お風呂場(玉城)
この世界の男の平均入浴時間というのはだいたい15分前後なのだそうだ。この前ニュース番組でやっていた。
俺からしてみればあまりにも長く感じる。風呂なんて、身体洗って、湯船につかって、出る……この三つの工程で済む場所ではないか。そんな満喫しなくてもとっとと出ればいいと思う。俺なんて前の世界では大体5分ぐらいで済ませていた。
さて、前の世界ではカラスの行水をしていた俺だが、この世界に来てから長風呂をすることになった。別にこの世界に感化されたわけではない。もっと別の事情によるものだ。
今日も風呂に入る。身体を洗い、湯船につかった。
大体身体が暖まってきたと感じ、湯船から出ようと立ち上がったその瞬間、
「彰君、ただいまー」
風呂のドア越しから声がかかり、俺はそのまま座って湯船に逆戻りした。
「……おかえり」
いつもの帰宅時間を考慮して『ずらした』つもりだったのだが、まさかドンピシャで帰って来るとは……
「お風呂の湯加減どう?」
「……あー、いいよ」
「そうなんだ、私も早く入りたいな……」
「俺はもうすぐ出るから……」
「ああ、急かしてるわけじゃないんだ、ゴメンね」
風呂のドア越しに俺に話しかけてくる女性、俺の従姉の麗ちゃんだ。
正直、成人して社会人となっている女性相手にちゃん付けなんか気が引けるが、本人がそう呼んでほしいと頼んできたので、仕方なくそう呼んでいる。
「彰君、今日学校はどうだった?」
「あー……普通、かな?」
「そうなんだ……」
仕事帰りで疲れているはずであろうに、麗ちゃんはドア越しに俺に話しかけ続けた。答える俺も務めて会話が『盛り上がらないような』返答をしているのだが、
「もうすぐ夏休みだよね?」
「……そうだな」
「……何か予定ある?」
「とくにはないけど……」
麗ちゃんは構わずにどんどん話を振ってくる。
これが俺が長風呂をせざるを得なくなった理由だ。
すなわち、従姉が風呂場の前の脱衣所兼洗面所に居座ってしまい、出るに出られないのである。
麗ちゃんが俺の実家に下宿を始めてから一か月経つ。
この世界でも、年頃の女性と男子高校生の同居というのは親戚という部分を加味すれば許容されることだ。ちなみにこの場合、貞操の危険を心配されるのは男子高校生側である。
無論、生活圏が被るので色々と不都合が出てくる。こちらはその辺りは気を使っているが、麗ちゃんの方はというと、結構大胆にこちらに接触してくることも少なからずあった。
今この状況がまさにそうだ。ここ最近、麗ちゃんはなぜか俺が風呂に入ると決まって脱衣所に来て何やら話をし出す。
麗ちゃんが今現在、ストレスで精神を弱らせていることを知っているので、なるべく話し相手にはなってあげたいとは思うが、それはもうすでに『愚痴聞き』ということでバイトとして別にやっていることだ。
それでもまだ足りない、ということなのかもしれないが、しかし、わざわざこんなお風呂場と脱衣所ですることもないと思う。
「私ね、夏休みがちょっと取れそうなんだ」
「そう……」
こちらとしても、『居座る麗ちゃん対策』として、いろいろな作戦を実行してきた。しかし、そのことごとくが失敗に終わっている。今日も「麗ちゃんが帰ってくる前に風呂に入る作戦」を実行したのだが、ドンピシャのタイミングで帰ってきてしまった。
「彰君も予定とかないんだよね?」
「うん……」
それと、麗ちゃんは脱衣所に何かをやっている。半透明のアクリルドア越しのシルエットを見る限りはゴソゴソと何かをしているのだ。具体的に何をしているのかまでは残念ながらわからない。
脱衣所は洗面所を兼ねているし、洗顔やら歯磨きやらをしているのかもしれないが、そうだと仮定すると、そもそも俺に話しかけ続ける必要がないはずだ。
「どこかさ、遊びに行かない?」
「え?」
「お金はもちろん私が全額出すから」
「ああ、考えとく……」
バンッ
アクリルの扉に軽い衝撃が走った。ギョッとしてそちらを見ると、どうやら麗ちゃんが扉に手の平を押し付けたらしい。
まさか入ってくるつもりか? と一瞬身構えたが、どうやらそうではないらしい。
「……約束だよ? 忘れちゃダメだからね?」
「わ、わかった……」
ドア越しの声は有無を言わせない迫力があった。精神が弱っているせいか、麗ちゃんはこんな風に少し情緒不安定なところがある。俺も事情を理解しているので、なるべく刺激しないようにしていた。
「……」
「……」
しばし、会話が止まる。
俺は湯船につかりながら、シルエットをうかがっているが、麗ちゃんは一向に脱衣所から出ていく様子がない。
もういっそのこと、今この場で麗ちゃんに脱衣所で何をしているのか聞いてみようか?
今までも疑問に思っていたが、何となく聞かなかった。しかし、もういい加減、聞いてみてもいいかもしれない。
あそこでやることと言えば、風呂に入るために服を脱ぐか、先ほども挙げたように、洗面所で歯磨きや洗顔をするか、洗濯機に衣類を入れるかのどれかしかないだろう。
最初の可能性はありえない。なぜならば俺が今風呂に入っているからだ。
二番目の可能性もないだろう。俺と麗ちゃんは会話をしていたのだ。麗ちゃんが歯磨きをしていればさすがにわかる。洗顔だってそうだ。というか、そもそも麗ちゃんと話している時は、脱衣所の方から水を出す音がしない。
最後の可能性が一番あり得るが、洗濯機に衣類を入れるのにそんな時間がかかるだろうか? ネットに入れたりとか、服にあった洗剤を選ぶとか、手間はかかるかもしれないが、それでも二、三分くらいで終わりそうな気がする。そして、麗ちゃんはすでに五分以上あそこに居座っていた。
「……麗ちゃんさ」
「な、なに!? 彰君?」
こちらからか話しかけると麗ちゃんはなぜか驚いているリアクションした。俺がいるのはわかっているはずなのにどうしたというのか。
「さっきからそこで何してるんだ?」
「え? え? な、何って……な、なんのことかな?」
麗ちゃんは俺の質問の意味がよくわからなかったらしい。それにしてもキョドリ過ぎだと思う。
「いや……歯磨きとかそういうことやってるのかなって」
「あ、ああ……そういうこと聞いてたのね、そうかそうか……」
麗ちゃんはやはり大袈裟にリアクションをとると、続けた。
「べ、別に……大したことはしてないよ、ちょっとしたことを、ね……?」
「ちょっとしたこと? でもずっとそこにいるよな?」
「え? あ、うん……」
なぜか麗ちゃんの歯切れが悪い。やましいことをしているわけでもあるまいし、何を戸惑っているのだろうか。
「麗ちゃん? どうした?」
「な、なんでもないよー……あ、そうだ! 私まだ夕飯食べていなかったんだ、食べに行かなくちゃ……」
絵に描いたようなすっとぼけ方をしながら、麗ちゃんは脱衣所から出て行った。本当に何がしたかったのだろうか……?