勉強会(玉城)
俺の部屋に秋名を招くと、こいつは鳩もかくやと首をキョロキョロさせ始めた。男の部屋に招かれたことに警戒してるのだろうか? ……いや、そもそもこいつの方から俺の部屋に来たいと言い出したのだ。「警戒している」はおかしい、それならば……
「……男の部屋が珍しいのか?」
「私、生まれて初めて男の人の部屋に来ました」
「別に珍しいものなんかないだろ?」
「いえ、なんだかとっても素敵なにおいがします」
素敵な匂い? 俺の部屋だから俺の体臭がするのだろうが、それの匂いか。
……あまり素敵な匂いとは言い難いと思う。
だが、この世界の思春期の女子の行動原理は、元の世界の思春期の男子の行動原理と一緒だ。そう考えれば、身近な異性の先輩の部屋に招かれれば匂いくらい嗅いでしまうかもしれない。少なくとも俺ならばやりかねない。
しかし、こいつのようにスンスンと鼻を鳴らしてまで嗅ごうとはしないだろう。こいつはなんというか、デリカシーというものがないのだろうか。
「あんまり嗅ぐな」
「あ、すみません」
秋名は嗅ぐのを止めたが、部屋をキョロキョロと見渡すのを止めたりはしない。
「キョロキョロもするな」
「はい!」
秋名の首がピタリと止まる。
その顔は俺ではなく、なぜか部屋の隅に置かれている箪笥に向けられていた。
「箪笥がどうかしたのか?」
「……あの箪笥って、先輩の服とかが入れてありますよね?」
「当たり前だろうが」
「ですよね」
何を当たり前のことを言っているんだ……と思ったが、ふと、ある疑念が浮かんだ。
こいつ、もしかして俺がこの部屋からいなくなったら家探しとか始めだすのではないか?
キョロキョロしていたのも、珍しさからではなく、物色する先を探していたのであって、こいつが箪笥から目を離さないのは、箪笥に狙いを定めたからでは……?
ちょっと試してみようか。
「ちょっと飲み物取ってくる、麦茶でいいか?」
「……はい!」
「わかった、それじゃあ……」
「熱々のやつでお願いします」
「え?」
「今日は冷えますから、温かいお茶が飲みたいなあって……」
確かにまだ制服は冬服だが、そんなに肌寒い季節でもない。
「温めるとなると時間かかるぞ?」
「はい!」
元気の良い返事だ。
どうやら本当に家探しをするつもりで、そのための時間稼ぎを兼ねて俺に温かいお茶を要求しているようだ。
「……わかった、ちょっと待ってろ」
「はい!」
とりあえず、こいつの要求は呑んでやって、一旦部屋を出る。コイツにしては中々狡い事を考える。ちょっと面白そうだから少し泳がせてみよう。
急いでリビングに行き、冷たいままの麦茶をコップに注ぎ、お盆に乗せて静かに部屋の前まで戻る。
そして、部屋のドアに聞き耳を立てた。
バタバタという空気が抜ける音がしている。どうやら本当に箪笥を開けているらしい。こいつちょっと大胆すぎやしないか?
貞操観念が逆転しているとはいえ、初めてきた異性の部屋で箪笥を開けだすなんて元の世界では考えられない事だ。いや、もしかしたら俺の常識を超える変態とかならやらかすかもしれないが、普通はしないだろう。
そう考えると、秋名がドを超えた変態なのか、もしくはこの世界の女性は大体こんな感じなのかどちらかになる。
前者ならば秋名に目を光らせていればいいだけだが、もし後者の場合はちょっと困る。冗談か何かだと思っていた「女性からレイプされる」なんてことが本当に起こりかねない。いわゆる逆レイプは元の世界なら、男性が一度は妄想したことだろうが、現実問題でその危機感が生まれると、喜びよりも軽い恐怖の方を感じてしまう。
面白がって泳がせてみたがここら辺で少し釘を刺しておくか。秋名が俺をレイプするなど体格的に不可能だが、万が一、ということもある。
ガチャリ、と勢いよくドアを開けた。
箪笥の三段目を開いていた秋名は猫のようにビクリと反応してこちらを見る。
「何してるんだ?」
「え、えーと……ですね……タオルを探していました」
「タオル? 必要なのか?」
「あ、汗をかいちゃいまして……ほら今日は暑いから……」
「今日は冷えるんじゃなかったのか?」
「そ、そうでしたね……」
暑さとは別の汗をかきながらしどろもどろになる秋名。
「人の箪笥を勝手に開けるな、そんなところにタオルが入っているわけないだろう」
「ですよねー、なんでこんなことしちゃったのかなー……」
「それと、冷めた麦茶しか用意できなかったが、暑いのならちょうどいいよな?」
「……ば、ばっちりですよ! ははは……」
秋名は空笑いをしながら三段目を静かに閉め、そそくさと部屋の中心にある小さなテーブルの前に座った。
「……さ、ささ、先輩、気を取り直して勉強を見てください」
「……」
「ええっとですね、数学がわからないんですよね、本当に自分馬鹿なもので」
「……」
「でも、先生の教え方も悪いと思うんですよ、あれでよく教師になれましたよね……」
「……」
秋名は喋る喋る。俺に冷めた目で見られているのを自覚しているらしい。
秋名は焦ったり、なにかを誤魔化そうとする時はとにかく喋る。今もなんとかこの空気を誤魔化そうと必死になっているのだろう。
「秋名」
「はい!」
そしてこいつはとにかく返事だけはいい。どんな時でも快活な返事をする。さっきまでしどろもどろだったのが嘘のようだ。
元気がいいというのは何事にも勝るもので、こんな元気な返事を聞くと、なんだかもうどうでもよくなってくる。
「……今度からは気をつけろよ」
「はい!」
満面の笑みで答える秋名。これで釘を刺せたかは微妙だが、とりあえず苦言は呈した……と思う。
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『先輩、勉強を教えてください!』
そもそも秋名が俺の部屋を訪ねることになったのは、昨日の放課後、秋名のこの一言がきっかけだった。
教えてやりたいのは山々だが、正直に言うと俺も勉強は得意ではない。そのことをそれとなく伝えると、
『いえ、絶対私の方がバカですし、私よりも1ミリでも頭が良かったらそれでいいので』
なんとも妙な説得だが、それくらいなら、と気が楽になりOKの返事をした。
『それじゃあ今から先輩の家で』
今から? しかも俺の家?
待て待て、いくらなんでも話が急すぎないか? 元の世界でも女の子を自分の部屋に入れたことなどない。大して散らかってはいないが、それでも色々と準備しなくちゃいけないことがあるだろうし、さすがに今日はない。
『じゃあ、明日で』
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そして今に至るわけだ。
「先輩、ここがわからないです」
「ああ、これは……」
軽く一悶着あったが、本来の目的である勉強は開始された。
秋名は真っ先にふざけると思ったが、意外な事に真面目に勉強している。もしかしたらあの苦言が効いたのかもしれない。
秋名がわからないと聞いてくる問題も比較的答えやすいものばかりで、俺もきちんと先輩が出来ている。こういう先輩後輩関係に少し憧れがあったので、素直に嬉しい。
「先輩、ここなんですけど……」
「えーと、少し待ってくれ……」
去年習ったところとはいえ、俺も忘れてしまっているところがある。自分の使っていたノートと教科書を引っ張りだして確認する。
「わかりますか?」
「急かすな、ちょっと待って」
向かい合って座っていた秋名が俺の背後まで回り込んで来ると、俺に背中に寄り掛かりながらノートを覗きこむ。体重をかけられたが小柄な秋名程度ならば何の苦もない。
「あった、これだな」
「ほほう」
「教えてやるからちょっと離れろ」
苦ではないが、さすがに寄り掛かられっぱなしは鬱陶しい。
「いやあ、よく見てきちんと勉強しようと思いまして」
「ここまで近づく必要はないだろ」
「私、近視なんです」
なんだその取ってつけたような理由は。
「……近視なのはわかったが、寄り掛かられると教えにくい」
「そうなんですか」
秋名は俺の言葉を華麗にスルーして寄り掛かるのを止めない。しかも俺の首もとに顔を押し付け始めた。荒い鼻息が襟足にあたりくすぐったい。
少し見直したと思ったらすぐにこれだ。
「怒るぞ」
「離れます」
秋名はその場で一歩引きながら立ち上がった。こういうところは素直というか、調子の良いやつだ。
「じゃあ、教えるが……」
「……」
気を取り直して勉強を教えようとするが、秋名が離れて立ったまま動かない。
「……いつまでそこで立ってるつもりだ?」
「先輩の怒りが鎮まるまでです」
「別に本当に怒ってるわけじゃないから、近くに来て座れ」
「はい!」
いつも通りの元気の良い返事で秋名は座ると、今度は秒速ミリ単位の速度でこちらににじり寄ってきた。
「何してるんだ?」
「いえ、先輩のセーフティーゾーンを探そうと思いまして」
何だそれは。俺は猛獣か何かか?
カタツムリの行進の如き速度ゆっくりと俺に近づく秋名。あの一言でここまで秋名がビビるのは予想外だった。
後輩に舐められたくはないが、必要以上にビビられるのも嫌だ。
まあ、腕がふれあいくらいの距離くらいで止まるだろう、と予測して黙って見守ることにしてやった。
案の定、俺の腕と触れ合うくらいまで近づいてきた。ここで止まるだろう……
「……おい」
「はい」
黙って見守るつもりだったか、腕の触れ合う距離どころか肩が完全に当たる距離……もう「距離」とかじゃなくて「くっついている」。
「これは……」
「近いですか? 離れますか?」
秋名が食い気味で聞いてくる。これでもし「近い」と言ったらまたボーダーライン探しを始めるのだろうか。それはもう面倒くさい。
少しやりづらいがこれぐらいなら出来ない事も無い。むしろ、こいつのノートも見やすくなってやりやすい……こともない事もないかもしれない。
「もういい、再開するぞ」
「はい!」
さっさと勉強会を再開する。秋名がさりげなく俺の首筋の匂いを嗅ごうとしてくるが、もういちいち注意するのも面倒だ。無視して続けよう。