久しぶりのアルバイト(加咲満)
初対面の印象は、悪いものではなかった。
そりゃあ、大柄でいかつい顔をしているから、店に入ってきた時は少しは驚いたけども。だけどこんな商売をしていれば、人が見た目に寄らない事はわかっている。何よりも彼は、そういう人たち特有の「剣呑とした雰囲気」がまるでなかった。
カウンター席に座らせた彼と話していくうちに、彼が「玉城先輩」であるとわかり、さらにうちの娘に対して、決して悪くない感情を持っていることを知ると、その瞬間、私のやることは決まった。
たわわと玉城君を何とかして仲良くさせよう、と。
いや、いま現在も二人は充分仲が良い。でもさらにそこから仲を進展させたいと考えた。
我が子ながら、たわわは男性にモテる要素が全くない。
これは本当に申し訳ない事だが、我が子たちは加咲一族の血を色濃く受け継いでしまい、二人とも太っているのだ。旦那が痩せているから上手い具合に中和してくれるかと思ったが、まったくそんなことはなかった。
見た目にそんなハンディを背負い、さらにたわわは内向的で休みの日は年頃なのに一日中家でネットを見ている。正直、男友達も出来ないと思っていた。
そんなあの子が仲の良い男の先輩を連れてきたことで、母親としてお節介を焼かねば、と思い、玉城君をアルバイトとして雇えたところまでは良かった。
本当にそこまでは良かったのだが……
「しかし、まあ……なんで風邪を引くかねえ……」
「ううぅ……」
間が悪い。
少なくとも、恋愛ではこういうチャンスを逃してはいけないのだ。私がお父さんとデートをする時は、それはもう体調を含めて万全の準備を整えていた。恋愛のチャンスというのは回数制限がある、というのが私の持論だ。
しかし、こうなってしまったからには仕方ない。マスク姿の店員を店に出すなど論外だ。まあ、玉城君はこれからもアルバイトをしにくるだろうし、今日は運悪く一緒に店の手伝いはできないけど、まあ、明日以降挽回していけばいい。
「とりあえず、店舗の方にいるから、何かあったら電話しなよ」
「うぅぅ……」
「あとでカフェオレ作って稔に持って行かせるからね」
「うぅぅ……」
たわわは唸り声でしか返事をしない。
たわわは、熱自体はそんなに高くないし、喉や鼻周りをやられているとはいえ鼻風邪の段階だから、喋れないわけではないけど……多分、玉城君と一緒に手伝いが出来ないのがよほど悔しいから、そんな返事しかできないのだろう。
「お母さん……私も……お店……行きたい」
まさか、たわわの口からそんな言葉が聞ける日が来るなんて思わなかった。いつも嫌々店の手伝いをしていたのに。
これも玉城君の効果だ。彼が来てくれて本当によかった。
「ダメ、寝てなさい、それで明日、元気な姿を見せるの、分かった?」
「うぅぅ……」
たわわが唸り声で返事をする。
私は乱れた布団を直すと、店に降りて行った。
愛用のエプロンをつけ、開店前の準備を済ませる。
ブラックボードに今日のおすすめのコーヒーを書き込み、それを店先に出そうとした矢先、稔が店に出てきた。
「お母さん、お姉ちゃん完全にダメだね、うん、あれはダメ」
稔もたわわの様子を見てきたらしい。喧嘩も時々するけど、この年頃にしては、この二人の仲はそんなに悪くないと思う。
「そう、あとでカフェオレ作ってあげるから持って行ってあげな」
「はーい」
「しかし、あの子も間が悪いね、せっかく今日玉城君が来るっていうのに」
「本当にね~」
稔が他人事のように肩をすくめた。
「まあ、とにかく久しぶりに玉城君が来るからって、あんたもはしゃぎすぎないようにね」
「分かってます!」
稔がビシリと敬礼する。
果たして本当にわかっているのか……いや、稔の事だから分かっている上で色々としでかすかもしれない。この子は姉と違って要領がいいから。
姉妹だから「好みが被る」ということもあるかもしれないが、家族間で修羅場なんて事態はあってほしくない。まあさすがに稔もそこまでは弁えていると思いたいけど……
私は肩をすくめると、ドアのかけ看板をCLOSEからOPENにした。
今日もおかげさまでうちの喫茶店は繁盛している。
開店してすぐに来る『青山さん』は以前のとげとげしさもなくなり、今ではさながら好々爺のようだ。
少し前まではキリマンジャロばかり頼む怪しいキャリアウーマンの『キリマンさん』もいたが、最近は来なくなった。たわわの話では玉城君の事をつけ狙っている、ということなので警戒はしていたが、来なくなればその心配もない。
玉城君にはバイトが始まってすぐに色々なトラブルに巻き込まれてしまったせいで可哀想な目に合わせてしまったが、もうあんな事態にはならないだろう。
仮にトラブルが発生しても、すぐに対処するように稔には伝えてある。稔は持ち前の要領のよさで稀にくるクレーマーやそれまがいの客を上手く躱せるのだ。たわわも玉城君のフォローをする役目を与えていた……まあ、今いないけど。
「お母さん」
稔が声をかけてきた。
コーヒーの注文かと思ったが、様子が違う。
カランコロン、と入り口のドアにとりつけていた小鐘が鳴る。
入ってきたのは大柄で強面な青年……玉城君だ。
チラリと時計を見ると11時ぴったり。こういう真面目なところも彼に好感が持てる部分だ。
「こんにちは、お久しぶりです」
「おう、久しぶり」
稔が出迎えると、玉城君は微笑みながら応えた。
「玉城君、早速で悪いんだけど、アルバイトお願いね」
「あ、はい」
数週間ぶりに来て早々だが、一応いまは営業中だ。いろいろと話をするにしても、終業後がいいだろう。なんだったらたわわの顔くらいは見に行ってくれるかもしれない。
玉城君が店の裏に行く。
それを見送って、私はお客さんに出すコーヒー作る。
久しぶりに見たが、顔は以前の精悍な顔つきのままだった。もしあの時のクレームのトラウマを抱えたまま、嫌な顔つきで来られたらどうしようかと思ったが、いらぬ心配だった。
胸につかえていたしこりもとれたことで、私の手も軽くなるようだ。心なしか、いつもよりも香りのあるコーヒーが出来上がった気がする。
私は満足げにそのコーヒーをお客に出した。
さて、玉城君があの様子ならまた接客をお願いしても大丈夫だろう。仕事を始めたばかりだから、以前のおさらいも兼ねて、お客の案内をしてもらって、それで夕方くらいになってお客さんが減ってきたらレジ打ちの練習もしてもらおう。レジ打ちを覚えられたら次はキッチンとか洗い場での仕事だ。それも覚えてもらったら材料の在庫管理とかもお願いしてみて……
これからのことを考えてるだけで楽しくなってきた。若い男の子が相手だから、年甲斐もなくウキウキしているのかもしれない。一応、夏休みの間のみ、ということでアルバイトをしてもらっているが、そのまま夏休みが終わってもやってくれるよう頼んでみようか。
お盆に旦那と会って話したが、まだまだ仕事を辞める気はないみたいだし、やっぱり男性がいるといないとでは店の雰囲気も違ってくる。たわわや稔も頑張ってくれてるんだけど……
そこまで考えて、私は、あれ? 店を見渡した。
玉城君がいないのはいいが、なぜか稔までいない。
「……」
私は店の裏に入る。
そこには、なぜかお互いの頬をつねり合っている稔と玉城君がいた。
「……あんたら何やってるの?」
二人が同時に振り返る。
玉城君がパッと稔の頬から手を離した。
「しゅ、しゅみません……」
「笑顔の練習してたの」
稔にされるがままの玉城君、一方、稔は堂々としたものだ。
……この子は早速はしゃいでる……
私はため息をついた。
気を取り直し、玉城君をホールで働かせ、その仕事を見守る。
ブランクがあるとは思えない程、玉城君の接客はちゃんとできていた。
まあ、初めてやらせたときからちゃんとできていたし、このあたりは才能なのかもしれない。
稔にもいい刺激になるだろう、と思い、稔の方を見ると、稔はしっかりと仕事の手を止めて、玉城君の方を見ていた。
「稔、なにボケッとしてるの」
「失礼な、いつでも玉城さんのフォローができるよう待機してたんだよ」
この子は相変わらずもっともらしい事を言って……まあ、確かに「玉城君がトラブルに巻き込まれたらすぐにフォローに入りなさい」と指示を出したのはこちらなのだが、それは仕事の手を止めてでもやれ、と言ったわけではない。
「玉城君はちゃんとできてるでしょ、アンタは余計なこと考えなくていいの、自分の仕事をしなさい」
私に促され、稔は空いたテーブルの片づけを始める。
そう、それでいいのだ。そもそも稔もたわわも玉城君のお手本にならなくてはいけない。一生懸命やっている姿というのは、人にはちゃんと見えているものだから。
私も学生時代、お父さんと仲良くなるためにその辺りをきちんとアピールした。委員会で同じ仕事をする時も、まずは誰よりも率先して仕事をしたのだ。そうすると向こうの方から話しかけてくることが多くなり、自然と会話が生まれ、段々と……
「お母さん、卵とか食料品の在庫が残り少なくなっているから買いに行きたい! 玉城さんと一緒に」
唐突に稔に提案され、私は一旦お父さんとの出会いの回想を中断した。
「……なんで、二人で行くの?」
「玉城さんが買い出しに行くべきなんだけど、でもきっと玉城さんはまだ買い出しの勝手とかよくわからないだろうから私と一緒に行くの!」
「……」
玉城君はもともと買い出しとか力仕事を任せるために雇った、という建前がある。そして確かに食料品の在庫が少なくなっているのは事実だ。一応、稔の言い分に筋は通っている。
だけど、稔のことだから、本心では「玉城君と一緒にお散歩したい」とかそんな風に考えて提案してきたのだろう。そこも分かっている。
「……まあいいでしょう」
ダメだ、と却下することも出来た。
だけど、あまりにやることなすこと否定するのも稔のモチベーションを下げてしまう。そのあたり、母親としては気を使ってあげないといけない。
「玉城さーん、お買い物行きましょう!」
「うん? ああ、わかった」
嬉々として玉城君を誘う稔。玉城君の前では、せめてそういうのはもう少し隠すようにしなさい。
「お母さん、ただいま~」
「戻りました」
12時前、店の裏口から、スーパーの袋を持った玉城君と手ぶらな稔が戻ってきた。
中身が詰まったスーパーの袋を両手に持っているのにもかかわらず、玉城君は平然とした顔をしている。さすがは男の子だと感心しながら苦労をねぎらった。
「買い出しご苦労様、買ったものは冷蔵庫に入れておいてね」
「あ、はい」
玉城君がキッチンの方に行く。
「お母さん、これレシートね」
「はいはい」
稔から受け取ったレシートを見ると、見慣れない品目があった。
「稔、この梨ってなに? 家で食べるやつを買ったの?」
うちに梨を出すメニューはない。
「あ、それね、玉城さんが欲しいって言って買ったやつ、会計は一緒にしちゃったけど、梨のお金は玉城さんが出してるよ」
「そうなの」
わざわざアルバイトの買い出しで自分用の梨を買ってくる意味がよくわからないけど、そういうことなら別にいいか……
「それ、お姉ちゃんのお見舞い用だって」
「え?」
「本当はミカンを買うつもりだったんだけど売ってなかったから梨にしたの、玉城さん、梨が好きなんだって」
「……」
私はキッチンの方を覗きこんだ。玉城君がせっせと買ったものを冷蔵庫に入れている。
「バイト終わったら、顔を見るついでにお見舞いに持っていくんだってさ」
「……玉城君」
「うん?」
「本当にうちのお婿に来ないかしらね……」
うちの娘をここまで思ってくれる男の子が今後現れるとは思えない。これは逃してはいけない優良物件な気がする。
「大丈夫だよ、お母さん」
「え?」
「もしお姉ちゃんがダメだった場合は、私がいるから」
笑顔でグーと親指を立てる稔。
本当に、この娘は要領がいいというか、したたかというか……