終業式(ヒロミ)
「ヒロミ、デカいあくびだな」
朝のホームルームも終わり、教室で気を抜いていると、ハセに指摘されて口を閉じた。
「昨日、あまり寝てないんだ」
「何時に寝たんだ?」
「3時」
「勝ったな、俺なんかオールしたぜ」
そこら辺の勝ち負けはよくわからないけど、オールしたくなる気持ちはよくわかる。なぜなら明日から、待ちに待った夏休みが始まるんだ。テンションが上がって遊びたくなるのは無理もない。
「つうか終業式とかマジでだるくね? サボらねえ?」
「後で見つかって怒られても知らないよ」
少し我慢すれば夏休みで遊べるのに、ここでサボって見つかって怒られたらそれこそ暗い気持ちで夏休みを始めなくてはいけなくなる。
「つまんねえな、今日も暑いんだか涼しんだかよくわかんない天気だしよ」
確かに今日は湿気が多い。昨日から朝まで雨が降っていたのだ。予報だとこれからまた降るらしい。日差しが出ないから暑くはないんだけど、正直この湿気が多い日特有の『シャツを一枚多く着ている感覚』は苦手だ。げんに今ちょっと気分も悪い。
「みんな、体育館に移動してー」
花沢さんが声をかける。終業式が始まるらしい。僕らはダラダラと体育館に移動した。
始業式、校長先生が話を始めてしばらく経つが、いまだに先生の話に終わりがみえない。
この体育館に来る前からだいぶ気分が悪かったが、今はさらに気分が悪くなっている。正直立ってるのも辛い。というか、なんでうちの学校は校長先生の話を座って聞かせてくれないんだろう。これは軽く拷問な気がする。
ダメだ、なんだか頭がクラクラしてきた。
あとで怒られるかもしれないけど、一回座ろう……そう思って座ろうとしたが、どうにもうまくしゃがめない。身体を少し傾けるとよろけてしまいそうになる。
なんとかバランスをとろうとするが、上手くいかず、それどころか意識が遠くなっていく気がする。
……あ、これ倒れる……
それを最後に、僕の目の前は真っ暗になった。
僕が意識を取り戻したのは周りが騒がしくなってからだった。
額にひんやりとした何かが当たっている。この感触は……手の平かな?
「……こいつに持病は?」
「……姫野は……なかったと……」
「……熱中症……」
何だか声が聞こえる。多分僕の事だ。
おそらく、僕は気分が悪いまま、意識を失って倒れてしまったのだろう。しかし、今僕は寝ている感覚はない。むしろ立たされている気がする。誰かが後ろから抱きしめて支えてくれているのだろう。
「保健室まで運びましょう……誰か手を貸して」
この声は保健室の先生だ。
だいぶ、意識も戻ってきたし、多分一人で歩ける、僕が目を開けようとしたその時、
「先生、このまま俺が運びますよ」
後ろから玉ちゃんの声が聞こえて、身体を固くしてしまった。
まさか、僕を抱きしめて支えてくれているのは玉ちゃんなのか。
「え?」
「いや、俺そこそこ力ありますから……」
「あ、いや、そうじゃなくて、この子、スラックス履いてるけど女子よね?」
どうしよう、もう意識は戻ったし、一人で歩けます、と言った方がいいだろうか。でも玉ちゃんが運んでくれるっていうし、運ぶってやっぱりおんぶして運ぶわけだよね、正直言うと、玉ちゃんには一度は、おんぶしてほしいって思ったこともあるし、ここは……いやいやでも……
「ええ、そうですけど」
「最近、スクールセクハラとかも問題になってるのよ、君も聞いたことない?」
え? セ、セクハラ? それってもしかして今の僕のこの状況の事を言ってる……?
そういえば、最近ニュースで女子生徒による男子生徒への性的ないじめ行為があったって話は聞いたことがある。確か女子部員が同じ部活の男子マネージャーに向かってマッサージを強要させたり、おんぶを強要させたりしたとか……
や、やばい、どうしよう、すぐに起きた方がいいかな!?
でも、ここで急に起きたらそれこそ「お前セクハラしたかったのか」って思われかねないし、どうしよう……
僕は悩んだ末、このまま気絶したふりをすることに決めた。もうなるようになるしかない。
「先生、大丈夫です、運びます、早く保健室に連れて行かないとヤバいでしょ?」
「……ごめんなさい、そうね、お願いするわ」
話はまとまった、かな?
とりあえず、玉ちゃんがおんぶをしてくれるらしい。よかったけど、あとでセクハラだとか言われないか、それが心配だ。
玉ちゃんは僕の脇の下と膝の裏に腕を回した。
なんだかおかしな姿勢だ、腕をそんなところにまわしたら、おんぶできないんじゃないのかな……?
僕の疑問はすぐに解決した。結論を言えば、玉ちゃんは僕をおんぶする気はなかった。
「……君、すごいわね」
「ヒロミは軽いですからね」
玉ちゃんは僕をお姫様抱っこしたのだ。
「そういう意味じゃなくて……いいわ、とにかく運びましょう、ついて来て」
お姫様抱っことは、女子の夢だ。
やってほしいとは思うけど、でも彼氏くらいにしか頼めないし、それにその彼氏が彼女を持ち上げる筋力を持っていないといけない。実現までのハードルが高く、そのために女子の夢と言われている。
それをまさか、彼氏でもないのにやってくれるなんて、そんな大サービスを受けられるとは思わなかった。惜しまれるのは気を失ったフリをし続けなくてはいけないから、目をつぶったままにしないといけない事だけど……でも気を失ったフリをしたのは大正解だったみたいだ。
ドアが開く音と確かな冷気を感じ、僕はそっと降ろされるのがわかった。きっとベッドに寝かされているんだ。どうやら保健室についたらしい。
保健室のベッドには初めて横になるけど、ふかふかしてて、とても心地良い。寝不足も相まって、このまま眠ってしまいそうだ。
「お疲れ様」
「え? 貰っていいんですか?」
「いいわよ、今度はあなたが倒れてしまっても困るし」
玉ちゃんと先生のやりとりが聞こえる。
男子生徒が女の先生と気軽に話しているのを見かける(今は見てないけど)と、なんだかモヤモヤするのは僕だけだろうか。
「……そういえば、今日ってそんなに暑くないですよね? なんでヒロミは熱中症になったんです?」
「よくある勘違いだけど、暑くなくても熱中症にはなるのよ」
「へえ……」
そうなんだ、知らなかった。
……というか、僕はいつまで気を失ったフリをしていればいいんだろう。なんか盗み聞きしているみたいでちょっと罪悪感が生まれる。
「今日みたいに湿度の高い日は体から熱が逃げなくて熱中症を発症してしまうことがあるわ、睡眠不足と体力がない時だと、特にね」
ひんやりとした手が首にあたり、思わずびくっとした。どうやら先生が僕のボタンを外しているらしい。
先生は善意でやってくれているのだが、正直、おばさんに脱がされてもあまり嬉しくない。
「もしなってしまったら、日陰で休むことと水分補給をすること、服を緩める事で対処してね、こんな風に」
「え、ええ……」
「悪いけど、机に冷蔵庫から出した氷嚢があるからとってちょうだい」
「あ、はい……」
首筋が冷たくなる。今度は会話の流れから、予想していたおかげで驚くことはなかった。首筋が冷やされて心地良い。
「……ヒロミは大丈夫なんですか?」
「ええ、多分熱失神で一時的に気を失ってしまっただけだから、こうしていればすぐに快復するでしょう」
もう起きてます……いや、本当にどのタイミングで起きればいいんだろう。
「……えーと、それじゃあ俺は戻りますね」
玉ちゃんが帰ってしまうみたいだ。僕が起きるまでそばにいてくれてもいいんじゃないかな、と思う。
「目を覚ました時に男子から顔を覗きこまれてる」的なシチュエーションは、一度は体験してみたい。
「ああ、ちょっと待って、話があるから」
「え?」
保健の先生が玉ちゃんを呼びとめた。
話しって何だろう? ……まさか、二人きり(一応、僕もいるけど)で保健室にいることをいいことに、玉ちゃんをエロい事をするつもりなのでは。なんかそういうシチュエーション、エッチなビデオでよく見るし……
「君、スクールセクハラって知ってる?」
「いえ聞いたことはないです……まあでも、意味は多分わかります」
僕が思っていたのとは180度違う話を保健室の先生が言い出した。
「ええ、基本的には女性教諭が男子生徒にセクハラをすることを言うんだけど……でも、生徒同士でもそういったことはあるの」
僕はぶわっと冷や汗が噴き出た。
「生徒同士でセクハラ……ですか」
「ええ、女子生徒が男子生徒にセクハラをしたってニュース、ちょうど一週間くらい前にあったんだけど、知ってるかしら? 女子生徒が男子生徒を運ばせて問題になったのよ」
「それ問題になるんですか?」
「男子生徒におんぶを強要したの」
「はあ」
状況的に完全に僕の事である。
やばい、多分、先生は僕が狸寝入りしていることを見抜いている。玉ちゃんに話しかけている体だけど、おそらくは僕に向かって言っているのだろう。
「まあ、あの案件はおんぶの強要以外にもいろいろあったらしいけど……とにかくそういったことがあって、今、学校ではちょっと敏感になってるのよ」
それはニュースで聞いた。全国の学校の部活動を対象に、実態調査をしているとかなんとか。正直、僕には関係ない事だとスルーしていたが、まさか当事者になりかけることになるとは思わなかった。
「でも、緊急の場合ですから……」
「もちろん今回は緊急の場合だから問題になることはないでしょう、でもこういったことがあることは頭の片隅に入れておいて」
ひとまず、ホッとした。先生は僕を咎めるつもりはないようだ。
「はあ……」
「あまりピンときてない?」
「……まあ、そうですね」
「まあ、君がセクハラと感じなければ、それでいいんだけど、ただ周りの目も一応あるから、そこはちょっと配慮してみてね」
「わかりました」
「繰り返しになるけど、今回の事は誰が悪いとかそんなことはないわよ、むしろあなたは褒められることをやったんだから、胸を張っていいわ」
「はい」
「じゃあ話は終わり、戻っていいわよ」
「はい、失礼します」
ドアが動く音がして、保健室は静寂に包まれた。
僕が薄目を開けると、先生とバッチリ目が合った。
「あ……」
「やっぱり起きてたわね」
「す、すみません、セクハラとかそういうつもりはなくて……」
僕はベッドの上に飛び起きて正座した。
「あなたが本当に倒れたのはわかってるわ、でも途中から意識は戻ってたわよね?」
ああ、やっぱりばれてた。もう正直に話すしかない。
「はい……体育館で運ばれる前くらいから……」
「そうよね、私があなたの額に手を当てた時、意識はあったみたいだし」
「ちょうどそれで意識が戻ったんです……あ、でも! 本当にセクハラとかそんなことをするつもりはなくて! ただちょっと起きるタイミングを外したというか……」
「大丈夫よ、もともと誰かに運んでもらおうとは思ってたし、セクハラの話もあなた達を責めるために言ったわけじゃないから」
「え? ……違うんですか?」
先生はコクリと頷くと、冷蔵庫からスポーツドリンクを一本取り出して僕に渡した。
「水分補給はしっかりね、この季節は特に」
「あ、はい……」
僕は渡されたスポーツドリンクを一口飲んだ。
「それで、セクハラの話なんだけど……私はあなたがセクハラの加害者と疑われないかを心配しただけなの」
「え?」
「最近、痴姦冤罪とかの話もよく聞くじゃない? 昔と違って人のうわさはすぐ広まっちゃうから……それで変な広まり方して、傷つくのは嫌でしょ?」
「は、はい」
「今回、たまたまこういうことがあって、話すきっかけがあったから話しただけよ、あなたをセクハラの加害者だと思ってはいないわ」
「そ、そうなんですか……」
僕は肩の荷が下りたようにホッとした。
「身体の方はもう大丈夫だとは思うけど、念のためにもうしばらく休んでいきなさい」
「はい、ありがとうございます」
残っているスポーツドリンクを一気に飲み干し、僕はベッドに横になった。
先生は机に向かって何か書き物をしている。
「……先生」
「なに?」
「先生も男子からお姫様抱っこされたいとか思ったりしますか?」
緊張状態から安心して気が緩んだせいか、ちょっと気安い質問をしてしまった。
「それはまあ、私だってあと20才は若ければ……て、止めなさい、何言わせるのよ」
意外にも先生は軽口で返してくれた。
「その発言ってスクールセクハラになりますかね?」
「うーん、なるかも……じゃなくて、いいからあなたは寝なさい、30分くらいしたら起こすから」
「はーい」
あのセクハラの話とかで、保健の先生は真面目で堅い人だとちょっとビビっていたけど、もしかしたら結構ノリの良い先生なのかもしれない。
僕はちょっとした満足感を抱きながら、目をつぶった。