甚平(麗)
休みの日、彰君と二人きりで出かける事になった。これはいわゆるデートというやつだろう。
きっかけは叔母さんのナイスアシストだ。
叔母さんに今日の予定を聞かれ、気晴らしに外に出る、と答えると、彰君も連れて行くように言われたのだ。
おそらくは叔母さんなりのサービスのつもりなのだろう。男子高生と一緒に2人きりのお出かけなんて、その手の風俗に行かなければ出来ない事だ。一応、私も健全な女なわけで、そんな女に年頃の息子を任せることに普通の親なら抵抗を感じると思うのだが、彰君のご両親はそういったことはあまり気にしないらしい。そういう姿勢は非常に助かっている。
男子高生と一つ屋根の下に住んでいる以上、こちらとしてもいずれはデートを……なんて思ってはいたのだが、まさかこんな形で成就するとは。これも日頃の苦行(仕事)を耐えている私へのご褒美だろう。
「麗ちゃん、どこ行きたい?」
家を出ると、彰君が話しかけてきた。
「……彰君、何か欲しい物ない?」
本当は私の服とかを買うつもりだったのだけど、彰君が来てくれるのなら話は別だ。
今こそ大人の財力を使って彰君を魅了する時である。
私自身はまだ若いつもりだけど、男子高生から見れば、おばさんに入りかけていると思われても仕方ない。若くもないし、器量もそこそこ、面白い話も出来ない私が男子高生の気を引くためには、大人としての魅力……すなわち金の力にものを言わせるのが一番のはずだ。
「俺? 特にないけど……」
「じゃあ服とか買ってあげる、これは絶対に必要になるものね」
ブランド物のお財布とかがプレゼントの定番だろうけど、彰君はそういうのを喜びそうなタイプじゃない。ならば最低限必要なものをプレゼントすれば……
「いや、別に間に合ってるから……」
……しかし、彰君はそっけなく断った。
なんだ、どういうことなんだ。
服のプレゼントを断る必要なんてどこにもないじゃないか。対価として何かもらおうとしてるわけじゃないの……いや、いずれ何かしらの形で対価は貰おうとは思っているけど……
でも今じゃない! 今は貰おうとしてないのに!
「俺のことよりも……麗ちゃん?」
「彰君……私の事嫌い?」
彰君が私のプレゼントを断る理由で考え付くのはそれしかない。
私の事を嫌いじゃないって言っていてくれたのにそれは嘘だったのか。
「いや、嫌いじゃない」
彰君が首を横に振った。
「好きだよね?」
「ああ……」
「じゃあ私の気持ちを受け取ってくれるよね?」
「……わかった、買ってもらおう」
彰君は観念したように手をあげながら言った。
「じゃあ、デパート行こうか」
彰君がやっとプレゼントをもらってくれる気になったところで、今度は買ってあげる服を決めなければいけない。
まあ、服のプレゼントに関しては、実はこんなこともあろうかと、ちょっと考えていたものがある。
「……甚平」
「え?」
「甚平買ってあげる」
甚平、それは男性をより逞しく男らしく見せる素晴らしい衣装。これからの季節にピッタリなものだ。彰君という100%の男の子が着れば、その魅力は200%まで引き上がるに間違いない。
さらにそんな甚平を着た彰君と、お祭りかなんかに出かけちゃったりなんかしたら、もうそれは全ての女性の夢のシチュエーションである夏祭りデートとなる。
私は期待に胸をおどらせて、彰君とデパートに向かった。
「良い……」
「……」
「すごく良いよ……」
「……」
「彰君、すごく……」
「……麗ちゃん、それはもうわかったから」
果たして、私の予想通り、彰君と甚平の相性は最高だった。というか、大柄でワイルドな顔つきをしている彰君に甚平が似合わないはずがない。
先ほどから、彰君にはずっと試着室にいてもらって、私は売り場と試着室の前を行き来して、なおかつ彰君の試着した甚平を観賞する作業を繰り返しているが、まったく疲れないし飽きない。あと10往復は余裕でできる。
「やっぱり、落ち着いた色が合うのかな……彰君は落ち着いてるから」
私は彰君が着ている紺色の甚平を見ながら言った。
「彰君はどんなのがいい?」
「うーん……まあ、なんでもいいかな……」
私と違って、彰君はあまり乗っていないように見える。男の子は女と違ってあまりオシャレには頓着しない、と聞いたことがあるが、彰君もそのタイプなのかもしれない。
でも、それならそれでいい。こちらの好き勝手にやらせてもらおう。
「じゃあ、次はこれ着て?」
私は紫陽花の刺繍の入った甚平を彰君に渡した。
彰君は少し疲れたような顔をしながらそれを持ってカーテンを閉めた。
ちょっと着疲れしちゃったかな?
着替えるのが面倒、という理由で途中から上しか着替えなくなってしまったし……
私は買い物カゴにたまった甚平を見た。
彰君に着せて、似合うものは全て商品棚に戻さずに取ってある。だいたい5着くらいあるが、これぐらいあればこの夏は問題なく過ごせるだろう。そろそろ切り上げて、お昼にした方がいいかもしれない。
私は彰君が着替え終わるのを待ちながら、今後の予定を練る。
とりあえず、甚平を買い終わったらランチにしよう。このデパートの上の階にはレストラン街があったはずだ。
そこでランチを食べる。
その後はちょっと街を散策して、公園とか行ったりして、すごく良い感じのムードを作って、さらにその後は……いやいや、まだ早い、ひとまず今日は街の散策までだ。急いては事をし損じる。じっくりやらなくては。
時計を見ると、もう一分経った。
試着室からの衣擦れの音も無くなったし、着終えただろう。
「彰くーん? もう着たー?」
「あ、うん、着たよ」
試着室のカーテンを開ける。
紫の甚平を着た彰君がいた。
「……良いね」
先ほどから月並みな感想しか言えてないが、心からそう思っているのだから仕方ない。
「そう? 派手じゃないかな?」
「派手なのも意外とイケるよ、彰君」
紫陽花の刺繍はちょっと目立つかもしれないが、それが浮くことなく、彰君の雰囲気にマッチしている。
「うーん……まあ、でも、あまり柄ついてない方が俺は好きだな」
「……そっかー、彰君は嫌なんだね……」
彰君は乗り気じゃないみたいだ。
私はとても似合うと思うんだけど、彰君がそうでもないのなら無理強いすることはできない。残念だけど、これを買うのは止めておこうかな……
「……まあ、嫌いって程じゃないけど……」
「本当に? それならそれも買うから」
彰君からオーケーが出たのなら、何もためらう必要はない。これも買い物カゴにGOだ。
「わかった……うん? それもって?」
「だから、今までのやつをあわせて、それも買うから」
「……え? 甚平って一着買うだけじゃないのか……?」
「ううん、こっちのカゴに入っているやつは全部買うよ?」
私は床に置かれているカゴを指差した。
「それ全部買うの……?」
「うん」
本当は着せた奴を全部買いたかったのだけど、流石に荷物になるかなと思って厳選した。
「麗ちゃん、さすがに買い過ぎだ」
「そうかな? 全部彰君に似合ってたよ?」
「いや……そんなに甚平なんて着ないし、それにこれ、結構値が張ると思うんだが……」
「普段着にしちゃえばいいし、お金の心配なんてしなくていいの」
彰君は何も心配しなくてもいい。こここそ財力アピールのしどころなのだから。
それに甚平は寝間着にも出来る。家で甚平を着る彰君なんて……最高じゃないか。
「麗ちゃん、やっぱり一着でいいって……」
でも、彰君は乗ってこない。
「……なんでそんなこというの? 本当に心配しなくてもいいんだよ?」
本当に、本当にお金の心配なんてしなくていいのに。趣味らしい趣味もなく、社会人になってから友達ともろくに遊んでない20代半ばの女の貯金額はそれなりにある。
「……それとも、私の買ったものは着たくない?」
まさか、本当はやっぱり私の事が嫌いだからそんな事を言うのか。もしそうなら……
「そんなことないさ、俺は麗ちゃんからのプレゼントならなんでも嬉しいよ……でも麗ちゃんからのプレゼントは大切にしたいし、一個で充分なんだよ」
彰君の言葉にハッとした。
なるほど、つまり彰君は私のプレゼントがタンスにしまわれて使われなくなってしまうことを危惧しているのだ。
「……どうかな?」
「……うん、それなら一着にしよう」
もう、それならそうと言ってくれないと勘違いしてしまうじゃないか。
私は買い物カゴに入っている数着の甚平から彰君に最も似合うものを探す。
「どうしよう、どれも彰君に似合うからなあ……迷っちゃう……」
本当にどれも捨てがたい。彰君の要望だから一着に絞るけど、可能なら全部買いたい。いや、この選ぶという作業も楽しくないわけではないけど。なんというか、彼女が彼氏の服を選ぶみたいな、そんな感じの……
「お客様、何か迷っておいでですか?」
不意に話しかけられ、振り向くと厚化粧の女店員がこちらを覗きこんでいた。
「え? いえ、別に……」
「体格の良い方ですし、こちらの暖色系の柄なんていかがです?」
女店員が買い物カゴの中にある甚平を一つ手に取った。
「体格の良い男性はシックな色ですと、威圧感が出てしまいますので、こういった色の方がよろしいかと思いますよ?」
そして聞いてもいない講釈を垂れ始めた。
なんだこの女は?
「私」が彰君の甚平を選んでいるのに、なぜ横から入ってくるんだ。
二人きりのこの時間を邪魔するなんてそんなことは神様だって許さない。
「こちらの方が……お客様……?」
ここはガツンと言ってやらなくてはならないだろう。
「私が……」
「麗ちゃん、俺これがいい」
私が女店員を追っ払おうとしたその時、彰君が私に話しかけてきた。
「え? それ? でもさっき……」
「うん、まあ柄があるのはちょっと難だけど、たまに着るのならこういうのでもいいんじゃないかなって思ったんだ」
彰君がちょっとポーズを決めながら言う。
何だかよくわからないけど、彰君が心変わりしてくれた。私もその甚平が一押しだったからちょうどいい。
「わかった! じゃあこれ買おうね!」
私の想定とは少し違う形になったが、彰君に素敵なプレゼントを贈ることが出来たのだし、これはこれでよかったと思う。
「そうだ、彰君、このあとご飯も食べよう?」
この後の予定は決まっている。一緒にランチ、その後に街の散策だ。
「ああ、そうだね……」
彰君が首肯しながら甚平の紐をほどいた。
……甚平の紐をほどいたのだ。
なんでその様子がわかるかというと、彰君が試着室のカーテンを閉めずに甚平を脱ごうとしているからだ。
彰君は下にシャツを着ていないようで、肉感的な胸板が見えかけた。瞬間、私は少し目を伏せてなるべくじろじろ見ないように心掛ける。
「あ、彰君、な、何やってるの……!?」
「うん? いや脱ごうと思って」
彰君は本当に何気なく言う。
「カ、カーテン閉めなきゃダメだよ~」
何とか冷静さを振り絞って彰君を注意した。顔がにやけないように全力で努めているのだけど、出来てるだろうか?
「ああ、ゴメン、上だけなら別にいいかなって思ってさ」
そういって彰君はカーテンを閉めた。
いいわけがないじゃないか。身内とはいえ異性の前なのに。こんなの襲ってくださいって言ってるようなものだし、まさか他の女にもこんな感じで接しているわけじゃない……と信じたい。
そういえば、彰君はお風呂上りとかに時々シャツ一枚でうろついていたりする。「エロい目で見てくる女」扱いされないように必死で目を背けていたけど、もしかしたらあれは見てもオッケーということだったのかもしれない。
……よし、これからさらに楽しみが増えたぞ。
「麗ちゃん? 何笑ってるの?」
急にカーテンが開くと、彰君が私を見るなり言った。どうやら着替えが終わったようだ。
「え!? いや、何でもないよ!」
抑えていたつもりだが、ガンガンニヤニヤしていたらしい。
いけない、この浮足だった気持ちをリセットしなくては。
「こ、ここのデパートの上の階のレストラン街に行こうね、何でも好きなもの奢ってあげるから」
「上の階で……?」
「彰君、お肉好きだよね? 焼肉にしよっか? あったよね、レストラン街に焼肉屋さん」
そこら辺のチェーン店とはランクが2つ違う高級な焼肉屋さんがあったはずだ。そこなら彰君のような発育の良い育ちざかりの男子も満足できるものが食べられるだろうし、私の本来の目的である「経済的な余裕のある大人」を演出できるはずだ。
「麗ちゃん、あそこは冗談抜きでマジで高いから止めておこう……」
彰君はここでもやっぱりお金の心配をしている。
「大丈夫、お金ならあるから!」
「いや、だから俺にそんなお金使わないでって、麗ちゃんが働いて、もらったお金なんだから自分のために使いなよ……」
「私のお金は彰君に使ってもらうためにあるから」
8割くらい本気で言っている。ホストに貢ぐ女の気持ちが今ならわかる。
「さあ、行こう? 私がなんでも買ってあげるし食べさせてあげるからねえ!」
言うなればこれは先行投資のようなものだ。彰君の好感度を上げることによって、私の人生をより良いものにするための。