買い出し(玉城)
「で、何を買うんだ?」
「軽食用の食材ですね、パンとか野菜とかです」
「俺はそういうのよくわからないんだが、お店だと業者とかから仕入れるんじゃないのか?」
「うちはコーヒー豆とかケーキとかは業者さんから仕入れてますけど、サンドイッチの材料とかはそこら辺のスーパーで買っちゃいますね」
「そんなものなのか……」
俺は今、加咲姉妹と一緒にスーパーに向かっている。
稔の話を聞く限りは、俺の役目は荷物持ち程度になりそうだ。
「加咲も買い出しを……」
「はい」
「はい」
姉妹が同時に返事をした。
しまった、いつもの癖で加咲と呼んでしまったがこの場には二人加咲がいる。
どうするか……と考えても仕方ない。加咲は名前で呼ばれる事を嫌がっていたのだから……
「えーと……稔……」
「はい」
稔が返事をする。
「……と加咲」
「……」
加咲は返事をしない。
加咲は不満げな顔を浮かべているが、同じ苗字が二人いて片方が名前を呼ばれたくないのなら、こうするしかないだろう。
「玉城さん、なんでお姉ちゃんの事を苗字で呼ぶんですか?」
「いや……以前、加咲から苗字で呼んでくれって頼まれてな……」
「あ~、そういえばお姉ちゃん、あんまり名前好きじゃないって言ってたよね」
「……」
加咲は唇を尖らせていた。より強い不満を表しているようだ、恐らくは怒ってもいるだろう……しかし、なんだかアヒル口をしているみたいで全然迫力がない、というかちょっと可愛い。
「じゃあ仕方ないですね、私の事は稔って呼んで、お姉ちゃんの事は加咲って呼べばいいと思います」
「……稔、ちょっと」
加咲が妹を連れて少し俺から離れた。
なにやら内緒話をしているようだ。
しばらくして、二人が戻ってきた。
「……先輩、今日だけはたわわでお願いします」
どんな話し合いが行われたかわからないが、加咲が己を曲げるお願いをしてきた。
まあ、本人からそうお願いされれば呼ばざるを得ない。
「わかった……えーと、たわわ」
「……はい」
本人を目の前にして名前で呼ぶのは初めてだ。今までずっと苗字で呼んでいたから少し違和感があるが、呼んでいるうちになれるだろう。
それでは改めてスーパーに出発……しようとしたのだが、俺の隣にはたわわがいるだけで、なぜか稔は一歩後ろに下がっていた。
「……稔? なんで後ろにいるんだ?」
「諸事情です」
「……?」
諸事情とは一体……先ほどの秘密の話し合いで何があったのだろうか。
「まあいいか、いくぞ」
「はい」
「……」
「……」
それからスーパーまでの道中、特に会話もなく、無事到着した。
スーパーについてから、買い物カゴをとって食料品売り場に行こうとした時、
「玉城さんちょっとすみません、お姉ちゃんと話があるので……」
「え? ああ……」
稔がたわわを連れてトイレの方に行った。またも二人で秘密の話し合いがあるらしい。
ほどなくして二人が戻ってきた。
「玉城さん、お願いがあります」
「もう何でも聞くぞ」
加咲一家からされる何度目かもわからないお願いだ。俺が聞けるものなら聞いてやるさ。
「今日はスーパーの人が多いので、お姉ちゃんが迷子にならないようにお姉ちゃんと手をつないでください」
何でも聞いてやるとは言ったが、少し面食らう願いだった。
スーパーは確かに人が多いが、迷子になるくらいの混雑かといわれるとそうでもない。日曜午後のごく普通の混み具合といえるだろう。これが活発な小学生とかならまだわかる提案だが、手を握るのは「大人しい」を絵にかいたような女子高生だ。とても迷子になるとは思えない。
しかも「妹」がそんな提案をしてきた、というのも妙な話だ。普通、こんな事を言われたら「姉」は怒り出すだろう。
しかし、たわわは特に怒り出す様子もない、というか妙にソワソワしている。
「……ダメですかね?」
稔が上目づかいで聞いてきた。
何でも聞くといった手前、断るわけがない。いろいろ疑問に思うところもあるが、とりあえず俺は首肯した。
「いいぞ」
「よかったね、お姉ちゃん」
「う、うん……」
たわわ自身も戸惑いながら手を差し出してきた。
俺がその手を握る。柔らかくて小さい手だ。
というか、本当に手をつないでいて大丈夫なのか? たわわのソワソワが手をつなぐ前よりもひどくなっている気がするんだが……
「じゃあ私は野菜を買ってきますから、玉城さんとお姉ちゃんは卵とか牛乳とかそこら辺のお願いします」
こちらの心配をよそに稔は勝手に分担を決めると、一人でスーパーの中をズンズンと進んでいった。
……まあ確かに三人いるのだから別々に買った方が効率はいいか。
「……じゃあ、買い物するか」
「……はい」
こうなってしまった以上は仕方ない。とりあえず今は買い物をしよう。
俺はたわわを引っ張るように乳製品売り場に向かった。
「卵もいろいろと種類があるな……たわわ、どれを買えばいいんだ?」
「えーと、何でもいいです……」
最初こそソワソワしていたわわも、しばらくすると落ち着きを取り戻したようで、乳製品売り場に来るころにはいつもの大人しいたわわに戻っていた。
「何でもいいのか?」
「はい、いつも適当に安いやつを買ってます」
店で出す料理の材料なんだよな……? いや、何にも言うまい。これが飲食店というものなのだろう。
まあ、フォローをしておくのなら喫茶店で美味い飯を期待する人は少ないだろうし、ある程度、適当でも許されるのかもしれない。
たわわは積まれている卵のパックの奥の方に手を伸ばした。
「何してるんだ?」
「奥の卵をとるんです、奥のやつの方が賞味期限が長いから」
「なるほど……」
たわわは片手で卵を取ろうとしているが思うように取れず、苦しそうに奮闘している。
なぜ両手で取ろうとしないかというと、片手が俺と手をつないで塞がっているからだ。
「……たわわ、手を離せ、片手だとできないだろう」
「……」
「たわわ?」
たわわは俺の言うことを無視して握る手を離そうとしない。
なんでわざわざ苦しい事をしているのかよくわからないが、握っている手を離したくないようだ。
それならば仕方ない。俺が協力してやるしかないだろう。
「……俺が他のパックを抑えといてやるから、その間に抜き取れ」
「あ、ありがとうございます」
卵パックを取るのに二人がかりだなんて傍から見たら滑稽な絵面だろうが、これも後輩のためだ。
無事に一番奥の卵を取り終えた。卵1パック取るのも一苦労だな。
しかし、こんなことでもやり終えると達成感というものが生まれるもので、俺もたわわも一仕事終えたようないい笑顔になっていた。
「取れました……」
「そうだな……一パックだけでいいのか?」
「はい、元々……」
たわわが何かを言いかけて止まる。
「元々?」
「いえ、何でもないです」
「……?」
たわわが買い物カゴに卵を入れると、次はこっちです、と俺を引っ張っていく。何かを誤魔化そうとしていたようにも見えたが、一体どうしたのだろう?
牛乳売り場に着くと、たわわはこれまた奥の方から牛乳を一本、二本とカゴの中に入れていく
「牛乳はたくさん買うんだな」
「あ……そうですね、はい……でも、お店プラス家用ってことなので……」
「たわわたちが飲むためのものってことか?」
「はい」
「結構飲むんだな……」
買い物かごには牛乳パックが六本も入れられている。
「そ、そうですか? 一日でだいたい一本くらい飲んじゃいませんか?」
「いや、うちは全然飲まないな、多分、一週間で一本くらいだと思うぞ」
朝食がパンの時とかは牛乳を飲むことはあるが、俺は基本的にはあまり飲まない。というか一日で一本飲むにしても、一度に六本は買い置きし過ぎな気がするが。
「そ、そうですか……うちがたくさん飲むだけなのかな……」
たわわがちょっと考え込んでいる。
まあ、ぶっちゃけ、加咲一家が牛乳飲みまくる家庭だと言われても全く驚かない。俺はたわわと稔とたわわのお母さんの一部分を思い浮かべた。うん、むしろ納得できる。
「牛乳で思い出したけど、カフェオレを飲ませてもらったが、意外と美味しくて驚いたな」
「ああ……はっちゃんがコーヒー苦くて飲めないって言うんでお母さんが急遽作ったんです」
コーヒーを苦くて飲めない、とはあいつらしい。まあ、かくいう俺もそんなに好きじゃない。周りの雰囲気に合わせて飲むことはあるが、自分から積極的に飲もうとは思わない。
「たわわもお店でコーヒーとか淹れたりするのか?」
「コーヒーを淹れるのだけはお母さんの仕事なんです、私と稔は軽食作ったり買い出ししたり、配膳とかお会計とかしたり……」
「……すごいな、たわわ」
「え?」
俺よりも年下なのに俺よりもはるかに働き者だ。俺も一応、バイトみたいなものをしているが、あんなものとは比べるのもおこがましい。
「べ、別にすごくないですよ、家の手伝いをしているだけです……」
「俺からしてみれば働いてるだけでもすごいけどな、接客とかもするんだろ?」
「はい、一応……」
たわわの接客がどういうものかすごい気になる。引っ込み思案の少女というイメージしかないが、ちゃんと接客できるのだろうか。
「たわわはいつお店の手伝いをするんだ?」
「えーと……お母さんに手伝いを頼まれた時に稔と交代でやっているので、具体的にいつとかは私にもわからないです」
「そうなのか……たわわが手伝いをしている時に是非もう一度行きたいんだ、その時になったらラインで連絡くれないか?」
「いいですけど……私の接客なんて面白くないですよ?」
「いや、たわわの接客を受けてみたい、頼むぞ」
「は、はい……」
たわわは顔を伏せた。少し頬が赤い気がするが、もしかして照れているのだろうか。
「あの、他の物も買いましょうか」
「そうだな」
それから、俺達は喫茶店の事や学校の事など話しながら、チーズや肉類を買い物カゴにいれていった。
ひとまず買うものは揃えたので、レジの行列に並ぶ。
「稔は? 一緒に会計しなくていいのか?」
「えっと……稔はもう会計を済ませて帰ったみたいです」
たわわがスマホをいじりながら言った。
「帰っちゃったのか、俺達がモタモタしすぎてたかもな」
時々話し込むこともあったせいで、あまりスムーズに買い物をできなかった。もしかしたら稔を待たせていたかもしれない。
「予定通りだから大丈夫です」
「予定通り?」
「あ、いえ、こっちの話です……」
事前に別々に会計をするという話をしていたということだろうか。まあそれなら別にいいか。
「じゃあ、俺達だけで会計するか、お金は?」
「あ、私が出しますから」
「大丈夫か? 結構買った気がするが」
「レシートをお母さんに見せればお店のお金から補充できるから大丈夫です」
やはりたわわはしっかりしていると思う。少なくとも俺よりも。
俺が再度たわわに感心している間に会計は終わり、俺達は買ったものを買い物袋に詰め込んだ。
「先輩……」
「うん?」
たわわが視線を逸らしながらこちらに手を差し伸べている。
財布を出したり、袋に買い物を詰め込む関係上、手を放していたが、どうやらもう一度つないでほしいということらしい。
一応、「スーパーの中が混雑しているから迷子にならないため」という理由で手をつないでいたはずだが……
まあいいか、俺だって健全な男子高校生だ。女の子と手は握りたい。相手がたわわなような可愛い後輩ならなおさらだ。
俺は片手で買い物袋を持ち、もう片方の手でたわわと手をつないだ。
「……そういえば、たわわに聞きたいことがあったんだが」
「はい、なんですか?」
喫茶店への帰り道、ふと、あの疑問が思い浮かんだ。
「たわわのお母さんってなんて名前なんだ?」
「お母さんの名前?」
豊と書いてたわわ。その妹が稔。どちらも実に縁起の良い名前だと思う。そしてこの姉妹は「名は体を表す」という言葉がピッタリと合うのだ。
……とすれば、母親もそうなのでは? と思うのは自然な疑問だと思う。
「お母さんの名前はみちるといいますけど……」
「ミチル……ちなみに漢字で書くと?」
「満足の満です」
なるほど満か。確かにみちるさんは満ちている。主に胸が。
やはり俺の推測は正しかった。加咲一家の女性はみんな「名は体を表している」のだ。
こうなってくるとおばあちゃんの名前まで気になってきた。
「たわわのおばあちゃんの名前もついでに教えてくれ」
「お、おばあちゃんですか? えーと……」
たわわは少し考えた後、
「すみません、先輩、おばあちゃんとしか呼んだことなくて、名前が出てこないです……」
「……いや、わからないのならいいんだ」
『一家』ではなく、「加咲『一族』名は体を表している」説を提唱しようと思ったが、それはできなかったようだ。……いや、そんなものを提唱してどうするんだって話だが、思いついてしまったものは仕方ないだろう。
それに遡れなければ、逆の方向に行けばいい。
「たわわ、もし子供が生まれたらその子の名前はもう決めているか?」
「え? こ、子供ですか?」
「そうだ、子供だ、ちなみに俺はもうたわわの子供の名前をほぼ決めにかかっている」
「え? え? 子供? 私の?」
「そうだ」
「それを先輩が? え? それって? え?」
たわわはひどく混乱してしまった。まあ、まだたわわは高校生だし、いきなり「子供の名前を決めたか」なんて不躾な質問だったかもしれない。
「まあこれは俺の予想だから気楽に聞いてくれ」
「は、はい……」
たわわはピシリと背筋を伸ばした。あまり気楽とはいえない姿勢だ。
「候補は色々ある、富という字とか潤という字とか盛るという字とかだ」
「ど、どれも良い名前だと思います!」
「だろう?」
即興で思いついた漢字を並べてみたが、どの字も加咲一家の伝統に恥じない一文字である。たわわもこの候補たちを気に入ってくれたようだ。
「問題は読み方だな……女の子らしい読み方が出来るようにすべきだろうし」
「お、女の子……ですか?」
「ああ、女の子が生まれた場合な」
「……先輩は女の子がいいんですか?」
「というか、女の子以外考えてない」
「な、なるほど……」
もしかしたら加咲一家には男の場合にも伝統の命名法則があるのかもしれないが、今は置いておこう。
先に挙げた漢字を上手く女の子らしい名前にすると……潤という字でジュンと読ませるとのはどうだろう? ……いや、ダメだ。加咲一家の名前を鑑みるに読み方そのものが体を表していないといけない。とすると……
「『盛』という字でサカエと読ませるのはどうだ?」
「盛ちゃん……良い名前だと思います!」
たわわも太鼓判を押してくれた。
「そうか、じゃあその名前予約な、命名者は俺だから」
「はい!」
たわわがまるで秋名のような良い返事をしてくれた。相当気に入ってくれたらしい。
さて、こんなくだらない話をしていると、気が付けば喫茶店の前まで来ていた。
ちょうどその時、スマホがブルルとなった。
「たわわ、もう手を放していいか?」
「あ、はい……」
開放された手でスマホを取り出して確認すると、ヒロミからのメールだった。内容は『長谷川と駅前で合流した』とのことだ。
「……たわわ、この荷物、一人でもって店まで入れるか?」
「あ、大丈夫です」
「そうか、ちなみにカフェオレって代金いくらくらいだ?」
そもそも俺はまだこの喫茶店での清算を終えてない。
俺は財布を取り出した。
「え? ……えーと、多分タダでいいと思います」
「タダ? いや、それはダメだろ」
「でも、お母さん、先輩にバイト代出そうとしてましたから、ここで先輩がカフェオレ代出してもお金が行き来するだけだと思います」
ああ、そうか、言われてみればその通りだ。
「それなら、カフェオレ代をこのバイトでチャラにしてくれ」
メニュー表に書かれていたコーヒー代は大体500円前後だった。カフェオレはメニュー表にはなかったが、大体コーヒーと同じくらいだろう。
このバイトは30分くらいで済んだし、労働時間的にも500円程度の働きをしたと考えていいはずだ。
「で、でも、色を付けるって言いましたから、カフェオレ代と差し引きしても、先輩はお金貰えると思いますよ?」
「別にそこまで金は困ってないし、なんだったらたわわが貰ってくれ」
「はあ……」
「じゃあ、俺、駅前で友達が待ってるから……満さんにカフェオレごちそうさまって言っておいてくれ」
「わ、わかりました……」
買い物袋をたわわに渡し、駅前へと向かった。




