満員電車の中(秋名)
秋名視点
寝ぼけ眼でウトウトしながら電車に乗って、いつもの場所にいる玉城先輩の元まで人混みをすり抜けて移動した。こういう時にこの小さな身体は便利だ。
先輩を見つけた。そのまま流れるように抱きつく。先輩が何か言っていた気がするがそんなことよりも今は先輩の匂いを感じたい。
私は運がいい。
玉城先輩の広い胸に顔をうずめ、大きく深呼吸をしながら幸せを実感した。
一回深呼吸するたびに、先輩の体臭と、肌から揮発されている水分と、フェロモンとかそこら辺の良い感じの物質的なものを、可能な限り自分の中に取り込む。
男の人の匂いってなんでこんなに良い匂いなんだろう。嗅いでも嗅いでも飽きない。この匂いを嗅いでいると、安心するというか、興奮するというか……眠気も先輩の匂いによって覚めてきた。
「……大丈夫か?」
軽くトリップしている時に先輩に話しかけられた。この幸福感を逃さないためにも顔を上げたくない。しかし、話しかけられた以上、返事をしないと失礼だ。
「……ふわい?」
間を取って、鼻から下を胸にうずめたままにし、目だけを先輩に向けることにした。
「また気分悪くなっていないか?」
先輩は少し心配そうにこちらを見ている。
ああ、先輩は何て優しいのだろう。こんな下心100%で痴姦行為に及んでいるド変態に向かって、「心配」をしてくれている……
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私が先輩に堂々と痴姦できるようになったきっかけは、一週間前の満員電車に乗り合わせた時におこった。
その日、私は朝から気分が悪かった。朝ごはんに昨夜の夕食の残りの冷えた天ぷらを食べて、胃がもたれてしまったのだ。
そんな状態で、加齢臭のするOLやきつい香水のかかったどこぞの女学生などがすし詰め状態になる満員電車に乗るものだから、吐き気を抑えるのも一苦労だった。
胃の内容物が込み上げてこないよう、上を向き、口と目を真一文字に閉じていると、
「大丈夫か?」
低くよく通る声が聞こえた。
最初、その声が自分に向けているものだと気付かなかった。
「秋名さん、だよな?」
名前を呼ばれ、そこでハッと目を開けた。
そこには心配そうにこちらを見下ろしている玉城先輩がいたのだ。
「あ、え? はい……」
「大丈夫?」という問いに対して反射的に肯定の返事をしてしまったが、気分はすこぶる悪かった。
しかし、こう答えてしまうのもしかたないだろう。
何度かオカズにさせてもらっている憧れの先輩が向こうから話しかけてきたのだ。テンパらないのがおかしい。
私の返事に先輩は顔をしかめたが、すぐに私の腕をもった。
「次の駅で降りるぞ」
「え?」
「お前、顔色悪いぞ」
一瞬、「お前、ブサイクだぞ」と言われたのかと思った。
「気分が悪いんだろ?」
「は、はい……」
しかし、すぐに私のことを心配していることに気付いた。
「満員電車は気分が悪くなりやすいからな、俺も慣れないうちはよくそうなった」
「あ、はい……」
普段の私なら、ここで冗談の一つでも言ったかもしれないが、いろんな意味でそんな余裕はない。
先輩は私の顔色が悪いと言っていたが、おそらく、先輩に声をかけられたおかげでさらに悪くなっていたと思う。憧れの先輩に不意に声をかけられたせいで、私の心はかなり張りつめていたのだ。
電車が駅に到着し、止まると、乗客が乗り込んで来る前に先輩は私を連れだってホームに降りた。
「とりあえずここに座っとけ」
先輩に連れて行かれるまま、ホームのベンチまで来ると、先輩は私を座らせて近くの自販機まで歩いて行ってしまった。
……なんだろう、この状況
この時の私はかなり混乱していたと思う。『冴えない自分が憧れの先輩から心配されて優しくされる』なんて漫画の中でしか起こり得ない状況だと思っていたからだ。
「ほれ」
「へ?」
先輩が缶ジュースをこちらに差し出していた。
「スポドリなら飲めるかと思ったんだが、無理そうか?」
「あ、大丈夫です、ありがとうございます……」
かろうじてお礼をひねりだし、先輩から缶ジュースを受け取った。
先輩はそのまま私の隣に座ると、自分の分の缶ジュースを開けて飲む。
私はというと、この缶ジュースを飲んでいいか、いや、そもそもこの状況は夢かなにかではないか、と思い始めていた。
「飲まないのか?」
「の、飲みます」
先輩から急かされたと思って急いで缶ジュースを開けると、一気飲みした。もうこれが夢かどうかなんてどうでもいい。夢ならば夢でもいいし、もし仮にこれが現実だとすれば、絶対に先輩に失礼なことがあってはならない。
そう、これはチャンスだ。
彼氏を作ることなどそうそうに諦めて、お茶らけキャラで高校生活を同性と楽しく過ごそうと考えていた私にとって、私を含めた一部女子から強烈に人気のあるこの先輩とお近づきになれるチャンスなど滅多に巡ってこない。
これを機に先輩と仲良くなって……恋人、いや、そんな高望みはしない。できれば友達……いやいや、この際、すれ違いざまに軽く世間話ができる程度の仲になるだけでも十分だ。
「落ち着いたか?」
「落ち着きました!」
可能な限り迅速にハキハキと返事をする。
私が相手に好印象を与えることが出来る方法は、これくらいしか思いつかなかったのだ。
「そうか、今日はもう満員電車に乗らない方がいいだろう」
「でも、それじゃあ学校が……」
「一限はサボりだな」
先輩はそういうと、缶ジュースを傾けた。
「私はもう大丈夫なんで、先輩は先に学校に行ってください!」
本当はもっと一緒にいたいけど、先輩への印象を良くするために「良い後輩」を演じるには、こう返事をするしかなかった。
「……正直言うと、な」
「はい?」
「俺がもう今日は満員電車に乗りたくないんだ、苦手なんだよな人混みって」
先輩は遠い目をしながらそう言った。
この時、私の心の中はなんかもう大変なことになっていた。
玉城先輩は背が高くて少し強面で、クールで真面目な人だ……少なくとも、私が遠目から見ていた玉城先輩はそんな人だ……そんな人が満員電車に乗りたくないから一限をサボるという。
クールで真面目な人が見せる些細なワガママ、正直これでご飯三杯はいける。
「……というわけで、秋名さんも俺と一緒に一限をサボってくれ、秋名さんだけ先に学校に行ったら俺が満員電車に乗らなくて済む理由がなくなる」
「わかりました! お付き合いします!」
二人で一緒に学校をサボるなんて相当仲良くないとできないことだ。もしかしたら、私と先輩の仲は三段飛ばしくらいで近づいているかもしれない。
「しかし、明日からどうするかな」
「明日から、ですか」
「明日も秋名さんは満員電車に乗るだろ? また気持ち悪くなるかもしれない」
「あ……」
どうやら先輩は明日以降の私の心配までしてくれているらしい。
クールで真面目だけど、学校をサボるのに躊躇がないくらいのフランクさを持っていて、そして私なんかに優しい……なんだこれは、先輩は漫画から出てきたのか。それともこれはやっぱり夢で「私の理想的な彼氏」が目の前にいるだけなのか。
もう夢ってことで良い気がしてきた。多分、学校に着くころには夢から覚めて、現実で大遅刻してる、とかそんなオチなんだろう。
「……それならお願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「満員電車に乗ってる時、先輩に掴まってていいですか?」
まあ、まず断られるだろう。これが夢の世界でもない限り、彼女でもない女にそんなことお願いされて受け入れる男なんていない。
「いいぞ、それくらいなら」
ああ、そうだったこれは夢の世界なんだった。だったら当然こんなこともOKされるに決まってる。それならもうちょっと過激なやつもかませるだろうか。
「掴まるっていうか、抱きつく感じでもいいですか?」
「抱きつく?」
「こう、先輩を抱きしめる感じで」
私は先輩の腰に腕を回す姿をジェスチャーで表現した。
これはもうセクハラ、というか痴姦行為に近い。断られる以前に相当仲が良くないと冗談としても処理されないレベルだ。これが現実世界なら私は明日から学校に行けなくなるだろう。
私の言葉に、先輩が少しきょどった。ちゃんとリアリティのある反応させるあたり、さすがは私の夢だ。
「あー……俺は別に構わないが、秋名さんはいいのか? 友達とか彼氏とかに見られたら変に誤解されるんじゃないか?」
おいおい、どうした私、全然リアリティのある反応じゃないぞ。なんでこの空想の先輩は私の提案を受け入れちゃっているんだ。もしかしてかなり欲求不満なのか、私は? 一日のオナニーの回数を増やさないといけないかもしれない。
「全然大丈夫ですよ、友達に見られても自慢できますし、私、彼氏なんていませんし」
「自慢? 自慢……そうか、この世界の女子はそういう発想になるのか」
先輩はブツブツと呟くと、軽く頭をかいた。
「わかった、明日も俺はこの電車のこの車両にいるから、もし乗り合わせたら、抱きつくなり何なりしてくれ」
「わかりました、思いっきり抱きつきますね」
「はは、そうか」
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当然のことだが、この出来事は夢ではなかったわけで、私は自覚のないファインプレーによって「男子の先輩に抱きついて登校する」という恐らく全国の女子校生垂涎のシュチエーションを手に入れたわけだ。
「また気分悪くなっていないか?」
「はいじょぶでふ」
「そうか……息が荒かったから、もしかして、と思ったんだが……」
「……」
「それならもう離れてもいいんじゃないか?」
「……ふごくひぶんがわるふなっへひまひた」
そして、手に入れてしまった以上、こんな美味しい立場を手放すつもりはない。今先輩に抱きついているみたいに意地でもしがみ続けるぞ、私は。
一週間前の出来事以来、私と先輩は仲良くなった……というか、私の方から超積極的に先輩に絡むようになった。
ラインも交換したし、先輩の家の住所も抑えた。昼休みの時間は先輩のところに押しかけて一緒に食べて、下校時も可能な限り一緒になるように心がけている。
先輩はガンガン来る私に少し戸惑っていたようだが、それでも私の事を受け入れてくれた。
これは私の考察だが、多分玉城先輩は女に対しての免疫が皆無に等しいのだと思う。
例えば、「どこまで触って怒られないか」という実験を行ってみた時、なんと先輩はお尻を触るところまで許してくれた。
常識的に考えて、腕を触るだけでもギリギリ、肩でも揉もうとすれば引っ叩かれても文句は言えない。にもかかわらず、先輩は腕を掴んでも「手をつなぎたいのか?」と聞いてきたり、肩を揉んでも「気が利くな」と逆に褒めてきたりする。
背中を触ってみた時は拒絶する仕草を見せたが、それは「くすぐったいから」であって「嫌だから」ではないらしい。試しに「くすぐったくないように触ったら触らせてくれますか?」と聞いてみたところ「それなら別に……というか俺の背中なんか触って楽しいか?」と逆に聞かれてしまった。
本当に今までどうやって生きてきたのかすごい気になる。全寮制の男子校の生徒でもここまで女に対して無防備な男性は生まれないだろう。
ここで、私にはとある野望がムクムクと盛り上がってきた。
本当に、本当にあわよくばだが……私は玉城先輩とセックスが出来てしまうかもしれない。
第一希望はもちろん恋人関係だが、別にセフレでもいい。というか自分よりもはるかに上等な男子をセフレにするとかすごく憧れるからむしろセフレがいい。でも身体だけの関係はさみしいので今のこの仲の良さをキープした状態で、の話で。
「そろそろ着くぞ」
「はあい」
「もう離れてもいいんじゃないか?」
「むりでふ」
私はこの最高の時間を一秒でも長く満喫するため、また顔をうずめた。