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夜のスカイプ(秋名)

時計は9時を指していた。

そろそろだな、と先輩にラインを送る。


『先輩スカイプしましょうよ』


返信はすぐに来た。


『これから風呂に入ろうと思っていたんだが、急ぎの用事でもあるか?』


顔が思わずニンマリとしてしまった。タイミングドンピシャ。この返事を待っていたのだ。


『いえ、まったくないです。お風呂先にどうぞ』

『わかった、風呂から出たらこっちからかける』

『(≧∇≦)b』


おっしゃ、とガッツポーズをしてすぐにパソコンをセッティングした。


この「夜のスカイプ」は私から先輩を誘うことで始まった、最近の私と先輩の日課だ。


________________________________________

先輩を誘うきっかけになったのは私の兄のライブ配信である。

私の兄は、とある動画サイトの生放送をほぼ毎日行っている。見てくれは私に似てそこまでよくないが、童顔気味でスレンダーな体つきがショタコンに受け(ネットをやってる女の八割がショタコンと言っても過言ではない)、そこそこ人気配信者となっているらしい。

正直身内でそういうのをやっている人がいるなんて、恥ずかしいから止めてほしいのだが、配信でチヤホヤされてまくっているらしい兄は、有頂天になっていて聞く耳を持たない。


それじゃあ実際どんな放送をしているのか、と思い、興味本位で兄の配信を私専用のパソコン(うちは家族に一台パソコンがある)で覗いてみたところ、兄が風呂上りの格好で歯ブラシを加えたまま画面に映っていた。

勘弁してくれ、これ以上私と家族の恥をさらすな……と思ったが、不思議なことに流れてくるコメントは好意的なものが多かった。


【たっくん可愛い☆】

【たっくんってどんなシャンプー使ってるの?】

【たっくんもうちょっと前かがみになって】


「たっくん」というのはうちの兄のハンドルネームだが、この配信を見ているショタコン達はたっくんの風呂上りの姿にたいそう萌えていらっしゃるのだ。

どこがいいんだ、と思いつつ、私は家族としてたっくんのためを思ってコメントを書き込んだ。


【あんたのためを思って言ってやるけど、風呂上りで配信すんなよ。だらしないから】


実に心温まるコメントである。

しかし、ショタコン様たちはこのコメントに、はらわたが煮えくり返ったらしい。


【ふざけんな何だお前】

【荒し? 消えろ】

【たっくんNGユーザー1人追加で】


配信は一瞬にして荒れた。

たっくんはというと、「みんな~コメントで喧嘩しないで~ニコニコしよう?」とか気持ちの悪い猫なで声を出している。配信だとぶりっ子キャラらしい。実兄のこんな姿見たくなかった。

あんまり荒してやるのも可哀そうなので、このままブラウザを閉じようとした時、とあるコメントが流れてきた。


【男の湯上りの色っぽさを理解できないとはまだまだ子供だな】


湯上りの色っぽさ?

少なくともうちの兄にそんなものはない……と鼻で笑いかけたその時、ふと玉城先輩の顔が浮かんだ。


先輩の湯上りの姿はどんなのだろう……

火照った肌、潤んだ瞳、まだ湿り気が残る髪の毛……これだ!


私はブラウザを閉じるのを止めた。別に兄の配信を見たかったわけではない。兄の配信が終わるのを待っていたのだ。

ぶりっ子をしている兄の姿を見るのは苦行以外の何でもなかったが、それもこれも全て先輩の湯上り火照り顔を見るためだ。きっと苦労した先に手に入る達成感もひとしおだろう。


「それじゃあね、みんな、ばいばーい」


枠の限界いっぱいまで行っていた配信は兄の気持ち悪い笑顔でお開きとなった。

私は早速兄の部屋に向かう。


「卓巳、入るよ」

「え? あ、ちょっと待っ……」


兄・卓巳(たくみ)の返事を待たずに部屋に押しかける。兄はパソコンを閉じながらこちらを睨んできた。


「いきなり入ってくるんじゃねえよ」

「卓巳、webカメラとマイク貸して、2台ずつ」

「は? 意味わかんねえ」

「卓巳は意味とか分かんなくていいから」


『風呂上りスカイプ作戦』

先輩の湯上り火照り顔を見るにはこれしかない。それを見るためには最低でも先輩用のカメラとマイクがいる。先輩の分だけ用意すると怪しまれる可能性があるので私の分も出来れば用意しておきたい。


「ふざけんな、出てけ」

「……」

「早く出てけよ」

「……みんな~コメントで喧嘩しないで~ニコニコしよう~」

「あん!? お前なんで!? まさかあのコメント書いたの……」

「明日の夕食で何気なくこの話題出すから」

「ふ、ふざけんな!」

「私の口をふさぐ方法はわかるよね?」


たっくんこと卓巳が私を見ながら歯ぎしりする。

「配信している」という事実だけで家族の間で肩身の狭い思いをしているのに、ぶりっ子キャラをしている、なんて事実が知れたらそのまま家族会議突入だろう。


卓巳は忌々しそうに勉強机の引き出しをあけ、中からマイクとカメラを取り出した。


「ほれ、これでいいだろ」

「2台ずつ貸してって言ったじゃん」

「……ちっ!」


大きく舌打ちし、卓巳は部屋の引き戸を開け、ガサゴソと中を漁り、しばらくしてカメラとマイクを取り出した。


「ちょっと古いやつだけど、多分まだ使えるから」

「サンキュー、この二つのカメラとマイク、しばらく借りてるから」

「はあ!? 俺も使うんだぞ!」

「じゃあ、使う時は言って、その時は返してあげるから」

「それは俺のだぞ!」

「……喧嘩しないで~」

「……わかったよ! クソバカ女!」


卓巳の協力のおかげで、私の作戦は実現に一歩近づいた。卓巳への実害? 些細なものだ。

________________________________________


作戦の下準備も時間がかかった。

まず先輩にそれとなくビデオスカイプが流行っていることを伝え、先輩をその気にさせた。その後先輩の家にお邪魔し、ビデオとマイクを渡して、そのセッティングの仕方を伝授。さらにそれから毎日夜スカイプを提案し、お風呂に入る時間をそれとなく把握……


だいたい一週間くらいかかった壮大な計画が、今成就するのだ。


私は今、パソコンの前で正座待機している。風呂上りの先輩を1秒でも長く見なくてはいけないのだ。


待つ事10分程度。ラインの着信を知らせる独特の音が鳴る。

私は即座にスカイプを開いた。


私のパソコンの画面に先輩が映った。

血流が良くなっているのか頬が赤い。いつもの三白眼は少し潤んでいる。濡れそぼった髪はタオルすらかけず、少し襟足のあたりに張り付いてた。


そうこれだ! これが見たかったんだ!


早速録画のスイッチをクリックして、スクショもとっておく。あとでスマホに送って咲ちゃんに自慢しよう。


ううん? 待てよ、よく見れば先輩は寝間着代わりの白Tを着ているではないか。これは運が良ければ乳首が透けて見えるのでは? 白Tはピッチリしているし、なんだったらちょっと肌色っぽい気がする。


一生懸命目を凝らすが、先輩の白Tから乳首らしきものは透けてこない。

くそ、私の目に問題があるのか、それともこのパソコン(発売から4年経過)の画素数に問題があるのか……こんなことなら兄貴からパソコン(最新型の超ハイスペック)も借りとけばよかった。


……だがまあいい。先輩の乳首は見えなくてもこんな色っぽい先輩を見れるんだから。

ついつい顔がにやける。おそらく先輩のこんな姿は今まで誰も見たことがないはずだ。人生で一度も彼女ができたことがないって言ってたし。


「いいですね~」


だから言葉が漏れてしまうのも仕方ない事だろう。


「あん?」

「いや、こちらの話です」


先輩は顔をしかめると、急に画面が真っ暗になった。


「ちょっと、何するんですか先輩!?」


おそらく先輩がカメラを手で隠したのだ。

しまった、欲望が駄々漏れすぎた。さすがに怒ったか?


「いや、なんでもない……」


先輩がカメラから手を離してくれた。

よかった、怒ってはいないみたいだ。

よし、このまま作戦を次の段階に進めよう。

『風呂上りスカイプ作戦』は風呂上りの先輩を見るだけで終わりではない。「風呂上り」をきっかけにしてそのまま先輩にいろんなことを聞いてしまおう、という作戦なのだ。


「先輩、お風呂どうでした?」

「良い湯だったぞ」

「ちなみにどこから洗いました?」


やっぱり定番は、どこを洗ったか、だろう。

上手く誘導して先輩にいろんなセリフを言わせてやるのだ。


「どこからだったかな……」


先輩は少し考えた後、こちらをチラリと見て押し黙った。


「どうしたんですか、先輩?」

「そんなこと聞いてどうする?」


やっべ、バレた。

最近先輩の勘が鋭くなっている気がする。もしかして、私は先輩にそういう奴だと認識され始めているのかもしれない。


「いやあ、本で読んだんですけどね、何でも最初にどこで洗うかでその人の性格が出るらしいんですよ」


だが、失敗だと嘆くのはまだ早い。先輩に気づかれてもいいようにちゃんと対策をしていたのだ。


「私は首元ですけど、これはですね、好奇心旺盛なタイプで何でも挑戦していく人なんですよ」

「……」

「先輩はどこから洗うかなーって本当に純粋に疑問に思っただけでして、これ先輩だけじゃなくて咲ちゃんとかにも聞いたんですけど、咲ちゃんは足から洗う派で……」


先輩の冷たい目に耐えながら必死に言い訳を並べるのはこれで何度目だろう。

先輩のこの目で見られると、お腹の底がズシンとくる。罵倒こそされないが、この目だけで私を追い詰めるのは充分なのだ。

だけど、最近ではこの感覚すらちょっと癖になってきた。私は軽くマゾっ気もあるのかもしれない。


「本によると足から洗う人はむっつりだそうで、私この結果を見て『この本は正確だ』って思ったんですよ、それでですね……」

「……俺は腕から洗うぞ」

「え? あ、腕ですか?」

「腕はどうなんだ?」


必死で言い訳をして気づかなかったが、先輩はいつもの優しい目に戻っていた。

私の心は安堵で満たされた。先輩はどんなに怒っても最終的には私の事を許してくれる。先輩は天然でやっているのかもしれないが、怒る時と優しくされるときのタイミングが実に絶妙だ。散々肝を冷やされてから優しく包み込まれるこの感じ、たまらない。

先輩との関係は恋人もしくはセフレ希望だったが、王様と奴隷とかでもいいと思った。


「腕はですね……おおらかな性格な人です」

「おおらか」

「はい、何でも受け入れちゃうようなタイプです」


ぶっちゃけてしまえばこの質問は前フリ。重要なのはここからだ。


「ちなみに次に洗うのはどこですか?」

「次? ……腕からそのまま肩かな」

「その次は?」

「胸とか背中とか……」

「胸!? 胸を洗うんですね!?」

「そうだが」

「どんなふうに洗うんですか!?」

「……」


来た来た、先輩の胸! 熱い胸板! 登校の時に毎日抱きついているその胸を洗うときたか!

満員電車で気持ち悪くなったあの日以来、私のオカズ率はほぼ90%が先輩を占め、その中で60%は先輩の熱い胸板である。簡単に言うと超お世話になってます。これからもよろしくお願いします。


いかん、興奮しすぎて思考が訳の分からない方向に飛んでしまった。

今はとにかく先輩の胸の洗い方について一言一句聞き逃さないようにしなければ。


「……普通にタオルで洗うだけだが」


違う、私が聞きたかったのは何で洗うか、じゃないんだ。


「洗い方の話ですよ! こう、胸の肉つきにそって洗う感じですか?」

「胸の肉つきなんて、よほど大胸筋が発達してないと出来ないぞ」

「先輩は発達していないんですか? 結構固いですよね?」

「固いのは当たり前だ、むしろ体を鍛えると柔らかい筋肉の方が発達するんだよ」

「なるほど」

「わかったか?」

「はい、それでどう洗ってるんですか?」

「だから普通に洗うって言ってるだろうが、お前と大して変わらないと思うぞ」


ぐぬぬ、そうじゃない、そんなじゃあ全然妄想できない。

もっとこうエロい感じに言ってくれないものか。

私の不満が顔に出たのか、先輩は少し呆れたような表情を作ると、すぐににやりと笑った。


「……秋名、そんな事を言うのなら、お前はどうなんだ?」

「私ですか?」

「お前は身体をどうやって洗う?」


先輩が不思議な事を聞いてきた。

私の身体の洗い方なんて聞いてどうするんだろう? 


「私はボディタオルにボディソープつけて洗いますよ」

「ボディタオル?」

「知らないんですか? めっちゃ泡立つんですよ」

「それでどうやって洗うんだ?」

「どうやってって……こう……」


私は普通にタオルで身体をこする動作をした。


「普通だな」

「普通ですよ」


当たり前じゃないか。先輩はこんなこと聞いてどうするつもりだったんだろう?

もしかして、洗い方についてしつこく聞いた私への「やり返し」のつもりだったのだろうか?

だとしたら、やっぱり先輩はどこかズレてる。というかこんなので「やり返し」になっていると思っている辺りがちょっと可愛い。


「私の事はどうでもいいので、先輩ですよ、先輩!」

「これ以上何を聞きたいんだ?」

「胸を洗ったんですよね?」

「ああ」

「その次はどこを洗いましたか?」

「それは……腹だろう」

「その次は!?」

「その次って……」


身体を上から下に洗っていく。

そうすれば当然行きつくのは先輩の股間だ。先輩は股間をどう洗うんだ。ぜひ聞かねば!


「……頭を洗うかな」

「頭!? その流れで頭ですか!? 胸と腹からきて!?」


くっ、また先輩に外された。天然なのかわざとなのかわからないが、そういう焦らしは求めてないんですよ先輩。


「悪いか?」

「……」

「頭をどう洗ったか聞きたいか?」

「……それは別にいいです」

「そうか」

「……頭の次はどこを洗ったんですか?」

「……」


こうなれば持久戦だ。先輩に股間を洗ったと告白させ、洗い方まで吐かせてやる。今日はそれが聞けるまで、絶対にスカイプを切らない!


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