久しぶりの従姉弟(玉城)
ピンポーン
俺の家のインターホンが鳴った。
『今日、麗ちゃんが来るからね、ちゃんとおもてなししてあげるのよ』
今朝、母に言われたことを思い出す。
早速ドアを開けて、島崎麗を迎え入れた。
「あ、彰君ひさしぶりだね」
ドアの向こうにいたのは、落ち着いた色の服を着た大人の女性だった。
少し乱れた髪に化粧っ気もあまりない。そして柔和に笑う彼女の眼もとには少しクマがある。まだ20代のはずだが、俺が満員電車で見かけるような、どこか疲れた雰囲気を漂わせている。
昔見た麗とはだいぶ違うが、それでもどこか彼女の面影はあった。
「久しぶり……ですね、どうぞ」
「うん、お邪魔します」
麗の変化に少し戸惑いながらも、家の中に麗を招きいれる。
彼女は靴を脱ぐと、おずおずとリビングに入った。
麗は俺の従妹である。母の姉の娘で、年は10くらい離れている。
昔はよく遊び、「れいちゃん」「あきらくん」と呼びあう仲だった。しかし、俺が小学校高学年になる頃には、麗の大学進学にともない疎遠となり、さらに麗が就職してからは会っていない。
そんな麗だが、仕事の関係でしばらくうちに泊まることになったらしい。今日は両親とも外に出る用事があったので、代わりに俺が出迎える手はずになったのだ。
「ゴメンね、休みの日なのに……何か予定とかあった?」
「いえ、特には……」
「そうなんだ」
「はい……」
いかんな、どうにも会話がぎこちない。
麗と会うのが久しぶり過ぎてどんなふうに会話していたか忘れてしまった。多分、敬語では話していなかったはずだが、どうにも相手が大人にみえてしまって敬語で話してしまう。
「とりあえず、ここが麗……さんの部屋です」
「うん、わかった」
空き部屋……応接室代わりに使う和室に案内する。6畳の部屋で住む分には問題ないだろう。
「何か必要なものとかあったら言ってください、用意しますから」
「あ、大丈夫、こっちで買うからさ」
「そうですか」
「……おばさんたちは?」
「今二人とも出かけてます、家は俺一人です」
さて、どうするか。
このまま和室に案内し、俺は外に出るなり自分の部屋に戻るなり、リビングでくつろぐなりすることはできる。
ただ、それをするには気が引けた。
母親からの言いつけがあるのだ。
『麗ちゃんね、最近仕事が忙しくて疲れてるんだって、あんた、麗ちゃんと仲良かったし、ちょっと麗ちゃんを励ましてあげてくれない?』
こんなことを言われて放っておくのは忍びない。実際、今の麗は「苦労してます」と顔に書かれているように見える。
しかし、励ますとは具体的に何をすればいいのか。遊びにでも誘うか? いや、疲れている相手を余計に疲れさせるかもしれない。というか、まず麗との接し方を思い出さなければ……
「いつ以来かな」
「え? ああ、多分最後に会ったのは俺が小学生の頃……じゃないですかね」
「……ねえ、さっきから気になってたんだけど、彰君、昔から私に敬語で話してたっけ?」
「あー……違ったかも」
「でしょ? いいよタメ語で」
そうだ、何をテンパっているんだ、俺は。
相手は年こそ離れているが従妹だ。かしこまる必要などない。
「大きくなったね、彰君」
「そうか?」
「うん、子供のころから大きい子だったけど、もっと大きくなった」
確かに俺は子供のころから図体だけはデカかった。そんな俺が順調に成長した結果、やっぱり図体がデカいだけの俺がいる。
「私と遊んでる時はずっと私の後ろについてきてさ、なんか大型犬みたいで可愛かった」
そんな風に思われていたのか。
まあ、心当たりはある。あの頃の俺は麗に対して憧れと好意が混じったような感情を抱いた。今となっては恥ずかしい記憶だが、一度、麗にラブレターを出したことさえあるのだ。
「大きくなったね、彰君……」
麗が俺の二の腕を擦った。
まあ、小学校の頃に比べればはるかに大きいだろう。
「……」
「……」
無言で二の腕を擦り続ける麗。なぜか遠い目をしている。
やはり麗は疲れているのだろう。俺の薄い記憶の中にいる麗はこんなことするような女性ではなかった。俺の二の腕程度で癒されるのならば存分にさすればいいと思う。
「……彰君」
「うん?」
「子供の頃の事、覚えてる?」
「……えーと……」
「あのね、彰君、私にラブレターくれたんだよ」
「ああ、それは覚えてる」
「そっか」
麗は腕を擦るのを止めると、バックをゴソゴソとあさり始めた。
「どうしたの?」
「……これ」
麗がバックから取り出したのは一枚手紙だった……なんだか見覚えがある。
「これは……」
「彰君からのラブレター」
やっぱりそうだ。話の流れからしてもそうでなければおかしい。
個人的には黒歴史なので見せないでほしいのだが……
「なんて書かれているか読むね」
「……は? ちょっと待て!」
手紙を広げる麗の手を止める。
「な、なんでそんなことするんだ? お、落ち着いてくれ」
「彰君の方が慌ててるように見えるけど」
慌てるに決まってるだろう。見せられるだけでも恥ずかしいのに音読するとはどういうことか。俺を苦しめるだけの拷問である。
「とにかく、音読なんかしないでくれ」
「これは……」
「え?」
「私にとって、このラブレターは思い出なの」
それは良かったと思うけど、それが俺を辱める理由にはならない。
「彰君、このラブレターに何て書いたか覚えてる?」
「えーと……なんて書いたかな、小学校くらいの頃だしあんまり……」
「じゃあ思い出してもらうために音読するね」
「待て、それなら俺が普通に読むだけでいいんじゃないか!?」
なぜ音読にこだわるんだ。麗は俺をイジメて楽しいのか。
「……麗ちゃんへ、彰です、僕は麗ちゃんが好きです」
「ちょ、ちょっと待てってば……」
こちらが止めるのを無視して麗が手紙を音読し始めた。
向こうがその気ならこちらも強硬な手段に出るしかない。
とにかく読ませなければいいのだ。ちぎるつもりで手紙を引っ張った。
意外な事に、麗はあっさりと手紙を離した。
「まったく、人の恥ずかしい過去を音読しないでくれよ」
「麗ちゃんはいつも僕と遊んでくれて、僕はうれしいです」
「……え?」
麗から手紙を奪ったのに麗が手紙の音読を止めない。適当に言っているのかと思ってラブレターを見てみると、まったく同じ事が書かれている。
「麗ちゃんとはこれからもずっと仲良くしてきたいです」
「ま、まさか……手紙の内容、覚えてるのか?」
「だから、麗ちゃん、これからもずっと一緒にいましょう」
麗は、手紙の暗唱を続けることで俺の質問の返事をした。
どうやら麗の口をふさがないとこの責め苦は終わらないらしい。
「麗さん、意地悪しないでくれ」
身内とはいえ女性だ。あまり乱暴なマネをするわけにもいかず、懇願する形で止めるしかない。
「……さっきから思ってたけど、なんで私の事、麗さんって呼ぶの? 前は麗ちゃんだったよね? その手紙みたいに」
「え、いや、さすがに大人の女性をちゃん付けで呼ぶのはどうかと思って……」
「昔みたいにちゃん付けでいいよ、そう呼んで」
「わ、わかった、麗ちゃん」
今は麗の呼び方などどうでもいい……が、下手に麗の言葉を否定して麗の機嫌を損ねればまたラブレター音読会が始まってしまいかねない。
「麗ちゃん、ラブレターの内容はもう思い出したから読まなくていいから……」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、私の事好きだよね?」
「は?」
麗は一体何を言っているんだ?
確かに麗にラブレターを書いたが、それは10年近く前の話だ。さらにいえば「異性としての好き」ではなく「憧れからくる好意」だった。
「何言ってるんだ?」
「私の事嫌いなの?」
いや、従妹相手に好きも嫌いも無いだろう……と思った矢先、麗の目が座っていることに気付いた。
「嫌い……じゃないぞ」
下手に否定できない空気を察し、なんとか濁した回答で誤魔化す。
「じゃあ好きなんだよね?」
だからなんでそんなに極端なんだ。
というか麗はなぜ「俺が麗のことを好きかどうか」にそんなこだわる。久しぶりに会った従弟にする質問じゃない。
もしかして、俺が知らないこの世界の常識があったのか?
この世界は男女の貞操観念が逆転している世界だと思っていたが、もしかして身内への貞操観念とかもおかしくなっていたりしたのか?
「麗ちゃん、その……俺たち従姉弟だよな?」
「そうだよ」
「従姉弟で好きとか嫌いとかっていうのは……ちょっと、おかしいんじゃない……かな?」
恐る恐る聞いた。もしこれで麗が「何言ってるの? 普通の事じゃない」なんて返してきたら、俺はどうすればいいかわからない。
「……そうだね、私おかしいよね」
「え、あ、うん……」
麗はあっさりと俺の言葉を肯定した。
よかった、おかしいのはこの世界じゃなくて麗の方だったんだ。
いやいや、なに安心してるんだ俺は? 「自分がおかしい」と自己申告した身内が目の前にいるんだぞ、まだ全然安心できるような状況じゃない。
「……ゴメンね、私、今本当に頭おかしくて……お医者さんからもお薬貰ってるんだ」
「う、うん……」
俺の従姉がとんでもないことをカミングアウトしてきた。なんだか状況がどんどんおかしくなっている気がする。本当に俺はどうすればいいんだ。
「その……なにかの病気なのか?」
薬をもらっているということは、病気なのかもしれない。もし他人に移る病気とかだったら、こんなところじゃなくて病院に入院した方がいい。
「軽度の鬱なんだって」
「そうなのか……」
鬱病は心の病気と聞いたことがあるが、薬とかも飲む病気なのか、初めて知った。
「ここに来たのも、本社にいられなくなって、この近くの営業所に転勤することになったからなの」
「……その……俺の母さんとかもそのこと知ってるのか? 麗ちゃんが、その病気だってこととか……」
「うん、私が説明したから」
麗はうつむきながら声をくぐもらせている。
どうやら母親の『疲れている』というのは俺に対して柔らかい表現を使ったものらしい。
「麗ちゃん……疲れてるのなら、もう休んだ方がいい」
鬱病患者に「励ます言葉」は逆効果だと聞いたことがある。母親め、危うく地雷を踏むところだったぞ。
「彰君、私の事ウザいと思ってる?」
麗が顔を上げる。その瞳はすがるように潤んでいた。
「ウザくなんかない、俺の方こそ、麗ちゃんがそんな風になってるって知らなくて悪かった」
ラブレター音読会は正直堪えたが、麗の精神が不安定だったということならば奇行に走るのも仕方ないことだろう。
「ありがとう……彰君は優しいね、私よりも大きくなって、きっと私よりも大人になっちゃったんだ」
「そんなことないって」
身内がこんなに弱っているのなら優しくなるのが普通だ。俺が特別優しいというわけではないだろう。
「……彰君、お願いがあるの」
「うん」
「ちょっと愚痴を言いたいんだけど、聞いてくれない?」
「それくらいならお安い御用だ」
そんなことで麗の気がまぎれるのならば喜んで聞こう。
「私ね、不倫してたの」
「え? うん……」
急にヘビーな話しになった。いや、鬱病の告白だけでも割と心にきてたが、そこからさらに威力の高いパンチが俺の心をえぐりにきた。
「相手はね、同じ会社の人」
「うん……」
「その人ね、いつか私と結婚するって言ってくれたの」
「うん……」
「でもね、嘘だったんだってさ、若い女と遊んでみたかったんだって」
「うん……」
俺は単調な相槌を打つ事しかできない。
だってそうだろう。どこの世界に不倫の愚痴に的確な受け答えができる高校生がいるのだ。
「私さ、彼と結婚するために色々頑張ったんだ、お金が必要だって言われた時は貸してあげたし、彼が喜ぶことなら何でもしてあげたの」
「うん……」
「それなのにさ、ある日突然、メールの返事をしてくれなくなってさ、会社で話しかけても仕事の話以外は一切してくれなくなって……」
「うん……」
「そんな日が続いて、耐えきれなくなって……どういうことなの?って問い詰めたの」
「うん……」
「そうしたら、お前はただ遊びだって、そう言われたの」
「ああ……麗ちゃん、大丈夫か?」
麗が鼻呼吸を始めた。見た目から明らかに興奮し始めている。
「その人、別れ際に私になんて言ってきたと思う?」
「さあ……?」
「お前はどうせ、俺の身体目当てなんだろ? って言ってきたの」
本当になんだそのセリフは?
……あ、そっか、この世界、転送観念が逆だった。
「私は! 別に! 身体目当てで付き合ってたわけじゃないのに!」
「お、落ち着け、麗ちゃん……」
麗が急に大声を上げた。かなり興奮しているようだ。
「そりゃあ会うたびにエッチしたけど! そんなの恋人なら普通じゃん! 向こうだって勃ってたんだよ!? それなら向こうも、したかったって事じゃん!」
「麗ちゃん、とりあえず声を抑えよう……」
従姉がとんでもないことを大声で叫んでいる。家の中にいるとはいえ、この声量は近所に聞かれてもおかしくない。
「男とエッチしたいだけなら風俗行くよ! どんだけバカにされてたの私は!?」
あ、やっぱりこの世界だと女性向けの風俗が一般的なのか。どんな感じなのかちょっと気になる。
「ううぅ……その後……ひっく……不倫関係だったことが会社にバレて……私だけ左遷されたの……」
俺がこの世界の一面に感心している間に、麗は泣き出していた。
「そうなのか……麗ちゃんだけ左遷されるってのは、ちょっとひどいと思う」
「……仕方ないの、相手は部長だから」
上司と不倫してたのか。麗ちゃん、俺はもうお腹いっぱいだ。
肩を震わせて泣きじゃくる麗を見ると、憐れみの感情しか生まれない。不倫の時点で不幸にしかならない事だったと思うが、きっと麗は真剣だったのだろう。
俺は麗を無言で抱き寄せた。
秋名が言っていたのだが、女子は男子に抱かれると安心するものらしい。
「……彰君……」
麗は真っ赤な顔で俺を見上げた。
俺は麗の背中を擦ることで答えた。
麗が俺の胸に顔をうずめて泣く。俺にできる励ましなどこれくらいしかない。
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「ありがとうね、彰君」
「どういたしまして、もう大丈夫か?」
「うん」
あれから十分ほど経ち、麗はようやく落ち着いたらしい。
「……ごめんね」
「え?」
「服濡らしちゃって」
「ああ、いいよ別に」
麗の涙と鼻水で俺の服は汚れてしまったが、部屋着だし、洗えば済むことだ。
「……これクリーニング代」
そういうと、麗はバックから財布を取り出し、お札を数枚取り出して俺の手に握らせた。
「いや、いいって、こんな部屋着クリーニングなんかにださないし……」
「ううん、受け取って、愚痴聞き代も含まれてるから」
受け取って、と言われてもな。まあ、あのヘビーな告白を聞いてあげたのだから何か俺に得があってもいいとは思うが……
俺は握らされたお札を見た。0が四つあるお札が3枚ある。
「……麗ちゃん、お札間違えてないか?」
「……あ、ゴメンね、足りなかったよね」
麗は更にお札を数枚取り出す。
「違う! そうじゃなくて、これ一万円札だぞ!?」
「そうだよ、3枚じゃ足りなかったよね?」
「いや、足りないとかじゃなくて……」
てっきり千円札を渡されたものだと思ったが、文字通り桁が違うものを渡されていた。
いくらなんでもあんなので3万円ももらえない。
「多すぎるんだよ、なんであんな愚痴聞いただけで3万円も……」
「だって私、彰君の胸に顔をうずめたし……」
そんなので3万円貰えるのなら、俺は多分定職に就かないと思う。
「とにかくこれはもらえないから……」
「お願い受け取って!」
金を返そうとする俺に、麗は躊躇なく土下座した。
「れ、麗ちゃん、なにやってるんだ……」
「そのお金は本当に私からの感謝の気持ちなの、受け取って下さい、お願いします」
土下座をしてまでお金を渡してくる人を初めて見た。多分、今後一生見る事もないだろう。
しかし、ここまで懇願されて返すわけにもいかない。いや、ぶっちゃけてしまえば3万円あげます、と言われて強く拒否できるほど、俺は心の強い人間ではない。
「……わかった、じゃあとりあえず、受け取っておくから……」
「ありがとうございます」
「麗ちゃんの気持ちはよくわかったから、もういい加減顔上げてくれ……」
土下座している麗のそばに片膝を立てながら座る。
麗はゆっくりと顔をあげると、すがるような目をしながら口を開いた。
「……実はね、彰君にお願いがあるの」
「何? 何でも言ってくれ」
3万円も貰ったのだ。俺ができる事なら何でもする。
「……また、私の愚痴を聞いてほしいの、彰君に言うと、すっきりするから」
「そんな程度なら簡単だ、いつでも言ってくれ」
時給換算にしても、3万円分なら30時間くらいは愚痴を聞いてあげなければならないだろう。
「ありがとう、彰君、またお金払うから」
「いや、もうお金はいいから……」
「ううん、払わせて」
麗は言いながら俺の膝を手で擦り始めた。
「これはお礼だから、私の感謝の気持ち……」
「う、うん……」
麗の手は段々と膝から上がっていき、俺の太ももを撫で始めた。
なんだか手つきが秋名のやるそれみたいだ……つまり、イヤラシイ感じがする。こういう事をやられると、さっきの金の意味が「感謝」だけではないように思えてくる。
「彰君、これからよろしくね」
「よ、よろしく……」
麗とはこれから一緒にこの家で住むわけだが、軽く不安が残る出だしとなった。