夏祭り(秋名)
「発子、明日のお祭り行くの?」
家でアイスを食べているとお母さんが思い出したように言った。
そういえば、もうそんな季節だっけ。去年は受験勉強やらなんやらが重なってスルーしてた。
咲ちゃんでも誘って行こうかな……とスマホに伸ばした手を止める。
どうせ誘うのなら、いつも一緒にいる女友達じゃなくて、男の先輩じゃないか?
先輩と二人で夏祭りなんてデートみたいじゃないか。夏祭りに合う浴衣を着て私の隣を歩く先輩……先輩は体格が大きいからきっと浴衣姿が映えるに違いない。
二人は夏祭りを満喫し、遊び疲れたところで一緒に祭りの花火を観るのだ。観る場所はあのお寺にしよう、静かで誰もいないし……そして、二人きりで良いムードになって、そのまましっぽりと……
最高のシミュレーションが出来た。私は鼻息を荒くしながら再度スマホに手を伸ばし、先輩にラインを送った。
『お祭りにいきませんか?』
『いいぞ、いつどこでやるんだ?』
先輩の返信はすぐだった。しかも即決。幸先は良いぞ。
『明日、うちの地元でやります、夜7時に駅まで来て下さい』
『わかった』
『それとお願いがありまして……』
『なんだ?』
『浴衣とかを着てきてほしいんですよ~(#^.^#)』
先輩は露骨な下系のお願い以外ならまず断らない。これで浴衣デートは完璧だ。
『そんなもの持ってない』
『え~何で持ってないんですか~』
完璧だったはずの計画が一瞬でとん挫した。それは想定してなかった。
『浴衣とかは持ってないが、甚平なら持ってるぞ』
『それ着てきてください!!!!!!!』
しかし、神は私を見捨てなかったようだ。いや、この場合は神じゃなくて先輩か。甚平なんて素敵アイテムを持っているなんて、きっと先輩も誰かのデートのために用意していたに違いない。
『お前も浴衣着てこい、それなら甚平を着てやる』
しかし、先輩がいきなりわけわからない事を言いだした。
『え? 何で私がそんなことするんですか』
『俺が見たいからだ』
ますます意味が分からない。
私の浴衣姿なんて別に見るほどのものじゃないのに。
『えー? そんなの見たいんですか? 先輩変ですよ』
『変だろうが関係ない、それとも浴衣を持ってないのか?』
『中学時代のやつがありますけど……』
中学時代に着ていた奴は、今にして思うと結構恥ずかしいやつで、正直あまり着たくはない。
『じゃあ、甚平を着て行くからな、もしお前が浴衣を着てこなかったら、その足でそのまま帰るぞ』
『((+_+))』
しかし、先輩はさっさと話をまとめてしまった。
私は「参りました」の顔文字を送るのが精いっぱいだった。
とりあえず、私は自分の部屋のタンスから例の浴衣を引っ張り出した。
それを広げてみる。
ピンクを基調としたその浴衣は、普通の浴衣に比べて丈がすごく短い。いわゆるミニ浴衣というやつだ。
中学校の頃は、これが可愛いと思ってお祭りの時はよく着ていたが、今にしてみると恥ずかしい。これが許されるのは小学校低学年までだと思う。
これを着ていくのか……前に一緒にプールに行った時も思ったけど、先輩は私に恥ずかしい思いをさせようとしているんじゃないか。でも着なかったら本当に帰っちゃうんだろうし、私に選択の余地なんかない。
せっかく楽しい夏祭りの浴衣デートが出来ると思ったのに……私は肩を落とした。
次の日
ミニ浴衣を着て駅の改札前で先輩を待つ。
中学時代のものだが、着るには着れた。ただ、丈がかなり際どい。ホットパンツでも履いてこようかと思ったが、浴衣にホットパンツが合わな過ぎて止めた。結局痴女一歩手前みたいな恰好でここに来るはめになったのだ。
電車が到着したようで、改札が賑やかになる。うちの地元の夏祭りはそこそこ人が来るから、多分この人たちも夏祭りに参加する人たちだろう。
そんな人だかりの中、頭一つ分大きい男の人が改札を通った。
玉城先輩だ。
凄く目立つから、いろんな女が先輩を見るが、先輩の顔を見てすぐに顔を背けている。あの顔は見慣れないと恐いものね。
「秋名」
「先輩……」
先輩は素晴らしい姿をしている。紫陽花のワンポイントがある藍色の甚平は先輩に良く似合っているし、まるで旅館の若旦那みたいだ。それに、下の袴が膝元丈なのもグッド。普段先輩は長ズボンしか履かないから、こういうふくらはぎまで見えるファッションは貴重なのだ。個人的にすね毛は剃って欲しいけど、薄めだからまだ許容範囲内である。
とにかく総評は『素晴らしい』だ。甚平を着てくるよう頼んで本当によかった。
「お前その格好……」
そんな先輩の格好に比べて、私の格好は何だ。変態じゃないか。
「いや、言い訳させてください、これはですね中学校の頃に着てたやつでして、その頃は可愛いかなって思って着てたんですよ、ただですね、中学校の頃はまだふつうのミニ浴衣だったんですけど、私もちょっと成長してしまいまして、結果、今こうして着るとピチピチになってしまったわけなんですよ、なので、これは決して私が変態だからというわけではなくて……」
スカートの裾を引っ張るようにミニ浴衣の丈を引っ張って、パンツを見せたいわけじゃありません、アピールをする。
「秋名」
「は、はい、あの、出来れば着替えたいなと……」
幸い私の家はそう遠くない。先輩もこの格好が変だと思っているだろうし、ここはお互いのために着替えるべきなのだ。
「撮っていいか?」
先輩がスマホを取り出した。
「え? 私をですか?」
「そうだ」
「……それは、私に恥ずかしい思いをさせたいとかそういうのですか?」
ただでさえ恥ずかしいのに、写真で残されるのはもっと恥ずかしい。まさか先輩はドSに目覚めてしまったのでは……
「いや、単純に今のお前の格好が好みだから撮りたいだけだ」
「……」
好み? この変態みたいな恰好が?
冗談かと思ったが、先輩の顔はいたって真面目だ。おそらく本気で言っている。
意味が分からない。というか、先輩の好みがわからない。こんなののどこがいいのだろう。
……そういえば、前もこんなことがあった。一緒にプールに行った時、ビキニを強要したお返しにビキニを強要されたのだ。そしてお互いに水着の写真を撮り合いっこした。
仕方ない、嫌だけど、写真を撮られることは我慢しよう、だけどその代りに、ビキニでプールに行ったあの時と同じく交換条件だ。まあ立場は逆になってるけど。
「じゃ、じゃあ、私も先輩の写真を撮るということで……」
「いいぞ」
先輩はあっさりと承諾した。まあ先輩の格好は全然変じゃないから当たり前か。
先輩がスマホのカメラを構える。
しかし、なかなか撮ろうとしない。
「秋名、何かポーズをとれ」
「なんですかポーズって」
「写真に写る時のポーズだ、あるだろう、いろいろと」
先輩から謎のムチャブリがきた。どうやらカメラを向けても、私がポーズをとっていないからシャッターを押せなかったらしい。
いや、でもいきなりそんなこと言われてもどうすればいいのかわからない。だって、こんな格好で何をしても変態にしか写らないだろうし……
私はしばし考えてから、ピースサインをしてみた。多分、このポーズが一番無難だろう。
「……もうちょっとなんかないのか」
しかし、先輩はこれでもご不満らしい。
「そんなこと言われたって、写真撮る時はピースでしょ?」
「なんかこう……そうだな、両手でピースを作って、それを両頬に近づけるってポーズはどうだ?」
「えぇ……」
私は少し困惑しつつも、言われるがままに先輩の要求するポーズをとった。
「先輩、こういうのって多分、チャラい女とかがやるポーズだと思うんですけど」
「似合っているから大丈夫だ、あともう少し笑顔になってくれ」
「……なんか先輩気持ち悪いです」
先輩は基本的に良い人なんだけど、時々趣味が理解できないことがある。
私が自分でもわかるくらいにひきつった笑顔を浮かべると、先輩が数枚写真を撮った。
「よし、行くか」
「あ、先輩、私も先輩の写真撮ります!」
「ああ、そうだったな」
先輩は満足したらしいが、まだ私の番が終わっていない。
先輩は軽く手を広げた。どこからでも撮れということだろう。だが、あれだけ先輩が注文を付けてきたのだ。こっちだって少しくらい無茶な注文を付けたって罰は当たらないはず……
「じゃあ、とりあえずですね……上の着物を少しはだけさせてください」
「あん?」
先輩が顔をしかめた。
「いや、ポーズですよ、ポーズ! 先輩、私にいろいろ言ってきたじゃないですか、だから私も……」
私の話を最後まで聞かずに駅から出ていく先輩。
「おい、秋名、祭りってのはどこでやってるんだ?」
「あーズルいですよ、写真の約束!」
くっ、やはり、はだけるのはアウトだったか。ちょっと調子に乗りすぎてしまった。もうちょっとソフトな感じのやつを頼もう。
「わかりました、それならはだけるのはなしでいいです! その代りに袴のすそを上げてもらってですね、ふとももを……」
先輩はズンズン歩き出す。私はなんとか先輩が妥協できる範囲を探りながら質問しまくったが、先輩の足が止まることはなかった。
祭りの会場の『銀座通り』につくと、予想通り人でごった返していた。
「結構人がいるんだな」
「そうですよ、下手したらはぐれちゃうかもです」
地元だし、土地勘のある私ならまだしも、先輩は私とはぐれたら大変だろう。
「……と、いうことでですね、ここは一つ、手をつなぐというのはどうですか?」
完璧な提案だ。下心など一切見せず、むしろ逆に先輩へ配慮しているとアピールも出来てる。
まあ、そんな私を見ている先輩の目が、疑いにまみれているのは気にしないでおこう。
「そうだな、そうしておくか」
「おお、先輩いつになく素直ですね」
「お前は迷子になりそうだしな」
「な!? 迷子になんかなりませんよ、失礼ですね! 」
この年でもいまだに「背の高い小学生」として間違われることがある。この背の低さは軽く私のコンプレックスでもあるのだ。
「じゃあ手をつなぐ必要はなさそうか」
「……いや、実は迷子になるかもしれませんでした、ははは」
そのコンプレックスも、先輩と手をつなぐという大義の前では利用せざるを得ない。
無事、先輩と手をつなげたところで、先輩が口を開いた。
「秋名、何か屋台で見たいやつとかあるか?」
「そうですね……あ、先輩、金魚すくいやりませんか? 祭りといったら金魚すくいですよ」
先輩も頷いて同意した。
金魚すくい屋に着くと、独特なゴムの匂いで歓迎された。
おじさんにお金を払ってポイをもらう。ちなみに当然のように先輩が私の分まで払っている。
私は早速金魚を取ろうと、ポイを水につける。なるべく紙面を水に浸さないように慎重にポイを動かして、金魚を追い込む。
「ダメだな、秋名、それじゃあ取れないぞ」
「え?」
先輩の言葉に気を取られた隙に、金魚が私のポイを突き破ってしまった。
「あ……」
「俺が手本を見せてやる、よく見ていろ」
先輩が腕をまくって二の腕をあらわにする。こういうちょっとした仕草がいい。浴衣デートをしているのだと実感できる。
「金魚すくいはこうするんだ」
先輩がドヤ顔を決めた。まだ一匹も捕ってないのに。
ここまで自信満々だということは、きっと金魚すくいが本当に上手いんだろう……と思っていたが、先輩のポイも、私と同じく簡単に金魚が突き破ってしまった。
「ダメじゃないですか」
「いや、あれ? おかしいな……」
こんなはずではなかったという顔だ。さっきまでのドヤ顔と対比してなんか可愛いらしい。
「先輩って意外と口だけなんですね」
「お前……!」
先輩をからかうと、先輩は怒ったように私の手を握ってグリグリとやり始めた。
「あー、痛いです、痛いです、先輩」
正直あまり痛くはない。先輩が加減してくれているのだ。なんだかカップルのイチャイチャみたいで最高に気分が良い。
「……兄ちゃんたち、終わったらどいてくんねえか?」
まあ、傍から見たらただのバカップルに見えただろう。金魚屋のおじさんに白い目で見られたので、私達は早々に退散することにした。
さて、金魚すくいの次だけど、やっぱり夏祭りで楽しめるものといったら射的だろう、ということになり、今度は先輩と射的の屋台に向かった
射的の屋台には、モデルガンとか、カードゲームとか、小さい男の子が好きそうなものが並んでいる。正直、私的にピンとくる物はない。まあ、先輩と射的ができる、というイベントに参加していると思えばいいんだ。
先輩が射的屋さんにお金を払って、コルク銃を手に取った。
「先輩、頑張ってください!」
「ああ」
コルク銃を手に持つ先輩。なんか殺し屋みたいだと思ったけど、黙っておこう。
先輩が銃にコルクを詰めて、銃口を景品のお菓子箱に向ける。その時に先輩が腕を伸ばすんだけど、そこからチラリと見える二の腕もいい。射的に来てよかった。
先輩が引き金を引いた。
コルクは景品の少し上を飛んでいく。
「先輩、もうちょっと下です」
「いや、分かってるぞ」
先輩は片目を閉じて狙いを定め、またもう一度弾を発射した。
しかし、今度は景品の下にいってしまった。撃ってる時は格好良いんだけど、肝心の射撃センスはないみたいだ。
「先輩、下過ぎですよ!」
「待て秋名、これ結構むずいぞ」
先輩がちょっと情けない事を言いだした。
もはや見ていられない。
「先輩、バトンタッチです、私がやります」
「いや、待て、もうちょっとで当たりそうだから俺がやる」
「ダメですって、横から見てましたけど、先輩はセンスないです、貸してください」
先輩からコルク銃を奪おうとするが、先輩はそれを持ち上げてしまった。必死にピョンピョンとジャンプをしながら手を伸ばすが、私の身長では届かない。
この時、私はコルク銃に手を伸ばすことに夢中で、周りをあまり見ておらず、そのせいで、私の手が隣のお客さんに当たってしまった。
「いってえな」
「あ、すみません」
「すみませんじゃねえよ」
隣のお客さんは苛立たしげに私の事を睨みつけてきた。
短髪の染めた髪の毛、耳にピアス、鋭い目つき、見るからに不良だ。
「騒いでんじゃねえよチビが」
「……」
恐い。先輩は単純に顔が恐いだけだから平気だけど、この人は雰囲気そのものが恐い。さっきまでの楽しい気分が吹き飛んでしまった。
これからどうなってしまうんだろう、まさかこの人、腹いせに殴ってくるとか……
「お前、リョウ君か?」
「あん?」
私が不安に襲われる中、先輩が穏やかに不良に尋ねた。
「やっぱりリョウ君だ、覚えてないか? ゲーセンであっただろう?」
「……あ、お、お前……」
「あの時の五分刈りからだいぶ髪が伸びたな、一瞬気づかなかった」
「え? 先輩の知り合いですか?」
「ああ、昔コイツにカツアゲされたんだ」
「え……」
知り合いは知り合いでも、あまり良くない知り合い方をしているらしい。というか、先輩がカツアゲされたのなら状況はかなりまずいじゃないか、早く逃げないと……
「リョウ君、この辺りが地元なのか? 前につれていた女の子がいないけど、どうした?」
しかし、先輩の方は、まるで久しぶりに友達に会ったかのように気軽に話しかけているし、『リョウ君さん』の方は、明らかに先輩に対して嫌な顔をしている。とてもカツアゲした・されたの関係には見えない。
「う、うるせえな」
リョウ君さんはコルク銃を屋台のテーブルに叩きつけると、撃ち落としたのであろう、景品のお菓子を持って、まるで逃げるように早足で去ってしまった。
「行っちまったな」
「先輩、本当にカツアゲされたんですか? あの人に?」
「されたとも、500円とられた」
「……本当ですかあ?」
いまいち信用できない。こんなことで先輩が嘘をつく必要はないのだけど、さきほどのリョウ君さんの反応は明らかにおかしい。先輩の余裕過ぎる態度から考えてもカツアゲの関係が逆だったようにすら思える。
と、考えていると、先輩がいつの間にかコルク銃を構えていた。
「あ、先輩、ズルいです、私も撃ちたいのに!」
それから私達は、私がやります、いや俺がやる、と一つの景品を撃ち落とすだけなのに、おおいに盛り上がった。
「先輩、金魚すくいリベンジしませんか?」
射的で取った景品のお菓子を食べながら、私が提案すると、先輩はコクリと頷いた。
金魚すくいのところに行くと、先ほどまで射的屋にいたあの不良……リョウ君さんが金魚すくいをしていた。
私としては、まだ苦手意識があるからちょっと近づきたくないのだけど、先輩は躊躇することなくリョウ君さんの様子を後ろから覗き込んだので、私もそれに倣う。
リョウ君さんのおわんには3匹の金魚がいた。
「上手いな」
「え? な!? お前なんで……」
リョウ君さんが先輩を見て驚愕の表情を浮かべている。
「コツとかあるのか?」
先輩が構わず続けたが、リョウ君さんのポイを金魚が突き破ってしまった。
「ああ……残念ですね、リョウ君さん」
「……ちっ」
やっぱり、私に対してリョウ君さんは厳しい。威嚇するように舌打ちされて、ビクついてしまった。
リョウ君さんは、屋主のおじさんに金魚の入ったおわんを渡す。
おじさんは金魚をビニール袋に入れて、リョウ君さんに渡した。
金魚を欲しがる不良ってなんだかちょっと可愛いなって思ってると、リョウ君さんはそのビニール袋をそのまま私に押し付けてきた。
「……これやる」
「あ、ありがとうございます……」
な、なんで私に渡してきたんだろう。物欲しそうにみえたのかな……?
「……それをやるから、もう俺に付きまとうな」
「いや、別に付きまとってるわけじゃないぞ、本当に金魚すくいをやりに来ただけだ」
どうやら絶縁状の代わりに金魚を押し付けたつもりらしい。でも先輩の言うとおり、私たちは付きまとっているわけじゃない。
「それでリョウ君に金魚すくいのコツを教えてもらいたいんだ、お前上手いみたいだしな」
「……ここは止めとけ、6号と7号しかない」
まったく動じない先輩に観念したのか、リョウ君さんが何やらアドバイス的なものをくれた。でも、その数字の意味が分からない。先輩も分からなかったようで、首をかしげている。
「うぅん!!」
するといきなり、屋主のおじさんが大きな咳ばらいをした。
リョウ君さんは屋主の顔を見て、眉をひそめると、私達の方を向き直り言った。
「……来い」
私と先輩は顔を見合わせたけど、言われるがままに、リョウ君さんの後について行く。
しばらく人混みを歩いたところで、リョウ君さんは止まって振り返った。
「あの店はボッタくりみたいなもんだ、破れやすいポイしか置いてない」
「ポイに破れやすいとかあるのか?」
「紙の厚さが違う、普通は5号とか6号とかが置かれてるんだが、あそこは6号と7号が置かれてる、6号ならまだしも7号の薄さじゃ一匹も捕まえられない」
どうやら、あの時の数字はポイの厚さの事を言っていたみたいだ。
確かにこんなこと店先で言われたくないし、屋主のおじさんが咳払いしたのは出て行けっていう意味だったんだろう。
「でもリョウ君さん3匹も捕まえてますよね?」
破れやすいポイでも3匹も捕れれば充分だと思うし、ボッタくりという言い方は酷い気もする。
「あの店はガキには6号を渡してるんだ、だからそのガキからポイを貰った」
「お前、子供からポイまでカツアゲしたのか」
「してねえよ! 射的の景品と交換したんだよ!」
言われてみれば、リョウ君さんは射的屋の景品のお菓子を持っていない。
ポイとお菓子を交換したって……そんなに金魚すくいがやりたかったのか。この人雰囲気は怖いけど、もしかして、かなり可愛い人なのかもしれない。
それになんだかんだで私達に、あそこの屋台で金魚すくいはやるな、と(こっちがしつこく聞いたとはいえ)忠告してくれたし。
「……これでいいか? もう俺に付きまとうんじゃねえぞ」
「あ、あの、リョウ君さん」
私達に背を向けて歩き去ろうとするリョウ君さんに声をかけた。
「この金魚……」
「……いらねえからお前にやる」
リョウ君さんは振り向きもせずにぶっきらぼうに答えた。
「あ、ありがとうございます……」
「おい、リョウ君、結局あの女の子たちはどうした?」
先輩の言葉には、リョウ君さんは振り返った。そして、
「うるせえって言ってんだろうが!」
周りの人もドン引きするくらいの声量で怒鳴った。
射的屋でもこんな反応だったし、どうやらリョウ君さん的にはその『女の子たち』というのは触れてほしくない話題だったらしい。
リョウ君さんは大股で歩き去っていった。
「あの人、いい人なんでしょうか……」
「……まあ、根っからの悪い奴じゃないかもな」
見た目も雰囲気も怖いけど、ちょっと面倒見のいいところもあるみたいだ。
「……さて、どうするか、金魚すくいはもう止めておくとして……」
「そうですねえ……あ、そういえばそろそろ花火の時間ですよ!」
危ない、二人で屋台めぐりが楽しくて花火の存在をすっかり忘れていた。
私の計画では、このままあの静かなお寺に行って、そのまま先輩と良いムードになるのだ。
「みたいな、花火」
「ですよね! ということで、先輩には花火の特等席にご案内しちゃいます」
「案内してくれ」
「はいはい、こっちですよ」
私は先輩を引っ張った。ムフフ、これから私は大人の階段を上るのだ。
お祭り会場から少し離れた薄暗い寺。私の予想通り、人影はない。まさにベストスポットだ。
「ここからですね、花火が良く見えるんですよ」
ここを見つけたのは一昨年のこと。そのころはまあ、彼氏なんていなくて、いつか彼氏とここに来ようと誓いを立てたのだけど、その誓いは二年越しに果たされた。先輩がまだ彼氏ではない、というのは些細な事実である。
「さあ、座りましょうか」
「ちょっと待て秋名」
寺の縁側に座ろうとすると、先輩が止めた。
「なんですか?」
「蜘蛛がいる」
「え?」
先輩が指差す先を見た。
なんだか薄暗いけど、何かが動いている。
異様に長い脚が数本。この気持ち悪い形。確かに先輩の言うとおり、蜘蛛だ。
「きゃあっ!」
私は悲鳴を上げた。
「く、蜘蛛! 蜘蛛です! 蜘蛛!」
「見ればわかる」
「先輩何とかしてください! 蜘蛛怖い! 蜘蛛怖いです!」
私は蜘蛛が苦手だ。いや、虫全般は苦手だけど、蜘蛛とか、ゴキブリとか、ムカデとか、とにかくそういう脚がいっぱいあって、素早く動くやつが苦手だ。
しかもこの蜘蛛、家で見かけるような蜘蛛とは比べ物にならないくらい大きい。とても気持ち悪い形をしている。
「落ち着け秋名、今から追っ払うから」
「や、やっつけないんですか!?」
「うちの家訓で蜘蛛は殺せないんだ」
「で、でも、毒とか持ってるんじゃないですか、この蜘蛛!?」
「アシダカなら持ってないだろ」
先輩は当然のように言うと、縁側を強く叩いた。その衝撃に驚いた蜘蛛はものすごい速度で逃げて行く。
「これで大丈夫だ」
先輩の安全宣言でひとまずホッと胸をなでおろした。
やっぱり、こういう時の男の人ってすごく頼りになる。蜘蛛がまた来ないか、ちょっと心配だけど、でもその時はまた先輩に追っ払ってもらえばいいか。
「……ところで秋名」
「はい?」
「いつまで抱きついているつもりだ?」
先輩に言われて気が付いた。どうやら私はあまりの怖さに無意識で先輩に抱きついていたらしい。
先輩と目が合う。私は誤魔化すようにエヘッと笑いながら、とりあえずもっと強く抱きしめてみた。学校がある時は毎日電車の中で抱きついたけど、夏休み中でそれが出来ない以上、いま補わなければ。
先輩が私の額に優しくチョップして、私を引きはがすと、そのまま縁側に座ってしまった。
もうちょっと楽しませてもらってもいいじゃないか、と思いつつも、私は先輩の隣に座る。もちろん、蜘蛛がいない事を慎重に確認してから。
「……」
「……」
座ってからしばしの間、二人の間で、心地良い沈黙が流れた。
先輩の方をチラリと見る。風に涼んでいるみたいで、とてもリラックスしていた。
ちょっとしたハプニングはあったが、それでも私と先輩は良い雰囲気になりつつあると思う。
さきほどの先輩は男らしくてとても逞しかった。やっぱり付き合うのならこういう男の人がいいだろう。
それに多分だけど、先輩も私の事は嫌いじゃないはずだ。さっき無意識で抱きついちゃったけど、引きはがす時も優しかったし。
これはイケるのでは?
この空気なら、Hなことはできなくても、キスぐらいまでならイケる気がする。男の人はムードと勢いで押せるってなんかネットで書いてあったし、今、この状況はまさにおあつらえ向きだと思う。
計画の最終段階、良いムードでしっぽり作戦……やるならこのタイミングしかない。
「……先輩」
「うん?」
先輩がこちらを向く。
「どうした?」
「……」
しまった、体格差があるから自然な感じでキスは難しいな……それならもう……
「秋名?」
「せ、先輩!」
私は先輩に抱きついた。このまま一気に勢いでチューをしてしまおう、そう思った瞬間、
「蜘蛛か!」
先輩の言葉で私の心に急ブレーキがかかった。
「え? 蜘蛛?」
「蜘蛛はどこだ?」
「蜘蛛!? 蜘蛛どこですか!?」
先輩とのキスのイメージが、一気に先ほどのグロテスクな蜘蛛に塗り替えられた。恐怖のあまり、安全地帯である先輩の膝の上に逃げ込んだ。
「どこにいるんだ蜘蛛は?」
「どこにいるんですか蜘蛛!?」
「いや、だからお前に聞いているんだが、どこにいるんだ蜘蛛は?」
「え?」
先輩はキョトンとこちらを見ている。多分私も同じ顔をしていると思う。
「先輩が蜘蛛を見つけたんですよね?」
「え?」
「え?」
どうにも話しが噛みあわない。
「……お前、何でさっき俺に抱きついてきたんだ? 蜘蛛を見つけたからじゃないのか?」
「……いや、蜘蛛なんか見つけてないですよ、ただ良い雰囲気だったから、このまま勢いでいっちゃおうかと思っただけで……」
私の言葉に先輩が呆れた顔をした。
「……俺はてっきり、お前が蜘蛛を見つけたのかと思ったぞ」
「いや、別に見つけていませんけど……」
「……はあ、じゃあ蜘蛛はいなかったってことだな、まったく人騒がせだな」
「……な、なんですかそれ、先輩が勘違いしたんじゃないですか!」
そう、せっかくいい雰囲気だったのに、それをぶち壊したのは先輩だ。
上手くいけばあのままファーストキスだった。それにそのまま上手く事が運べば脱処女だったかもしれないのに。
「おい、秋名、蜘蛛がいないのならもう膝から降りろ」
先輩に咎められて、膝から降りようとしたが、やっぱり止めた。
「おい」
「いや、いいじゃないですか、先輩のせいでムードが壊れちゃったわけだし、責任取って下さいよ、責任」
もうなんかキスするムードでもないし、このまま先輩に甘えてしまおう。私は先輩の膝に座ってふんぞり返った。
先輩もこれ以上、私の事を咎めるつもりはないらしい。私にされるがままだ。
「あ、先輩、花火が打ち上がるみたいですよ」
ヒュー、という花火が打ち上がる時の独特の音、そして夜空に大きく花火が咲いた。
「綺麗ですね」
「そうだな」
先輩は夜空に咲き乱れる花火を穏やかに見つめている。
私はそんな先輩を盗み見ながら、これもしかしたら花火終わったころにもうワンチャンスくらいあるかもしれない……とか考えていた。