久しぶりの従姉弟(麗)
私はどこで間違えたんだ。
実家で荷物をまとめながら、考える。
今日、会社から「本社から営業所に転属せよ」と業務命令が下った。
営業所は県を超えるため、実家から通勤するのは困難になる。なので、近くの社員寮に住むことになった。
今、この荷造りはそちらに引っ越すためのものだ。
うちの会社は基本的に転勤はない。入社する時もそういう契約だった。
しかし、私は転勤する。
問題を起こしたからだ。
私は直属の上司と最近まで……この一か月まともに会話もしていないけど……不倫をしていたのだ。
きっかけは飲み会だった。前々から素敵な人だと思っていた私は、積極的に話しかけ、酔ったフリをして絡んでもみた。
今にして思うと、あれが酔ったフリだと、上司も気づいていたのだろう。
とにかく、その場の雰囲気というか、そういうので、終電を逃したことを口実にホテルに泊まった私たちは、そのまま不倫交際がスタートした。
最初は幸せだった。彼も奥さんと離婚して、私との結婚を真剣に考えてくれると言ってくれた。
でも、破たんは数か月後に突然訪れた。
彼が、急にメールで返信をしなくなったのだ。さらに仕事場で話しかけても、事務的な対応しかされず、飲みや遊びの誘いも無視されるようになった。
結局、私は遊ばれただけだったのだ。
2週間前、「本当に私たちは終わりなのか」と私は上司に迫った。その時に上司が私に向かって吐いたセリフが今でも忘れられない。
私はあの時の事を思い出して衝動的に衣類が入ったバッグを蹴ってしまった。
涙があふれる。あの日以来まともに寝ていない。親に心配され、病院に行ったら軽度の鬱だと診断された。
元々仕事のストレスを不倫で解消していたところがあり、その支えすらなくなった私は、自分でも驚くほど簡単に壊れてしまったらしい。
会社の方も、ある程度事実関係は把握しているらしく……というか、上司が冷たくなったのは会社に不倫がばれたから、ということもあるらしい……会社は「私の病気を慮って仕事の少ない営業所への転属を命じた」という大義名分を掲げて移動命令を下したのだ。
しかし、こんなもの誰がどう見たって不倫行為への制裁人事だ。
不倫をしたのは上司も一緒だが、会社が切り捨てたのは私の方だった。
いっそ会社を辞めてしまおうか。
どうせ営業所の窓際族への左遷だ。それにきっと、営業所の方でも遅かれ早かれ私がなんで左遷されたのか、その事実が広まってしまうだろう。私はこれから不倫女として、会社で後ろ指を指されながら過ごさなければならないのだ。
私はその場にあった適当なノートの1ページをちぎった。
あんな会社への退職届けなんてこんなので十分だ。
退職届けを書くためのペンを探そうと机の引き出しを開き、ガサゴソと中を探っていると、一枚の封筒が引き出しの奥から出てきた。
これなんだっけ?
封筒を手に取り、表を確認すると、下手くそな字で「れいちゃんへ」と書かれていた。
思い出した。これは私が人生で生まれて初めて貰ったラブレターだ。まあ、生まれて初めてというか、今現在これ以外のラブレターは貰ったことがない。
無くしたと思っていたが、どうやら引き出しの奥の方に入っていたらしい。
中身を見る。そこにはつたない字で私への思いが綴られていた。
『れいちゃんへ、彰です。ぼくはれいちゃんがすきです。』
『れいちゃんはいつもぼくとあそんでくれて、ぼくはうれしいです。』
『れいちゃんとはこれからもずっとなかよくしてきたいです。』
『だかられいちゃん、これからもずっといっしょにいましょう。』
書いてくれたのは従弟の彰君だ。もう何年も会っていない。高校くらいの頃はよく遊んであげていたのに。
彰君は可愛かった。犬のように私の後をついて来て、私の事を慕ってくれた。あの頃はまだ小学生だったが、将来はかなり有望になる体格だったと思う。
私は何度もラブレターを読み返す。ここには私の事を好きだということしか書かれていない。ラブレターなのだから当たり前だ。しかし、それでもここに書かれているのは彰君の本当の気持ちのはずだ。
会いたい。彰君に。
別に会ってどうということはない。こんな何年も前のラブレターの事なんて、彰君本人すら忘れている可能性がある。
だが、今の私には、このぬくもりが必要だった。
そこでふと、思い出した、確か彰君の家は……
彰君の家の住所と転勤を命じられた営業所の住所を確認する。同じ県の同じ市内だ。
……これは運命かもしれない
転勤を命じられたのも、ラブレターを見つけたのも、その二つの住所が同じなのも、全ては運命、そう考えると何もかも納得がいく。
私は携帯電話で彰君の家に電話をした。
数年ぶりに会う彰君は私の予想以上に成長していた。
背は私よりも全然大きくなって、落ち着いた雰囲気を漂わせている。なんだか大人みたいだ。
「久しぶり……ですね、どうぞ」
「うん、お邪魔します」
彰君の案内で家に入る。
「ゴメンね、休みの日なのに……何か予定とかあった?」
「いえ、特には……」
「そうなんだ」
「はい……」
だが、なんだか一歩引かれている気がする。なんで彰君は敬語なのだろう?
「何か必要なものとかあったら言ってください、用意しますから」
「あ、大丈夫、こっちで買うからさ」
「そうですか」
「……おばさんたちは?」
「今二人とも出かけてます、家は俺一人です」
そうか、今この家には私と彰君と二人きりなのか。それはとても好都合だ。
「いつ以来かな」
「え? ああ、多分最後に会ったのは俺が小学生の頃……じゃないですかね」
早速彰君にラブレターの話をしようと思ったが、どうも彰君は私に対して緊張しているようだ。まずはその緊張をほぐさなくては。
「……ねえ、さっきから気になってたんだけど、彰君、昔から私に敬語で話してたっけ?」
「あー……違ったかも」
「でしょ? いいよタメ語で」
少し緊張が解けたのか、彰君が頭をかきながら笑った。
可愛い顔だ。大人びた雰囲気にまだあどけなさを残している。あのクソみたいな……いや「みたいな」ではない。あの「クソ上司」とは比べ物にならない。なんで私はあんな男を素敵だと思っていたのだろう?
「大きくなったね、彰君」
「そうか?」
「うん、子供のころから大きい子だったけど、もっと大きくなった……私と遊んでる時はずっと私の後ろについてきてさ、なんか大型犬みたいで可愛かった」
私は昔を懐かしみながら彰君の二の腕を擦る。
相手は現役男子高生。承諾を得ずに二の腕なんて触れば、下手するとクハラで訴えられる。でもきっと大丈夫、彰君は身内だし、なによりも私の事が好きなはずだから。
男の魅力は二の腕だ。強く抱きしめられるとそれだけで軽くイケる。あのクソ上司は二の腕だけは魅力的だったが、そんな数少ない長所も、彰君の完璧な二の腕の前にはカスのようなものだ。
彰君は私のセクハラにされるがままである。やっぱり私の事が好きに違いない。
「……彰君」
「うん?」
「子供の頃の事、覚えてる?」
「……えーと……」
「あのね、彰君、私にラブレターくれたんだよ」
私は本題を切り出した。
「ああ、それは覚えてる」
「そっか」
よかった。彰君は覚えていてくれたんだ。
私は二の腕を擦るのを止めると、持ってきたバッグから例のラブレターを取り出した。
「これは……」
「彰君からのラブレター」
彰君がギョッと目を剥いた。
「なんて書かれているか読むね」
彰君と私の大切な思い出だ。二人できちんと共有しなくてはいけない。
「……は? ちょっと待て!」
手紙を広げようとした手に、彰君の手がかぶさる。大きな手だ。男の子の手である。
「な、なんでそんなことするんだ? お、落ち着いてくれ」
「彰君の方が慌ててるように見えるけど」
彰君はなんでそんなに焦っているんだろう? 昔彰君が書いてくれたものを読むだけなのに。
「とにかく、音読なんかしないでくれ」
「これは……」
「え?」
「私にとって、このラブレターは思い出なの」
なんで読まないで欲しいのか理解できない。これは私にとっての大切な思い出なのだ。彰君も私に対し意地悪するのか?
いや、もしかしたら彰君はこのラブレターの中身を覚えていないのかもしれない。覚えていないから変な事を書かれていないのか心配で、読んでほしくないのかもしれない。
「彰君、このラブレターに何て書いたか覚えてる?」
「えーと……なんて書いたかな、小学校くらいの頃だしあんまり……」
やっぱりそうだ。でも大丈夫。
「じゃあ思い出してもらうために音読するね」
「待て、それなら俺が普通に読むだけでいいんじゃないか!?」
「……麗ちゃんへ、彰です、僕は麗ちゃんが好きです」
「ちょ、ちょっと待ててっば……」
彰君が手紙を強引に引っ張る。直感的に破れることを悟った私はすぐに手を離した。
「まったく、人の恥ずかしい過去を音読しないでくれよ」
「麗ちゃんはいつも僕と遊んでくれて、僕はうれしいです」
「……え?」
「麗ちゃんとはこれからもずっと仲良くしてきたいです」
「ま、まさか……手紙の内容、覚えてるのか?」
「だから、麗ちゃん、これからもずっと一緒にいましょう」
彰君の質問に、手紙の内容を暗唱することで答えた。
「麗さん、意地悪しないでくれ」
彰君が弱った顔で懇願してきた。
なんだそれは、意地悪されているのは私の方だ。世間からも、そして彰君からも。
というか……
「……さっきから思ってたけど、なんで私の事、麗さんって呼ぶの? 前は麗ちゃんだったよね? その手紙みたいに」
「え、いや、さすがに大人の女性をちゃん付けで呼ぶのはどうかと思って……」
「昔みたいにちゃん付けでいいよ、そう呼んで」
「わ、わかった、麗ちゃん」
彰君は少しづつ昔を思い出してくれる。そうだ、彰君は私の事を麗ちゃんと呼ぶのだ。そして彰君は私の事が好きなんだ。
「麗ちゃん、ラブレターの内容はもう思い出したから読まなくていいから……」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、私の事好きだよね?」
「は? 何言ってるんだ?」
「私の事嫌いなの?」
なんで好きと言ってくれないの? もしかしてまだ照れてるの?
「嫌い……じゃないぞ」
「じゃあ好きなんだよね?」
やっぱり照れてるんだ、そうに違いない……
「麗ちゃん、その……俺たち従姉弟だよな?」
「そうだよ」
「従姉弟で好きとか嫌いとかっていうのは……ちょっと、おかしいんじゃない……かな?」
私は彰君の言葉にガツンと殴られたような……夢から現実に引き戻される感覚に陥った。
そうだ、おかしい。相手は従弟だぞ。いくら私にラブレターを送ってくれたとしても、それは私の望んでいる好きじゃない……それなのになんで私はあんなに一人で盛り上がっていたのだろう。
やっぱり私は壊れてしまっているんだ。
「……そうだね、私おかしいよね」
「え、あ、うん……」
「……ゴメンね、私、今本当に頭おかしくて……お医者さんからもお薬貰ってるんだ」
「う、うん……」
私の告白に彰君は引いている。おばさんには事情を説明したが、彰君には伝えていなかったようだ。
「その……何か病気なのか?」
「軽度の鬱なんだって」
「そうなのか……」
「ここに来たのも、本社にいられなくなって、営業所に転勤することになったからなの」
私は情けない気持ちでいっぱいになった。年下の男の子に自分の弱さを吐露している。お姉さんぶっていたのがバカのようだ。
「麗ちゃん……疲れてるのなら、もう休んだ方がいい」
彰君はこんな私に優しい言葉をかけてくれた……いや、違う、これは「お前はおかしいのだからもう寝ろ」と言ってるのかもしれない。
「彰君、私の事ウザいと思ってる?」
もう恥も外聞もない。彰君から好かれるどころか嫌われてしまったら、本当に生きる意味を失ってしまう。
お願い、嫌いにならないで、ウザがらないで……
「ウザくなんかない」
彰君はクソみたいな私の質問をはっきりと否定で答えてくれた。
「俺の方こそ、麗ちゃんがそんな風になってるって知らなくて悪かった」
「ありがとう……」
彰君は優しい。私のような情けない見かけだけの大人よりもはるかに大人だ。
「彰君は優しいね、私よりも大きくなって、きっと私よりも大人になっちゃったんだ」
「そんなことないって」
彰君がはにかんだ。可愛い。写真に撮ってずっと持って歩きたい可愛さだ。
「……彰君、お願いがあるの」
「うん」
「ちょっと愚痴を言いたいんだけど、聞いてくれない?」
「それくらいならお安い御用だ」
彰君に甘えたい。優しくて可愛い年下の彼。私の事を許容してくれる存在。それが彰君なのかもしれない。
「私ね、不倫してたの」
「え? うん……」
私はあのクソ上司にやられたことを話した。自分の中にたまっていた鬱憤を全て彰君にぶつけた。
「その人、別れ際に私になんて言ってきたと思う?」
「さあ……?」
「お前はどうせ、俺の身体目当てなんだろ? って言ってきたの……私は! 別に! 身体目当てで付き合ってたわけじゃないのに!」
「お、落ち着け、麗ちゃん……」
「そりゃあ会うたびにエッチしたけど! そんなの恋人なら普通じゃん! 向こうだって勃ってたんだよ!? それなら向こうも、したかったって事じゃん!」
「麗ちゃん、とりあえず声を抑えよう……」
「男とエッチしたいだけなら風俗行くよ! どんだけバカにされてたの私は!?」
言ったぞ! 言い切ってやった! 少し良い身体をしていたからって、お高くとまっていたあのクソ上司! 地獄に落ちろ!
全てを出し切り、怒りの感情が収まると、次は唐突な寂しさが私の心の中を吹きすさんだ。
こらえようのないほどの涙が目から溢れ出てくる。
「ううぅ……その後……ひっく……不倫関係だったことが会社にバレて……私だけ左遷されたの……」
「そうなのか……麗ちゃんだけ左遷されるってのは、ちょっとひどいと思う」
彰君は私と思いを共感してくれている。私の代わりに怒ってくれている。そう思うとクソ上司によって空いてしまった穴が、彰君によって満たされるような感じがした。
もうとめどなく涙があふれる。止められない。全身の水分がここから出て行ってしまうのではないかとさえ思えてきた。
瞬間、私の身体が暖かい何かに包まれた。
見上げると、そこには彰君がいた。そして背中がさすられる。
そこで分かった。私は抱きしめられているのだ。彰君の太い二の腕に。
彰君の匂いと二の腕に包まれながら、私は彰君の胸で泣いた。
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「ありがとうね、彰君」
「どういたしまして、大丈夫か?」
「うん」
あれから十分ほど経って、ようやく私の涙は枯れ果てたらしい。涙と一緒にストレスもどこかに流されてしまったのか、私は物凄く久しぶり晴れやかな気分になっている。
「……ごめんね」
「え?」
「服濡らしちゃって」
あと情けない姿を見せて。
「ああ、いいよ別に」
彰君は気にしないで、と言っているが、服にははっきりと私の涙と鼻水の後が残っている。
私は財布から万札を三枚取り出して、彰君に握らせた。
「……これクリーニング代」
「いや、いいって、こんな部屋着クリーニングなんかにださないし……」
「ううん、受け取って、愚痴聞き代も含まれてるから」
これは感謝の証だ。正直、三枚でも足りないと思っている。だけど、あんまり大きなお金を渡しすぎて、彰君が引いてしまっては困る。
彰君は握らせたお札を見て、呟いた。
「……麗ちゃん、お札間違えてないか?」
「……あ、ゴメンね、足りなかったよね」
何やってるんだ私のバカ。些細な事なんか気にせずに素直に財布の中身を全て渡せばよかったじゃないか。
「違う! そうじゃなくて、これ一万円札だぞ!?」
「そうだよ、3枚じゃ足りなかったよね?」
「いや、足りないとかじゃなくて……多すぎるんだよ、なんであんな愚痴聞いただけで3万円も……」
愚痴を聞いただけじゃない。彰君の胸を借りた。
私はやったことないけど、男子高生と援助交際した経験を持つ会社の先輩の話では、だいたい3万前後が相場らしい。
彰君はそこら辺の男子高生よりもはるかに高貴な存在だから、やっぱり3万円くらいじゃ足りないだろう。
「とにかくこれはもらえないから……」
「お願い受け取って!」
それでも返そうとしてくる彰君に、私は土下座して懇願した。
「れ、麗ちゃん、なにやってるんだ……」
「そのお金は本当に私からの感謝の気持ちなの、受け取って下さい、お願いします」
受け取ってもらわなければ私の気が済まない。これを突き返されたもう何を信じればいいのかわからなくなる。
「……わかった、じゃあとりあえず、受け取っておくから……」
「ありがとうございます」
「麗ちゃんの気持ちはよくわかったから、もういい加減顔上げてくれ……」
土下座している私のそばに片膝を立てながら、彰君が座った。
彰君が近くにいる。それだけでも幸せだ。
だけど、もっとたくさんの幸せが欲しい。
「……実はね、彰君にお願いがあるの」
「何? 何でも言ってくれ」
「……また、私の愚痴を聞いてほしいの、彰君に言うと、すっきりするから」
「そんな程度なら簡単だ、いつでも言ってくれ」
彰君は私のお願いを躊躇せずに快諾してくれた。
「ありがとう、彰君、またお金払うから」
「いや、もうお金はいいから……」
「ううん、払わせて」
彰君に甘えてばかりではうざがられかねない。「お金を払う」という代償行為は必要なものだ。
それに……私はそばまで来ていた彰君の膝を手で擦る。
「これはお礼だから、私の感謝の気持ち……」
「う、うん……」
手を少しずつ上げていき、彰君の厚い太ももを撫でた。
こんな良い身体の男子高生を放っておけるわけがない。あのクソ上司では比較にならない極上の身体だ。
今はお金を払って抱かれるだけだが、いずれ、親密な関係になれば、お金の額次第で乗っかることだって……
「彰君、これからよろしくね」
「よ、よろしく……」
これから始まるであろうバラ色の生活と、甘い展望を抱きながら、私は彰君の太ももを撫で続けた。