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小旅行(玉城)

俺はバイトをしている。

一日三十分、仕事から帰ってきた、居候の従姉の愚痴を聞く、という簡単なバイトだ。

給料は月末払いで2万。時給換算にすれば1800円くらいだろうか。明らかにもらい過ぎである。

しかし、それを雇い主である本人、従姉の麗ちゃんに言っても「いつか返してもらうからいいの」と怖いくらいの満面の笑みで返されるだけだ。

「いつか」というのがいつを指すのかはわからない。まあ「社会に出て働いて返せ」という意味だと思う。変な意味はないはずだ、きっと、多分。



「彰君、美味しい物って食べたくない?」

「それは、まあ美味しいものなら食べたいけど……なにか買ってきたの?」

「これね、見て」


さて、今日も今日とてそんな法外レベルの高収入なバイトをしていると、麗ちゃんが「無能な上司の愚痴」から急に話を変えて、仕事で使っている鞄から一冊のガイドブックを取り出した。

それはとある温泉地の観光ガイドだった。


「彰君ってステーキとか好きだよね?」


俺は大きく頷いた。むしろステーキが嫌いな高校生男子に会ってみたいものだ。

麗ちゃんは観光ガイドの付箋の貼られたページをめくった。

見開きで大きく映しだされた肉厚なステーキの写真。切り口はあざやかなミディアムレアで、そこから肉汁が滴っている。見ているだけでご飯が食べられそうだ。


「美味しそうじゃない?」

「美味しそうだね」

「食べてみたくない?」

「そりゃあ食べられるのなら食べたいけど……」


麗ちゃんの質問に俺がまるで他人事のように答えているのは、この観光地の場所に原因がある。ここは俺達が住んでいる街から2県も離れているのだ。とてもそこら辺のレストランに行く感覚でいける場所ではない。

そんなものを見せられて、「美味しそうではないか?」と聞かれても、「美味しそうだね、食べられないけど」と答えるしかあるまい。


「……じゃあ食べに行ってみない?」

「え? ここに? でも、軽く小旅行になるよ?」

「だから今度の休みの日にもちろん日帰りで、ね?」


まさか、そうくるとは……どうやら、麗ちゃんは始めからここに旅行をするつもりで提案していたらしい。

いやしかし、ステーキを食べるためだけにそんな遠出をするというのもどうなんだろう……


「うーん……」

「ステーキの他にも美味しそうなものあるよ、ほら、ラーメンとか、あと果物も美味しいんだって」


俺があまり乗り気でないと察した麗ちゃんは、他の付箋を貼ったページを広げて勧めてくる。どうやら、麗ちゃんはこの小旅行にどうしても俺を連れて行きたいらしい。


まあ確かに小旅行を独りで行くというのも寂しいものだから。誰かと一緒に行きたいという気持ちも分かる。

俺は麗ちゃんには『バイト』でも世話になっているし、このまま断って邪険にするのは忍びない。それにこのステーキが美味しそうなのは事実だ……というか、よくよく考えてみると、移動するのが面倒くさそう、という理由以外で断る理由がない気がする。それならば行ってみてもいいかもしれない、この小旅行に。


「……わかった、じゃあ今度の土曜日に行ってみよう」

「うん! ありがとうね、彰君!」


俺が良い返事を出すと、麗ちゃんは嬉しそうに笑った。




さて、そんなわけで土曜日となり、麗ちゃんと俺は件の観光地にまで来た。

朝、家を出たのにもう昼前だ。電車で二時間近く揺られただけのことはある。


「それじゃあどうしようか、彰君、どこか行きたいところある?」

「お昼食べよう、あのステーキ屋さんで」


俺は観光ガイド片手に麗ちゃんをバス停まで誘導した。


麗ちゃんに旅行を誘われたあの日、ぶっちゃけていうと俺はあまりこの旅行に乗り気ではなかった。世話になっているから、という義務感の方が強かったのだ。

しかし、どうせ行くのなら事前にちょっと勉強しておこう、とも思い、麗ちゃんからガイドブックを借りて読んでいくうちに、段々とその気になり始め、最終的にはガイドブックの中身をほぼ暗記できるまでになってしまった。


完全に乗り気になっている俺は、麗ちゃんを案内しながら、この観光地を満喫した。

高級和牛ステーキのミディアムレアを食べ、さらには名所を巡り、ついでに街で適当に美味しそうなお店を見つけてはそこに入って地元の名物をいただいた。


俺の頭の中で立てた観光計画は非常に順調に進み、おおよそ、観光地を一周し、駅前に戻ってきたころには、腹も十分に膨れてかなり満足の状態だった。


「彰君、どうだった?」

「すごく満足した、麗ちゃんに誘われて良かったよ」

「そう、よかった……ところでさ、実はもう一件行きたいところがあるんだけどいい?」


このあたりの観光地は殆ど見たつもりだが、麗ちゃん的にはまだ足りなかったらしい。というか、行きたいところがあったのなら事前に行ってくれればよかったのに。そこに優先的に向かったのだが。


「いいよ、どこに?」

「……ちょっと離れてるからタクシー呼ぶね」

「うん」


観光地の駅前ということもあって、タクシーはすぐにつかまった。

麗ちゃんは運転手にとある旅館の名前を言うと、運転手は俺の方をチラリと見てコクリと頷き、車を発進させた。


今日は日帰りだから旅館には泊まらないはずだ、疑問に思ったが、麗ちゃんは運転手と世間話をしていてその疑問をぶつける雰囲気でもない。

まあ、何か考えがあるのだろう、俺はその旅館に到着するまで静かに窓の外を見ていることにした。




到着したその旅館は少し街からは離れた場所にあるが、小奇麗でかなり大きい。

俺と麗ちゃんはタクシーを見送り、その旅館に入った。


「麗ちゃん、ここで何か見るの?」

「あ、何か見るわけじゃないんだ……実はね、ここって有名な温泉地なんだよ」

「ああ、そういうばあのガイドブックにも書いてあった」


食べ物が多く紹介されていたガイドブックではあったが、数ページほど温泉についても、ピックアップされていた。正直温泉というものにあまり興味がわかなかったし、日帰りなら入らなくてもいいか、と思ってスルーしていたのだ。


「それでね、私、ここの温泉にちょっと入って見たかったんだ」

「へえ」


そういうことなら、やはり事前に言って欲しかった、真っ先にここに来たのに。同行を申し出た手前、俺に遠慮していたのかもしれないが、この小旅行のお代は全部麗ちゃん持ちである。俺だって麗ちゃんの意向を無視するほど図々しくはない。

それに麗ちゃんは、色々な諸事情で軽く人生に疲れている。ここはこの温泉に入って心身ともに癒されて欲しいと思う。


「いらっしゃいませ、ご宿泊でしょうか」


二人で受付の前まで来ると、和服を着た女性の従業員が対応した。


「いえ、こちらの温泉に入りたいのですが……」

「温泉ですか……」


従業員は俺の方をチラリと見ると、頷く。

なんだか、この反応、さっきのタクシーでもされたような気がする。気のせいだろうか?


「かしこまりました、当館の浴場についてご説明させていただきます、当館では大浴場と少し小さくなりますがプライベート浴場の二つをご用意しております」

「はい」

「基本的に大浴場の方は宿泊いただいているお客様のみのサービスとさせていただいております」

「はい」


とすると俺たちが入るのはプライベート浴場の方か。


「それで、プライベート浴場の方なんですが……こちらの方は、男女が分けておりませんので、もし入られるのであれば混浴という形になりますが……よろしいですか?」

「え?」


俺は驚いて声を上げた。

混浴とは予想外だ。多分、麗ちゃんもこのことは知らなかっただろう。


麗ちゃんの方を見ると、彼女は特に驚いた様子もなく、遠くを見つめていた。


何だその反応は。


「麗ちゃん」

「なに、彰君」


麗ちゃんは遠くを見たままこちらを向こうとしない。その横顔は、努めて感情消し去っているかのように無表情だ。


……このとぼけた反応から察するに、どうやら麗ちゃんはここが混浴であることを知っていたらしい。

もしかして、今回の小旅行もこれを目的として俺を誘ってきたのかも……というか、多分それが目的なのだろう。この世界で男子高生との混浴は、元の世界の女子高生との混浴に等しい。麗ちゃんはちょっと異性に飢えているところがあるので、近場にいる俺を誘い出したようだ。とすると、あの「観光地の美味しいもの」とかは俺を釣るためのダミーだったわけか。

麗ちゃんがこの混浴の事を黙っていたのは、恐らく事前に話せば俺に拒否されると思ったからだろう。女性の性欲が旺盛なこの世界では当然の行動だといえる。


さて、どうする。

混浴というのは色々まずい気がする。だが、麗ちゃんたっての希望ならば、それを叶えてあげたいという気持ちもある。というか、俺自身は混浴に対してそんなに嫌悪感はない。だって身内だし、麗ちゃんだし、そりゃあこっちの裸が見られるのはちょっと恥ずかしいけど、なんだったら小学校くらいの頃は同じお風呂にはいっていた記憶もある。


それに、今日この小旅行のお代は全て麗ちゃん持ちだ。ここは麗ちゃんに対しての感謝の気持ちも込めて、混浴に入ってあげた方がいいかもしれない。

ただ、さすがにこの年になって裸の付き合いはマズイよな。


「あの、聞きたいことがあるんですが」

「はい、何でしょうか」

「脱衣室も一緒ですか?」

「そうですね、一緒です……ただ、脱衣室に入る時間を少しずらす、ということもできますので……」


なるほど、それならばお互いの着替えを見られずに済むか。


「あとは……水着の貸し出しとかできます?」

「はい、ご用意あります」

「あ、彰君、入ってくれるの……?」


麗ちゃんが興奮気味に聞いてきた。ここまで連れてきておいて、そういう風に聞いてくるということは、拒否されると思っていたのだろう。


「さすがに裸はダメだけどね、それでいい?」


麗ちゃんは一瞬止まったが、すぐにあかべこの如く頭を振った。




プライベート浴場というのは、大浴場の隣にあり、5つほどの個室が連なっている造りになっている。部屋にはそれぞれ番号が割り振られており、俺達はその中の三番の浴場を使うことになった。


受付の人のアドバイス通り、時間を少しずらして入ることにしたので、先に麗ちゃんに入ってもらっている。

時計を確認する……5分経ったし、もういいだろう。

当日申込の場合の貸し切りの制限時間は30分しかないらしく、脱衣も込みで考えればあまりモタモタはしていられない。

俺はそっとプライベート浴場に入った。


脱衣所は一般的な家庭の脱衣所を広めにしたくらいだ。2、3人で服を脱いだりするには問題ない広さだろう。

棚には籠が何個かあるが、その中の一つに麗ちゃんの服が入っている。

少しどきりとした。

服は綺麗にたたまれているが、この服の下にはきっと麗ちゃんの下着とかが入っているはず……そう思い至り、軽く動揺してしまったのだ。


麗ちゃんをそういった目で見たことはないが、それでも大人の女性に対しての興味がないというわけでもない。ちょっと見る分にはバレないだろう、というこの状況が俺を余計に惑わせている……気がする。


俺は大きくかぶりを振って、邪念を追い払った。

バカな事をしようとするな。これから麗ちゃんと一緒にまたあの長い道程を経て家に帰るのだ。俺が妙に意識してしまって、変な空気になったらそれこそ地獄だ。


俺はすぐに服を脱ぎ、受付から借りた水着を履いて、浴室の扉を開けた。



そこは、さながら小さな露天風呂だった。

壁の一面が取り払われ、その向こうには丁寧に手入れのされた木々が植えられている庭が広がっている。そして浴槽は家族四人程度なら一緒に入れる大きめなもので、檜のデザインの、風情があるものだ。

そのお風呂に、麗ちゃんが浸かりながら、こちらを見ていた。


「お待たせ」

「全然待ってないよ、入って」


麗ちゃんは立ち上がった。

麗ちゃんが着ている水着は大胆にもビキニだ。身体を洗うのにはこのタイプが適しているのだろうが、なんというか目のやり場に困る。麗ちゃん本人は自分の格好をさほど頓着しておらず、むしろ見せつけるかのように堂々としていた。


俺はなるべく風景を見るようにしながら……つまりは麗ちゃんの方を見ないようにしながら……湯船にゆっくりと入った。


湯加減は少し熱めだが、時折外から風が吹くので、このくらいの熱さでちょうどいい。

肩までつかり浴槽にもたれかかり、ゆっくりと息を吐いた。一日中歩いたせいで疲れも溜まっていたが、このお風呂のおかげでそれも癒されそうだ。


「いい湯だね」

「ああ……」


麗ちゃんに話しかけられ、そちらを向いたが、麗ちゃんの胸の谷間がダイレクトに飛び込んできたので、すぐに顔を背けた。


「今日はありがとうね、彰君」

「いや、こっちこそ楽しかったよ」

「また誘ったら来てくれる?」

「もちろん」


隣にいる麗ちゃんから視線を感じる。おそらく麗ちゃんは俺の事を見ているのだろうが、俺は麗ちゃんの方を見ることが出来ず、ただ庭の方を見るしかない。


「よかった……ねえ彰君」


ピチャリピチャリ、と麗ちゃんがこちらに近づいてくるのが水音と流れでわかった。

この状況で近づかれても困るので、一歩横にずれるが、麗ちゃんも止まらずに近づいてくる。ずれるのと近づくのを少しずつ繰り返した結果、俺は風呂の端まで追い詰められた。


「れ、麗ちゃん、近くない?」

「はあっ、はあっ、彰君が行っちゃうからだよ」


いや、麗ちゃんが近づいてくるから俺は逃げたのだけど……というか麗ちゃんの息が荒い、もしかしてもうのぼせたのか。


「麗ちゃん、大丈夫? もうお風呂から出ようか?」

「え? な、な、なんで? 気持ち悪かった!?」

「いや、俺じゃなくて麗ちゃんが気持ち悪いんじゃないの?」

「え?」

「だってさっきから息が荒いし、のぼせてないか?」

「あ! あー……平気」


麗ちゃんが俺から離れていく。どうやらのぼせたわけではないようだ。

麗ちゃんが離れてくれたおかげで俺ものびのびできる。せっかく自分の家よりも広い浴場にいるのだ。足と腕を存分に伸ばして浸かりたい。


ちらっと横を見ると、予想以上に麗ちゃんが俺から距離を取っていた。反対側の縁まで移動してしまっている。これはもう完全に他人の距離である。


「え、麗ちゃん離れすぎじゃないか?」


離れてはほしかったが、そこまで離れる必要はないだろう。


「いや、まあ……ちょっとね」

「?」


麗ちゃんは言葉を濁す。

声をかけてもその場から動かないところをみると、麗ちゃんはもう俺に近づく気はないらしい。まあ遠いけど、この距離でも話が出来ないわけではないし、しばらくはこのままでもいいだろう。



それからたわいもない話をしながら何分か経った。



「……それで、もし今度どこかに行くのなら、やっぱり海とかがいいかな、麗ちゃんはどう思う?」

「……」

「麗ちゃん?」


返事がないので麗ちゃんの方をみると、麗ちゃんがお風呂に深く浸かっていた。具体的には顎が水面についてしまうくらいに。

どう考えても浸かりすぎた。そして、麗ちゃんの顔をよく見ると、頬が真っ赤で、目の焦点が合っていない。


「麗ちゃん!」


俺は急いで麗ちゃんのそばまで行った。


「……うぅ……」


声をかけても近づいても反応が鈍い。どうやら完全にのぼせてしまったようだ。


「……やっぱりのぼせてるじゃないか、まったく早く言ってくれ」


息が荒いからおかしいとは思っていたんだ。きっとあの時から苦しかったに違いない。俺は麗ちゃんの肩を担ぐと、急いで風呂から上げて、脱衣室まで運んだ。


そこからは少し大変だった。俺はろくに自分の身体も拭かないまま着替え、従業員に麗ちゃんがのぼせてしまったことを伝え、対処をしてもらった。

家にも連絡し、予定よりも変えるのが遅くなってしまうことも伝えた。




そして、今、俺は旅館の厚意で、空き部屋を一つ貸してもらい、麗ちゃんをそこに寝かせてうちわで風を送っている。

ちなみに麗ちゃんは旅館の浴衣を着ている。もちろん俺が着せたんじゃなくて女性の従業員さんに着せてもらったものだ。


「……うう、彰君……」

「あ、麗ちゃん、大丈夫?」

「頭がガンガンする……ここは……?」

「空き部屋、特別に使わせてもらってる」

「……ごめんね……迷惑かけて……」

「別にいいって、あと家にも連絡入れておいた」

「え……なんて……連絡したの?」

「麗ちゃんがのぼせたからって正直に話した……あ、あと混浴のことは言わなかったから、麗ちゃんも親から何か言われたら話しを合わせてくれ」


いくら俺の両親が放任主義とはいっても、さすがに麗ちゃんと混浴していた、という事実は黙っていられないだろう。

もしばれたら……麗ちゃんを追い出すとかそういったことまではしないと思うが、それでも麗ちゃんに対して警戒の目くらいはむけるようになるかもしれない。それはちょっと可哀想だ。


「……彰君……」

「ということで、今はゆっくり休みな」

「……もう無理……好き……」

「はいはい」

「……もし私がこのまま死んだら……彰君に財産全部上げるから……」

「いや、何言ってるんだ」

「……財布に銀行のカードがあるから好きに使って……暗証番号は052モガッ……」

「もうちょっと黙ろうか」


まだ頭がゆで上がっているらしく、妙なことを口走り続ける麗ちゃんの口を手でふさぐ。

麗ちゃんが回復するまではもうちょっとかかりそうだ。


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