもなってあげて」


俺でよければいくらでもなるつもりだ。それに風邪くらいでビビるものか。俺のこの肉体を持ってすれば、風邪菌など相手にならない……と思う、多分。


「それじゃあ行ってきます、稔、頼む」


たわわの部屋は以前行ったことがあるからわかるが、お盆を持っているせいでドアが開けられない。


「……了解でーす」


稔はダラッとしながら歩き出す。おそらく部屋に案内するついでにサボるつもりだったのだろう。

俺は稔に先導されながら、たわわの部屋に向かった。


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