間接キス(玉城)
「先輩っていつもおにぎりですよね」
昼飯を食っていると隣で食べていた秋名が俺の手元を見ながら言った。
「楽だからな」
俺はおにぎりにかぶりつきながら答えた。
昼休みの時間、いつものように部室棟の空き教室で、これまたいつものように秋名と加咲と三人で食事をしている。
「楽って……もしかしてそのおにぎり先輩が作ってるんですか?」
「ああ」
「すごいですね、お昼ご飯を自分で作るなんて」
秋名は感心しているが、別にすごい事をしている自覚はない。作ってるといってもおにぎり一個だけだ。
俺の正面に座っている加咲も俺のおにぎりに興味を持ったようで、身を少し乗り出しておにぎりを覗きこんできた。
「先輩のおにぎり、大きいですよね」
「そうだろう、バクダンおにぎりっていうんだ」
まあ、さすがに昼飯が普通のおにぎり一個だけなのは腹が減るので、コンビニで売っているようなおにぎりの三倍近い大きさに作っている。
「中身はなんですか?」
「今日は豚肉の生姜焼きだな」
バクダンおにぎりの中身は毎日違う。基本的には昨晩の夕食の残りが入る。
ここで俺の作るバクダンおにぎりのレシピを紹介しよう。
①『サランラップをしく』
②『その上にご飯を薄く乗せる』
③『さらにその上に昨日の夕食の残り、もしくは適当に冷蔵庫に入っている料理を置く』
④『サランラップを丸めることで球状のおにぎりを成形する』
⑤『サランラップを外し、海苔を巻く』
⑥完成
あとはこれにアルミホイルを巻いて、適当な袋に入れて学校に持っていくだけだ。簡単にできるまさに男の料理である。
面倒くさがりのうちの母親は、「弁当箱を洗う必要がない」、「自分が作らなくていい」という理由で、このバクダンおにぎりの製作を大いに推奨している。
「私なんてお昼ご飯は買っちゃいますよ」
「お前はよくそれで足りるよな」
秋名の今日の昼飯は購買で買ったクリームパンだ。昨日は確かジャムパンだった。よくそんな菓子パン一つで我慢できるなと思う。
やはり体格による燃費の差だろうか?
ちなみに加咲の弁当は二段重ねの弁当箱である。大人しい女子は小食、というイメージがあったが、加咲はそれに反して結構食う。
彼女の豊満な胸部を維持するのにはやはり多くの栄養がいるのだろう。
「実はですね……ちょっと足りないかなって思ったりもするんですよね」
「なんだ、それならもう一個くらい買ってきたらどうだ?」
「いやあ、もう売り切れてますよ、きっと」
この学校の購買はいつも昼休みが始まって30分くらいで売り切れる。早い者勝ちなのだ。
「それもそうだな、それなら食堂に行くとか……」
「食堂はほら、今からだと時間がね? それに本当にちょっとお腹が空いているだけですし」
確かに今から食堂に行っては時間がないかもしれないし、少しお腹が減っているだけで食堂のメニューというのは量が多すぎるかもしれない。
しかし、そうすると我慢するしかなくなるが、秋名は大丈夫なのだろうか。
そこで、秋名がジッと俺のおにぎりを見ていることに気が付いた。
……まさか、こいつ……
「……俺のおにぎり食うか?」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
返事が早い。待ってましたと言わんばかりだ。
そんなに俺のおにぎりが美味しそうに見えたのか。
……いや待て、このおにぎりを秋名に食わせるということは、俺が食った部分をこいつが食うと言うことだ。ということはつまり……
「……間接キスになるな」
「あ、そうですねー、本当だー、まあでもそんなことは些細なことですよねー」
秋名は急に棒読みになった。
まあそんな事だろうとは思った。
しかし、間接キスか。まさか女子の方からそういうものを求めてくるとは……いや、貞操が逆転したこの世界ならあり得る事なのだろうが、実際に自分がその体験をするとなると妙な気分だ。
求められる喜びと自分の口をつけたものを他人に食べさせるという嫌悪感がごちゃまぜになっている。
「先輩……ダメですか?」
「……一口だけな」
まあ、断るほどの事でもあるまい。それに相手は秋名だ。性欲全開の変態だが、俺にとってみれば可愛い後輩である。
そんな彼女が上目づかいでねだっているのだし、ここは応えてやってもいいだろう。
「いただきます!」
秋名は嬉しそうに大きな口を開けると、俺のおにぎりをほおばった。
「美味いか?」
「おいひいでふ」
モグモグと幸せそうに咀嚼している秋名を見ると、食べさせてやってよかったと思える。
そこで、気付いた。
あまりにも一生懸命かぶりついたせいで、秋名の口元にご飯粒がついていたのだ。
「……秋名」
「はひ」
「動くなよ」
俺は手を伸ばすと秋名の口元についたご飯粒を取ってやった。
「うう!?」
秋名は驚いたようで、食べていたおにぎりを喉に詰まらせたらしい。手元にあったペットボトルを急いであげるとがぶ飲みした。
「大丈夫か?」
「い、いきなりやるんでビックリしました……」
「そうか、悪かったな」
「……先輩、それどうするんですか?」
「うん? それ? ……ああ、これか」
秋名が指差す先には俺が秋名の口元から取ったご飯粒がある。
俺は、そのご飯粒をティッシュでくるんだ。
「えー!?」
「ど、どうしたんだ?」
秋名が急に大声を上げた。
「な、なんですか、それは!」
「なんですかってなんだ……?」
「ご飯粒を取ったら食べるか食べさせるかのどっちかでしょう! なんで捨てちゃうんですかー!」
「すまん、食べたかったのか?」
「違います! 食べさせてほしかったんです! もしくは先輩が食べるんです!」
秋名は歯を食いしばって悔しさを全開にしている。
たしかに漫画とかでよく見かける「お約束」だが、それがそんなに重要なことなのか。
ちょっと立場を変えて考えてみよう。
例えば秋名が俺の口元についたご飯粒を取って、それを自分で食べたり、俺に食べさせようとする……ふむ、悪くない。
そうか、憎からず思っている異性にこれをやられると確かにクルものがある。そう考えると秋名に対して少しサービス精神が足りなかったかもしれないな。
「まあまあ、お前の言いたいことはわかったから落ち着け」
「うぅー」
秋名は反抗心むき出しの犬のような唸り声を上げると恨みがましい目でこちらを見てきた。
お前の気持ちの察せなかったのは悪かったから、そんなに睨まないでくれ。
「あ、あの先輩……」
「なんだ加咲」
「わ、私も先輩のおにぎりを一口だけ……」
秋名に続き加咲も俺のおにぎりが欲しいとねだってきた。
まさか秋名と同じように加咲も俺と間接キスがしたいのだろうか。
いやしかし、加咲のような普通の女の子がそんなものを求めるとは考えにくいし……単に「はっちゃんも食べたし、私も気になったから一口」、みたいなものかもしれない。
「ほれ」
「ありがとうございます……」
向かいの席に座っている加咲におにぎりを向けると、彼女は身を乗り出して一口食べた。
秋名と違って控えめな一口である。
モグモグと静かに咀嚼する加咲は可愛らしい。秋名が元気が出る食べっぷりなら、加咲は癒される食べっぷりをしている。
……ところで、加咲の口元にもご飯粒がついていることに気付いた。
これは天の神様が与えてくれた、先ほどのリベンジのチャンスかもしれない。
うぬぼれでなく、加咲は俺に好意を持ってくれているはずだ。それならば、ご飯粒を取ってからの「お約束」をしても問題ないだろう。
「加咲、動くなよ」
「はい? ……あ」
加咲の口元からご飯粒を取ってやって少し考える。「お約束」だと俺が食うか俺が食わせるかのどちらからしいが……
さすがに俺が食うのはダメだろう。なんかそれはラブラブのバカップルとか、親が自分の子供相手にやるもの……な気がする。ということは食べさせてやればいいわけだ。
「加咲、食べるか?」
「あ……はい」
加咲は小さく口を開けた。
その口までご飯粒を持っていくと、加咲が静かに口を閉じた。
加咲の唇が俺の指先に少し触れる。その唇が思いのほか柔らかく、また加咲の口の動きを間近で見て、何となく加咲に色っぽさを感じてしまった。
いかん、ちょっと変な気持ちになってきた。相手は後輩の女子だというのに……
「ううううううぐぅ!!」
「うお!? な、何するんだよ」
俺の思考が変な方向に進みかけるのを止めたのは、唸り声を上げながら俺のわき腹を猫パンチで小突く秋名だった。
「……先輩のバカ!」
「はあ?」
「いつもいつも咲ちゃんばっかり優しくして!」
「何言ってるんだ、そんなわけないだろ」
「してますよ! バカバカ!」
秋名の猫パンチはまったく痛くないが、それでも何度も叩かれると鬱陶しい。そして何よりも軽く涙目になっている秋名に恨み言を言われるのはかなりこたえた。
「ま、待て……悪かったから……」
「バカバカバカ!」
こちらが下手に出て謝っても秋名の怒りは鎮まることはなかった。
というかそもそもこいつがここまで怒るのを初めてみた。
そんなに加咲を優遇しているかのように見えていたのだろうか。確かに秋名をぞんざいに扱うことはよくあったが、あれは俺なりのイジリのつもりだったのだが。
しかし、秋名が実際に拗ねてしまった以上、何とかしてこいつをなだめてやらねばならないだろう。ぞんざいに扱っていたのは秋名が嫌いだからではない。むしろ好きだからそんな風に扱いをしていた。秋名が拗ねてしまうのは俺の望むところではないのだ。
「わかった、わかった、お前にもしてやるからそれで勘弁してくれ」
「……うぅー」
秋名はまだ俺の事を睨んではいるが、猫パンチは止めてくれた。どうやらこれで納得してくれたらしい。
さて、加咲にやったことをそのままやるとなると、ご飯粒を一度こいつの口元につけてから、それをとってコイツの口に運ばなくてはいけない。
俺は自分のおにぎりの米粒を一つとり、秋名の口元に運んだ。
すると秋名は目の前にきたご飯粒をパクリと食べた。
うん? 「口元についたやつを取る」というのが重要ではなかったのか?
俺の疑問をよそに、秋名はモグモグすると、すぐにまた口を開いた。
もっと食わせろ、ということらしい。
まあ、秋名のやりたいようにやらせてやるか。
俺はおにぎりを秋名の一口サイズに合わせてちぎるとそれを口に運ぶ。
これを繰り返すこと数度。俺が「ペットのインコのエサやり」を疑似体験しているのでは?と錯覚し始めるころには、秋名の機嫌はすっかり直っていた。
「先輩、あーん……」
いつもの人懐っこい笑みを浮かべながら、食べさせて、とねだってくる秋名は少し可愛い。
しかし、秋名の機嫌が直ったのは良かった事なのだが、調子に乗り始めたこいつをいつか止めないと俺の食う分がなくなる。
「先輩っ、早くっ、あーん……」
「……あーん」
……まあ、今日くらいいいか。
俺のおにぎりを幸せそうな顔で食べる秋名を見てると、俺の腹が減ることなど些細なことのように思えてくる。
今日はこいつのこの顔を見てお腹いっぱいになった、ということにしておこう。