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夏祭り(玉城)

世間では夏休みが終わりそうですが、この作品の夏休みはまだまだ続きます。

『お祭りにいきませんか?』


秋名からラインが来たのは、俺が家でくつろぎながらテレビを見ている時だった。


『いいぞ、いつどこでやるんだ?』

『明日、うちの地元でやります、夜7時に駅まで来て下さい』


明日か……急な話だけど、予定もないし問題はない。


『わかった』

『それとお願いがありまして……』

『なんだ?』

『浴衣とかを着てきてほしいんですよ~(#^.^#)』


なんでそんなことをしなければならないのか。というか、そもそも俺は浴衣なんかもってない。最後に来たのは小学校くらいの頃だが、そのころのやつを今着れるわけもないし。


『そんなもの持ってない』

『え~何で持ってないんですか~』


失望されても持ってないのだから仕方ないだろう。

いや待てよ、浴衣は持ってないが、それに似たようなものならある。


『浴衣とかは持ってないが、甚平なら持ってるぞ』

『それ着てきてください!!!!!!!』


気持ち悪いくらいに『!』をつける秋名。そういえば、こちらの世界では男子の甚平姿が女子受けの良いファッションだったな。麗ちゃんと買いにいった甚平がここで役に立つとは。


さて、別に甚平を着ていくこと自体は特に問題ない……が、俺だけそういう注文をされる、というのはなんとなく気に食わない。


『お前も浴衣着てこい、それなら甚平を着てやる』

『え? 何で私がそんなことするんですか』

『俺が見たいからだ』


女子の浴衣姿なんて見たいに決まっている。

秋名の浴衣姿ならなおさらだ。


『えー? そんなの見たいんですか? 先輩変ですよ』

『変だろうが関係ない、それとも浴衣を持ってないのか?』

『中学時代のやつがありますけど……』

『じゃあ、甚平を着て行くからな、もしお前が浴衣を着てこなかったら、その足でそのまま帰るぞ』

『((+_+))』


それは何の感情を表す顔文字なんだ。

まあいい、とにかく経緯はどうあれ、浴衣姿の女の子と夏祭りに行くことになった。これは明日が楽しみだ。




次の日

俺は麗ちゃんに買ってもらった紫陽花の刺繍が入った甚平に袖を通し、さっそく秋名の地元の駅に向かった。


電車から降りて改札を通る。以前もこの駅に来たことがあるが、その時よりは賑わっている気がする。やはり祭りの効果か。


駅で集合ということだったので、辺りを見渡した。

秋名は背が小さいから人に埋もれるとわからないはずだ。注意深く探さないと……いや、そんなことを気にする必要はなかった。


秋名は一目でわかる格好していたのだ。


俺は人の往来の邪魔にならない大きな柱の近くにいる秋名のもとに歩み寄った。


「秋名」

「先輩……」


秋名の格好、それは俺の希望通り浴衣姿だった。

ただ、普通の浴衣ではない。

ピンク色のミニ浴衣、いわゆるミニ丈の浴衣だ。

それもかなり丈は短い。股下何センチだこれは。


「お前その格好……」

「いや、言い訳させてください、これはですね中学校の頃に着てたやつでして、その頃は可愛いかなって思って着てたんですよ、ただですね、中学校の頃はまだふつうのミニ浴衣だったんですけど、私もちょっと成長してしまいまして、結果、今こうして着るとピチピチになってしまったわけなんですよ、なので、これは決して私が変態だからというわけではなくて……」


秋名がお得意のマシンガントークで言い訳を並べている。

ミニスカートの女性はこの世界でもよく見かけるが、ここまでミニ過ぎると変態扱いされるらしい。

ただ、個人的には大いにありだ。ミニスカート大好き。


「秋名」

「は、はい、あの、出来れば着替えたいなと……」

「撮っていいか?」


俺はスマホを取り出した。


「え? 私をですか?」

「そうだ」

「……それは、私に恥ずかしい思いをさせたいとかそういうのですか?」

「いや、単純に今のお前の格好が好みだから撮りたいだけだ」

「……」


俺の言葉に、秋名は青い顔したり赤い顔をしたりしながら、うんうんと唸る。


そして、数秒悩んだ挙句、


「じゃ、じゃあ、私も先輩の写真を撮るということで……」

「いいぞ」


写真を撮ることを承諾してくれた。

交換条件を提示されたが安いものだ。俺の写真何ていくらでも撮るといい。

早速スマホでカメラを起動して秋名に向けるが、いまいち映えない。多分、秋名がそのままつっ立っているからだろう。


「秋名、何かポーズをとれ」

「なんですかポーズって」

「写真に写る時のポーズだ、あるだろう、いろいろと」


秋名は少し考えてから、ピースサインをした。

定番だし、悪くはないが……物足りない。こんな素晴らしい格好をしているのだから、もっとはっちゃけてほしいものだ。


「……もうちょっとなんかないのか」

「そんなこと言われたって、写真撮る時はピースでしょ?」

「なんかこう……そうだな、両手でピースを作って、それを両頬に近づけるってポーズはどうだ?」

「えぇ……」


秋名が困惑の表情を浮かべながらダブルピースのポーズをとった。


「先輩、こういうのって多分、チャラい女とかがやるポーズだと思うんですけど」

「似合っているから大丈夫だ、あともう少し笑顔になってくれ」

「……なんか先輩気持ち悪いです」


秋名は俺の注文責めに軽く引いているが、そんなことは気にしない。

ミニ浴衣を着た後輩女子が俺の要望通りにポーズをとってくれているんだ。男としてこれを写真におさめないでどうする。


秋名はひきつった笑顔を作った。

俺は3回ほどパシャリと撮る。秋名の表情のせいで、いまいち俺の想定したものとは違う写真になったが……まあ、これはこれで味があるものだと思おう。


「よし、行くか」

「あ、先輩、私も先輩の写真撮ります!」

「ああ、そうだったな」


俺は軽く手を広げた。どこからでも撮ってくれ、という俺の気持ちを全身で表した。


「じゃあ、とりあえずですね……上の着物を少しはだけさせてください」

「あん?」

「いや、ポーズですよ、ポーズ! 先輩、私にいろいろ言ってきたじゃないですか、だから私も……」


どこからでも撮っていいとは思っていたが、そういうのとはまた話が違う。

ニヤついている秋名を放っておいて、俺は駅から出た。


「おい、秋名、祭りってのはどこでやってるんだ?」

「あーズルいですよ、写真の約束! わかりました、それならはだけるのはなしでいいです! その代りに袴のすそを上げてもらってですね、ふとももを……」


まあ秋名に案内されずとも、人の流れが出来ているし、これに乗っていけばいいか。

きゃんきゃん吠える秋名の要求を聞き流しながら、俺は祭りがおこなわれているであろう場所に向かった。



祭りの会場は商店街だった。

『銀座通り』と名付けられたその大きな通りには、車が規制されて入れないようになっており、歩行者天国状態だ。屋台が並び、日が落ちているにもかかわらず、多くの人が行きかう喧噪の風景。まさにお祭りだ。


「結構人がいるんだな」


駅からきている客以外にも地元の人間も参加しているのだろう。


「そうですよ、下手したらはぐれちゃうかもです」


高校生にもなってそれはないだろ、と言いたかったが、秋名と俺では目線の高さが違いすぎる。俺がちょっと目を離したすきに秋名が人混みに飲まれたら、はぐれてしまう可能性も捨てきれない。


「……と、いうことでですね、ここは一つ、手をつなぐというのはどうですか?」


秋名の方を見ると、ニンマリしている。この顔は下心のある時の顔だ。


「そうだな、そうしておくか」

「おお、先輩いつになく素直ですね」

「お前は迷子になりそうだしな」

「な!? 迷子になんかなりませんよ、失礼ですね!」

「じゃあ手をつなぐ必要はなさそうか」

「……いや、実は迷子になるかもしれませんでした、ははは」


秋名が調子よく笑って誤魔化しながら俺の手を握った。


秋名的には上手い具合に手をつなぐ口実を作ったぞ、と思っているのかもしれないが、俺としてもこの状況は願ったりかなったりだ。だって女の子と手をつないで夏祭りを練り歩くんだぞ。高校生男子にとってこれ以上の青春はあるまい。


「秋名、何か屋台で見たいやつとかあるか?」

「そうですね……あ、先輩、金魚すくいやりませんか? 祭りといったら金魚すくいですよ」


一理ある。俺も小学生のころは、縁日で屋台を見つけては金魚すくいをやったものだ。取った金魚は、観察日記という形で自由研究の題材にして一石二鳥だった。うちの金魚鉢にはまだその頃のやつが数匹生き残っているし、そいつらの仲間を増やしてやってもいいかもしれない


金魚すくいの屋主にお金を払いポイをもらう。

秋名が早速、金魚を取ろうとポイを水に入れた。しかしやり方がダメだ。ポイを半分だけ水につけているのだ。紙面をなるべく濡らしてはならない、と思っているのだろう。


「ダメだな、秋名、それじゃあ取れないぞ」

「え? あ……」


俺の予想通り、金魚は秋名のポイを突き破った。


「俺が手本を見せてやる、よく見ていろ」


金魚すくいのコツはポイを全部水の中に入れてしまうことだ。

秋名のように濡らさない方が紙の強度が保てるというのは間違いで、逆にポイが全部濡れている方が紙の強度を保てる。

小学校の頃、金魚すくい屋の親父から教えてもらったテクニックだ。俺はこれで1回に3匹もとったことがある。


「金魚すくいはこうするんだ」


俺はポイを水に浸しそのまま金魚をすくう。

ポイの上で、金魚はビチビチと跳ね……なかった。なぜか突き破って、そのまま水槽に落下したのだ。


「ダメじゃないですか」

「いや、あれ? おかしいな……」


こんなはずじゃなかった。確かこうすれば金魚を取れていたはずなんだが……


「先輩って意外と口だけなんですね」

「お前……!」


的確に図星を突かれた腹いせに、俺は秋名の手を握ると、グリグリと握った。


「あー、痛いです、痛いです、先輩」


言葉とは裏腹に秋名の顔はあまり辛そうではない。

俺も本気でやっていないからな。ちょっとした『怒ったポーズ』だ。


「……兄ちゃんたち、終わったらどいてくんねえか?」


ポイが破れたのにもかかわらず金魚の水槽の前で騒いでいたので、屋主に呆れられてしまった。俺達は早々に退散することにした。



金魚すくいの次は、射的をやろうという話になった。


射的の屋台に並んでいる景品は、どれもあまり魅力的なものではなかったが、こういうのは景品じゃなくて、射的自体を楽しむことが重要だ。


俺は射的屋の親父に金を払うとコルク銃を手に取った。


「先輩、頑張ってください!」

「ああ」


俺は銃にコルクを詰めて、軽そうなお菓子の箱に狙いを定めた。

そして、引き金を引く。

飛ばされたコルクは狙った景品……には当たらず、少し上を飛んでいってしまった。

初めてやったが、意外とこれは難しい。


「先輩、もうちょっと下です」

「いや、分かってるぞ」


そんなこと、言われなくてもな。

今度は気持ち下目を狙って撃ってみた。

……が、コルクはまたも景品にかすりもせずに飛んでいく。


「先輩、下過ぎですよ!」

「待て秋名、これ結構むずいぞ」


言い訳になるが、本当に当たらないのだ。

決して俺のセンスがない、というわけではない、と思いたい。多分、このコルク銃の銃身が曲がってるとかそんなのだ、きっと。


「先輩、バトンタッチです、私がやります」

「いや、待て、もうちょっとで当たりそうだから俺がやる」

「ダメですって、横から見てましたけど、先輩はセンスないです、貸してください」


この野郎、それは言っちゃいけないことだろうが。

秋名がコルク銃を奪おうとするので、俺はそれを高く持ち上げる。身長差で秋名の手はコルク銃に届かない。

そんな風に揉みあいをしていると、ピョンピョン飛び跳ねて振り回していた秋名の手が、隣の客に当たった。


「いってえな」

「あ、すみません」

「すみませんじゃねえよ」


隣の客はイライラしているようで威嚇するようにこちらを睨みつけてきた。

妙な因縁つけられると厄介だな……と思いかけたが、その顔にどこか見覚えがあった。


「騒いでんじゃねえよチビが」

「……」


睨みつけられて秋名は委縮してしまったが、その他人を威圧する表情で、はっきりと思い出した。


「お前、リョウ君か?」

「あん?」

「やっぱりリョウ君だ、覚えてないか? ゲーセンであっただろう?」

「……あ、お、お前……」


リョウ君……俺は以前、この男にゲーセンで人生初のカツアゲにあった、思い出深い相手だ。あの時はヒロミと長谷川が巻き込まれて大変だった。


「あの時の五分刈りからだいぶ髪が伸びたな、一瞬気づかなかった」

「え? 先輩の知り合いですか?」

「ああ、昔コイツにカツアゲされたんだ」

「え……」


リョウ君は苦虫を噛み潰した顔をしながらこちらを見ている。そんなに嫌がることはないだろう。あの時は俺もちょっと感情的になってしまったが、今ではやり過ぎたと反省はしているんだ。


「リョウ君、この辺りが地元なのか? 前につれていた女の子がいないけど、どうした?」

「う、うるせえな」


リョウ君はコルク銃を屋台のテーブルに叩きつけると、撃ち落としたのであろう景品のお菓子を持って、早足で人混みに消えた。


「行っちまったな」

「先輩、本当にカツアゲされたんですか? あの人に?」

「されたとも、500円とられた」

「……本当ですかあ?」


こんなことで嘘を言っても仕方ないだろう。

いまいち俺の言葉を信用しておらず、いぶかしんでいる秋名をよそに、俺はコルク銃を構えた。


「あ、先輩、ズルいです、私も撃ちたいのに!」


知らんな。隙を見せた方が悪いのだ。

それから俺達は、他愛のない景品を撃ち落とすのに、大いに盛り上がった。




「先輩、金魚すくいリベンジしませんか?」


射的で取った景品のお菓子を食べながら、秋名が提案した。

俺もコクリと頷く。あのままで終わっては、秋名に口だけの男だと思われたままだ。先輩の威厳を取り戻さねば。


俺と秋名が金魚すくいのところに行くと、見知った男が金魚すくいをしていた。

リョウ君だ。

どうやら、射的からこちらに移動してきたらしい。リョウ君のおわんを見てみると、金魚がすでに3匹ほどいる。


「上手いな」

「え?」


俺に話しかけられて振り向いたリョウ君は、驚愕の表情を浮かべた。


「な!? お前なんで……」

「コツとかあるのか?」


俺に話しかけられて動揺したのか、4匹目の金魚がリョウ君のポイを突き破った。


「ああ……残念ですね、リョウ君さん」

「……ちっ」


秋名が話しかけるが、リョウ君は舌打ちで返事をして、おわんを屋主に渡した。

屋主から金魚をビニール袋に入れてもらうと、リョウ君はそれをそのまま秋名に押し付ける。


「……これやる」

「あ、ありがとうございます……」

「……それをやるから、もう俺に付きまとうな」


リョウ君は、手切れ金ならぬ、手切れ金魚を渡してきた。


「いや、別に付きまとってるわけじゃないぞ、本当に金魚すくいをやりに来ただけだ」

「……」

「それでリョウ君に金魚すくいのコツを教えてもらいたいんだ、お前、上手いみたいだしな」

「……ここは止めとけ、6号と7号しかない」


6号? 7号? 何の話だ……と聞く前に、


「うぅん!!」


屋主がわざとらしく大きな咳ばらいをした。


リョウ君は屋主の顔を見て、眉をひそめると、俺達の方を向き直り言った。


「……来い」


俺と秋名は顔を見合わせたが言われるままに、リョウ君の後について行く。


人混みをしばらく歩いたところでリョウ君は止まった。


「あの店はボッタくりみたいなもんだ、破れやすいポイしか置いてない」

「ポイに破れやすいとかあるのか?」

「紙の厚さが違う、普通は5号とか6号とかが置かれてるんだが、あそこは6号と7号が置かれてる、6号ならまだしも7号の薄さじゃ一匹も捕まえられない」


どうやら、号数はポイの種類の事で、それが大きいほどポイの紙が薄い仕組みらしい。

そのことを店先で暴露されたくなくて、屋主は大きな咳払いをしてどっか行けと警告したわけか。


「でもリョウ君さん、3匹も捕まえてますよね?」

「あの店はガキには6号を渡してるんだ、だからそのガキからポイを貰った」

「お前、子供からポイまでカツアゲしたのか」

「してねえよ! 射的の景品と交換したんだよ!」


言われてみれば、リョウ君はあの時の景品のお菓子を持っていない。


「……これでいいか? もう俺に付きまとうんじゃねえぞ」


だから付きまとってるわけじゃないというのに。

しかし、そういうことなら俺が金魚をとれなかったことも納得だ。


俺達に背を向けて歩き去ろうとするリョウ君に、秋名が声をかけた。


「あ、あの、リョウ君さん、この金魚……」

「……いらねえからお前にやる」


リョウ君は振り向きもせずに答えた。


「あ、ありがとうございます……」

「おい、リョウ君、結局あの女の子たちはどうした?」


俺の言葉には、リョウ君は振り返った。そして、


「うるせえって言ってんだろうが!」


周りの人もドン引きするくらいの声量で怒鳴った。

どうやらこれだけは触れてほしくない話題だったらしい。

まあ不良の彼が、この祭りの中、たった一人で屋台を周っていることを考えればある程度の事情は察せる。


「あの人、いい人なんでしょうか……」

「……まあ、根っからの悪い奴じゃないかもな」


俺たちは大股で歩き去る彼の背中を見つめた。

またどこかで会うかもしれない。その時は慰めの言葉をかけてやろう。


「……さて、どうするか、金魚すくいはもう止めておくとして……」

「そうですねえ……あ、そういえばそろそろ花火の時間ですよ!」


花火までやるのか。

まあ確かにこの祭りの賑わいっぷりから考えればやってもおかしくはなさそうだ。


「みたいな、花火」

「ですよね! ということで、先輩には花火の特等席にご案内しちゃいます」


そんなところを知ってるとは、さすがは地元民だ。


「案内してくれ」

「はいはい、こっちですよ」


秋名に引っ張られるまま、俺は歩いた。




秋名が案内した場所は、お祭り会場から少し離れた薄暗い寺だった。


「ここからですね、花火が良く見えるんですよ」


寺には俺達以外誰もいない。なるほど、確かにここは穴場のようだ。


「さあ、座りましょうか」

「ちょっと待て、秋名」


寺の縁側に座ろうとする秋名を止めた。


「なんですか?」

「蜘蛛がいる」


薄暗いうえに、縁側が黒色で見えにくいが、確かにそこには蜘蛛がいた。

それもかなり大きい奴だ、おそらくはアシダカグモだろう。


「え? きゃあっ!」


秋名も蜘蛛の存在に気付き、可愛らしい悲鳴を上げると俺に飛びついてきた。


「く、蜘蛛! 蜘蛛です! 蜘蛛!」

「見ればわかる」

「先輩、何とかしてください! 蜘蛛怖い! 蜘蛛怖いです!」


自分が座ろうとしたその場所にこんなデカい蜘蛛がいたことで、秋名は軽くパニックをおこしているようだ。


「落ち着け秋名、今から追っ払うから」

「や、やっつけないんですか!?」

「うちの家訓で蜘蛛は殺せないんだ」


蜘蛛は良い虫だから、見つけても殺さずに追い払えと父親から言われている。まあ、そんな父親の横で、母親は蜘蛛を新聞で潰したりしているのだが。


「で、でも、毒とか持ってるんじゃないですか、この蜘蛛!?」

「アシダカなら持ってないだろ」


俺が縁側を強く叩くと、蜘蛛はものすごい速度で逃げて行った。あの速度で動くのなら、やはりアシダカグモだろう。見た目から勘違いされがちだが、あれに毒はない。


「これで大丈夫だ……ところで秋名」

「はい?」

「いつまで抱きついているつもりだ?」


蜘蛛の脅威は去った。秋名が俺に抱きついている必要はもうない。


秋名も蜘蛛がいなくなって冷静になれたのか、状況を理解したらしい。


俺と秋名の目が合う。秋名はエヘッと笑いながらより強く抱きついてきた。

実のところ、女の子に抱きつかれているというのはそこまで悪い気はしないが……こうされていては、縁側に座って花火観賞が出来ない。なによりも相手は秋名だ、こういうのを許していると、どんどんエスカレートして行くのは目に見えている。


秋名の額をチョップで叩き、引きはがすと、俺は縁側に座った。

引きはがされた秋名は、不満顔をしながらも、縁側に何もいない事を慎重に確認して座る。


「……」

「……」


日が落ちるとそこまで暑くはない。むしろ風を感じて冷房無しでもすごしやすくなっている。今日はきっと寝苦しくはならないだろう。


「……先輩」

「うん?」


声をかけられ、隣にいる秋名の方を見ると、こっちを見ていた。


「どうした?」

「……」

「秋名?」

「せ、先輩!」


秋名が急に飛びついた。

一体どうしたというのだ、と疑問に思ったが、理由はすぐに思いついた。


「蜘蛛か!」


先ほどのアシダカグモが舞い戻ってきたのだろう。それを見つけてビビった秋名が飛びついてきたのだ。


「え? 蜘蛛?」

「蜘蛛はどこだ?」

「蜘蛛!? 蜘蛛どこですか!?」


秋名がトンチンカンな事を言う。見つけたのは秋名のはずなのに、なぜわからないんだ。


「どこにいるんだ蜘蛛は?」

「どこにいるんですか蜘蛛!?」


パニックに陥っている秋名は、まるで安全地帯に逃げるように、俺の膝の上に上がってきた。


「いや、だからお前に聞いているんだが、どこにいるんだ蜘蛛は?」

「え? 先輩が蜘蛛を見つけたんですよね?」

「え?」

「え?」


話しが噛みあわない。


「……お前、何でさっき俺に抱きついてきたんだ? 蜘蛛を見つけたからじゃないのか?」

「……いや、蜘蛛なんか見つけてないですよ、ただ良い雰囲気だったから、このまま勢いでいっちゃおうかと思っただけで……」


どこがだ、まったく良い雰囲気ではなかったぞ。

というかなんだ勢いでいっちゃおうって、お前に俺が押し倒せるわけないだろうが。


「……俺はてっきり、お前が蜘蛛を見つけたのかと思ったぞ」

「いや、別に見つけていませんけど……」


何に言ってるんですか、という顔の秋名。

その顔は俺がしたい。何を言ってるんだコイツは。


「……はあ、じゃあ蜘蛛はいなかったってことだな、まったく人騒がせだな」

「……な、なんですかそれ、先輩が勘違いしたんじゃないですか!」


確かに俺の勘違いだが、「勢い」とかでなにやらしでかそうとしたお前が言える立場ではない。


「……せっかくいい雰囲気だったのに……」


秋名がブツブツと呟く。

いやだから、決していい雰囲気ではなかったぞ、少なくとも俺は感じなかった。


そしていつまでコイツは俺の膝の上に避難しているつもりだ。


「おい、秋名、蜘蛛がいないのならもう膝から降りろ」


俺に言われ、秋名は少し考えた後、俺の膝の上に座り直した。


「おい」

「いや、いいじゃないですか、先輩のせいでムードが壊れちゃったわけだし、責任取って下さいよ、責任」


だから俺のせいではないと……まあいいか、これくらいで責任とやらがとれるのならな。

それにミニ浴衣を着た女の子を膝の上に乗せて見る花火というのも悪くないだろう。


「あ、先輩、花火が打ち上がるみたいですよ」


ヒュー、という花火が打ち上がる時の独特の音、そして夜空に大きく花火が咲いた。


「綺麗ですね」

「そうだな」


花火を見上げながら、願わくば来年もこうして花火が見たい、と思った。



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