半日マネージャー(花沢)
あたしが風呂から出ると、栞からラインが入っていた。
『明日の部活は、男子マネは山口君一人だけだぞ』
『それどこ情報?』
『休む男子マネから、私に直接連絡が来た』
『さすが部長』
『主将は君だったはずなんだがな……』
インターハイが終わり、三年生も引退した。うちの部は基本的に「部長」と「主将」が同じなのだが、あたしの代だと部長が栞であたしが主将になった。理由はよくわからないけど監督がそういう指示を出したのだ。
『まあ別にいいよ、どうでも』
『君は男に飢えてるくせに男子マネには淡白だな』
『だって興味ないし』
そりゃあ彼氏になってくれるとか、そんなんだったら男子マネにも興味は出るけど、うちの男子マネはガードが固いし……特に山口はその中でもずば抜けてガードが固い。もはやあたしを敵視しているレベルだ。興味なんか出るわけがない。
『まあ、そういうことだから、明日は自分たちで練習機材や荷物を運ぶように』
『うん、それみんなに回しといて』
『それと、明日は午前のみだ、午後からサッカー部がグラウンドを使うらしい』
『それも回しといて』
『監督も顧問も明日は不在だ、練習メニューは基礎練のみ』
『それもね』
部活をまとめる面倒な仕事は基本的に全部栞にお任せだ。だってこれが部長の仕事だもの。
栞とのやりとりを終えて、あたしはとっととベッドに入った。明日も朝からソフト部だ。
次の日
あたしは朝一で学校に来ると、さっさとユニフォームに着替え、グラウンドに出た。グランドにはまだ他の部員はいない。あたしが一番乗りだ。
まず最初にやるのはストレッチ。身体を伸ばしながら、練習メニューを頭の中で思い描く。
これを終えたら次はピッチング。ストレッチは一人でもできるけど、ピッチングは女房役の栞がいる。
続々と他の部員がグラウンドにくるが、みんなどこかだらけた感じだ。インターハイが終わったばかりだし、今日は監督も顧問もいない。さらに練習は午前中のみ。気持ちが緩んでしまうのは仕方ないし、別にそれを咎めようとは思わない。私も今日は緩めで行くつもりだもの。
それにしても栞のやつが遅い。本来なら部長が真っ先に来るべきはずなのに。一年生もいるのに示しがつかないじゃないか。
「奈江、すまないな、遅れてしまった」
もうほとんどみんなが揃い、自主練を始めている頃になって、やっと栞がグラウンドに来た。
「遅い、部長失格」
「そうか、それでは奈江に部長職を譲ろう」
「……からの部長補欠合格、これからも部長頑張って」
栞が肩をすくめる。
防具をつけた栞が座るのを確認し、あたしも定位置に立った。
「ああ、そうだ、奈江、実は遅れたのには理由があってな」
「なに?」
「まあ、いずれわかることだし、時が来たら話そう」
「いや、意味わかんないんだけど」
もったいぶる必要があるとは思えない。しかし、しつこく聞くほど気になることでもない。あたしは流すようにピッチングの練習を開始した。
20球目を終えた頃、栞が小首を傾げた。
気持ちは緩んでいるとはいえ、変な球を投げたつもりはない。どうしたのだろうと思ったが、どうやら栞は首を傾げているのではなく、あたしの後ろを見ているらしかった。
あたしも振り返る、するとそこには……
「た、玉城君……な、どうしてここに?」
体操服姿の玉城彰が歩いて来ていた。
「栞に頼まれたんだ、男子マネの仕事を手伝ってくれって」
待ってほしい。一気にいろいろな情報がきて混乱している。
なんで玉城がうちの部活の手伝いをすることになったんだ? 栞に頼まれたというが、いつ栞はそんなこと頼んだ? いや、それよりも何よりも……
「しお……え? 栞? 玉城君、いま栞のこと栞って呼んだ?」
「ああ、呼んだな」
玉城があっさりと答える。
あたしは栞に詰め寄った。
「し、し、栞! どういうこと!? 何で名前で呼ばれてるの!?」
「まあ、いろいろあったんだ」
「説明になってない!」
まったくすべての事柄で説明不足である。
「栞にそう呼んでほしいって頼まれたから呼んでいるだけだぞ」
「……」
栞の代わりに玉城が答えた。
頼んだ? 栞がそんなことを頼んだ? ありえない、栞はそういう事が出来るキャラじゃない。男子に対してそんな馴れ馴れしい頼みごとが出来るのは、あたしが知っている人では美波くらいだ。だから美波がいうならまだわかるが、栞がそんなことを……
混乱するあたしを、栞はニヤリとしながらこちらを見つめている。あたしが睨みつけると、栞が玉城の方を顎でしゃくった。
玉城を見る。キョトンとしていた。
もう一度栞の方を見る。栞はコクリと頷いた。
『君も頼んでみればどうだ?』
暗にそう言っているようだった。
玉城が言っていることが本当ならば……いや、玉城本人が言っていることなので、嘘であるわけはないのだが、頼めば、あたしも名前で呼んでもらえるということだ。
それならば、頼めばいい、それだけだ。
「……あ、あたし………………のなまえもよんで……」
あたしの声は蚊の羽音よりも小さかったと思う。
「うん? なに?」
その証拠に2、3mくらいしか離れていない玉城にあたしの声は届かなかった。
「ふっ、ヘタレめ」
「……う、る、さ、い!」
その言葉は栞にだけは絶対に言われたくない言葉である。男に対してのヘタレ具合だったら絶対に栞もあたしに負けてないはずだ。
中学時代、好きな男子に名前を間違って覚えられても訂正できなくて、結局、卒業式にフルネームで名前を呼ばれるまでずっと勘違いされたままだった、というエピソードを聞いた時はさすがに引いた記憶がある。
「……なあ、それで栞、俺は何をすればいいんだ?」
しまった、ずっと玉城を放置していた。
「ああ、そうだな、とりあえず、ここで部活を頑張っている奈江を応援していてくれ」
なんだそれは、男子マネに応援なんて仕事はない。そんなことされていたら、もっとこの部活と男子マネを好きになってる。
「もう応援の仕事をするのか? まだ俺は元気だぞ?」
「なに、練習効率を良くするのも男子マネの重要な仕事だ」
「……わかった」
なんとなくだが事情が分かってきた。
どうやら、栞が上手く玉城を口車に乗せて男子マネの仕事をやらせているらしい。あとでどうしてこうなったか詳しい経緯を問い詰めてやらないと。
「……でも具体的に応援って何するんだ? なにかで扇ぐとかそういうのか?」
「いや、そのまま応援だ、頑張れと言えばいい」
確かに、玉城に応援されれば、それだけやる気に満ち溢れると思う。他の女子部員はわからないけど、少なくともあたしはそうだ。
「奈江的になにか希望はあるか? 応援の仕方とか」
栞があたしに話を振った。
希望……なんでも言っていいというのなら、一つある。
応援団だ。
ソフト部の公式試合とかで相手チームに学ラン着た男子とかいると、相手チームの応援をしていると分かっていてもテンションが上がる。
男子が全力で女子を応援しているのだ。玉のような汗をかきながら、大声を張り上げるその姿を見て、うちにも応援団とかあればなあって思ったことは一度や二度ではない。
ただ、ちょっと心配なのは、願望丸出しのこの希望、正直に言って引かれないか。一応、あたしも玉城の前ではネコを被ってるつもりなのだ。
いやでも、玉城も何でもやってくれる、みたいな空気だしてるし、ここで言わないときっと損をすると思うから……あたしは心を決めた。
「……応援団みたいな感じで」
「だ、そうだ、頑張ってくれ」
あたしが絞り出すように言うと、栞がニッコリ笑いながら促した。
なんだか栞のこの反応を見るに、上手く利用された気がする。栞も応援団的なものに憧れていて、あたしにそれを言わせた的な。
「えー……フレーフレー、花沢」
玉城が少し恥ずかしがりながらあたしを応援した。
いや、確かに応援はしてくれたが、あたしの注文通りじゃない。あれは応援団がするような応援では決してない。
まず声の貼り具合が足りない。喉をからすレベルで大声出してこその応援団なのだ。さっきの応援も嬉しいし、恥ずかしがっている玉城も見ていて可愛かったが、やはりみたいのは玉城の全力応援だ。
栞も同じ思いだったようで、肩をすくめた。
「おいおい、そんなんじゃ奈江はやる気にならないぞ」
「いや、だって応援団なんてやっとことないぞ」
「もっと声を張り上げるだけでいいんだ、奈江を見ろ、もっと真剣にやってほしいって顔をしているだろう?」
栞に図星を突かれた。
内心を言い当てられた恥ずかしさと、玉城の「マジか?」っていう視線に耐えられず、あたしはソッポを向く。
「さあ、やるんだ、大きな声で、フレー、フレーと」
栞が玉城に迫っている。やはり、栞も玉城の応援団が見たいだけのようだ。
玉城はしばらく考えたが、意を決したように呟いた。
「わかった、やるけど、先に言っておく」
「なんだい?」
「笑うなよ」
玉城があたし達に凄んだ。
もちろん笑うわけがない。あたし達は真剣に玉城の応援がみたいのだ。
あたしと栞はコクコクと頷いた。
あたし達の様子を見て、玉城は呼吸を整える。そして息を大きく吸い込み……
「フレー!! フレー!! は、な、ざ、わ! フレー! フレー! はなざわー!」
玉城の全力の応援が披露された。
まず、その声量に圧倒された。
間近にいるせいもあるだろうが、まるで衝撃波のごとくお腹の中にまで声が響いていった。
そしてその表情。
玉城の真剣な顔は思わず見惚れてしまいそうだった。
最後にあたしの名前を叫んだところ。
実にいいと思う。ただ少し残念なのは苗字だったことだ。もしあの時、ちゃんとあたしが下の名前を呼ぶように頼めていれば、大きな声で『奈江』と呼んでいたはずなのに……本当に惜しい事をした。
「……こんなもんで、どうだ?」
「……ブラボーだ、玉城、君は本当に応援団になったことはないのか? そんなに声量が出るのに?」
「いや、ないが……」
「玉城君、才能あるよ!」
栞が拍手をしながら玉城を褒めている。あたしも心の底から玉城をほめたたえた。
「ああ、やはり身体が大きいと肺や喉も大きいのかもしれないな……おおっと、これは単純に褒めてるつもりなんだ、セクハラしようという意図はないぞ?」
あたし達の褒め殺しに玉城も気を良くしたらしい。気恥ずかしげに頭をかいている。
「玉城、試しに今度の試合でソフト部の応援団として参加してみないか? 君の今の応援はきっとうちのソフト部員みんなが喜ぶだろう」
栞がさらに一歩踏み込んだ。
いいぞ、栞、その調子だ。学ラン姿の玉城が応援団として参加すればみんなの士気が上がること間違いなし。
いや、玉城の強面に引く部員もいるかもしれないが、それはもう無視していいと思う。というか、もうあたしのためだけでも応援にきてくれないだろうか。
「え? うーむ……」
玉城は考え込んでいる。これは押せばイケるか……?
「難しく考える必要はないぞ、応援団といってもただ客席で応援してくれればいいんだ、出来れば学ランを着て」
そうそこも重要なところだ。『学ラン』というのは応援団であることの大切な要素だ。ただ応援されるだけでなく、それを着てもらわないと応援団にならない。
「そうはいうが……」
しかしまだ玉城は踏ん切りがつかないようだ。よし、あたしも……
「た、玉城君、本当にむずかしい事なんてないんだよ? なんだったら学ラン着て座ってるだけでもいいから……」
「いや、それの方が意味わからんだろう」
しまった、押し方を間違えた。これじゃああたしがただ玉城の学ラン姿を見たいだけの変態みたいじゃないか。いや、それも間違いじゃないのだけれども。
「すまん、玉城、さっきの処女の意見は無視してくれ」
「うん? 処女?」
「は、はは! 何でもないよ玉城君!」
あたしは急いで栞の口をふさいだ。バカ栞はなんでよりにもよって玉城の前でそんなことを……確かにあたしは処女だけど、自分だって人の事を言えないのに。
「あの、先輩たち何やってるんですか」
声をかけられたので、そちらをみると、ボールがいっぱい入った籠を持っている山口が警戒心丸出しの顔でこちらを見ていた。
「やあ、山口君、ちょっとした話し合いだ、気にしないでくれ」
栞が話しかけても、山口は警戒を解かない。あたしを、まるで不審者を見るかのような目で見ている。
「……あの、玉城先輩はお手伝いしてくれるんですよね?」
「そうだぞ」
「だったら、このボール運ぶの手伝ってください」
山口は玉城に籠を渡した。
「さあ、行きますよ」
「わかった、じゃあな花沢、栞」
「う、うん」
「わかった、また手が空いたら来てくれ」
山口に連れられ、玉城が行ってしまった。
「……やれやれ、後少しだったんだが、邪魔が入ったな」
「山口君があたしを見る目が完全に変質者を見る目だったんだけど」
「安心しろ、私を見る目もそうだった」
まったく安心できない情報を言って栞が肩をすくめた。やっぱりあたしは山口の事は好きになれない。
それから、あたしは練習に集中……はできなかった。
だって、玉城が部活動をしているあたし達の周りをうろちょろ(マネジの仕事)しているんだもの。あたし以外の部員も、「良い身体してる男子がなんか臨時マネになっている」という状況だけは理解しているらしく、たださえ緩い空気に加えて、どこか浮足立っているようにさえ見えた。
こういう時に主将であるあたしが部員のみんなに気合をいれなきゃいけないんだろうけど、正直、もうそんな空気じゃないし、あたしもそんなキャラじゃない。とりあえず、今日はこのまま軽めで済ませるようにと指示を出した。
ランニングやキャッチボール、送球練習といった基本メニューをこなし、時間もいい具合になった。あとは運動後のストレッチと、練習機材の片づけで終わりということでいいだろう。
あたしはグランドの外れの木陰に行くと、そこでストレッチを始めた。
筋肉をゆっくりと丁寧に伸ばす。ももの裏や股関節、腕の筋肉をクールダウンさせる感覚だ。
時折吹く風も気持ちいい。部活をやっている中で、この時間が一番好きかもしれない。
ふと、見ると、玉城がこちらを歩いてきた。
あたしは慌ててストレッチを中断して立ち上がる。あたしに何か用があるのかもしれない。もしかしたら、さっきの応援団の話の返事をしにきてくれたのでは?
「そのままでいいぞ、ただ涼みに来ただけだから」
「あ、ここ涼しいもんね」
全然違った。涼みにきただけらしい。
「男子マネの仕事お疲れ様、見てたけど、すごい頑張ってたね」
「ああ、こんなクソ暑い中、自分でもよくやったと思う」
本当に玉城はよく頑張っていたと思う。以前、玉城に男子マネになってくれるよう頼んだことがあったが、その判断は間違いではなかった。願わくば、このまま男子マネになって、さらにそのまま応援団的なことをやってくれると、個人的にはすごい嬉しいのだが……
「……花沢」
「なに?」
「俺ちょっと脱いでいいか?」
「……え?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
脱ぐというのは、つまり体操服を脱ぎ捨てるということだろう。たしかに玉城は顔を真っ赤にして、額に汗をダラダラ流している。今とても暑いのだろう、ということはよくわかった。
しかし、ここで服を脱ぐのはさすがにマズイ。
いや、あたしは玉城の裸を見たいし、全然脱いでもらって構わないんだけど、公序良俗的にすごいマズイ気がする。
……いや、やっぱり止めるのは止めよう。だって、ほら、もう玉城は脱ごうとしちゃってるし。うん、それに熱いのなら脱がせてあげないと玉城の健康的にダメだと思うし、うん、熱中症で倒れちゃうといけないから、うん……
玉城は体操服を脱ごうと格闘している。汗で体操服が肌に張り付いて、上手く脱げないのだろう。玉城のおへそ、お腹、胸、がゆっくりとあたしをじらすように露わになっていく。
なんてことだ。そこらへんのAVでは到底真似できないエッチな光景。これは目に焼き付けなくてはいけない。
たっぷり数秒かけて、玉城が体操服を脱ぎ捨てた。
完全に上半身裸になった玉城、そういえば、前にも玉城の着替えを見てしまったことがあるが、その時はすぐに顔を背けてしまってよく見えなかった。しかし今はもう、そんな事をしない。する必要もない。玉城は自主的にあたしの前で脱いでくれたわけだし。
あたしは自然と、玉城の前で手を合わせていた。
いま、あたしの中にある感情、それは興奮、そして感謝。玉城という聖人があたしというゴリラの前で、無防備にもその厚い胸板を晒してくれたことへの感謝。
「何やってるんだ、花沢?」
「……ありがとうございます、ありがとうございます」
「は?」
あたしは念仏を唱えるように静かにお礼を言った。玉城には本当に、感謝してもしきれない。玉城はあたしのようなこじらせた処女にとっては、神様のような存在だ。
「……ちょっとちょっとちょっと! 何やってるんですか玉城先輩!」
なにやら雑音が聞こえる。だが、今のあたしは、そんな音では心が乱されることはない。
「どうした山口君、そんなに焦って」
「な、な、なに裸になってるんですか!!」
「暑いからな」
「だからって脱がないでください! 早く着て!」
山口に急かされ、玉城は渋々と体操服を着た。
「本当に何考えているんですか!」
「山口君、その手に持ってるものは何だ?」
「あ、これは渡部部長が男子マネにって買ってくれたやつで……じゃなくて、玉城先輩がそういうことすると……」
「一本いただくぞ」
「あ、はいどうぞ……て聞いてますか玉城先輩!」
山口に玉城の裸鑑賞会を邪魔された怒りはほとんど湧かなかった。むしろあたしは玉城と山口のやりとりをほほえましく見つめる。だってもう十分目に焼き付けたし。今日の夜はきっと捗るだろう。
「……もういいです、玉城先輩、行きますよ!」
「もうちょっと休憩させてくれよ」
「休憩はしますけど、ここじゃダメです! 家庭科室に行きますよ」
山口があたしを睨みながら言う。だが、あたしはそれを穏やかに微笑んで返した。
「さて、みんな! 時間だ! もう終わりにしよう!」
栞の号令で部員が各々ストレッチを終えて、グラウンドに集合した。
「主将、今日のまとめを」
「今日は簡単に済ませましたが明日は頑張りましょう、あと明日も今日と同じ時間に集合です、明日は監督がいます……以上、解散」
栞に促され、簡潔に言うべきことだけ言うと、部員一同は「はい」と返事をした。そのあと、すぐにダラダラと着替えと荷物が置いてある部室練の部室に向かう。
さて、あたしはこれからもう一つ、やることがある。
みんなから遅れて歩く。目的は家庭科室の一番端の窓、すなわち『ラッキースポット』。この端の窓はなぜかカーテンがきちんと閉まりきらない。すなわち、ここから家庭科室の中を覗けば、運よく男子マネの着替えが見れるかもしれないのだ。
まあ、男子の方もそのことは承知なので、そこから死角になるところで着替える。だから男子の着替えが見える確率はほぼ0%だ。
しかし、今は状況が違う。玉城がいるのだ。玉城は女子に着替えを見られても、あまり頓着しない。玉城が着替えるのであれば、男子の着替えが見える確率は飛躍的に向上するはずだ。
あたしは最後尾から部員たちを威圧するように睨みながら歩く。ラッキースポットの存在はうちの部員ならみんな知っている。だから、誰かがトライするかもしれない。しかし、あたしが目を光らせているポーズをとることで、ラッキースポットを覗かせないようにしているのだ。
事実、何人かの部員がラッキースポットを覗こうとしたが、すぐにあたしが後ろからみていることに気付いて、部室へ向かう道に戻った。
さて、部員たちが全員行ったのを見送って、あたしはラッキースポットの前に立った。
ストレッチの時に上半身は見た。とてもありがたい光景だった。あたしは今からさらに高みを目指す。すなわちパンツ一枚の玉城を見る事だ。
「何をやっているのかな、主将?」
「抜け駆けはズルいっすよ」
声がしたので後ろを振り向くと、栞と美波が立っていた。
まあ、この二人と鉢合わせすることは予想していた。あたしが栞を出し抜くなんて不可能だし、美波はそんな栞に良く懐いているもの。
この二人も、玉城の生着替えが見たいのだろう。
「……わかった、じゃあ、ここは冷静に話し合って順番を決めよう?」
「そうだな、それがいい」
ラッキースポットは隙間的に一度に一人しか覗けないのだ。
「じゃあ公平に背番号順でいこうか」
「あ、それはズルいっす! 公平じゃないっすよ!」
あたしの背番号は1、栞の背番号は2だ。美波は正レギュラーじゃないから二桁番号である。
「それなら五十音順にするか?」
「あ、それなら……」
「逆順で」
「な、なんでっすか!」
逆順なら渡部栞、花沢奈江、坂口美波という順番になる。
「逆順じゃダメっす! 普通の順番にしましょう!」
「分かった、それなら私、奈江、美波の順番だな」
「苗字で!」
なかなか決まらない。何を提案しても美波が反対する。
「困ったものだな」
「だね、美波がワガママすぎるから決まらない」
「せ、先輩たちが意地悪するからじゃないっすか! 普通にジャンケンとかで決めましょうよ!」
意地悪も何も、そもそも一年生なんだから先輩に遠慮すべきだと思う。こういう時に体育会系の気質を発揮してほしい。
「……なにやってるんだ、お前ら」
いきなり声をかけられ、ビクリとそちらを見ると、玉城が立っていた。制服姿で。
「あ、あれ、玉城君……き、着替えたの?」
「ああ、というか俺は早めに上がらせてもらった、山口君から聞いてないか?」
「……いや、何も聞いていないが」
栞が返事をすると、家庭科室の窓が開いた。
「何やってるんですか、先輩方」
そこには冷めた目でこちらを見ている制服姿の山口がいた。
このタイミングの良さ、おそらくすでに着替えて、ラッキースポットの前で待機していたに違いない。先ほどのあたし達のやりとりもずっと聞いていたのだろう。やはり山口は性格が悪い。
「山口君、着替え終わったか」
「はい、いつでも行けますよ」
「よし」
「……二人ともどこかに行くの?」
「玉城先輩に誘われたので『ぽんた』に行きます」
山口がなぜか勝ち誇ったように言う。
『ぽんた』というのは、「安い、多い、あと部活帰りならば美味い」で有名な駅前のラーメン屋だ。いいな、あたしも玉城と行きたい。
「へえ、いいっすね、自分も行きたいっす!」
「そうか、じゃあ美波も来るか」
ここでまさかの美波が参加を希望して、しかもそれがあっさりと承諾されてしまった。これだから美少女は嫌だ。男に物怖じしないから。
「ま、待て、それなら私もいくぞ!」
さらにドサクサ紛れに栞まで参加を宣言した。
しまった、あたしも言わないと……でも、こういうのって意識すると言えなくなる。あたしが口をパクパクさせていると、
「じゃあ五人で行くか」
玉城がそれを察してくれたのか、あたしを勘定に入れてくれた。
あたしはひそかにガッツポーズする。本当に、今日はいろんな意味で最高の日になった。毎日の部活がこんな感じなら、申し分ないのだけどなあ……