小旅行(麗)
そろそろ、もう一段階上がってもいいかもしれない。
なにかって?
私と彰君の関係の事だ。
バイト代という名のお小遣いを渡し、一緒に出掛けた時のお代は全て私が持っている。
すでに彰君に投資したお金は10万を軽く超えており、そのお金で風俗にいけば3回は楽しめるだろう。
まあ彰君はそこら辺のソープ坊よりも10倍くらいの価値があるから、この程度の投資で一線越えようだなんて思っていない。
でも、さすがに少しくらいは良い目にあってもいいんじゃないかな、とは思う。
「島崎君」
「……はい」
たまたま後ろを通りかかった上司に声をかけられ、私の思考はいったん中断された。
「手が止まっているようだけど、大丈夫かい?」
「もう終わりましたので」
「ああ……相変わらず早いね」
諸事情によって本社からこの小さな営業所に左遷された私に任される仕事なんて、データの打ち込みとかそんな雑用の一歩手前のようなものばかりだ。こんなもの、集中して取り組めば一時間もかからずに終わらせられる。
「えーと、それじゃあどうしようかな……」
「……」
「……とりあえず、待機で」
「はい」
明らかにこの上司は私の事を持て余している。まあ、自主退職待ちの社員に対してはどこもこんなものだろう。
「所長、今度の社員旅行の件でちょっとお話が……」
「ああ、どうなってる?」
上司が別の社員と話し始めた。
この営業所で、私は基本的に「いない人」扱いなので、当然、社員旅行の話とかは一切回ってこない。私としてもそういうのは面倒くさいと思っているたちなので、逆に助かっている。
「一応、幹事の上田さんが場所を見繕ってるんですけど……」
「上田君? 彼女で大丈夫か? 前にも宴会でメンズコンパニオンを連れてきただろう」
「はい、今回もどうやら混浴ができる温泉地を探しているようでして」
「おいおい、すぐにやめさせろ、最近ただでさえそういうのに厳しいんだから……」
……混浴の温泉地……
私の中で、ひらめきが生まれた。
仕事を定時で切り上げ、私は本屋まで来た。
目当ては「旅行」のコーナーにあるガイドブックだ。
彰君との関係を一歩進める方法は決まった。小旅行にいくのだ。場所は温泉地、混浴の。
二人きりで混浴というとハードルが高いかもしれないが、今まで彰君にたくさん投資したんだからこういう形で良い思いをしてもいいと思う。現役DKと混浴なんて普通はお金を払ったって出来ないし。
幸い、場所の選定はすぐに終わった。業務時間の暇なときにインターネットで検索をかけ、『カップルでいきたい温泉地』なんておあつらえ向きのサイトに、個室で利用できる混浴温泉がある旅館が乗っていたのだ。彰君の裸をどこの誰ともしらない女に見せるわけにはいかない。利用するのならこういうプライベートが守られる混浴温泉でなくては。
さて、問題はその彰君本人を上手く誘い出せるかなのだが……
さすがに「混浴に行こう」と単刀直入に誘っても了承はしてくれないだろう。混浴の部分は伏せて、別のもので釣る必要がある。そこで考えたのが、その温泉地付近の名物料理を利用する作戦だ。彰君は良く食べる方だし、きっとこの方法で食いついてくれるだろう。
私は、その目的地の観光ガイドを見つけると、それを本棚から抜きだし、レジに持って行った。
私は毎日、彰君に「バイト」を頼んでいる。
私の日ごろの愚痴を聞いてもらうというバイトだ。アラサーになりかけの女の愚痴聞き係なんて、金をもらわなきゃしてくれないだろう。
それでもそこら辺でするバイトよりもかなり大目に渡しているし、彰君もそのことに不満はないはずだ。
「彰君、美味しい物って食べたくない?」
そのバイト中、私は計画を実行すべく、切り出した。
「それは、まあ美味しいものなら食べたいけど……なにか買ってきたの?」
「これね、見て」
私は鞄から例のガイドブックを取り出した。
この家に戻ってくる前に、喫茶店に籠って彰君が好きそうな美味しそうな食べ物があるページに付箋を貼っておいたのだ。
「彰君ってステーキとか好きだよね?」
私が開けたページには見開きで肉汁滴るステーキの写真が載っている。
彰君は一瞬、おおっ、と目を見開いたが、すぐにまたいつもの冷静な目つきに戻った。
「美味しそうじゃない?」
「美味しそうだね」
「食べてみたくない?」
「そりゃあ食べられるのなら食べたいけど……」
彰君がいまいちのってこない理由はわかる。彰君にとっては、まだこれは絵に描いた餅なのだ。いくら美味しそうでも、実際に食べられなければ意味がない、そう考えているのだろう。
「……じゃあ食べに行ってみない?」
「え? ここに?」
そんな彰君に本題を切り出す。
「でも、軽く小旅行になるよ?」
「だから今度の休みの日にもちろん日帰りで、ね?」
「うーん……」
「ステーキの他にも美味しそうなものあるよ、ほら、ラーメンとか、あと果物も美味しいんだって」
彰君があまり乗り気でない。ステーキだけでは力不足だったらしい。ならばと他の付箋を貼ったページを広げて勧めてみる。
彰君は少し悩んでいる様子だったが、
「……わかった、じゃあ今度の土曜日に行ってみよう」
顔をあげて私と行く小旅行を了承してくれた。
私は心の中でガッツポーズをした。
さて、そんなわけで土曜日、私と彰君はその観光地を訪れた。
観光はあくまでダミー、本来の目的は彰君との混浴。
でも彰君はそのダミーの方にかなり乗り気になったらしく、誘ったあの日から、私から観光ガイドブックを借りると、それを熟読し、今日までに綿密な観光計画を立てたらしい。
「それじゃあどうしようか、彰君、どこか行きたいところある?」
「お昼食べよう、あのステーキ屋さんで」
私としても、彰君が乗ってくれるのはありがたいので、観光の方は全て彰君に任せることにしたのだ。
彰君の案内で、私達は観光を満喫した。
なんだかもう普通にデートしているみたいで、本来の目的を忘れかけるくらい楽しんでしまった。彰君の方も、たくさん美味しいものを食べられて、満足してくれたようだ。
さて、おおよそ観光名所も回って駅前に戻ってきたし、そろそろ仕掛けどきか……
「彰君、どうだった?」
「すごく満足した、麗ちゃんに誘われて良かったよ」
「そう、よかった……ところでさ、実はもう一件行きたいところがあるんだけどいい?」
「いいよ、どこに?」
「……ちょっと離れてるからタクシー呼ぶね」
「うん」
彰君は私の言葉に何の疑いもなく頷いた。
これから彰君を例の混浴ができる旅館につれていく。
彰君には混浴のこの字も伝えていないから、現地で説明されて驚くだろう。果たして彰君が一緒に混浴に入ってくれるか……彰君の人の良さを考えても少し分の悪い賭けだが、ここまできたらやるしかない。
私は期待と不安が入り混じるなか、タクシーを呼んだ。
タクシーに揺られる事数分、私達は目的の場所に降り立った。
その旅館は少し街からは離れた場所にあるが、小奇麗でかなり大きい。
私と彰君はタクシーを見送り、その旅館に入った。
「麗ちゃん、ここで何か見るの?」
「あ、何か見るわけじゃないんだ……実はね、ここって有名な温泉地なんだよ」
「ああ、そういうばあのガイドブックにも書いてあった」
「それでね、私、ここの温泉にちょっと入って見たかったんだ」
「へえ」
まだ一つも嘘は言っていない。
核心を言っていないだけだ。
「いらっしゃいませ、ご宿泊でしょうか」
彰君と受付の前まで来ると、和服を着た女性の従業員が対応した。
「いえ、こちらの温泉に入りたいのですが……」
「温泉ですか……」
受付の女性がチラリと私の隣にいる男子高生を見る。
大人の女が年若い男とここの温泉を訪ねてきたことから、いろいろな事情を推測したのだろう。しかし、一切表情に出さないところはプロだと思う。
「かしこまりました、当館の浴場についてご説明させていただきます、当館では大浴場と少し小さくなりますがプライベート浴場の二つをご用意しております」
「はい」
「基本的に大浴場の方は宿泊いただいているお客様のみのサービスとさせていただいております」
「はい」
「それで、プライベート浴場の方なんですが……こちらの方は、男女が分けておりませんので、もし入られるのであれば混浴という形になりますが……よろしいですか?」
「え?」
順調に頷いていた彰君の首の動きが止まる。
私は彰君から目を背け、受付の壁に飾られている絵をジッと見つめることにした。
途中で彰君にばらしても、拒否をされてそもそもここに来れない可能性があった。だから、あえて道中一切ここの話はせず、ここの受付の人に全て言ってもらうことにしたのだ。
「麗ちゃん」
「なに、彰君」
彰君がどういうことだ、と言外に聞いてくるが、私は努めて無感情の返事をした。
ここまできて彰君に拒否されたらそれはもう仕方ないことだ。ものすごく残念だが諦めよう。
しばらく間をおき、彰君が口を開いた。
「あの、聞きたいことがあるんですが」
「はい、何でしょうか」
「脱衣室も一緒ですか?」
「そうですね、一緒です……ただ、脱衣室に入る時間を少しずらす、ということもできますので……」
何となくだが、受付の人が私の味方をしている気がする……いいぞ、その調子で頼む。現役男子高生と混浴がしたい、ただそれだけのために今日だけでも数万円は使ったんだ。これで何の収穫もなく帰ることになったら、明日から私は何を糧に生きていけばいいかわからない。
「あとは……水着の貸し出しとかできます?」
……! 彰君から肯定的な言葉が出た。
「はい、ご用意あります」
「あ、彰君、入ってくれるの……?」
私は興奮を隠しきれずに聞いてきた。
「さすがに裸はダメだけどね、それでいい?」
出来れば裸がいいな……と思ったが、この答えを渋ったら混浴自体が流れることに気付き、私は猛烈な勢いで頭を縦に振った。
プライベート浴場というのは、大浴場の隣にあり、5つほどの個室が連なっている造りになっている。部屋にはそれぞれ番号が割り振られており、私と彰君はその中の三番の浴場を使うことになった。
受付の人のアドバイス通り、時間を少しずらして入ることにしたので、先に私が入ることになった。後から入って、彰君の汗が染みついた服とか下着とかにちょっとした悪戯がしたかったが、さすがにそれは許されなかった。
脱いだ服を綺麗にたたみ、受付で借りた水着、ビキニを着用する。あまりキツイ水着を着て彰君に引かれたくなかったが、お風呂に入って身体を洗うことを前提にするのならこのタイプの方がいいだろう。
私はさっさと脱衣所を出て浴室に入った。
浴室は小さな露天風呂だった。ネットで見た写真と同じような光景が広がっている。なるほど、これは入っていて気持ちいいものだろう。混浴という部分を差し引いても入る価値はあったかもしれない。
私はゆっくりと湯船につかり、彰君を待った。
それからほどなくして、脱衣所でガサゴソと音がした。
彰君が来たのだ。
私は脱衣所の扉に注目する。スモークガラスによってシルエットしか見えないが、それが逆に私の妄想をかきたて、興奮させた。あの扉一枚隔てた向こう側に全裸の彰君がいるなんて、滾るに決まってるじゃないか。
男性の裸を見るのは初めてではないが、やはり彰君の裸だと思うと格別だ。少し熱めのお風呂に入ってる事も相まって、私は自分の体温が急上昇しているのを感じた。
ガラガラガラ
脱衣所の扉が横にスライドし、水着姿の彰君が現れた。
「お待たせ」
「全然待ってないよ、入って」
私は立ち上がって彰君を迎えた。
彰君の水着はトランクスタイプの海水パンツだ。ビキニタイプのやつもあったのだが、彰君はそちらの方は着たくなかったらしい。彰君のようなガッチリ体型にはビキニが良く似合うはずなのに、とても残念だ。まあでも、そういうのは海に遊びに行く時にでもとっておこう。
彰君は女の裸に照れているのか、視線をさまよわせながら、湯船に入っていく。
こういう童貞っぽい反応は初々しくて好きだ。すごく興奮する。ただでさえ体温が高くなっているのに、さらに頭に血が昇って行くのを感じた。
お風呂に肩までつかった彰君に合わせて、私も湯船につかる。ただし浅くだ。いつでも彰君のそばに寄れるよう半身は出しておく。
「いい湯だね」
「ああ……」
彰君がこちらを向いた瞬間にすぐに顔を背けた。
なんて初心な子なんだろう。女の裸に照れる男の子なんて漫画の中にしかいないと思っていた。
「今日はありがとうね、彰君」
「いや、こっちこそ楽しかったよ」
「また誘ったら来てくれる?」
「もちろん」
混浴に誘ってよかった。彰君は庭をじっと見てこちらを見ようとしない。つまり、私は彰君の目を気にせずに彰君の半裸を視姦するが如く凝視することができる。
「よかった……ねえ彰君」
私は少しづつ彰君に近づく。別に何もしない、ただ、もっと間近で彰君の事を視姦……じゃなくて、凝視したいだけだ。
しかし、彰君は私が近づくと同じ距離の分だけ離れてしまう。結局私は彰君を風呂の端まで追い詰めてしまった。
「れ、麗ちゃん、近くない?」
「はあっ、はあっ、彰君が行っちゃうからだよ」
そう、彰君がいけないのだ。そんな水をはじくハリのある綺麗な肌をした男子高生が水着姿で隣にいるのに、近づこうとしないのは逆に失礼にあたると思う。
私は荒くなった息を抑えられずに彰君に近づく。
「麗ちゃん、大丈夫? もうお風呂から出ようか?」
「え? な、な、なんで? 気持ち悪かった!?」
マズイ、欲望を表に出し過ぎたか!?
せっかくの混浴をこんな早々終わらせていいはずがないし、何とか弁解しないと……
「いや、俺じゃなくて麗ちゃんが気持ち悪いんじゃないの?」
「え?」
「だってさっきから息が荒いし、のぼせてないか?」
「あ! あー……平気」
どうやら彰君は私の荒くなった息を体調不良だと思ったらしい。
彰君は優しい。こんな気持ち悪いアラサー女と同じ湯船につかってくれるなんて、それだけでも聖人クラスの素晴らしい人格者なのに、さらに私の体調まで心配してくれるなんて。
私は彰君から離れた。
これ以上私のどす黒い欲望に晒されれば今度こそ本当に彰君が混浴を出て行ってしまうかもしれない。
彰君がいることころとは反対の縁まできた。
「え、麗ちゃん離れすぎじゃないか?」
「いや、まあ……ちょっとね」
「?」
彰君とは少し遠くなってしまったが、これくらいの距離がないと私の欲望を彰君が感知しかねない。それにこの距離は自戒の意味もある。優しくて初心な彰君を汚してしまうのはまだ早い。
それから彰君とはたわいもない話をした。
最初の内こそちゃんと受け答えしていたのだが、だんだんと頭がぼーっとしてきて、彰君の声が聞こえなくなり始めた。
自分が『のぼせていく』という感覚がおぼろげながらあった。
もともと興奮して頭に血が上っていたのに、高温のお風呂にあごまでつかったせいで体内の熱の逃げ道がなくなったのだろう……
その辺りまで考えて、私の意識はもうろうとなった。
なんだか、遠くで彰君の声が聞こえる……
私が意識を取り戻した時、最初に目に入ったのは天井の木目だった。しかし、まだそれの木目の数もはっきりと数えられないくらいには、頭がガンガンする。
そばから風を感じた。目だけ向けると、彰君がうちわで私の事をあおいでいる。
「……うう、彰君……」
「あ、麗ちゃん、大丈夫?」
「頭がガンガンする……ここは……?」
「空き部屋、特別に使わせてもらってる」
私は自分が浴衣を着せられていることに気が付いた。
のぼせてしまった私に、彰君が着せてくれたのだろうか? だとしたら申し訳ないけど……
「……ごめんね……迷惑かけて……」
「別にいいって、あと家にも連絡入れておいた」
「え……なんて……連絡したの?」
まずい、叔父さんと叔母さんには混浴のことは伏せているのだ。身内とはいえ男子高生とアラサー女が二人きりで旅行すること自体、一般的に親として眉をひそめる事だし、「精神的に疲れている私の気晴らし」という名目の元、この二人きりの小旅行を許可をしてもらっていたのに、もし混浴のことがばれたら、本当に彰君の家から追い出されるかもしれない。
「麗ちゃんがのぼせたからって正直に話した……あ、あと混浴のことは言わなかったから、麗ちゃんも親から何か言われたら話しを合わせてくれ」
彰君がグッジョブすぎる。
どうやら彰君は全てを察したうえで、私と混浴してくれていたらしい。
女の下心に付き合ってくれるなんて、彰君は天使かもしれない。
「……彰君……」
「ということで、今はゆっくり休みな」
そして、こんな下心満載の女を労わってくれるときてる。やはり天使だ。
「……もう無理……好き……」
「はいはい」
「……もし私がこのまま死んだら……彰君に財産全部上げるから……」
「いや、何言ってるんだ」
「……財布に銀行のカードがあるから好きに使って……暗証番号は052モガッ……」
「もうちょっと黙ろうか」
まだ頭のガンガンが治らず、このまま死んでしまうことを見越して、せめて遺言を残そうとしたのだが、彰君の手で口をふさがれてしまった。彰君に最後まで伝えられなかったのは残念だけど、この状況はこの状況で嬉しいから別にいい。
私は彰君に扇がれながら、安心して目を閉じた。