腕相撲(花沢)
うちのクラスではここ最近、昼休みにある遊びが流行っている。
「レディー……ゴーッ!」
向かい合う男子が机に肘をつけ、お互いの手を掴みながら力んでいる。
あたしはそうでもないが、女子によっては『くる』光景ではないだろうか。
「うっしゃあ! 勝った! これでハセの2連敗か?」
「くっそー、また負けた」
「長谷川君弱いよ~?」
「もっと頑張らなきゃ~」
勝敗がつき、周りのクラスメイト(主に女子)たちが長谷川の周りで騒ぎ立てる。長谷川は軽そうな見た目と明るい性格で女子からの人気が高い。本人は彼女持ちらしいが、あわよくば……を狙っている女子もいるだろう。
「やっぱり男相手じゃ無理だな、勝てねえ……」
「それじゃあ女子とでもやるか?」
「え? 長谷川君、私達と腕相撲するの?」
腕相撲グループはきゃっきゃっと騒いでいる。あたしはそんな様子を別のグループと一緒に見ていた。
「長谷川が女子と腕相撲やるんだってさ、奈江やってみたら?」
「はっ……」
クラスメイトの1人があたしに話を振るが、肩をすくめて答えた。
そもそも腕相撲自体に興味がない。この腕相撲ブームも騒ぎたい連中……いわゆる長谷川のグループが始めて、そのグループと仲の良い女子たちの間で盛り上がっているだけだ。
それにあたしは長谷川という男子そのものが苦手だった。どうにもあの軽薄なノリについていけない。そんなわけで、今日も適当に友達としゃべりながら昼休みを過ごす……予定だったのだが、
「よおし、花沢! 俺と腕相撲しようぜ」
まさかの長谷川からのご指名がきてしまった。
「……は?」
「腕相撲だよ、どっちが強いかやろうぜ」
「なんであたしが……」
「女子の中で一番強そうだから」
なんだ、その理由は。
まあ確かに体格を考えれば、おそらくはこのクラスの女子の中であたしが一番強いだろうけど。
「女子と腕相撲するにしても普通の女子が相手なら圧勝するだろうし、やっぱり花沢くらいのやつが相手じゃないとな」
ずいぶん個人的な理由だし、あたしが付き合ってやる必要は一切ないのだが……
周りから、気のせいでなく期待の目があたしに集まっている。ここで意地を張って断っても、空気の読めない奴と認定されるだけだろう。ただでさえバカ騒ぎが好きなうちのクラスの間で、そのレッテルを張られるのは正直キツイ。
「……わかったよ」
やれやれ、と椅子から立ち上がり、長谷川の元まで向かう。
「ただし、利き腕ではやらないからね」
「わかってる、左腕でやるってことだろ?」
「そういうこと」
これでもソフト部のピッチャーだ。もしこんな遊びで右腕を壊したら、監督に殺されるだろう。
あたしと長谷川が机の上でガッチリ手を組む。長谷川は男子の中でも華奢な方だと思っていたが、こうして組んでみると明らかにあたしよりも非力なのがわかった。
「……やべえ、花沢の握力パネエ、手が握りつぶされるかも」
「そんなことしない!」
ギャラリーがドッと笑う。いつの間にかクラス中のみんながあたしたちの事を囲んでいた。
「だれかレフェリーやってくれ」
長谷川がギャラリーに声をかけると、男子が一人、前に出てきてあたしたちの組まれた手に手を置いた。
「準備はいいな? 行くぞ……」
「おう」
「……」
特に身構える事でもない。あたしはリラックスしたままだ。
「レディ……ゴー!」
「うんんぐ!!」
「……」
始まった瞬間に腕に力を入れる。利き腕ではないために上手く力を入れられないが、それでも左腕は倒れることはなかった。
「うううぐおおお! びくともしねえ……!!」
「……」
長谷川のオーバーリアクションにギャラリーも受けている。
あたしはといえば、予想以上の長谷川の非力ぶりにかなり余裕が生まれており、長谷川のピエロっぷりを鼻で笑った。
「ちくしょー!」
「……長谷川、もう倒していいか?」
「なっ!? てめえ……」
宣言とともに長谷川の手を思い切り机に押し倒した。
周りのギャラリーたちも大いに盛り上がり、レフェリーをしていた男子が、あたしの手を持って高々と挙げる。
「はい、ゴリ沢の勝ちー!」
「花沢だ!」
ゴリ沢というのはあたしのあだ名だ。ゴリラ+花沢でゴリ沢……自分が女子に似つかわしくない体つきをしているのはわかっているが、ゴリラはなくないか、といつも思っている。まあそれを指摘するとやっぱり空気が読めない奴認定をされそうなので、言うことはないが。
「花沢パネエよ、腕折れるかと思った」
「あんたがひ弱すぎるんだろ」
長谷川が大袈裟に痛がるのを見て、ため息をついた。さっきの腕相撲もそんな力を込めたわけではない。こいつが調子に乗ってこういうことをするからあたしがゴリラだのなんだの言われるのだ。やっぱり長谷川の事は好きになれない。
「あーもうダメだ、やっぱり花沢がこのクラスで最強の相撲取りだな」
「待てよ、相撲取りは違うだろ!」
くそ! 長谷川のやつ好き勝手言って……周りがその発言で受けてるからこっちは何も言えないのに!
「でもぶっちゃけ花沢が一番っぽいよな……」
「うん、奈江って普通に力こぶ作れるしね……」
いや、力こぶだったら、他のうちのソフト部員でも作れるし、そんなすごい事じゃないから……ていうのを言えればいいのだけど、もうあたしは「そういうキャラ」なのだ。
無駄に疲れた昼休みだったな、と思いながら席に着こうとした、その時、
「あ、玉ちゃん、戻ってんだ」
「うん? ああ……」
玉ちゃん、という言葉を聞いて、動きが止まる。
「玉ちゃんいつも昼休みいねえのに今日はどうしたの?」
「別にどうってことはないが……」
長谷川の方を見ると、その隣に玉城が立っていた。
長谷川の言うとおり、玉城は基本的に昼休みは教室にいない。なにやら下級生と一緒にいるらしいという話は聞いたことがあるが、本当かどうかは定かではない。
さてそんな玉城を、長谷川がニヤニヤしながら見ている。何かを企んでいるようだが、どうせロクでもない事だろう。
「……やっぱりここは玉ちゃんだろ」
「……何がだ?」
「花沢、次の対戦相手は玉ちゃんな、玉ちゃんに勝てたら本当にクラスで最強だぜ」
ほらやっぱりロクでもなかった。
「な、何であたしが玉城君と……」
玉城と腕相撲……というのは非常にまずい。
「玉ちゃん、いいよな?」
「別にいいぞ」
長谷川の提案に玉城はあっさりと頷いた。
「……マジで、玉城君、やるの?」
「そのつもりだが……花沢は嫌なのか? それなら止めるけど」
「いや! 嫌では決してないけど……」
玉城との腕相撲を避けたい理由は、「あたしがゴリラであること」を玉城に認めさせたくないからだ。
もうすでにクラスメイトのほとんどがあたしの事をゴリラとして弄っている。しかし、そんなうちのクラスであたしをゴリラ扱いしない貴重なクラスメイト、それが玉城なのだ。これで腕相撲なんかしてしまった日には、玉城はいやがおうにもあたしがゴリラであることを認めざるを得なくなってしまう。もしそれで明日から玉城まであたしのことをゴリラ扱いしてきたら、ひっそりとトイレに籠って涙を流す自信がある。
ただ、実は心のすみで「ちょっとはやりたい」という気持ちもあったりする。なんというか腕相撲は『合法的』に男子に触れることができる、と考えられなくもないわけだ。つまり誰にも後ろ指差されることなくあの玉城と手を握れるのだから、気持ちが揺らがないわけがない。
そんなわけで、やりたくない7割、やりたい3割の気持ちが混ざり合い、踏ん切りがつかないままモジモジしていると、
「なんだ花沢不戦敗か? ……つうかお前キャラ違くね?」
「黙れ」
長谷川がチャチャを入れてきたので睨みつけておいた。キャラが違うのは当たり前だ。お前と玉城が同等だと思うな。
「それで……結局やるのか?」
「……や、やる……」
玉城に「やるのか?」と聞かれて「やらない」と言えないのがあたしだ。とりあえず空気を呼んで行動してしまう自身の性格が恨めしい。相手が玉城ならなおさらネガティブなことは言いたくない。
だが、やると言ってしまった手前、自己嫌悪に陥っている場合じゃない。なんとかして腕相撲をやりつつ、玉城にゴリラと認識されない方法を考えなければ。
……まあ、実は一つだけその方法が頭に浮かんではいる。ただ、あまり実行したくない。
あたしは何気なく自分の左手を見た。そこには手汗でじっとりした手の平があった。
「……ウェットティッシュ! 誰か、ウェットティッシュ持ってない!?」
「ど、どしたの、奈江?」
こんな手汗まみれの手で腕相撲をしようとしていたのか。玉城に「ゴリラ手汗女」なんて認識をされた日には、トイレで泣くどころか軽く二、三日は家に引きこもるだろう。
友達がくれたウェットティッシュで入念に左の掌を拭く。自分はこんな手汗をかくタイプだっただろうか? ソフトの試合だってこんな汗をかいたことはなかったはずだ。とすると、こんな腕相撲でどれだけ緊張しているのか……
「花沢、何してるんだ?」
「あ、いや、その……手汗を……」
玉城に急に話しかけられて、とっさに手汗のことを口走ってしまった。これでは手汗を拭いた意味がない。バカかあたしは。
不幸中の幸いは、玉城があまりそういうことを気にしていなさそうなところだろうか。まあ顔は平静を装っておいて、心の中でドン引きしている可能性はある。
「よし、そんじゃあレフェリーは俺がやるわ」
入念に手を拭き終えたあたしが机に肘を置くと、長谷川がレフェリーをかってでた。
「組んでくれ」
長谷川に言われて、あたしは玉城と手を組んだ。
固くて力強い手だ。これが男子の手なのか。やはり女子とは全然違う。玉城の彼女になれば、この手は毎日触りたい放題だ。
いや、そもそも彼女になれば手がを触りたい放題なんて、そんなレベルじゃなくて、もっと色々出来るのではないか? 例えばセックスとか……
「花沢」
「な、なに?」
「マジでやらないから、安心しろ」
「う、うん……」
なぜこのタイミングでそんな事を言うのだろう。もしかしたら、あたしが興奮しているよう見えたのかもしれない。いや、興奮はしていた。この腕相撲の勝負とは関係のないところで。
「いくぜ? レディ……ゴー!」
長谷川が始まりの合図を出す。
玉城は本気でやらないと言っていたが、それはこちらも同じだ。
あたしは玉城の手を握るだけで、まったく力を入れなかった。
これがあたしの考えていた玉城にゴリラと認識されず、しかし腕相撲をなんとかやり過ごす方法だ。
正直、こんなのぶりっ子がやることだし、あたしのキャラじゃないからあまりやりたくはない。だが、それでもやらねばならないことなのだ。
「……」
「……」
「おおっと二人とも動かない、互角なのか!?」
長谷川がトンチンカンな実況をしている。玉城は手にこそ力が入っていてあたしの手をガッチリつかんでいるが、あたしの手を倒そうとしない。おそらく「マジでやらない」とはこういうことなのだろう。
玉城が困惑した顔でこちらを見るが、あたしはその眼から逃れたいようなもっと見られたいような複雑な感情にさいなまれながら、玉城の方をチラチラと見るばかりだ。
「……花沢?」
「……え、な、なに?」
あたしは精一杯とぼけた。おそらく玉城はあたしがぶりっ子をやっていると見ぬいているだろうが、それでもやると決めた以上やり通すしかない。
玉城は色々と察したらしく、静かにあたしの手を倒した。
「おおっ! 決着だ……なんかちょっとあっさりじゃね?」
長谷川やギャラリーは物足りなそうな顔をしているが、そんな事は知ったこっちゃない。
キーンコーンカーン
そこでちょうど予鈴が鳴った。
クラスメイトがダラダラと自分の席に戻っていく。
あたしも席に戻り、次の授業の準備をするために机の中の教科書とノートを取り出そうとして……すぐに手を引っ込めた。正確にいうと、左手を引っ込めた。
……まだ感触が残っているこの手は、今日は夜以外使わないようにしよう。
昼休み明けの五限以降の授業中、あたしは授業の事なんか1mmも考えず、ひたすらに、どうすればソフト部の練習でグローブをはめずに済ませられるかを考えていた。