アルバイト前編(たわわ)
夏休みに入った。
他のみんなは大喜びだろうけど、私は素直に喜べない。
だって、『家の手伝い』をやらされるし。
「はい、今日私やったから明日はお姉ちゃんね」
時刻は午後七時。稔が母屋のリビングまで上がってきた。きっとお母さんはまだ片づけをしているだろう……
家の手伝い……それは、喫茶店の事だ。
私の家は、駅前にある老舗の喫茶店である。
学校に通っている頃はまだ、一週間に一回、土曜日か日曜日のどちらかを稔と交互に手伝えばよかったが、夏休みになると毎日が休みになるので、二日に一回手伝わなくてはいけなくなる。
せっかくの夏休みなのに、一日中家で休めないなんてそんな不幸なことがあるだろうか。
「……やりたくない」
「じゃあ今月お姉ちゃんのお小遣いはなしだね」
「……」
妹に釘を刺されずともわかっている。この手伝いを拒否すればお母さんはお小遣いをくれない。お小遣いを人質に取られた以上、私達は手伝いをするほかないのだ。
「……バイトとか雇えばいいのに」
「あんたはまたそういうこと言って」
ちょうどお母さんもリビングに帰ってきた。
「とにかく、たわわ、明日はあんただからね、サボったら承知しないよ」
「……」
私は唇を尖らせて、不満をあらわにする。
「まあでもさ、アルバイト雇うのはありじゃない? この季節になったら買い出しとかも大変だし」
「稔もなに言っているの、若いんだからそれくらいやりなさい」
稔もこういってるが、お母さんは聞く耳持たない。もともと買い出しとか荷物運びのような力仕事はお父さんがやっていたことだ。しかし、現在単身赴任で家を留守にしており、今は私や稔がそういう力仕事をしている。正直、夏場に細腕のデブ女にやらせることじゃないと思う。
「あ、そういえばさ、お姉ちゃん、あの話どうなったの」
「……あの話って?」
「玉城さんがお姉ちゃんの働いている姿が見たいって話、なんか言ってたよね」
うぐっと私は言葉に詰まった。
それは以前に玉城先輩と買い出しに出かけた時の事だ。玉城先輩から「お前の働いている姿が見たい」なんて話しをされた。
そしてその日の夜に、玉城先輩からこんな事を言われたんだと、お母さんや稔にその事を漏らしてしまったのだ。
「ちょうどいいから玉城さん呼べば?」
「な、なんで……」
「だって、そうすればお姉ちゃんやる気出るでしょ?」
やる気にはなるだろうけど、それはちょっと違うというか……とにかく、あの話は私にとって非常にデリケートな問題なのだ。あの時はテンションが上がっていたから勢いで了承してしまったけど、後から冷静になって考えてみれば、私の下手くそな接客なんてみせれば玉城先輩に失望されかねない。だから、こちらの心の準備ができるまで、ちょっと『置いていた』話なのだ。
「ああ、そうだね、たわわ、いつ玉城君呼ぶんだい?」
稔に合わせてお母さんまで私に迫ってきた。
「ま、まだいつ呼ぶかは決めてないけど……」
「呼ぶのなら早めにしな……いい? たわわ、恋愛ってのはスピードが勝負なんだよ、相手に冷静に考える時間を与えないのがコツさ、私はそれでお父さんを落としたんだ」
お母さんは私と玉城先輩が仲良くなることに賛成してくれている。そして、自分の経験をもとに色々なアドバイスという名のお節介をしてくれるのだ。あとお父さんとのなれそめ話はげんなりするから言わなくていい。
「あ、私いいこと思いついた」
稔がパンと手を叩いた。
「いいことって?」
「玉城さんにうちのバイトを頼むってのはどう?」
「え? それは……」
「玉城さんって結構体格良いし、力持ちそうじゃない? 買い出しとかの力仕事も任せられるし、それにあの体格ならきっと客寄せにもなるし、それでもってバイトすればお姉ちゃんと仲良くする機会も増えるわけじゃん? 一石三鳥だよ」
「……なるほど、それもありだね……」
アルバイトについて渋っていたお母さんがあっさり意見を翻した。
「……たわわ、玉城君って他にバイトとか部活とかしてる?」
確かしてなかったと思う……私は首を横に振った。
「よし、それならちょっと提案してみようか、たわわ、明日玉城君呼びなさい」
なんだか話がトントン拍子に進んでいる気がする。玉城先輩に私の家の手伝いをしている姿を見せる話から、一気に発展してしまった。
ただでさえ、私の仕事をする姿を見せるのは気が引けるのに……ちょっとこっちの気持ちも考えて欲しい。
「ね、ねえ、二人とも……」
「ねえ、お母さん、もしうちで玉城さんがアルバイトしたらさ、エプロンつけるんだよね?」
「そうだね」
「きっとピチピチエプロンになるよ……いいじゃん、私もやる気になってきた!」
ピチピチエプロン……? そうか、たしかにあの体格でエプロンをつければ、きっとピチピチになってしまうに違いない。
……なんてことだ、私としたことが……こんな大切な事を忘れていたなんて!
「稔、あんた、玉城君の前でピチピチエプロンとか言ったら、お小遣い減らすからね」
「そんなの言わない言わない……で、お姉ちゃん、玉城さんには……」
「もう先輩にライン入れた、明日来てくれるように頼んだから」
「行動早っ」
私の下手くそな接客のことは仕方ない。とりあえず気合入れて大きな声で接客して誤魔化せばいい。それよりも問題はその次だ。
「お母さん、アルバイトのことは……」
「わかってる、明日頃合いを見計らって言うよ」
そう、ここが問題なのだ。上手くやれば先輩のピチピチエプロンが毎日拝めるようになる。本当にお願いね、お母さん。
「……そうだ、明日に向けて準備しないと」
「準備? お姉ちゃん喫茶店の掃除でもするの?」
「違う、先輩に見られても大丈夫な私服を用意しておくの」
いつもお店に出る時は適当なシャツを着ているけど、明日は事情が違う。なるべく先輩にも好印象を持ってもらわなくてはいけない。
「……えー? まさかまた私の服借りるつもりじゃないよね?」
「うん、稔、服貸して」
私は何か大切な行事がある時は、よく稔から服を借りる。稔の方が私よりも私服のセンスがいいのだ。
「お姉ちゃんが着ると胸の部分がブカブカになるから嫌なんだけど」
「昔はそうかもしれないけど、今は稔も私と同じくらいのサイズでしょ」
「そんなにふとってませーん、お姉ちゃんはもうそろそろお母さんクラスのデブになりそうだけど、私はまだまだだし~」
「私だってそんなデブじゃないもん、お母さんなんて私よりもはるかにデブなんだから!」
「……あんたらいい度胸してるねえ」
この後、私と稔の頭には、大きなたんこぶが出来てしまった。暴力反対。
そんなこんなで、次の日。
私は可愛い服を稔から強引に借りて、エプロンをつけ、店舗に降りた。先輩は今日のモーニングが終わった後くらいに来るらしい。ラインで連絡があった。
「……それで、なんで稔がいるの、当番は昨日だったでしょ?」
今日は、稔は休みの日だ。にもかかわらず、なぜかエプロンをつけて、店舗に来ている。
「いやあ、お姉ちゃんだけじゃ心配だからさあ、まあ接待役? みたいな?」
なんだ接待役って。
そんなものいらない、と言おうと思ったが、今着ている服が稔の物であることを考慮して渋々見逃すことにした。ただ、油断はならない。前に先輩がこの店に来た時、稔からは「隙あらば」みたいな空気が出ていた。気を抜かずに見張っておかなくては。
「ほら、店開けるよ」
お母さんが店の外に出て、立て看板を立てかけ、ドアのプレートを『CLOSED』から『OPEN』にひっくり返した。
私にとっていまだかつてないほど緊張する家の手伝いが始まった。
午前10時前、とうとう玉城先輩が来店した。
「いっらっしゃいませ!!」
思わず変なアクセントで出迎えてしまった。
先輩は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに苦笑した。
「……頑張ってるみたいだな」
「はい! 頑張ってます!」
「えーと、それで俺は一人なんだが……」
「はい、こちらです!!」
先輩を窓側のテーブル席に案内する。一人で来る人に案内する席ではないが、今回は特別だ。お母さんにも許可を取っている。
玉城先輩が椅子に座ってから、
「カフェオレお待たせしました!」
私は先輩の席にカフェオレを置いた。
これは玉城先輩が訪れる時間を見越してお母さんが事前に用意していたものである。
「え? あ、ありがとう……」
「他にご注文はございますか!?」
「……いや、ないかな……」
無事に先輩への接客を終え、私が持ち場に帰るのと入れ替わるように、稔がササッと私の横を通り抜け、玉城先輩の隣に座った。
「え? どうした稔」
「玉城さんの接待役を仰せつかりましたので」
「いや、別に接待役とかいらないぞ?」
「まあまあ、そういわずに……」
グイグイと先輩と距離を詰める稔。
一生懸命先輩にいいところを見せようとしている姉を差し置いて、そういうことをするとはいい度胸だ。よほどアームロックをかけてほしいらしい。
私は接客をしている間、常に先輩たちの席に注意を払っていた。稔が先輩に粗相をすれば私の手に持っているこの銀のお盆をお見舞いしてやるのだ。
「キリマンジャロが、お一つ、以上でよろしいですか!?」
サラリーマンから注文を取り終え、私はキッと先輩たちの方をむく。二人はまあ、まだ自然な距離感で話をしている感じだ。
ならばよし、と私はカウンターに戻る。
しかし、私がサラリーマンの注文したコーヒーを持って戻ってきた時、稔が妙な事をやっていることに気付いた。髪をボサボサにして何やら呟いているのだ。そして、先輩はそんな稔を見て笑っている。
ここから先輩たちの席まで距離があるから声は届かないが、あれはおそらく……
先輩がこちらを見た。
先ほどまでの笑顔を引っ込め、青い顔をする。そして、稔の肩を叩き、私の事を気づかせた。
稔は私の顔を見ると、首をすくめた。
やはり、私の物まねをしていたようだ。
許せん、先輩に良い格好をするために頑張っているのに、事情を知っているはずの稔がそれを邪魔している。やはりアームロックの刑は確定だ。
私が睨んだのが効いたのか、それからしばらくの間、稔は大人しくなった。
ずっとそのままでいれば、1分間アームロックの刑のところを30秒間に減刑してあげてもいい。
私が慈悲の目を稔に向けると、また何やら稔が先輩と話している。しかもなにやらメニューを二人仲良く覗きこむ形で。傍から見ると、なんだか仲の良いカップルのようだ。
おのれ稔、そんなに私を怒らせたいか。せっかく慈悲の心をみせたというのに……
「ああ……たわわ、注文したいんだが」
先輩が手を上げた。私は小走りで先輩のもとに駆け寄る。
「ご注文は!」
「サンドイッチとチーズケーキを一つずつ」
「サンドイッチをお一つ! チーズケーキをお一つ!」
どうやら先輩はお昼にするらしい。チーズケーキは食後のデザートだろうか。見かけによらず可愛い。
「あ、お姉ちゃん、サンドイッチは玉城スペシャルで出した方がいいよ」
「たまきすぺしゃる……」
玉城スペシャルなんてそんなもの、うちのメニューにはない。
……いや、待て、もしかしてこれは稔からのパスなのでは?
ここで、ドドーンとすごい「玉城スペシャル」を出すことで、先輩への好感度を高め、これ以降に繋がるバイト勧誘作戦の成功率を高めるための……
「お姉ちゃんなりの玉城スペシャルで玉城さんをもてなしてあげないと」
やっぱりそういうことらしい。
「……わかった、玉城スペシャル、作ってくる!」
これは気合を入れて作らねば。私は大股で厨房に向かった。
さて、作るとは言ったが、どんなものを作るかまでは考えていない。
とにかく、スペシャルな感じに出来ればいいのだが、あいにくとうちの店の軽食はたかが知れている。それにそもそも、サンドイッチをどういじれば豪勢にできるかがわからない。
私は5分ほど悩んだ挙句、とりあえず、うちで出しているサンドイッチの具とか、たまたま冷蔵庫に入っていたものを、手当たり次第に入れてみることにした。
もちろん、2枚のパンで挟むにしては、具の量が多すぎるので、一種類ごとにパンを重ねていくようにした。
結果、6枚のパンを消費し、見事に「玉城スペシャル」が完成した。
これならば玉城先輩も満足してくれるだろう。ちょっと量が多い気もするけど、男の人はいっぱい食べるってよく聞くし、これくらいなら食べてくれるはずだ。
ただ少し問題なのは大きく作りすぎてしまった点だ。
普通、お客さんに提供する時は、斜めに切って、その切り口を見せるように皿に縦に置くのだが、これは出来ない。仕方なく、切らずにそのまま菱餅みたいにお皿に乗せ、それとチーズケーキも持って、玉城先輩のもとに運んだ。
「……玉城スペシャル、お待たせしました」
私は『玉城スペシャル』をテーブルに置いた。
「確かにこれは……スペシャルだな」
先輩は感嘆の声を上げる。良かった、満足してくれたようだ。
「あと、これケーキです」
チーズケーキもテーブルに置く。
「……ありがとう、たわわ」
「はい」
一仕事を終えた充実感を胸に、私はカウンターに戻った。
今日の私はかなり頑張っている。稔の妨害はあったが、先輩に対して、問題ない普通の接客を見せられたはずだ。
あとは先輩がうちの喫茶店を気に入ってくれて、バイトをしてくれればそれでいい。
そしてバイトをしてくれれば、ピチピチのエプロンに包まれた先輩と一緒にお店の手伝いだ。苦痛としかいえない家の手伝いが、楽しいものに変わるに違いない。それこそちょっとした触れ合いで、いろんなところを『偶然』触ってしまったりとか……
「たわわ……たわわ!」
「……え? なに?」
私が自分の世界に入っている間、カウンターでコップを洗っているお母さんが私に話しかけていたようだ。
「あんた、変なこと考えてるでしょ」
「そ、そんなこと考えてないよ……」
「ニヤニヤ笑って気持ち悪い顔してたよ」
実の娘に向かって気持ち悪いとは酷い母親だ。
変な事を考えていたのは事実だけど。
「その顔は玉城君に見せるんじゃないよ」
「み、見せないもん!」
「恋人だったら冷められること間違いなしだからね、私も付き合っていた頃はお父さんの前では色々と取り繕っていたさ、例えば……」
お母さんのいつもの昔語りだ。お父さんからならともかく、お母さんの口からそういうのを聞きたくはない。
「おかーさん」
稔がとてとてとカウンターまで来た。
先輩の接待役をしていたんじゃなかったの。
「どうしたの、稔」
「玉城さんが帰るって」
「え? もう?」
「うん」
まだここに来てから1時間くらいしか経っていない。もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。
「というわけで、お母さん、よろしく」
「……わかった」
お母さんが手をタオルで拭くと、カウンターから出てきた。
「じゃあ行ってくるから、たわわはここお願い」
私はコクリと頷く。さすがに他のお客さんもいるのにカウンターまで留守にするわけにはいかない。
私はお母さんに入れ替わるようにカウンターに入り、先輩の席に向かうお母さんの背中を見送る。全てはお母さんの交渉にかかっているのだ。お願いね、お母さん。
「なんかあっさりOKしてたよ」
「……私の作った玉城スペシャルが効いたのかも」
「……うーん、それはあんまり関係ないんじゃないかなあ……」
バイトの勧誘はスムーズに終わったらしい。
まあ、バイトといってもまだ今日限りの手伝い、という形なのだそうだ。本格的に誘うのは今日のバイトの終わりごろになるだろう。
「いい、稔? 絶対に先輩をいやらしい目で見ちゃいけないからね」
「それは自分に言い聞かせるべきだよ、お姉ちゃん」
妹のくせに生意気な事を言う。はっちゃんじゃないんだから、私はそんないやらしい目で先輩を見たりしない。もし見るにしてもほんのちょっとだけだ。
「そうだ、私、稔にやらなきゃいけないことがあったんだ」
「え? 何?」
私は稔の正面に立った。
「私の物まねしてたでしょ?」
「……あ、ま、待って」
私が稔の腕を取ると、稔はこれから起こることを察して抵抗する。
「お、お姉ちゃん、待った、あれは場を和ませるための一発芸みたいなものでね? お姉ちゃんをバカにするつもりはないから……」
「バカにするつもりがないのならそもそもやらないでしょ」
「待って、受けてたから! 受けてたからきっと玉城さん的にはプラスな感じになってるよ!」
「受けてたらなお悪いの!」
稔はいい加減自分の罪を認めて、素直に私のアームロックの刑を受け入れるべきだ。
ジリジリと稔に迫ると、稔は焦りながら私の後ろを指差した。
「あ、お姉ちゃん、玉城さん!」
「……そんなウソに」
「マジで!」
私は後ろを向いた。
そこには玉城先輩がいた。
それもピッチリとしたエプロンをつけて。
「おお……」
「すごい……」
私と稔は同時に感激した。これこそが私達の求めていたものだ。男の子のエッチな格好といえば、執事服や白衣なんかが定番だけど、やっぱりこういう素朴な服装もいい。なによりも先輩の厚い胸板が強調されるのがいい。
「ピッチリしている……」
「やっぱり男の人ってこうなるんだ……」
やはり先輩をバイトに誘うのは正解だったのだ。エプロン姿の先輩は新鮮だし、いくらでも見てられる。
ふと、先輩の後ろにいるお母さんが顔をしかめていることに気が付いた。
いけない、思いっきり顔がゆるんでいた。先輩の前では自重せねば。
先輩に見えないように稔の手を叩く。稔も顔がゆるんでいる。
「それじゃあ、玉城君、仕事はたわわに教えてもらって」
私達の顔が戻ったことを確認して、お母さんが笑顔で玉城君に話しかけた。
「お母さん、私も教えたい」
「稔は普通に仕事してなさい」
「……ちぇー」
稔は隙あらば出しゃばってくるから困る。私はキッと稔を睨みつけてから、先輩に笑顔で向き直った。
「じゃあ、先輩こっちに来てください」
とりあえず、まずはレジの打ち方を教えよう。私は、接客は苦手だけどレジ打ちは得意だ。特に話す必要がないから。
「えっと……レジの打ち方はですね……お客さんが持ってきた伝票を見ながら……」
レジの打ち方自体はそんなに難しくない。やり方を覚えればすぐにできる。
「……だいたいこんな感じです、あの、わかりましたか……?」
「分かりやすかったです、たわわ先輩」
「え!? な、なんですか、それは……」
「俺よりも経験豊富な先輩店員だから、敬語になってみた」
「そ、そうなんですか……なんか変な感じがします」
変な感じはするが、悪い気はしなかった。こんな大きな後輩に慕われるのもいい。まるでハーレムものの漫画主人公みたいじゃないか。
「それならもう言わない」
「え、止めちゃうんですか……」
もうちょっとひたらせて貰ってもいいじゃないか、とも思ったが、まあ気を取り直してレジ打ち以外のこと、オーダーの取り方とか接客について教えた。他にも軽食とかドリンクの作成とかあるけど、今日は別にそれはやらせなくてもいいだろう。稔とお母さんもいるし、そこの人手が足りなくなることはない。
それに先輩は常に店に立ってもらわないと。その魅力的な身体を有効活用しないのは損だ。
「それじゃあ先輩は……まずは……入口に立っていてください、そこでお客さんが来たら席までの案内をお願いします」
「わかった……あ、待ってくれ、一つ不安な点があるんだが」
「なんですか?」
「俺が入口に立ったら、俺の顔の怖さで客が入ってこないんじゃないか?」
「……」
そうだ、私は慣れているから忘れていたが、先輩は強面だった。身体目当てでお客さんが来ても顔で逃げられてしまうかも……いや、さすがにそこまでは怖くない。怖くないはずだ……
「だ、大丈夫です……先輩が笑顔だったら、きっと……」
そう、笑顔なら問題ない……はずだ。笑顔が最大の接客だって稔も言ってたし。
「……とりあえず、ここに立っておけばいいんだな?」
「は、はい、よろしくお願いします」
「本当かよ」って顔をしながら、先輩が入口の前に立つ。
私はそんな先輩の様子を影からそっと見守ることにした。
入り口に立っている先輩は、私に言われたことを気にしたのか、扉のガラスの部分を鏡代わりにして笑顔の練習を始めた。
笑顔の練習をしているところは可愛い……肝心の笑顔があんまり可愛くないけど。でもそういうところを全部ひっくるめて尊いと思う。
先輩はしばらく練習していたけど、結局止めてしまった。もうちょっと見ていたかったから残念だ。
早速扉が開いてお客さんが入ってきた。先輩の初仕事だ。
「ぃらっしゃいませ」
先輩が少し声を上ずらせた。可愛い。
「何名様ですか?」
「一人だよ」
「おタバコはお吸いになりますか?」
「いや、吸わないな」
「カウンター席でよろしいですか?」
「腰にくるから、テーブルにしたいんだが……」
「わかりました」
先輩がおじいさんをスムーズに案内してから、カウンターの前まで戻ってきた。
「……こんな感じでいいか?」
「先輩、バッチリです」
私はサムズアップをして先輩をたたえた。
いや、本当にバッチリだ。多分、私よりも上手い。
「玉城君、接客するの本当に初めて? 上手いじゃない」
「うんうん、上手いですよ玉城さん、少なくともお姉ちゃんよりも」
先輩の接客が私よりも上手いのは認めるが、それを稔に指摘されるのは腹が立つ。
というか、思い出したけど、稔には『アームロックの刑』が終わっていなかったじゃないか。
「玉城さん、いっそのことバイトしません?」
「え、ここでか?」
「はい、お姉ちゃんの代わりに……いたたた……」
私は完全に隙だらけの稔の腕をひねりあげた。私の代わりじゃ意味ないし、そもそも稔は私の事を舐めている気がする。この痛みで私への敬意を思い出すといい。
「ほら、アンタたちも遊ばない、玉城君のお手本になるように働きな」
お母さんにシッシと追い払われる。
私は渋々とアームロックを外し、持ち場に戻った。
それから、先輩のバイトの様子を見ながら時刻は五時を回った。家の手伝いをしながらこんなに時間が早く進むのは、初めてな気がする。
お客さんもだいぶ落ち着いてきた。この時間帯からもう暇になる。うちは軽食しか出さないから夕食を食べるのには向かないし。
先輩も手持無沙汰といった感じで、暇を持て余しているようだ。
「玉城君、ちょっといい? 来てくれない?」
「あ、はい」
お母さんが先輩に声をかけて、店の裏、厨房まで連れて行った。
おそらく、本格的にバイトの勧誘をするのだろう。
私と稔は二人肩を並べて厨房の方を見る。
「玉城さん、うちの手伝いやってくれるかな」
「……やってくれる、と思う」
というか、やってくれないと困る。ここまできて先輩に断られたら、今日の喜びの落差で明日以降の私が死ぬ。手伝いの億劫さ的な意味で。
「もし玉城さんがバイトOKになったら、やっぱりシフト制とかになるのかな」
「多分、そうじゃない?」
「……シフト制か、シフト制ね……」
今、稔が考えていることは手に取るようにわかる。
なんとかそのシフトに自分の手伝い日をねじ込もうとしているのだろう。
そんな事はさせない。手伝い日をねじ込むのは私だ。
「とりあえず、お姉ちゃん……」
「稔は先輩がいない日にここの手伝いをしてね」
「……」
こういうのは先手必勝である。
「……お姉ちゃんが今着ている服は誰の物かな?」
「……」
「これからも、私の服、貸してあげてもいいよ」
「……」
おのれ稔、可愛い服を交渉材料にするとは卑怯な。
「ねえ、お姉ちゃん、私は何もずっと玉城さんと同じ日になりたいわけじゃないの、お姉ちゃんと交互でいいって思ってるわけ」
「……」
「どう?」
「……」
私は苦い顔をしながら、無言で稔に手を伸ばした。
稔はニヤリと笑いながら、その手を握手する。
いいさ、今回は妥協しよう。だけど、次はこうはいかない、覚えておくといい、稔。
「たわわ、稔、玉城君がアルバイトやってくれるって、アンタたちも改めて挨拶を……何やってるの?」
お母さんと玉城先輩が戻ってきた。よかった、無事に勧誘は成功したらしい。
私と稔は笑顔で玉城先輩を迎えた。握手をしたままで。
来週、後編を投稿します。
後編は視点主が加咲から別の人に変わります。