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買い出し(加咲たわわ)

玉城先輩と稔とともにスーパーに向かう。


「で、何を買うんだ?」

「軽食用の食材ですね、パンとか野菜とかです」


先ほどから先輩と稔は会話で盛り上がっている。稔は盛り上げ役として役目を果たしているのだろう。

……でも、


「俺はそういうのよくわからないんだが、お店だと業者とかから仕入れるんじゃないのか?」

「うちはコーヒー豆とかケーキとかは業者さんから仕入れてますけど、サンドイッチの材料とかはそこら辺のスーパーで買っちゃいますね」

「そんなものなのか……」


そこに私が入っていないのなら意味がない。

本当に自分の引っ込み思案な性分が恨めしい。私は三人以上いると会話に入っていけないタイプなのだ。稔は私と違ってどんな会話でも適当に入っていける。神様はなぜ稔にだけそんな能力を与えて、私にはくれなかったのか。

思えばはっちゃんと先輩の三人でいる時もこんな感じだ。私は適当な相槌役で、二人から話を振られれてやっと会話に参加できる……


私が自己嫌悪に陥っていると、


「加咲も買い出しを……」


先輩が私に話を振ってくれた……そう思ってすぐに返事をした。


「はい」

「はい」


返事はユニゾンになった。

稔も一緒に返事をしたのだ。


先輩がやってしまったという顔で頭をかいている。この場には『加咲』が二人いるのだ。

というか、加咲と呼ばれてなんで稔が返事をするの。会話の流れからして先輩が私に話しを振る感じだったじゃないか。

それに稔は先輩から名前で呼ばれているし……いや、待て、なぜ稔だけ下の名前で呼ばれているんだ。私やはっちゃんですら苗字で呼ばれているのに……!


「えーと……稔……」

「はい」


稔が返事をする。


「……と加咲」

「……」


私はムスっとしたまま返事をしなかった。

私は自分の名前が嫌いだ。先輩に苗字で呼ぶよう頼んだのは私自身だ。でも妹が名前で呼ばれているのに、妹よりもはるかに長く先輩と出会って、たくさん遊んでいる私が苗字で呼ばれるというのもなんだか気に食わない。


「玉城さん、なんでお姉ちゃんの事を苗字で呼ぶんですか?」

「いや……以前、加咲から苗字で呼んでくれって頼まれてな……」

「あ~、そういえばお姉ちゃん、あんまり名前好きじゃないって言ってたよね」

「……」


稔は妹なんだから、もっと姉である私を立ててほしい。「私のことは加咲妹と呼んでください」とかそんな感じの事を言ってくれれば……


「じゃあ仕方ないですね、私の事は稔って呼んで、お姉ちゃんの事は加咲って呼べばいいと思います」


……本当にもう、私の思いとは真逆をいく妹。


「……稔、ちょっと」


稔の腕を掴んで強引に先輩から引き離す。



こちらの声が先輩に聞こえない距離まで離れた。


「……どういうこと? 稔は盛り上げ役でしょ?」

「いやあ、意外と盛り上がっちゃったね、私、結構玉城さんと仲良くなれた気がする」

「それじゃダメなの! 私が仲良くならなきゃいけないの!」

「うーん、てかさあ、仲良くなるのなら苗字じゃなくて名前で呼び合うとかすればいいじゃん」


稔の言うことはもっともだ。でもそれが出来れば苦労はしない。というか、稔はまだ普通の名前っぽいからいいけど、私は「たわわ」なんだ。何かもう自分から「私はデブです」って言ってるようなものじゃないか。


「これはもうお姉ちゃんの問題だって、そこはコンプレックスを乗り越えていかないとさ」

「……」

「試しに今日だけ名前で呼んでくださいって言ってみたら? 意外としっくりくるかもしれないじゃん」


しっくりくるだろうか。正直こない気もする。でも妹だけ名前呼びというのだけは私の気持ちが許さない。


「……わかった、頼んでみる」

「そうそう、あとお姉ちゃんももっと会話に入ってよ、これも私じゃなくておねえちゃんのせいだからね」

「……だって、タイミングがつかめないんだもん」

「……はあ、お姉ちゃん引っ込み思案だからねえ」


なんで妹に呆れられないといけないんだろう……引っ込み思案なのは事実だけど。


「じゃあもうわかった、私はずっと後ろ歩いて黙ってるから、これからはお姉ちゃんと玉城さんで会話して」

「え? そ、それは……」


いきなりハードルがかなり上がった気がする。私と先輩の二人きりで会話だなんて……出来るだろうか?


「仲良くなりたいならそれくらいやらないと、ほら、行くよ」

「……う、うん」


妹に文字通り背中を押されながら、私達は玉城先輩の元に戻った。



「……先輩、今日だけはたわわでお願いします」


戻ってきてから開口一番、私は先輩にお願いした。


「わかった……えーと、たわわ」

「……はい」


先輩も少し言いにくそうに私の名前を呼ぶ。

たわわ、か……久しぶりに家族以外の人から名前で呼ばれたけど、正直、そこまで嫌な感じはしなかった。先輩が私の事をデブと認識していないせいもあるかもしれない。


改めてスーパーに向かって歩き出そうとしたが、玉城先輩が足を止めた。


「……稔? なんで後ろにいるんだ?」


先ほどまで隣にいた稔が後ろにいることに疑問を持ったようだ。


「諸事情です」

「……? まあいいか、いくぞ」

「はい」


玉城先輩は少しいぶかしみながらも歩き出した。

私も玉城先輩と同じ歩幅で歩く。


「……」

「……」


どうしよう会話がない。何を話せばいいんだろう。普段、私は玉城先輩とどんな会話をしてたっけ?

考え込むと余計に何も思い浮かばない。先輩は特に気にしていないようだが、私は会話が生まれないこの状況にかなり焦っている。


どうしよう、どうすれば……

稔の方をチラリと見たが、素知らぬ顔で私達についてきている。こういう時はちょっとフォローしてくれてもいいじゃない……


私の切実な思いは届かず、結局、特に会話も無いまま、スーパーに到着した。



スーパーに到着してすぐ、


「玉城さんちょっとすみません、お姉ちゃんと話があるので……」

「え? ああ……」


今度は私が稔に引っ張られる番だった。



「はあ……本当に何やってるの?」


二人で女子トイレに入ると、稔は大きなため息をつきながら白けた目を私に向ける。


「なんで会話しないの?」

「……だって、どんな話していいか思い浮かばなくて」

「玉城さんと仲良いんでしょ? 普段どんな会話してるの?」


それが答えられたら苦労しない。それがわからないからずっと困っていたのだ。

質問に答えない私に稔はまたも大きなため息をついた。


「はあ……なんかチラチラ私の方見るし」

「……助けてくれるかなって思って」

「それで私が話しても、お姉ちゃん話さなくなっちゃうでしょ?」


その通りだ。きっと話さないだろう。


「……もうこうなったら強硬手段でいくしかないね」

「きょ、強硬手段……?」


グズグズしている私に業を煮やしたのか、稔はしかめっ面をしながら重々しく呟いた。


「まず、二手に分かれるの、私が野菜を買う担当、お姉ちゃんと玉城さんがそれ以外を買う担当……お姉ちゃんは強制的に二人きりになるの」

「う、うん……」

「それと……ついでに手もつなごう」

「……え? ええ!?」


最初の二人きりになる、という話はまだ分かる。しかしその次の手をつなぐというのはどういうことか。稔は簡単に言っているが、決して「ついで」で済ませられることではないと思う。


「む、無理だよ……」

「無理じゃない! 多分、玉城さんは優しいからいけるって!」


玉城先輩の顔を思い浮かべる。確かに先輩は見た目と違って性格は優しいからもしかしたらいけなくもないかもしれない……ただ、私からそれを言い出すのは無理だ。そんなことができたら、ここまで苦労していない。


「……まあ、これはお姉ちゃんから言い出せないだろうから私から言ってあげる」

「う、うん……ありがとう……」


よかった、稔はその辺りの事をちゃんとわかっている。さすが私の妹。


「いい? お姉ちゃん……私はもうこれで一人で帰るから、あとは玉城先輩と二人で帰ってきてね……くれぐれも黙らないように」


稔は私の肩を掴むと念を押すように力を入れた。


「……うん」


私はそれに気圧されながら頷く。



玉城先輩の元に戻ると、まず稔が口を開いた。


「玉城さん、お願いがあります」

「もう何でも聞くぞ」


待たされていたというのに玉城先輩は寛大だ。しかもとても頼もしい事を言ってくれた。


「今日はスーパーの人が多いので、お姉ちゃんが迷子にならないようにお姉ちゃんと手をつないでください」


適当過ぎる理由で頼む稔。なんだか私の尊厳が著しく傷ついた気がする。

というか、これで断られたらどうするんだ、私が「すぐ迷子になるダメな女子高生」であると、先輩に印象付けられてしまうだけじゃないか。

私は戦々恐々としながら玉城先輩の顔をチラチラと見た。


「……ダメですかね?」

「いいぞ」


しかし、先輩は思いのほかあっさりとこのお願を了承してくれた。


「よかったね、お姉ちゃん」

「う、うん……」


あの適当過ぎる理由について色々と言いたいことはあったけど、全てのみ込んだ。世の中は結果がすべてだ。


私はおずおずと手を出した。先輩がその手を握る。

暖かくて大きい手だ。男の子の手。以前にも一度握らせてもらったことがあるが、あの時の事を思い出す。

いけない、なんだか体がカッカと熱くなってきた。落ち着け、私。


「じゃあ私は野菜を買ってきますから、玉城さんとお姉ちゃんは卵とか牛乳とかそこら辺のお願いします」


稔はそう言って一人で野菜コーナーの方に向かった。予定通り、ここからは玉城先輩と二人きりだ。


「……じゃあ、買い物するか」

「……はい」


玉城先輩に引っ張られるように乳製品のコーナーに向かった。




「卵もいろいろと種類があるな……たわわ、どれを買えばいいんだ?」

「えーと、何でもいいです……」


手をつないだ当初こそ興奮してしまったけど、しばらく歩いて、ようやく落ち着いてきた。

そして、落ち着くと今度は私に良い変化があらわれた。


「何でもいいのか?」

「はい、いつも適当に安いやつを買ってます」


スーパーまでの道中とうって変わって先輩とスムーズに会話が出来ているのだ。やはりこれは手をつないだせいかもしれない。手をつないでいると、なんだか気安い関係になれた気がするのだ。


「何してるんだ?」


私が積まれている卵のパックを取ろうとしていると、先輩が心配そうに声をかけてきた。


「奥の卵をとるんです、奥のやつの方が賞味期限が長いから」

「なるほど……」


一応、お客さんに出すものなのだし、そういうのは気にする。

しかし、なかなか卵のパックは取れない。当然だ。私は片手で取ろうとしているのだから。

両手を使えばいいかもしれないが、あいにくと先輩と手をつないでいて使うことができない。


「……たわわ、手を離せ、片手だとできないだろう」

「……」

「たわわ?」


先輩か少し呆れ気味に言うが、その声は無視する。

もちろん、先輩に強引に振りほどかれればそれまでだが、そうでもされない限りはこの手をなるべく離したくなかった。手をつないでいるおかげで、やっと普通に話せるようになったのだから。


私がなんとか片手で奥の方の卵パックを抜き取ろうと奮闘していると、横から手が伸びてきた。


「……俺が他のパックを抑えといてやるから、その間に抜き取れ」

「あ、ありがとうございます」


見かねた先輩が助けてくれたのだ。私のワガママに付き合ってくれる先輩はやっぱり優しい。


二人の協力プレイでなんとか奥の方の卵パックを取ることが出来た。なんというか、すごい充足感がある。先輩も同じ思いのようでいい笑顔をしていた。

お母さんは「二人で同じことをすると仲良くなれる」と言っていたが、案外こういうことなのかもしれない。お母さんが本当に恋愛マスターである可能性が出てきた。


「一パックだけでいいのか?」

「はい、元々……」


……今すぐ必要なものじゃないですから……という言葉をとっさに飲みこんだ。危ない、充足感を得ていたせいで口が軽くなりかけていた。「必要なものの買い出し」という建前でここにいるのだ。


「元々?」

「いえ、何でもないです」

「……?」


いぶかしむ先輩を誤魔化すように牛乳売り場に引っ張っていく。



牛乳売り場に着くと、私は牛乳を一本手に取った。先輩が入れやすいよう買い物かごを傾けてくれる。

なんだかこのちょっとしたやりとりがいい。お互い何も言っていないのに通じ合っている感じがまるで恋人みたいだ。周りかもそう思われている気がする。



「牛乳はたくさん買うんだな」

「あ……」


浮かれすぎて手を止められなかった。先輩に言われて気が付いた時には、買い物カゴの中には六本も牛乳パックが入っている。


「……そうですね、はい……でも、お店プラス家用ってことなので……」


少し苦しい言い訳をした。牛乳はあまり日持ちしないから、普段の買い置きだって二本くらいなのに……


「たわわたちが飲むためのものってことか?」

「はい」

「結構飲むんだな……」

「そ、そうですか? 一日でだいたい一本くらい飲んじゃいませんか?」

「いや、うちは全然飲まないな、多分、一週間で一本くらいだと思うぞ」


私は先輩の体つきをまじまじと見つめた。

よく牛乳飲むと大きくなるというが、あれは嘘だったみたいだ。


「そ、そうですか……うちがたくさん飲むだけなのかな……」


とりあえず、この牛乳の消費方法を考えておかなくては……今日からしばらくは毎日シチューかもしれない。


「牛乳で思い出したけど、カフェオレを飲ませてもらったが、意外と美味しくて驚いたな」

「ああ……はっちゃんがコーヒー苦くて飲めないって言うんでお母さんが急遽作ったんです」


そういえば、お母さんが先輩の事を気づいたのはカフェオレを注文されたからだったっけ。


「たわわもお店でコーヒーとか淹れたりするのか?」

「コーヒーを淹れるのだけはお母さんの仕事なんです、私と稔は軽食作ったり買い出ししたり、配膳とかお会計とかしたり……」


お母さん曰く、私と稔がコーヒーを淹れるのはあと十年必要らしい。別に私も稔も喫茶店を継ぐ気なんかないから淹れられなくてもいいけど。


「……すごいな、たわわ」

「え?」


先輩がこちらをじっと見ていた。それもなんだか感激しているような目で。


「べ、別にすごくないですよ、家の手伝いをしているだけです……」

「俺からしてみれば働いてるだけでもすごいけどな、接客とかもするんだろ?」

「はい、一応……」


まさかこんなことで先輩から褒められるとは思わなかった。中学校の頃から嫌々やらされていたが、やってよかったと今初めて思った。


「たわわはいつお店の手伝いをするんだ?」

「えーと……お母さんに手伝いを頼まれた時に稔と交代でやっているので、具体的にいつとかは私にもわからないです」


基本的には土日だが、時たま平日も呼ばれることがある。お客さんの入り次第なのだ。


「そうなのか……たわわが手伝いをしている時に是非もう一度行きたいんだ、その時になったらラインで連絡くれないか?」

「いいですけど……私の接客なんて面白くないですよ?」


私は接客が苦手である。

妹やお母さんから私の接客は無愛想だと良く言われる。実際、お客さんとおしゃべりする二人と違って私は淡々とコーヒーを運んだりするだけだ。

せめて明るく振る舞え、とも言われるが、根暗にムチャブリをしないでほしい。


「いや、たわわの接客を受けてみたい、頼むぞ」

「は、はい……」


まさか先輩が私を目当てにうちの喫茶店に来ることになろうとは……どうしよう、いつも通りでやっていいのだろうか? いやそれよりもまず、ちゃんとオシャレな私服を用意しておかないといけない。

なんだか今から緊張してきた。また稔に協力を仰がねば……


「あの、他の物も買いましょうか」

「そうだな」


とにかく、このことは帰ってから稔に相談しよう。あとついでにお母さんとも


それから私たちは世間話をしながら、残りの必要な物……本当は特に必要のないものではないのだけれど……を買い物カゴに入れ、レジに持って行った。



「稔は? 一緒に会計しなくていいのか?」


先輩が稔の事を思い出したようだ。私はスマホを確認すると、稔からメールがあった。


『じゃあ頑張ってね』


と一言だけ。


「えっと……稔はもう会計を済ませて帰ったみたいです」


稔は予定通り行動している、ということだろう。


「帰っちゃったのか、俺達がモタモタしすぎてたかもな」

「予定通りだから大丈夫です」

「予定通り?」

「あ、いえ、こっちの話です……」


危ない、またも口が滑ってしまった。

幸いにも先輩は少し不思議そうな顔をしたが、あまり気に留めなかったようだ。


「じゃあ、俺達だけで会計するか、お金は?」

「あ、私が出しますから」

「大丈夫か? 結構買った気がするが」

「レシートをお母さんに見せればお店のお金から補充できるから大丈夫です」


買い出しの時はいつもこの方法で清算している。稔もきちんとレシートをもらっていることだろう。お母さんはこの辺りシビアで、レシートを持っていかないと半分しかお金をくれない。お母さん曰く「これも社会勉強!」らしいけど。


さて、私はこれから財布からお金を出さなければいけないわけだけど、そうすると一つ問題が生じる。片手では財布からお金を出せない、すなわち、先輩と手を離さなければならないのだ。


しかし、いつまでもレジの前にたむろしづづけるわけにもいかない。

私は泣く泣く先輩から手を放した。手の温かみがなくなり、代わりに冷たい貨幣を掴む。


私が会計を済ませている間、先輩は買ったものをテキパキと買い物袋に入れていく。これもなんだか恋人の共同作業みたいでちょっと嬉しい。


さて、喜んでいるのもつかの間、私はこれからもう一度先輩と手をつながなければならず、それをするためには、私が自分からお願いしなければならない。

しかし、先輩と手をつなぐことによって得られる温もりを考えれば、いくらでも勇気が湧いてくる。


「先輩……」

「うん?」


先輩に手を差しだした。先輩の顔は見れないので目はそらしている。


……まあ「いくらでも湧いてくる勇気」を全て出し切ってもここまでが限界だ。むしろ引っ込み思案の根暗デブオタクがここまでやれたことを賞賛してほしい。


しかし、先輩はちゃんと察してくれたようで、私の手を握ってくれた。

私の手に温かみが戻ってきた。




「……そういえば、たわわに聞きたいことがあったんだが」

「はい、なんですか?」


手をつなぎながら歩くうちへの帰り道、先輩が口を開いた。


「たわわのお母さんってなんて名前なんだ?」

「お母さんの名前?」


何でそんなことを聞くのだろう。親しい間柄でもあまり家族の名前に興味なんかでないと思うんだけど……


「お母さんの名前はみちるといいますけど……」

「ミチル……ちなみに漢字で書くと?」

「満足の満です」


名前だけでなく、漢字まで聞いてきた先輩は、なぜかしたり顔で頷いている。もしかしてお母さんに気がある……? いや、さすがにそんなことはないと思うけど……


「たわわのおばあちゃんの名前もついでに教えてくれ」

「お、おばあちゃんですか? えーと……」


今度はおばあちゃんである。

どうやら、お母さんに気があるとかではなく、本当に私の家族に興味があるらしい。

しかし、おばあちゃんの名前を急に聞かれても、思い浮かばなかった。だって普段は「おばあちゃん」としか呼んでいないし。


「すみません、先輩、おばあちゃんとしか呼んだことなくて、名前が出てこないです……」

「……いや、わからないのならいいんだ」


なんで私の家族に興味があるのだろう。


「たわわ、もし子供が生まれたらその子の名前はもう決めているか?」

「え? こ、子供ですか?」


先輩が突拍子もない事を言い出した。子供? 私の家族の話から急に子供?


「そうだ、子供だ、ちなみに俺はもうたわわの子供の名前をほぼ決めにかかっている」

「え? え? 子供? 私の?」

「そうだ」

「それを先輩が? え? それって? え?」


しかも私の子供の話らしい。おかしい、先輩の話をつなげると私の子供の名前を先輩が決めた、という話をしている。なんだそれは。普通子供の名前というのは親がつけるものだ。先輩が私の子供の名前をつけるというと、私の生んだ子供の親が先輩ということになるわけで、それはつまり家族でいうところの私がお母さん、先輩がお父さんになるということになってしまうのではないか? もう簡単に言ってしまうと夫婦だ。


もしかして家族の名前を聞いてきたのはそういうこと……?


「まあこれは俺の予想だから気楽に聞いてくれ」

「は、はい……」


気楽に聞けるものか。背筋を伸ばしてきちんと聞き届けなければならない。


「候補は色々ある、富という字とか潤という字とか盛るという字とかだ」

「ど、どれも良い名前だと思います!」

「だろう?」


あまり今風じゃないけど、名前というのは一生ものだ。私のような女を増やさないためにきちんと考えなくてはいけない。


「問題は読み方だな……女の子らしい読み方を出来るようにすべきだろうし」

「お、女の子……ですか?」

「ああ、女の子が生まれた場合な」

「……先輩は女の子がいいんですか?」

「というか、女の子以外考えてない」

「な、なるほど……」


私、頑張って女の子を産みます! どうやればいいのかわからないけど、お母さんが「うちは女系家族だ」とか何とか言っていたし、多分、加咲家は女の子が生まれやすいと思うからその辺りは大丈夫です!


「『盛』という字でサカエと読ませるのはどうだ?」

「盛ちゃん……良い名前だと思います!」

「そうか、じゃあその名前予約な、命名者は俺だから」

「はい!」


まさかこの年で自分の子供の名前が決まってしまうなんて思わなかった。でもいい。だってこれはもう先輩からのプロポーズ的なものだと思うし……まだ恋人にすらなっていないし、色々とプロセスをすっ飛ばして何かおかしい気がしないでもないけど、今、この時の幸福感の為にその辺りは深く考えないことにする。


ブルル

その時、バイブの音が鳴った。私のではない。先輩のだ。


「たわわ、もう手を放していいか?」

「あ、はい……」


名残惜しいが私は手を放した。うちの目の前まで来ていたし、どちらにせよもうそろそろ放さなければならなかったのだが、それでも一秒でも長く握っていたかった。


先輩はポケットからスマホを出して画面を見ている。


「……たわわ、この荷物、一人で持って店まで入れるか?」

「あ、大丈夫です」


どうやら、何か用事が出来たようだ。


「そうか、ちなみにカフェオレって代金いくらくらいだ?」

「え? ……えーと、多分タダでいいと思います」


はっちゃんのときもカフェオレ代は貰わなかった。というか、私や稔の友人に振る舞うコーヒーなどは基本的にタダなのだ。


「タダ? いや、それはダメだろ」

「でも、お母さん、先輩にバイト代出そうとしてましたから、ここで先輩がカフェオレ代出してもお金が行き来するだけだと思います」


それに先輩はお母さんに頼まれてバイトをしている。カフェオレ代どころか、お母さんの方がお金を払う立場のはずだ。


「それなら、カフェオレ代をこのバイトでチャラにしてくれ」

「で、でも、色を付けるって言いましたから、カフェオレ代と差し引きしても、先輩はお金貰えると思いますよ?」

「別にそこまで金は困ってないし、なんだったらたわわが貰ってくれ」

「はあ……」


そういえば、はっちゃんが言っていたけど、先輩は何かバイトをしているらしい。


「じゃあ、俺、駅前で友達が待ってるから……満さんにカフェオレごちそうさまって言っておいてくれ」

「わ、わかりました……」


荷物を渡されると、先輩は駅の方へ歩いて行った。




私は一人で店舗の裏側に回って、裏の扉から中に入った。


「あ、おかえりー」


ちょうど稔が冷蔵庫に買ったものを入れ終わったところだった。


「お母さーん! お姉ちゃんたちが……あれ? 玉城さんは?」

「用事があるみたいで、店の前で別れた」

「マジ?」


稔の声でお母さんが裏に入ってきた。


「はい、お帰り……あれ? 玉城君は?」

「用事があるから店の前で別れたんだって」

「ええ? ちょっとたわわ、なんで連れてこないの! バイト代渡せないじゃない!」


お母さんは顔をしかめた。そんなにバイト代を渡したかったのか。まあでも先輩はいらないって言っていたし、それはいいだろう。

それに今回の買い出し作戦は大成功に終わったのだ。


「お母さん」

「何?」

「お母さんの孫の名前、決まったから」

「……は?」


お母さんと稔が顔を見合わせる中、私はしたり顔で買ったものを冷蔵庫に入れていくのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たわわちゃんあまりにも好みだ……花沢さんごめん、たわわが一番かわいい。
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