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あだな(玉城)

朝、秋名とともに学校の校門をくぐる。行きに同じ電車に乗っているのだから、学校まで肩を並べて登校するのも自然なことだ。

下駄箱前まできて靴を脱ぎ、下靴を取ろうとしたその時、


「アッキー」


俺に声がかかり、振り返った。

そこには見知らぬ女子がいた。多分、下級生だ。なぜ面識のない下級生が俺の事を呼んだのだろう。

そんな風に疑問に思っていると、


「あ、ミッチー!」


俺の代わりに秋名が返事をした。

そこで自分が誤解していることに気が付いた。あのミッチーと呼ばれる見知らぬ下級生は俺ではなく、秋名を呼んでいたのだ。


「……じゃあな、秋名」

「あ、はい」


俺は勘違いした恥ずかしさを誤魔化すようにさっさと下駄箱を後にした。




「そういえば先輩、なんであの時振り返ったんですか?」


その日の昼休み、いつものたまり場で三人で昼飯を食べていると、秋名が思い出したかのように聞いてきた。


「あの時?」

「朝の下駄箱ですよ」


そう言われて思い出した。確かに「アッキー」という言葉に俺は反応している。


「あれか……まあ一瞬、俺が呼ばれたのかと思って振り返っただけだ」

「先輩、アッキ―って呼ばれてるんですか?」


秋名が軽く含み笑いをしながら聞いてきた。おそらくはアッキーという陽気なイメージのあだ名が俺に似合わないと思っているのだろう。

別に俺だってこのあだ名が俺に似合っているとは思っていない。しかし、昔そう呼ばれていたことがあるのだから仕方ないだろう。というかそもそも、あだ名というのは大抵において自分の望むものとは違うものがつけられるんじゃないのか。


「はっちゃん、何の話?」


事情をよく知らない加咲はキョトンとしながら秋名に聞く。


「先輩がアッキーって呼ばれてるって話」

「アッキー……?」

「いろいろ違う、ちゃんと説明してやるから……」


俺はまず、今朝の下駄箱の前での出来事を説明した。


「先輩、アッキーって呼ばれてるんですか?」

「うん、そうっぽいよ」

「……昔だ、昔そう呼ばれていたんだ」


小学校か中学校か、一時期そんな風に呼ばれていたことがあった。定着はしなかったけど。


「……でもなんでアッキーって呼ばれたんですか?」

「いや(あきら)だからな、俺の名前」

「先輩の名前ってあきらって言うんですね」


加咲は俺の名前を知らなかったか。まあ思えば自己紹介もろくにしてなかった。

初対面の時、加咲は俺の事を知っている状態だったが、俺は加咲の事を知らない状態だった。だから自己紹介も加咲の一方的なものだったのだ。


「私は知ってましたよ」


なぜか秋名は自慢げに胸を張っている。そんな事自慢にならないし、お前の薄い胸を張ったところで迫力も無い。お前の横にいる加咲が悔しそうにお前の事を見ているぞ。


「ちなみに先輩って今はなんてあだ名で呼ばれてるんですか?」

「今は玉ちゃんとかそんな感じで呼ばれてる」


ブフっと秋名が吹き出した。


「玉ちゃんですか?」

「……悪いか?」

「いや、可愛いあだ名ですね~」


この野郎、完全に馬鹿にしてやがる。


「……そういうお前はどういうあだ名なんだよ?」

「私は……アッキーとか、あとは咲ちゃんだけがはっちゃんって呼びますね」

「タコみたいなあだ名だな、タコっぽいからそう言われてるのか?」

「いや! 下の名前が発子(はつこ)だからはっちゃんなんですよ!?」


別に秋名の下の名前が発子なのは知っている。先ほどの仕返しだ。


「加咲、タコっぽいからはっちゃんなんだろ?」

「そうです」

「ちょー!?」


加咲はノータイムで肯定の返事をした。加咲は俺に対してイエスマンなのでこういう聞き方をすると必ず肯定するのだ。


「ぐぐぐ……咲ちゃーん?」

「……」


秋名は恨みがましい視線で加咲を見るが、加咲はソッポを向いてそれに応えている。


「加咲はどんなあだ名で呼ばれているんだ?」

「私は……特にないです」


秋名は加咲の事を咲ちゃんと呼ぶので、それがあだ名だといえなくもない。ただ、明らかに由来もわかるし、そんな変なものでもない。だからそれをあだ名に含めないというのは、まあわかる。

ただ、加咲ほど身体的特徴がある女子に他のあだ名が全くないとは思えない。


「……本当にないのか?」

「……ないです」


加咲は口をキュッと結んだ。俺の問いに答えるのを拒絶している。

加咲の反応から察するに、他にあだ名があるのは間違いなさそうだ。しかし、俺がここまで聞いても言わないということは、ガチで言いたくないのだろう。まあ加咲は結構強いコンプレックスを持っている方だし、あまり深く聞かないでおいてやるか。


「……先輩、先輩は他に変なあだ名とかないですか?」


いまだに俺にやられて悔しがっている秋名がド直球に聞いてきた。

さてどうする……無視してやってもいいが、ここは一つ、あえて乗ってやることでさらに追い打ちをかけてやるか。


「……そうだな、一個あるぞ」

「なんですか? 教えてください!」

「今度は俺の苗字に関することなんだがな、ちょっと俺の苗字を言ってみろ」

玉城(たまき)、ですよね?」

「そうだな、それじゃあその苗字の最後に『ん』をつけてみろ」

「え? たまき……」


秋名が最後の言葉を飲み込んだ。そしてすぐに顔が赤くなった。


「まあ、タマキンだな」

「ぶはっ!?」


秋名が飲み込んだ言葉を息として吹き出した。良い反応だ。ついでに加咲の方を見ると、彼女も顔を赤くしている。

完全にセクハラだが、俺とこの二人の関係ならば許容される範囲だ。というか、この世界は女子の方が下ネタ言うし。


「せ、先輩、なに言ってるんですかマジで!」

「仕方ないだろう、そう呼ばれてたんだから」


子どもというのは時に残酷なものだ。フィーリングによっていじめスレスレのあだ名を簡単につけたりする。小学校の時のあだ名だが、さすがに問題になって先生から禁止令が出た。まあこれよりひどいのは中々ないと思う。


「ほ、本当にそんな風に呼ばれてたんですか?」

「これも小学校の頃の一時期だがな」

「……男子って実はすごいんですね……」


まあ、男子があまり下ネタを言わないこちらの世界では、呼ばれなかったかもしれないあだ名だが。


男子というものに感心していた秋名がポケットからスマホを取り出すと、なにやらいじり始めた。そして、


「先輩、ちょっともう一回言って貰っていいですかね?」

「何をだ?」

「もう一回先輩のあだ名を頂きたいなって思いまして、さっきのやつです」

「……」


スマホをこちらに向けた。


これはあれか、俺に「タマキン」と言わせてそれを録音したい、とかそういうやつか。


「……断る」

「え、な、何でですか?」

「お前が何か録音しようとしてるからだ」

「い、いやだなあ、録音なんてするわけないじゃないですか~」

「じゃあ、そのスマホを貸してみろ」

「……あ、すみません、今電源切っちゃいました」


秋名が現在進行形でスマホのパワーボタンを指で押しながら適当な事を抜かしている。

コイツが俺のあの発言をスマホに録音して何に使うか知らないが、どうせろくでもない事にしか使わないだろう。秋名の行動パターンはだいたい読めるのだ。


「あ、あの、変なあだ名ならあります、私のじゃないですけど……」


珍しく加咲の方から話題に入ってきた。


「へえ、誰のだ? 教えてくれ」

「私のお母さんの名前、ミツルっていうんです」


それは知っている。以前教えてもらった。

どうやら満さんのあだ名を教えてくれるらしい。


「ミツルは漢字で(まん)って書くんですけど……」


それも知っている。


「お母さんが子供の頃、後ろに『子』をつけられてマンコって呼ばれてたらしいです」

「ぶふっ!?」


今度は俺が吹き出す番だった。

そう、この世界では女子が下ネタを言うハードルが低い。本当に稀にだが、クラスメイトの女子からもこんな単語が聞こえてきたりする。


「あ、だ、大丈夫ですか先輩……」

「……大丈夫だ」

「咲ちゃん、男子に向かってそれはセクハラだよ」


秋名が引きながら苦言を呈した。いや、完全に「お前が言うな」なんだが。


「ご、ごめんなさい、先輩、変な事を言いました」

「いや、いいんだ……」


本当に加咲が謝るようなことじゃない。下ネタの方に話題を持って行ったのは他ならぬ俺だ。加咲的には空気を読んだつもりだったのだろう。非があるとすれば俺自身にある。

それに俺は全然悪い気はしていない。意図しない形とはいえ、加咲から発せられた言葉には俺を高揚させる何かがあった。

いや、もう包み隠さないで言うと、加咲のような大人しい女の子が直接的な下ネタを言ったことにちょっと興奮してしまった。


「……秋名、お前のスマホ、録音機能はオンにしてたか?」

「いや、だから電源切りましたって」

「……ちっ」

「え? 今舌打ちしました? なんで?」


こここそまさに録音しておくべきところだったろうに。なんて間が悪いんだ。


しかし……奇しくもこんなところで秋名の気持ちがわかってしまうとは。もしかしたら俺は秋名と同じくらいの変態性を持つ変態野郎かもしれない。


……なんかショックだ。


「……はあ、マジかよ……」

「あの、こっち見ながらため息つかないで欲しいんですけど……」


自己嫌悪に陥ってしまった俺は、テンションを下げたまま残りの昼休みの時間を過ごした。



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