アルバイト前編(玉城)
「ご、ご注文を繰り返します!」
静かな店内に、加咲の……いや、この店の中には複数の「加咲」がいるので、下の名前で呼ぶことにしよう……たわわの不釣り合いな大きな声が響く。
「キリマンジャロが、お一つ、以上でよろしいですか!?」
注文をしたサラリーマンはそんなたわわの様子に苦笑いを浮かべながら頷いた。
注文を取り終えたたわわはキッとこちらを向き、そしてカウンターの方に戻っていった。
「……いつも、ああなのか?」
壁際の端のテーブル席に座っている俺は、隣に座っているたわわの妹である稔に聞くと、彼女は首を横に振った。
「いやあ……あれは緊張してますね」
「緊張? なんでだ?」
「それは……玉城さんが見に来てるからだと思います」
俺のせいか。「普段の働いているたわわ」の様子が見たくてここに来たんだけどな。
俺はカフェオレを一口啜った。
事の発端は以前、初めてたわわの実家の喫茶店を訪れた時の事。
たわわの母親であり、喫茶店のマスターをしている満さんから買い出しのバイトを頼まれ、たわわと稔を連れて買い出しに行ったその帰りに、話の流れから、「お前の喫茶店で仕事をしているところが見たい」とたわわに頼んだのだ。
たわわ曰く、いつ自分が喫茶店の手伝いをするかわからないから、その時になったら連絡する、と言われた。
そして、夏休みが始まって次の日の夜、つまりは昨日の夜、「明日手伝いをします」とラインがきたので、今日、だいたいモーニングサービスが終わりそうな時間を見計らってこの喫茶店に訪れたのだ。
この「喫茶店での仕事ぶりが見たい」というやりとりはたわわとだけにしかしていなかったが、俺がここに来ることは満さんにも稔にも話が通っていたらしい。
ドアを開けて中に入った途端、待っていましたとばかりに、稔に端の方のテーブル席に案内された。
俺としては後輩のご家族が経営するこの喫茶店の邪魔にならないところで、たわわの仕事ぶりをそっと見ていようと思っていたのだが……なぜか「接待役」を自称する稔が俺の隣の席に座ってしまい、今に至る。
「普段のお姉ちゃんはですねえ、それはもう死んだ魚の目をしながら接客してるんですから」
「死んだ魚の目……?」
たわわは明るい方ではないが、それでも死んだ魚とまで表現される目は想像できない。
「それはつまり……嫌々接客をしているってことか?」
「そうですねえ……うちのお姉ちゃん、人見知りとは言わないんですけど、初対面の人と話すのが苦手なんですよねえ」
それはわかる。
俺もたわわと知り合ったばかりの頃は、話しをするのに苦労した。なにせ、たわわの方からは一切話しかけてこないのだ。無論、こちらから話しかければきちんと答えてくれるのだが、それでも緊張が入り混じっているのが、ありありとわかった。
さすがにもう今ではお互い仲良くなって、たわわからも話しかけてくれる事が前よりも増えたが、それでもまだ、たわわが聞き役に回ることは多い。
「死んだ魚の目の接客もちょっと見てみたいな……」
「こんな感じですね」
稔が自分の髪をかきまわしてボサボサにして、半目になった。
「……っしゃいませ……ちゅもんは? はい、はい……キリマンジャロひとつ……」
「ふはっ、なんだそれ……」
顔を少し伏せてボソボソとしゃべる稔。
そのあまりにもあんまりなたわわの物まねに思わず吹き出してしまった。
実際にそんな接客されたら、例えコーヒーが美味しくてもとっとと帰ってしまうだろうし、稔がいくぶん、オーバーにやっていることはわかる。
しかし、たわわに外見がそっくりな稔がそんな事をやるものだから、リアリティがあって、思いのほかしっくりときてしまった。
「いや、本当にこんな感じですから」
「そうかそうか……いや、今のはちょっと面白かった」
「もっとできますよ? 今度はお母さんに注文を伝えるお姉ちゃんの真似です」
また稔は顔を少し伏せた。
「……おかさん……キリマン……だって…………ねえ、もう部屋戻っていい?」
「ふははっ、そんな風にいうのか……」
ボソボソとしゃべっていたくせに「手伝いを止めたい」と願い出る時だけ普通の口調に戻ったのだ。これが結構俺の笑いのツボに入った。
「まだまだいけますよお、今度は……」
俺に受けていることで調子を乗ったのか、稔はさらに物まねを続けようとする。さすがにこれ以上やるのはたわわが可哀想だ、と思い止めようとしたその時……
カウンターの前にいた、たわわと目が合った。
どうやらカウンターで満さんに注文を伝えた後、たわわはずっとこちらを見ていたらしい……いや、正確には睨んでいたらしい。獲物を目の前にした猛禽類のような鋭い眼光で俺たちの事を見ていた。
「帰るお客さんを見送る時のお姉ちゃんの真似です……あじゃりまし……」
「……稔、もう止めとけ……」
「え?」
稔の肩を叩いて止めさせる、稔がこちらを向くと、俺はあごでたわわの方をしゃくってみせた。
稔はあごの先を見て、首をすくめた。
「あれはマズイですねえ……ガチギレ一歩手前の時の顔です」
「やっぱりそうか」
「はい、アームロックで私を締め上げる時は大体あんな顔してます」
たわわは趣味がプロレス観賞らしく、その関係でキレるとプロレス技を極めてくるらしい。俺はまだたわわの本気のプロレス技を食らったことはないが、よく食らっている秋名の話では「容赦なく締め上げてくる」そうだ。
俺はひそひそと稔に話しかける。
「……しばらくは……大人しくしてるぞ」
「……はい」
しばらくの間、俺達はたわわの接客を静かに見守る。たわわの怒りが解けたように見えた頃、時刻はお昼の少し前になっていた。これからお客さんも増えてくるだろうし、ちょっと早めの昼飯といこうか。
俺はメニュー表を手に取って開く。
「あ、ご飯食べるんですか、お昼ですか?」
「ああ、稔も何か食べるか? 一品くらいなら奢るぞ」
軽食の値段を見る限り、そんなにすごい値段のものはない。これくらいならば奢れるだろう。
「奢ってくれるんですか? もしかして、私って結構玉城さんに優しくされてます?」
「奢ること自体ならたわわ達にも時々やってるが」
「ああ……そうですか……」
稔は目に見えて落胆した。
この世界では、男が女にご飯を奢ることは珍しい……らしい。俺としては「後輩の女子と割り勘」というのが格好悪いと感じるので、三人で遊ぶときは大抵俺がジュース代やお菓子代を出している。
まあ、でも稔に優しくしていること自体は事実だ。後輩の妹さんだし邪険にする方がおかしいし、そもそもこんな人懐っこい巨乳少女に優しくしない男は(少なくとも前の世界には)いないだろう。
「……まあでも、奢るも何もないですね、玉城さんが頼んだやつは全部タダになるだろうし」
「タダ? え、どういうことだ?」
「玉城さんが今飲んでるカフェオレもタダです」
俺はカフェオレに目を落とした。
俺がこの席に座ると同時にたわわが持ってきたものだ。前回ここに来た時にカフェオレが美味しかったことをたわわに伝えていたのだが、そのことを覚えていたのだろう。
「マジか?」
「マジですよお、お母さんもそのつもりでしょうし」
「なんだか悪いな……」
「いえ、もともと私の友達とかお姉ちゃんの友達がここで頼んだものは全部タダにしてますから、玉城さんが頼んだやつもタダになりますよ、きっと」
そういえば以前もたわわにそんな事を言われていた。
まあ例えタダになるとしても、ガツガツとした注文はできない。
「さあ、何を頼みますか? どうせタダだしドーンと頼んじゃいます?」
「いや……そういうことなら、サンドイッチだな」
「サンドイッチだけですか? うちで出すサンドイッチって食パン二枚分で具もたいしてないですから男の人だとお腹減っちゃうかもですよ?」
「そうなのか?」
「はい、もうそんな遠慮する必要なんかないんですから……そうだ、ケーキとかどうです? 私的にはこのチーズケーキなんかいいかなあって思いますね」
「……それは単に稔が今食べたいものじゃないのか?」
「あ、ばれました?」
てへっと舌を出す稔。
可愛い女の子が可愛い仕草をするのはそれだけで癒される。というか、見た目はたわわとそっくりなのになぜ中身はこんなに違うんだろう。たわわがこんな仕草をするところは想像できない。
「……じゃあ、サンドイッチとチーズケーキな」
「あ、頼んでくれるんですか?」
「ああ……たわわ、注文したいんだが」
俺が手を上げると、カウンターでこちらに目を光らせていたたわわが小走りで来た。
「ご注文は!」
相変わらずいつもより声量が大きい。俺が相手なんだから緊張しなくてもいいと思うのだが。
「サンドイッチとチーズケーキを一つずつ」
「サンドイッチをお一つ! チーズケーキをお一つ!」
「あ、お姉ちゃん、サンドイッチは玉城スペシャルで出した方がいいよ」
なんだ玉城スペシャルって。そんなのメニュー表になかったぞ。
「たまきすぺしゃる……」
たわわもキョトンとしている。
「お姉ちゃんなりの玉城スペシャルで玉城さんをもてなしてあげないと」
どうやら稔のムチャブリらしい。たわわはそういうの苦手そうなんだからあまりやってやるな。
別に作らなくていいぞ、と目で伝えたが……
「……わかった、玉城スペシャル、作ってくる!」
たわわは了承してしまった。
そして妙に気合が入ったまま、お店の裏……厨房に戻っていく。
「……稔、玉城スペシャルってなんだ?」
「さあ? お姉ちゃんなりの玉城スペシャルが来ると思いますよ」
自分がふったムチャブリなのにまるで他人事のような稔。稔は結構強烈にたわわの事をいじっている気がする。これも姉妹だからできるやりとりなのかもしれない。
「……なあ、たわわは、料理はできるんだよな?」
もう玉城スペシャルが出てくること自体は受け入れるほかない。しかし、最低限、その辺りの確認だけはしておく。メシマズが頑張った料理ほど悲惨な物は無い。
「うーん……私よりは上手いですかねえ」
期待していいのか悪いのかよくわからない答えだ。そもそも基準となる稔の料理の腕がわからない。
まあ、サンドイッチなんて出来合いの具をパンにはさむだけだ。不味く作ることなんてそうそうはできまい。それに軽食だって作り慣れてるだろうし、余程変なものはだしてこない……はずだ。
「ここはお姉ちゃんに期待しましょう、ね?」
「……その玉城スペシャルは俺が食うんだろ?」
「はい」
調子よく答える稔の頭を軽く小突くと、稔はペロリと舌を出した。
「あ、玉城さん、来ましたよ、玉城スペシャルが」
たわわに注文してから10分ほど経っていた。サンドイッチにずいぶん時間をかけたな、と思ったが、『玉城スペシャル』を持ってくるたわわを見て納得した。
たわわの持つ皿にはサンドイッチが置いてある。菱餅のような横向きの状態で。
普通、サンドイッチは食パンの断面が縦の状態になっているはずだが、『玉城スペシャル』でそれは不可能だ。
「……玉城スペシャル、お待たせしました」
たわわが『玉城スペシャル』をテーブルに置いた。
俺は、目の前に置かれた玉城スペシャルにただ驚くばかりだ。
玉城スペシャルとはすなわち、6枚切りの食パンを斜めに切らずに、一枚ずつそのままその間に具を挟んだ、いわば『食パン一斤丸ごとサンドイッチ』なのだ。
「確かにこれは……スペシャルだな」
量的な意味で。俺は人に比べて食べる方だと思うが、さすがに6枚切りの食パン一斤分をまるまる食べたことはない。
そして、隣にいる稔は先ほどから吹き出すのをこらえている。誰のせいでこれが出来上がったと思っているんだコイツは。
「あと、これケーキです」
たわわはチーズケーキもテーブルに置いた。
「……ありがとう、たわわ」
「はい」
たわわは一仕事終えた満足そうな顔をして、カウンターに戻っていった。
「さて、どうするか……」
「はい、どうぞ」
稔が俺にフォークとナイフを渡す。
……確かにこの大物を食べるにはこれが必要だ。まさかサンドイッチを食べるのにこれらを使うことになるとはな。
玉城スペシャルは一見雑に見える料理だが、挟まっている具が全て違う、という点においては工夫が感じられる一品だった。下からカツレツ、卵、ハムチーズ、レタスとベーコン、ツナマヨとどれもサンドイッチの定番の具である。
うん、具材はどれも普通の料理だ。味の方ではなく、量の方でスペシャル感を出したのだろう。
サンドイッチにナイフを入れる。
一口大に……上から二枚分を4分の1ほど切り取ると、それを食べた。
ツナマヨのまろやかな味とパンのスッキリとした触感。サンドイッチとしては申し分ない味だ。
「美味いな」
「よかったです」
稔はチーズケーキに舌鼓を打っていた。
こいつはまだ他人事を続けている。
「……稔、ちょっと食べるのを手伝ってくれ」
さすがに6枚切りの食パン+5種類の具を俺一人で食べるのは無理だ。
こうなってしまった原因は稔にもあるわけだし、こいつにも責任を取ってもらおう。
「いいですよ」
稔は快く返事をすると、あーん、とこちらに大口を向けた。
「……何やってるんだ?」
「食べさせてもらおうかなあ、なあんて……」
「……」
調子の良い事を。
稔を相手にしていると、秋名を思い出す。多分この二人は気が合うだろうな。きっと常時テンション上げながら調子の良い事を言っているに違いない。もし俺がその場にいればいいように振り回されるのは目に見えている。
……この二人を同時に相手しなくてはいけない日がこない事を願おう。
俺はサンドイッチを稔の口に入る大きさに切り分けた。
フォークでサンドイッチを刺して、それを稔の口に運びかけ……手を止める。
視線を感じたのだ。
その視線の元を見ると、たわわがこちらを見ていた。あの猛禽類の目に、さらにはお盆をフリスビーのように構えた状態で。
あれはつまり、フリスビーの要領であのステンレス製のお盆をこちらに投擲するつもりなのか。
俺は稔の口元まで運んだサンドイッチを、そのまま俺の口の中に持っていく。
「……あれ? どうしたんですか?」
稔は不思議そうな顔をしている。自分の背中越しにフリスビーを投げようとしている自分の姉がいることに気が付いていないのだろう。
何にせよ、この玉城スペシャルは全て俺の腹に収めるしかなくなった。
あのフリスビーは当たったら痛そうだしな。
「腹が……いっぱいだ」
「いやあ、玉城スペシャルすごかったですもんねえ」
腹いっぱいで大満足、稔の方もチーズケーキを食べれて満足してくれただろう。
ソファに浅く座り、リラックスできる体勢をとる。ズボンのベルトを緩めたいところだが、稔が隣にいるのでそれは自重しておいた。
……さて、昼も食ったし、たわわの頑張っている姿も見れた。そろそろお暇しようか。
「稔、俺はこのカフェオレを飲み終わったら帰るよ」
「え、帰っちゃうんですか」
あまりこの席を独り占めするわけにもいかないだろう。喫茶店はおそらく昼過ぎくらいから忙しくなるだろうし、それに接待役とやらの稔を一日中拘束するわけにもいくまい。
「ああ、色々とごちそうさま」
「あー、じゃあ、ちょっと待っててください」
稔はそういうと席から立ってカウンターの方に向かった。
何をしに行ったんだろう、と思っていると、カウンターから満さんと稔が出てきた。
二人はそのままこのテーブルまで来ると、満さんは俺の前の席に、稔は先ほどまで座っていた俺の右横に座った。
俺の左側は壁である。なぜだか「逃げ場を封じられて壁際に追い込まれた」ような感じがした。
「あ、どうも……」
満さんの前でダラッとしているわけにもいかないので、ソファに深く座り直す。
わざわざこなくても、帰る際にはこちらからカウンターの方に行ったのだけど。
「今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらの方こそ……」
「カフォオレどうだった?」
「美味しかったです」
「そうよかった……」
「はい」
「……ちなみになんだけど、このあとヒマ?」
「……え?」
この後はヒマだ。家に帰ってゴロゴロするか適当に外に出るかのどちらかだろう。しかし、なぜ満さんが俺の予定なんて気にするんだ。
「ちょっ、お母さん、なにナンパしてんの?」
「え? ……あ! ち、違うのよ、別にそういうつもりじゃないからね?」
稔に半笑いでツッコまれ、満さんが焦りながら取り繕った。
まあ確かにさっきの聞き方は少しナンパっぽかったが、特に気にはしていない。
「はあ……それで、何で俺の予定を聞くんですか?」
「あ、うん、あのね……バイトしてみない?」
「バイト……?」
「ここで」
満さんが下に向かって指を指す。
俺は隣にいる稔を見た。
目が合うとにっこりと笑う。
カウンターの方をチラリと見ると、陰からたわわがこちらをじっと見つめていた。
そのたわわと目が合うと、パッとカウンターの中に隠れる。
「どう?」
満さんが少し首をかしげて聞いてきた。
「うん、似合ってる、ちょっとピッチリになっちゃったけど」
俺は店の裏の厨房に来ると、満さんに渡されたエプロンをつけた。なんでも、これがここで働く時の『制服』なのだそうだ。
満さんからのバイトの提案を、俺は承諾した。
満さん曰く「これから客が多くなって、手が回らなくなるかもしれない、なので人手が欲しい」のだそうだ。
どうせこの後やることはないし、それに仲の良い後輩の母親の頼みだ。むげにはできない。接客のバイトなんてやったことがないから、そのあたりは不安だったけど、稔曰く「最悪、玉城さんは愛想よく立っているだけでも大丈夫です」との心強いといっていいのかわからない言葉をいただいたので、決心がついた。
「これ、誰のエプロンなんですか?」
俺がつけているエプロンは満さん達がつけるにしては大きいもののようだし、何よりも彼女たちがつけているエプロンより色合いが濃くて男性用に思える。
「旦那の」
「いいんですか、俺が着ちゃって?」
「うん、今単身赴任でいないし、そもそもほとんど店には顔を出さない人だから、あんまり着られていないのよ」
なるほど、確かにこのエプロンは、渡された時に綺麗に糊付けされていた。
「じゃあアルバイトお願いね、バイト代はずむから」
満さんがウインクした。
「おお……」
「すごい……」
店に出ると、加咲姉妹が俺の姿を見て感嘆の声を上げた。
エプロンを着ただけでそんな感動されるとは思わなかった。
「ピッチリしている……」
「やっぱり男の人ってこうなるんだ……」
どこに感心しているんだコイツらは。
「それじゃあ、玉城君、仕事はたわわに教えてもらって」
「お母さん、私も教えたい」
「稔は普通に仕事してなさい」
「……ちぇー」
「じゃあ、先輩こっち来てください」
不満げな稔をよそに、俺はたわわに連れられてレジの前まで来た。
「えっと……レジの打ち方はですね……お客さんが持ってきた伝票を見ながら……」
年下の異性から物を教わるというのは初めての体験だ。何となくモゾモゾする。
「……だいたいこんな感じです、あの、わかりましたか……?」
「分かりやすかったです、たわわ先輩」
「え!?」
たわわがギョッとした顔をこちらに向けた。
「な、なんですか、それは……」
「俺よりも経験豊富な先輩店員だから、敬語になってみた」
「そ、そうなんですか……なんか変な感じがします」
たわわが気に入らないというのなら止めておこう。というか俺も冗談半分だし。
「それならもう言わない、それで……」
「え、止めちゃうんですか……」
どっちだ。
「……質問の続き良いか?」
「はい、どうぞ」
それから俺はたわわ先輩からレジ打ちやオーダーの取り方、接客についてのおおよその事を学んだ。ちなみに軽食やドリンクなどの作成は稔と満さんに任せてよい、とのことだ。
「それじゃあ先輩は……まずは……入口に立っていてください、そこでお客さんが来たら席までの案内をお願いします」
「わかった……あ、待ってくれ、一つ不安な点があるんだが」
「なんですか?」
「俺が入口に立ったら、俺の顔の怖さで客が入ってこないんじゃないか?」
「……」
冗談半分で言ったのに、たわわが沈痛な面持ちになるのはなぜだ。まるで、それもそうですね……と言わんばかりじゃないか。
「だ、大丈夫です……先輩が笑顔だったら、きっと……」
そしてその作り笑いの表情を浮かべた精一杯のフォローは逆に俺を傷つけると知れ。
「……とりあえず、ここに立っておけばいいんだな?」
「は、はい、よろしくお願いします」
俺は入口の扉の前に立つ。
笑顔で立っていればいい、と言われたが……試しに笑顔を作ってみようとするが、割と難しい。目の前にある扉のガラスの部分はよく磨かれているので鏡代わりに練習してみたが、無理に口角を上げようとすると、不自然な表情になる。というか悪人な顔になる。こんな顔しながらカツアゲするチンピラをドラマとかで見たことがあるぞ。
2分くらい練習したが、結局止めた。人には何事も向き不向きがある。
しかし、お客さんが来ないと何もやることがない。店内にもお客はいるが、みな注文を終えてまったりしているし、たわわと稔がいるからそもそも俺が何かする必要も無さそうだし。
これから忙しくなるのだろうが、まだその時間帯ではないのかもしれないし……
そんな考え事をしていると、扉が開いた。
早速初仕事だ。
「ぃらっしゃいませ」
人生初めての接客で俺も緊張していたからか、少し声が上ずってしまった。ちょっと恥ずかしい。
入ってきたのは初老の男性だった。
たわわに教えられたとおりに案内する。
「何名様ですか?」
「一人だよ」
「おタバコはお吸いになりますか?」
「いや、吸わないな」
「カウンター席でよろしいですか?」
「腰にくるから、テーブルにしたいんだが……」
「わかりました」
一人の場合は基本的にはカウンター席、とたわわからは教えられたが、そういうことならばテーブル席に案内するのが妥当だろう。
俺は二人用のテーブル席におじいさんを案内し、注文が決まったら呼ぶように伝えてカウンターの前まで戻った。
「……こんな感じでいいか?」
俺の様子を見守っていたであろう教育係に聞いてみる。
「先輩、バッチリです」
たわわがサムズアップをしながら俺を褒めてくれた。
「玉城君、接客するの本当に初めて? 上手いじゃない」
「うんうん、上手いですよ玉城さん、少なくともお姉ちゃんよりも」
まだ一人しか案内していないのだが……しかし、こんな風に褒められると悪い気はしない。
「玉城さん、いっそのことバイトしません?」
「え、ここでか?」
「はい、お姉ちゃんの代わりに……いたたた……」
たわわが素早く、稔の腕をひねりあげた。
なるほど、確かに今のたわわは、あの時、稔が言っていた『アームロックする時の顔』をしている。
「ほら、アンタたちも遊ばない、玉城君のお手本になるように働きな」
満さんが戯れている巨乳姉妹を追い立てる。たわわ達は渋々といった感じで持ち場に戻った。
「玉城君、いい感じだから、その調子でお願いね」
「はい、わかりました」
加咲家の人々に上手い具合に乗せられて、俺はそれから張り切ってバイトに励んだ……まあ、やったことは席への案内と注文の品を席へ届けることくらいなものなのだが。
自分なりに一生懸命働いていたら、気付けば時刻は五時を回った。
客の入りはだいぶ落ち着き、俺もやることがなくなって手持無沙汰になる時間が多くなってくると、満さんに店の裏に呼ばれた。
「今日はご苦労様、もうこれからお客さんが増えることはないだろうし、上がっても大丈夫」
「えっと……お疲れ様です」
俺はぺこりと頭を下げる。
「玉城君のおかげでかなり楽になったわ、ありがとう」
慣れない仕事で結構疲れたし、正直そんな戦力になった気もしないが、こんな風に褒められてうれしくないわけがない。俺の心は充足感を得ていた。
「それで、お給料ね、これ」
満さんに茶封筒を一つ渡された。
「あ、ありがとうございます……」
麗ちゃんのお小遣いをくれるバイトとは違う。初めての本物のバイトのお給料、なんだか感無量だ。
「それでね、もし玉城君が良かったらなんだけど……」
「はい」
「これからも、時々でいいからバイトしてくれない?」
「え?」
「ダメ?」
「あ、いえダメというか……あまり戦力になってた気もしないなって、思って……俺、今日はお客さんの案内くらいしかしてないですよ?」
「いや、始めはみんなそうだから、これからたくさん仕事を覚えてもらって色々とやってもらいたいのよ、ほら、うちって男手なくてね、旦那の話はしたでしょ?」
確かに買い出しを手伝った時にも思ったが、力仕事をする人間は必要だろう。それにここまで俺の事を求めてくれているのだ。夏休みの間は予定なんて特にないし、それならば返事は一つしかない。
「そういうことならやらせてください、でも俺、バイトとかしたことないんです……どうすればいいんですか? シフト制ってやつですか?」
「……やってくれるのね?」
「は、はい……」
満さんが念を押すように尋ねてきたので、少したじろいでしまった。
「ありがとう……」
満さんが俺の肩をグッと握って力強くお礼を言う。ここまで感謝されるとは思わなかった。よほど人手不足らしい。
「あの、それで次はいつからですか?」
「そうね……玉城君、暇な曜日とかある?」
「夏休みなんで、基本的にいつも暇です、だから毎日でも別に……」
「そうなの? それなら……明日、とかも?」
「大丈夫ですよ」
俺を慕ってくれている後輩とその家族が俺の力を求めているのだ。ここで週3、週4とか言っていたら男がすたる、毎日でも来ていい……まあ、ここまでやる気に溢れているのは、巨乳一家に囲まれて俺的にとても幸せな職場である、というのもちょっとは関係あるけど。
「じゃあ、また明日、今日ここに着た時間くらいに来て」
「わかりました」
「これからもよろしくね、玉城君」
「はい、よろしくお願いします」
今年の夏休みは充実したものになりそうだ。




