甚平(玉城)
「良い……」
「……」
「すごく良いよ……」
「……」
「彰君、すごく……」
「……麗ちゃん、それはもうわかったから」
同じ言葉を繰り返し続ける麗ちゃんを止めた。
俺は今、デパートのメンズ売り場で、麗ちゃんの着せ替え人形になっている。
事の発端は、母親の適当な思いつきだった。
休みの日に家でゴロゴロしていた俺に向かって、麗ちゃんとどこかに出かけてこい、と命令してきたのだ。
何でも「麗ちゃんの気晴らしに付き合え」だとか。
まあ、そういうことなら付き合ってあげてもいいかな、と思って麗ちゃんと一緒に外に出かけた。
「麗ちゃん、どこ行きたい?」
「……彰君、何か欲しい物ない?」
「俺? 特にないけど……」
「じゃあ服とか買ってあげる、これは絶対に必要になるものね」
「いや、別に間に合ってるから……」
服なんてもらってもタンスの肥やしになるのは目に見えている。
というか、日ごろから麗ちゃんからはバイトという形で充分にお金をもらっているのだし、今さら俺にお金を使ってもしょうがないと思うんだが。
「俺のことよりも……」
「……」
「……麗ちゃん?」
麗ちゃんが顔を伏せて黙っている。
一体どうしたのだろう、と思ったが、すぐにいつもの『アレ』だと気が付いた。
「彰君……私の事嫌い?」
「いや、嫌いじゃない」
「好きだよね?」
「ああ……」
「じゃあ私の気持ちを受け取ってくれるよね?」
ここでいう「気持ち」というのは「服」の事だろう。
「……わかった、買ってもらおう」
「うん」
麗ちゃんは時々、情緒が大きく乱高下することがあるのだが、俺はこの状態を『アレな状態』と呼んでいる。
こういう状態になった麗ちゃんへの有効な対処法は、麗ちゃんの言動を肯定してあげることだ。
「じゃあ、デパート行こうか」
ここら辺で服を買ってもらうとなると、やはりデパートが適当だろう。そこでなにかしらを見繕ってもらえばいい。
「……甚平」
「え?」
「甚平買ってあげる」
麗ちゃんの唐突な言葉に、なぜ甚平なのか、という疑問もわいたが、俺ならば絶対買わないものだし、逆にプレゼントしてもらうものだと考えれば丁度良いかもしれない。
メンズ売り場に来ると、「甚平」で一つのコーナーが出来上がっていた。こちらの世界の甚平はかなりの人気があるらしい。
麗ちゃんは鼻息を荒くしながら俺を試着室の中に押し込めると、自分は商品棚と試着室の前を往復し始めた。
そんなわけで、もうかれこれ10着近く着せ替えさせられているわけだが……最初の方はきちんと下も着替えたが、今は面倒になったので、上だけを着替えることにしている。
「やっぱり、落ち着いた色が合うのかな……彰君は落ち着いてるから」
麗ちゃんはあごに手を当て、真剣なまなざしで俺に着せた甚平を品定めしている。
派手な甚平というのもないだろう……と言いたいところだが、意外にも甚平のデザインというのは俺の想像よりもはるかに多くの種類があった。
原色に赤や黄色の物や、柄も花柄や果物柄などやたらとカラフルな奴がある。
「彰君はどんなのがいい?」
「うーん……まあ、なんでもいいかな……」
ぶっちゃけてしまえば余程奇抜な奴でもない限り、どれでもいいと思う。元々これといって甚平の着こなしにこだわりがあるわけでもないのだし。
何だったら今着ているこの紺色の甚平でもいい……正直、着疲れから少し面倒になってきているのは内緒だ。
「じゃあ、次はこれ着て?」
麗ちゃんは手に持っていた紫陽花の刺繍の入った甚平を、笑顔で俺に渡してくる。
まあ、手にキープしていた時点で、それを着るんだろうなと思っていたが……俺は小さくため息をついて試着室のカーテンを閉じた。
「……ちょっと派手かな?」
着替えが終わり、着心地や甚平の柄を改めて確認する。
この甚平の紫陽花の柄は背面だけでなく、前面にも刺繍されていた。
試着室の壁にはめ込まれている姿見で自身の姿を確認しながら、俺は物思いにふける。
なぜ麗ちゃんは俺に甚平なんて着せたがるのだろう?
季節的に考えれば甚平は合っているが、あまり普段着にするような服じゃないし、麗ちゃんが並々ならぬ関心を寄せているのもよくわからない。
「俺に似合うから」というよりも、「俺に甚平を着せたいから」甚平を買いたがっているように見える。
そう考えると、麗ちゃんは甚平という服に対して、グッときてしまう女性なのかもしれない。前の世界でいうところのナース服とか、メイド服とか、そういうのに該当するような……
「彰くーん? もう着たー?」
「あ、うん、着たよ」
試着室の外から声をかけられたので返事をすると、カーテンが開いた。
「……良いね」
麗ちゃんの感想は基本的にどの甚平を着ても同じだ。ただ、全ての言い方に必ず力がこもっていることから、社交辞令ではなく本心からそういう感想が出ていることは理解できる。
「そう? 派手じゃないかな?」
「派手なのも意外とイケるよ、彰君」
「うーん……まあ、でも、あまり柄ついてない方が俺は好きだな」
俺はあまり柄やロゴが前面に出ているものを着たことがない。ポリシーというほどのものじゃないが、なんとなくその方が格好良いかな、と思って選んでいる。
「……そっかー、彰君は嫌なんだね……」
しかし、麗ちゃんは目に見えてテンションを落としてしまった。どうやら麗ちゃん的にはこの甚平が俺に似合っていると思ったようだ。
そんなリアクションをされると、少しばかり罪悪感のようなものが湧いてしまう。こちらは何の気なしに言っているだけなのだから、そんなに重大に受け止めないでほしい。
「……まあ、嫌いって程じゃないけど……」
「本当に? それならそれも買うから」
「わかった……うん? それもって?」
「だから、今までのやつをあわせて、それも買うから」
「……え? 甚平って一着買うだけじゃないのか……?」
「ううん、こっちのカゴに入っているやつは全部買うよ?」
麗ちゃんは床に置かれているカゴを指差す。
そこには俺が試着した数着の甚平が入っていた。
「それ全部買うの……?」
「うん」
麗ちゃんは当たり前のように頷く。
俺は今着ている甚平の値札を確認した。
5000円とある。
カゴに入っている甚平はざっと見ても4、5着はありそうだ。
「麗ちゃん、さすがに買い過ぎだ」
「そうかな? 全部彰君に似合ってたよ?」
「いや……そんな甚平なんて着ないし、それにこれ、結構値が張ると思うんだが……」
甚平なんて、いって2000円程度かと思ったが、俺が着ていたものは俺の予想を上回る高級品だった。こんなのをたくさんプレゼントされるのはさすがに気が引ける。
「普段着にしちゃえばいいし、お金の心配なんてしなくていいの」
しかし、俺の憂慮を麗ちゃんはニッコリ笑って受け流す。
前々から思ってたけど、麗ちゃんは俺にお金を使いすぎじゃないか。そんなにたくさんお給料をもらっているのか。
というか、「心配しなくてもいい」と言われても、「はいそうですか」と納得することはできない。たとえ身内といえど、そこまで無遠慮になることはできないのだ。
「麗ちゃん、やっぱり一着でいいって……」
「……なんでそんなこというの? 本当に心配しなくてもいいんだよ? ……それとも、私の買ったものは着たくない?」
麗ちゃんの声が1トーン下がった。
これは麗ちゃんが『アレ』な状態になる予兆だ。俺もだんだんとこういうのを察することができるようになった。
さて、こうなった時、最も有効な対処法は先ほどもやった「麗ちゃんを肯定してあげる」なのだが、俺にも譲れないことはある。
「そんなことないさ、俺は麗ちゃんからのプレゼントならなんでも嬉しいよ……でも麗ちゃんからのプレゼントは大切にしたいし、一個で充分なんだよ」
麗ちゃんの言うことは否定せず、こちらの言いたいことをいい感じに伝える。俺も口が上手くなったものだ。普段から麗ちゃんの愚痴聞き係として気の利いた言葉で励ましているのだが、それによって鍛えられたのかもしれない。
「……」
こちらの言い分を聞いて麗ちゃんは黙った。しかし俺をみつめる目は、ギラギラと光っているように見える。
「……どうかな?」
「……うん、それなら一着にしよう」
俺の説得が通じたようだ。しかも麗ちゃんの機嫌は一転して良くなったみたいで、ニコニコとしながらカゴの中に入っている甚平を1枚1枚品定めし始めた。
「どうしよう、どれも彰君に似合うからなあ……迷っちゃう……」
このうえなくご機嫌になった麗ちゃん。これで麗ちゃんの選んだ一着を買って、買い物も終わりだろう。
「お客様、何か迷っておいでですか?」
上機嫌でカゴの中の甚平を漁っている麗ちゃんに女性店員が話しかけてきた。
数十分にわたり試着室を占領し、さらには買い物カゴを漁りだしたのだから、声をかけられるくらいには目立っていたのだろう。
「え? いえ、別に……」
「体格の良い方ですし、こちらの暖色系の柄なんていかがです?」
店員がカゴの中の一着を手に取る。
「体格の良い男性はシックな色ですと、威圧感が出てしまいますので、こういった色の方がよろしいかと思いますよ?」
なるほど、コーディネイトというのはそんなふうに考えてやるものなのか。普段は特に気にせず服を選んでいたが、これからは暖色系の服を選んだ方がいいかもしれない。
感心していた俺は、ふと、麗ちゃんの様子がおかしい事に気が付いた。
「……」
店員さんのアドバイスに対して何もしゃべらない。無視をしているわけではない。ただ、睨みつけている。
まさか、これは……『アレ』か? でもなぜこのタイミングで?
大抵『アレ』は、麗ちゃんの言動を否定したりすると起こるものだが、今回はそんなことなかったし……
「こちらの方が……お客様……?」
店員も麗ちゃんの様子がおかしい事に気が付いたらしい。
「私が……」
「麗ちゃん、俺これがいい」
麗ちゃんが口を開いた瞬間に言葉をかぶせた。
初対面の前で『アレ』はさすがにマズイだろう。おそらく店員さんは驚いてしまうし、俺もフォローをしなければならなくなる。そういう面倒なことが起こる前に、麗ちゃんの気をそらせてやらねば。
「え? それ? でもさっき……」
「うん、まあ柄があるのはちょっと難だけど、たまに着るのならこういうのでもいいんじゃないかなって思ったんだ」
麗ちゃんの為にまるっきり嘘をついているわけでもない。思えば俺の服には柄物なんてなかった気がする。一着くらいはこういうのもあっていいだろう。
それに、これは麗ちゃんのお気に入りでもある。
俺一人がこういう決断をして、まったく似合っていなかったら目も当てられないが、俺以外の人が「俺に似合う」という判断が下っていれば、それに間違いはあるまい。
「わかった! じゃあこれ買おうね!」
俺の狙い通り、麗ちゃんの気は定員からそれて俺の方に向けられた。
「そういうことなので、もう大丈夫です」
この隙に俺は店員に声をかける。
店員は頭を下げ、失礼いたしました、と言ってこの場を去った。
「そうだ、彰君、このあとご飯も食べよう?」
「ああ、そうだね……」
時間的にもそろそろお昼だし、ちょうどいいだろう。
俺は甚平の右側で結んだ紐をほどく。
甚平の着方は簡単で、羽織ってから左の内側と右の外側の二か所を順番に紐で結ぶだけだ。脱ぎ方はその逆をやればいい。
「あ、彰君、な、何やってるの……!?」
「うん? いや脱ごうと思って」
「カ、カーテン閉めなきゃダメだよ~」
麗ちゃんが声を震わせながら言った。
「ああ、ゴメン、上だけなら別にいいかなって思ってさ」
もう着せ替え人形は終わったわけだし、その場でサッと脱いで着替えてしまおうと思ったが、麗ちゃんはそういうのを気にする人らしい。身内でもやっぱり異性の前ではこういうのは気にした方がよかったか。
俺はカーテンを閉めて服を着替えた。
着替えを終えてカーテンを開けると、麗ちゃんがニヤニヤと笑っていた。
「麗ちゃん? 何笑ってるの?」
「え!? いや、何でもないよ!」
俺に指摘されて麗ちゃんは少しあたふたしたが、すぐにいつもの麗ちゃんに戻った。
「こ、ここのデパートの上の階のレストラン街に行こうね、何でも好きなもの奢ってあげるから」
「上の階で……?」
このデパートのレストラン街はあまり庶民的なお値段ではなかったと思う。ランチメニューで2000円前後がざらだったはずだ。
「彰君、お肉好きだよね? 焼肉にしよっか? あったよね、レストラン街に焼肉屋さん」
しかも焼肉屋だと?
高額なお店ぞろいのあのレストラン街でも、あの焼肉屋は頭一つ飛びぬけて高かったはずだ。何でも銀座の高級店の姉妹店らしく、それこそ肉一皿で1000円とか1500円とかしたと思う。
「麗ちゃん、あそこは冗談抜きでマジで高いから止めておこう……」
たった今、俺の服に2万円以上使われそうになったのを止めたばかりだ。服ならまだしも、食べ物にそんな大金使うのは理解できない。美味しいよりもたくさん食べれた方が嬉しいんだ。なんだったらそこら辺の牛丼屋の特盛どんぶりを奢ってもらえるだけでも十分である。
「大丈夫、お金ならあるから!」
「いや、だから俺にそんなお金使わないでって、麗ちゃんが働いて、もらったお金なんだから自分のために使いなよ……」
「私のお金は彰君に使ってもらうためにあるから」
なんだそれは、俺はヒモか。
「さあ、行こう? 私がなんでも買ってあげるし食べさせてあげるからねえ!」
なぜかテンションの高い麗ちゃんは俺の二の腕に自身の腕をひっかけてグイグイと引っ張る。
俺は、どうにかして高級焼肉を奢ろうとする麗ちゃんを止めるためのうまい説得を考えなくてはいけなくなった。