ゲーセン(玉城)
この世界にはオニイ系タレント、というジャンルが存在する。
見た目は男なのだが、中身は女性、もしくは『元』女性。その発言や考え方は限りなく男性的である。波瀾万丈あったであろうその人生経験から、含蓄ある発言をするのが特徴だ。
バラエティだけでなくニュースなどにも出てくる。今やお茶の間で見ない日はないと言っても過言ではない。
前の世界ではオネエ系タレントが一つのジャンルとして確立していたが、こちらの世界ではオニイ系タレントが確立しているようだ。やはり貞操観念が逆転すると風俗や文化も多少変わってくるようだ。
さて俺のクラスにもオニイ系……とまではいかないが、男子の格好をしながら男のグループに混じる女子がいる。
それがこの姫野ヒロミだ。
「ヒロミ」
「うん? 何?」
俺が体育の授業から戻ると、ショートボブの少女、ヒロミが足をブラブラさせながら、俺の机に座っていた。
ヒロミは中性的な顔立ちをしていて、女子の制服を着ていればボーイッシュな女子、男子の制服を着ていれば女顔の男子、と見られるだろう。
つまり、スカートでなくスラックスを履いている今のヒロミは後者のように見えるのだ。
うちの学校は「女子がスラックスを履いてもいい」という校則がある。これは貞操観念が逆転したこの世界独特のものではなくて、前の世界からあったものだ。
俺も詳しくは知らないが、『男女で制服が違うのは性差別につながる』とか言い出した一部の保護者の意見がおし通ってそうなったとか。
ちなみに前述の理論から男子もスカートを履けるようになっている。履いているやつは見たことないが。
ヒロミは前の世界でも時々スラックスを履いていた。だが、それは肌寒い日とかスカートがつらい日に限定されたもので、毎日履いているのはこの世界だけだ。
前の世界からよく男のグループに入ってくる奴だったが、この世界ではさらに「オニイ」っぽさが増している。
「俺の机に乗るな」
「玉ちゃんの机高いから乗りたくなっちゃうんだ」
そんな理由知るか。
「まあまあ、いいじゃんか玉ちゃん、次の授業までは座ってても」
「お前も座るんじゃない、長谷川」
横から話しに入ってきた長谷川も俺の机に座りやがった。
「つうかさ、玉ちゃんどうする、今度の体育」
こちらの苦言を無視して長谷川が話し始める。まあ無理にどかしてやるのも何なので、この時間は座らせておいてやるか。
俺は自分の椅子に座った。
「今度の体育ってなんだ?」
「だからさ、なんか柔道やるとか何とか言ってたじゃん?」
「ああ、言ってたな」
先ほどの体育の授業の終わりごろ、体育教師がそんなことを言っていた。
「だるくね?」
「まあ、確かに面倒だ」
柔道の授業というのは、体操服に着替えた後、さらに柔道着を着こむ必要がある。上衣は学校が貸し出してくれるが、下に履くズボンは自前で用意しなければいけない。一年のころに買ったものを持って来ればいいのだが、登下校に荷物が増えるのは正直勘弁だ。
「男子って今度の体育柔道やるの?」
ヒロミが話しに入ってきた。
「そうそう、ヒロミも柔道着を用意しておけよ」
「ヒロミは女子だぞ」
「わかってるって、女子は次の体育って何やんの?」
「多分バスケだと思う」
「いいなあ、俺もバスケの方がやりてえわ」
「僕は柔道をやってみたいけどね」
「じゃあ交代しようぜ」
長谷川は本当に柔道をやりたくないらしい。この様子だと当日はサボるかもしれない。確かに長谷川のような非力な男子には特に面白味も無い授業だろう。
まあ、かくいう俺も柔道は嫌な思い出があるのでやりたくない。長谷川がサボるつもりなら、ついでに俺もサボってしまおうか。
「でも柔道の授業って、護身術の意味合いもあるんでしょ?」
「あんなのが護身術になるわけねえじゃん」
この世界では男性が性的な被害を受ける場合が多い。ゆえに男子が体育の授業で柔道を習うのは護身術を身に着けさせるためだ……というのはこの世界に来てから聞いた噂だ。
しかし、実際のところ長谷川の言うように体育の授業でちょっとやっただけの武術が護身術になるとは俺も思えない。せいぜい受け身の取り方が身につくくらいだろう。
「玉ちゃんならまだしも俺みたいな雑魚が柔道やったって意味ねえんだよ、下手くそだし」
「俺も柔道は下手だぞ」
「いや、玉ちゃんの図体で柔道弱かったら詐欺だから」
ないない、と手を横に振る長谷川。
「ヒロミ、マジで俺の代わりに出てくれねえ?」
「……」
「バカ、ヒロミを困らせるな」
「いってー」
長谷川の言葉に、うつむいて真剣に考え始めてしまったヒロミに助け船を出すべく、長谷川の眉間に軽くチョップを入れると、長谷川は大袈裟に痛がった。
そんなに強くやっていないが、お調子者の長谷川らしい反応だ。
「じゃあ、サボろうぜ、玉ちゃんも一緒に」
「いいぞ」
「おっ、ノリいいねえ、玉ちゃん」
「俺も柔道は嫌いだ」
長谷川のその言葉を待っていた。一人でサボるのは勇気がいるが、二人でサボるのなら気も軽くなる。
「玉ちゃんも授業とかサボるんだ……」
「うん?」
ヒロミが少し驚いている。
授業をサボるのはいけない事だ、という自覚はあるが、必ず授業にでなければならない、と考えているほど真面目ではない。みんなそんなものだと思っていたが違うのだろうか。
「俺だって授業くらいサボるぞ」
「そうなんだ……」
「ついでにヒロミも一緒にサボるか?」
「え? 僕? うーん……」
「だから困らせるなって言ってるだろうが」
もう一度長谷川にチョップを入れる。
また軽くやるつもりだったが、思いのほか勢いが出てしまって、前頭部に強く当ててしまった。
「いって……」
「あ、すまん」
長谷川がガチで痛がっている。良いのが入ってしまったようだ。
「……許さねえ」
長谷川が恨みがましい視線で俺を見る。長谷川にしては珍しい反応だ。これは本気で怒らせてしまったかもしれない……
「玉ちゃん、お詫びに今日ゲーセンな」
「……いいぞ」
……と思ったが、どうやら長谷川の小芝居だったようだ。一瞬でも焦った自分がアホらしい。
「ついでにヒロミも行かねえ?」
「僕も? いいの?」
「いいって、格ゲーできるっしょ?」
「KORならやってるよ」
「それの新バーやりにいくから」
「あ、それなら行くよ」
長谷川とヒロミがなにやら盛り上がっている。
あいにくと格闘ゲームについてはよくわからない。俺は長谷川とヒロミのプレイを後ろから見ていることになるだろう。
学校から駅に向かう帰り道、商店街の一角にゲームセンターはある。
駅の近くにあるということで、うちの学校の生徒たちだけでなく他校の生徒のたまり場にもなっており、ときどき他校の生徒同士のトラブルの現場になったりする。
なので、生活指導の三ツ矢などは下校中に絶対に立ちよらないこと、と全校集会でいつも口うるさく言っているのだが……まあ、生活指導の言葉なんて聞き流すくらいがちょうどいいのだ。げんに俺たちがそうだし、このゲームセンターを見渡してみれば、俺達の高校の制服を着た生徒たちもちょいちょい見受けられた。
「……悪い、小便してくる」
学校から出てすぐにもよおしていたが、戻るのが面倒なのでそのままゲームセンターまで我慢していた。我慢しすぎてちょっと辛くなっている。
「俺らは先に行ってるわ、二階の格ゲーのコーナーだから」
「わかった」
長谷川とヒロミと一旦別れ、案内表示にしたがってトイレに向かう。
トイレで用を足し、スッキリしてから階段を上がった。
このゲームセンターは何度か来たことがある。格ゲーはしないが、格ゲーのコーナーの場所はおおよそ見当がついていた。
あたりを見渡し、長谷川達を探しながら歩いていると、
「は? てめえの意見なんか聞いてねえんだよ、調子に乗ってんじゃねえぞ」
何やら穏やかでない声が聞こえてきた。
まさか噂に聞いていた「トラブル」がすぐ近くで起こっているとはな。巻き込まれないように長谷川とヒロミにも注意しておこう……
「な、なんだそれ、意味わかんねえぞ!」
……と思った矢先、聞こえてきた長谷川の声。
「ハセ、もう行こうよ……」
「ナベ女はすっこんでろよ」
そしてこっちはヒロミの声だ。まさか俺が用を足している間に二人が「トラブル」の当事者になっていたとは。事情はよくわからないが、友達が困っているのを放っておくわけにはいかない。
俺はその声の方に向かった。
格ゲーの筐体の前に長谷川とヒロミがおり、他校の生徒……男子が一人、女子が二人……と対峙していた。
男子の方は耳にピアス、五分刈りを茶髪に染めた、見るからに不良。女子の方は濃い化粧をしていた。
三人とも制服を着崩しており、男の方は胸板が、女の方はブラジャーが見えてしまっている。
「おい、やめろよ……」
「テメエも舐めてんじゃねえぞ? 殺すぞ?」
「は、はあ?」
「びびってんじゃねえよ、バーカ」
五分刈り茶髪が長谷川を馬鹿にすると、その横にいる女子が「受ける~」などと言ってはやしたてている。
「とりあえず迷惑料よこせ、いくら持ってる?」
「な、何でお前に……」
どうやら五分刈り茶髪が長谷川達に一方的に絡んでいるようだ。
俺は五分刈り茶髪に横から話しかけた。
「いくら欲しいんだ?」
「あん?」
「た、玉ちゃん!」
友達のピンチを、これ以上指をくわえて見ているつもりはない。
「いくら欲しいって聞いてるんだが」
「……な、なんだてめえ」
「そいつらの友達だ、お前が迷惑料が欲しいって言うから代わりに払ってやる」
「お、おい、玉ちゃん、そいつの言うことなんか聞く必要ないだろ」
俺を止める長谷川を目で制した。
金で解決できるのならそれでいいだろう。お互いに怪我をしないのが一番だ。
「……は! てめえが払うのか?」
「そうだ、で? いくらだ?」
「……」
五分刈り茶髪が二人の女子に向かって目配せしている。何か相談したいのかもしれない。
「早く答えろ、自分で決められないのか?」
「……あん?」
しかし、こちらは友達が言い詰められているのを見て苛立っているのだ。口調も自然と責めたてるような厳しいものになってしまう。
「グズじゃないのなら早くしろ」
「……誰がグズだ? てめえも俺の事を舐めてるのか? 殺すぞ?」
「舐めてはいないが、頭は悪そうだなと思ってる」
さっきと脅し文句がほとんど一緒だ。ボキャブラリーが貧困なのだろう。
ブフッと音が聞こえた。音の方を見ると、長谷川が口に手を当て、ヒロミが顔を背けている。どうやら俺の今の一言がツボに入って吹き出してしまったらしい。
五分刈り茶髪の顔がみるみる赤くなっていく。
「……お前ちょっと顔貸せ、マジで殺すわ」
五分刈り茶髪が俺の胸ぐらをつかむと引っ張って連れていこうとした。
「おい、引っ張るな、伸びるから」
しかし、五分刈り茶髪はその場から動けなかった。
なぜって? 俺が動かなかったからだ。
さて、ここで五分刈り茶髪と俺の体格差を見てみよう。
実に頭一つ分、五分刈り茶髪の方が小さい。
「……てめえ……」
「引っ張るなって言ってるだろうが」
今度は俺の方から五分刈り茶髪の胸ぐらを両手でつかんで引き寄せた。
制服が引っ張られないようにするにはこうするしかない。
「うお!?」
五分刈り茶髪がつんのめりながら俺に引き寄せられる。
10cm近く身長差がある者同士で引っ張り合いになったらこうなるに決まってるだろう。
「は、放せ!」
「放してほしいのか?」
「放せって言ってんだよ!」
そもそも、そっちが俺の胸ぐらをつかんできたから、こういう状況になったんだが……と言いたかったが、さすがに抵抗して暴れる五分刈り茶髪をいつまでも掴んでおくわけにはいかない。
俺は突き飛ばすように五分刈り茶髪の胸ぐらから手を放した。
途端にバランスを崩し、五分刈り茶髪は床に勢いよく倒れ込んだ。
「痛てえ!」
「リョウ君!?」
茫然としていた二人の女子が、悲鳴を上げて倒れ込んだ五分刈り茶髪……もといリョウ君のそばにかけよった。
「悪いな、俺も気が立ってたんだ」
一応、突き飛ばしてしまったことは謝っておこう。普通に手を放すことも出来たのだが、リョウ君への怒りから乱暴なものになってしまった。
リョウ君は倒れた際に右ひじを思い切り床にぶつけてしまったらしく、ひじをおさえながら悶絶している。きちんと受け身さえ取れれば痛い思いをすることはなかっただろうに。さてはこいつも柔道の授業をサボっている口だな。
「……さて、迷惑料の話だったな」
俺は鞄から財布を取り出し、少し迷ってから……五百円玉を一個、床に置いた。
UFOキャッチャー六回分だ。これくらいあれば十分だろう。
「ここに置いておくぞ」
しかし、三人組はこちらを見ていない。
「……おい!」
少し大きな声をあげると、三人はビクリとこちらを見た。
「迷惑料だ、これでいいよな?」
五分刈り茶髪は苦悶の表情でこちらを睨み、そばの二人の女子はブンブンと頭を縦に振った。
これでようやく終わりだ。俺は長谷川とヒロミに向き直る。
「……今日はもう帰るぞ、ゲームって感じじゃないだろ?」
「……玉ちゃん」
「うん?」
「やっぱり玉ちゃんすげえよ! 今の柔道の技だろ!?」
テンションの上がった長谷川が変な事を言い始めた。
あんなのが柔道の技なわけがない。ただ突き飛ばしただけだ。しかも相手を怪我させている。
「アホ、それよりも早く帰るぞ、ほらヒロミも」
「う、うん……あ、玉ちゃん……」
「うん?」
「助けてくれて……ありがとう」
「友達なら助けるのが当たり前だ」
「……うん」
俺は長谷川とヒロミの背中を押して足早にゲーセンを出た。
トラブルを起こしてしまった以上、あそこに長くとどまると学校なり警察なりに通報されてしまう可能性がある。いや、結構大きな声で騒いでしまったからもうされているかもしれない。
面倒な事になる前にずらかるのだ。
駅までそそくさと帰る中、長谷川は興奮冷めやらぬ様子で、柔道すげえ、とか、俺も真面目に授業を受ける、とか言い出している。
止めてくれ、さっきの出来事も相まって俺のトラウマが蘇ってしまう。
それは中学の体育の授業で柔道をやっていた時の事だ。
そのころからすでに180cm近くあった俺は、ほぼ無敵状態であった。練習で試合をしようものなら全戦全勝、相手が誰であろうとも力任せに投げ飛ばしていた。
しかし、人間調子に乗るとろくなことがない。
柔道の技術もクソもなく、ただ力任せに技をかけていった結果、ある日、俺は友達を一人怪我させてしまったのである。
体育教師からしこたま怒られ、両親とともに友達の家に行って謝罪。幸いなことにその友達は俺が故意に怪我させようとしたわけじゃないことをわかってくれて、笑って許してくれたのだが、俺はその後、ひたすら後悔の日々だった。
この事件をきっかけに、『誰かを怪我をさせるととても大変なことになること』と『俺の図体のデカさは凶器になりうる』ということを自覚し、体育の授業……特に柔道の授業では大人しくしているようになった。
長谷川に『その体格で柔道が弱かったら詐欺だ』と言われたが、俺は一言も柔道が弱いとは言っていない。『弱い』のではなく『下手』なのだ。相手に怪我をさせてしまう柔道しかできないくらいに。
「長谷川、考え直せ……柔道はサボろう、な?」
「いや、俺はやるぜ、ヒロミもやるだろ?」
「うん」
「だからヒロミは女だ……というか、ヒロミも返事をするな」
結局長谷川を説得できず、俺達はそれぞれの家路についた。
翌日、帰りのHRが終わり、帰ろうとした時、花沢がおずおずと話しかけてきた。
「あのさ……玉城君」
「なんだ?」
「その……多分嘘なんだろうけど……」
「……?」
「昨日、人を殺したって本当?」
「……はっ!?」
あまりに突拍子がなかったので大きな声を上げてしまった。
友達同士の雑談などで騒がしかったクラスが一瞬で静まり、こちらを見る。
しかし、俺と目が合うとみんなサッと目をそらす。
「……どういうことだ?」
「いや、長谷川がさ、昼休みに言ってたんだ……昨日、玉ちゃんが絡んできた不良三人を柔道の技で殺したって……」
待て、何か色々とおかしい。
俺は事情を知っているだろう人物、ヒロミを見つけ、目で問いただす。
「さ、最初は普通に話してたんだけど……何度も話していくうちに、ハセが調子に乗って、段々話が大袈裟になっていったんだ……もちろん僕は止めたんだけど、ハセは全然止まらなくて……」
……その光景が容易に想像できた。ビー玉程度の大きさだった話を雪だるま式に大きくして、両手におさまりきらないぐらいの大きさにしてしまうあいつの姿が。
「……長谷川!!」
軽く怒気をはらんだ声が、自分でも驚くくらいドスの効いたものになっていた。
クラスメイトたちは俺にビビって固まっている。
「た、玉ちゃん、落ち着いて……ハセは速攻で帰ってもういないから……」
「あの野郎、明日殺してやる……ていうのはもちろん冗談だぞ! 冗談で言ってるからな!」
「わ、わかってる! 僕はわかってるから!」
俺はヒロミの肩をゆすりながら弁解した。
つい口が滑って剣呑な言葉を吐いてしまったが、今この場ではこういう軽い冗談ですら本気にされかねない。
事実、クラスメイト達がこちらを見ながら露骨にコソコソと内緒話を始めた。
悪いことは続くもので、教室の前扉から生活指導の三ツ矢が入ってきた。
「おい、玉城彰はいるか」
クラスメイト全員が一斉にこちらを見る。
三ツ矢もこちらを見た。
「玉城、話がある、すぐに職員室まで来い」
「……」
100%昨日の事だろう。しかも恐らくは長谷川の流した噂が加味されて相当面倒なことになっているはずだ。
それもこれも全て長谷川のせいだ。
俺はヒロミの肩を掴む力を強めながらギリギリと奥歯を噛んだ。




