文化祭編 ワンナウツゲーム(花沢)
あたしはグラウンドから校舎を見つめた。
「どうする?」
「なにが?」
栞に声をかけられて、振り返る。
「このままでいいのか?」
「……だから何が?」
「文化祭は今日一日しかないんだぞ?」
「……」
それは知っている。でもそんなこと言われてもどうにもならない。
「実はな、うちの高校の文化祭でハッシュタグが出来ていたんだ」
「……ハッシュタグ?」
「奈江はSNSをやっていなかったか? まあ、簡単に言うと検索用のキーワードみたいなものだ」
「ふーん? なんかすごいのそれ?」
「……まあ、見てみればわかる」
栞はスマホの画面をこちらに向けた。
その画面には執事服を着た玉城が、見知らぬ女子生徒と手でハートマークを作っている写真があった。
「……」
「なかなかよく撮れているだろう? その『ハッシュタグ』で検索したらこの様子だ、どうやら君のところの出し物は結構盛況らしいぞ」
「……」
「それで話を戻すが……どうする?」
あたしはがくんと肩を落とした。
文化祭は基本的にクラス単位で出し物を出すが、部活でも何らかの催しを出す場合がある。文化部なんかはだいたいそうだ。美術部は自分たちで描いた絵の展示会をしているし、吹奏楽部は体育館を使って発表会をしている。文化部だけじゃなくて、運動部もそうだ。水泳部はシンクロナイズドスイミングをやっているし、弓道部は弓道体験会なる催しをやっている。
さて、あたし達ソフト部もそんな部活と同様、文化祭では催しを行う。
それが目の前で行われている『ワンナウツゲーム』だ。ルールは簡単。挑戦者がバッターボックスに立って、外野フライ、ヒット、ホームランのどれかを出せば挑戦者側の勝ち。賞品を贈与。外野フライ以外のアウトを取られれば負けだ。ちなみに四球はフライ扱いである。
文化祭においてソフト部伝統の催しであり、一応、全国大会常連クラスのうちの学校のソフト部と対決できるということもあって、結構人気がある。ソフト部志望、もしくは他校のソフト部関係者はもちろん、競技性があって身体を動かすゲームということで、男子からもだ。
ぶっちゃけ、この「男子から人気がある」というのがみそだったりする。男子との触れ合いがほとんどない(一応男子マネはいる、本当に一応だけど)この部において、男子と触れ合える機会があるこのゲームを喜ばない部員はいない。
あたしは……別にどうでもいいと思ってる。だってそんな男子たちと付き合えるわけじゃないし。どうでもいいし。
さて、長々と説明したけど、あたしが言いたいことはただ一つ。
『ソフト部の部員は文化祭の日はほとんど一日中拘束されて、他の出し物に行くことが出来ない』ということだ。
つまり、あたしはうちのクラスの出し物である執事喫茶に関わることができない。
「……はあ」
「サボるか?」
「いや、無理っしょ」
これがレギュラーでもない一年の部員だったらこそっと抜け出しても誰も咎めないが、あたしはレギュラーの上にキャプテンで、さらに「エース」なんて役目を負わされている。
途中で抜け出せば他の部員から総スカンを食らうだろう。
「別にちょっとくらい抜けてもいいと思うがな、ほら、彼女もいるし」
栞が顎でしゃくった先には、うちの部の一年で唯一公式大会に登板経験のあるピッチャー(中継ぎ)の女子が、マウンドに立っている。彼女は一年の有望株で、次期エース候補だ。やる気のないあたしよりも断然才能があるし、早くあたしからレギュラーの座を奪って欲しい。
「そういうわけでもいかないでしょ……」
「……思うに、君は自分から貧乏くじを引きに行っているな、責任感が強すぎるのも考えものだぞ?」
そんなこと言われなくたって自覚している。欠片の自慢にもならないが、あたしは部活をサボったことは一度もない。
「……まあ、こちらからいけないのなら、向こうに来てもらうしかないな」
「……どういうこと?」
「玉城に抜け出してこちらに来てもらうのさ、いくら盛況といっても休憩時間くらいはあるだろう?」
「確か……11時から二時間休憩があったと思う」
「それだ、二時間程度の休憩なら、執事服を脱ぐことはあるまい、彼をここに呼び、存分に彼と戯れればいい」
「戯れるって……」
そりゃあ戯れられるのならば戯れたい。巨漢執事と戯れたくない女子がこの世に存在するだろうか。貧相マニアとかならありえるだろうけど、そんなのはマイノリティな性癖だ。
「さあ、奈江、今のうちにどう戯れるか考えておきたまえ」
「……いや、戯れるもなにも、玉城とどうやって戯れるのよ」
いきなり呼び出され、さああたしと戯れて、なんてお願いできるわけない。栞は色々と話をすっ飛ばしすぎだ。
本来であれば、玉城をここに呼ぶだけで満足すべきである。
「せっかくワンナウツゲームをやっているのだ、これを利用しない手はない」
「……と言うと?」
「玉城と奈江で一対一のワンナウツゲームを行うんだ、奈江が勝てば玉城を好きに出来る、という特別ルールを条件に乗せて」
「玉城がのるわけないじゃん、そんなの」
そんなの指名手配される詐欺師レベルの話術でも持ってない限り不可能だ。そんな条件で首を縦に振る男子が存在するとは思えない。例えそれがあの玉城であっても。
「玉城なら何とかなりそうな気がしないか? あの男はかなりお人好しだぞ」
「玉城がお人好しなのは知ってるけど……いや、でもだってさすがにそれは……」
「試してみる分にはタダだ、安心したまえ、私が君の代わりに彼と交渉しよう」
「……何か栞って、あたしと玉城が関わる時、妙に生き生きしてない?」
「ははは、よくわかったな、私はこうみえてもお節介焼きなんだ、女房役として君の幸せを願っているのさ」
「……」
絶対嘘だ。むしろあたしがウンウン悩んでいるのを見て、チャチャを入れるのを楽しんでいるとしか思えない。
「さあ、どうする、後は君次第だ」
「……あの玉城でも乗るとは思えないけど」
「うむ」
「……でも、物は試しだから」
栞は絶対楽しんでいるだけだろうけど、でもあたしにとって損はないことも事実だ。それならば試してみてもいいかと思う。
「ああ、それでこそ奈江だ」
栞はニンマリと笑って、手を差し出した。
「なに、その手?」
「彼を呼び出すんだ、スマホを貸してくれ」
「そこから栞がやるの?」
「君に任せたら、スマホを持ったままウンウンうなるだけだろうからな」
「……」
栞はなぜあたし以上にあたしの事をよくわかっているのだろうか。確かに栞のいう未来はあたしも容易に想像できた。
「まあ、君は11時までにどう戯れるか考えておくといい」
「……」
執事の玉城にやってもらいたい事……手を握るのは前にやったし、あまり露骨なセクハラとか出来ない。セクハラゲームの代名詞であるツイスターゲームなんかはやってみたいけど、ツイスターゲーム自体がないし……それにやるのならば、執事っぽいことをやってほしいという気持ちもある。
……それならば……
「……食べ物を食べさせてもらう、とか」
「食べ物を食べさせて……もらう? ……『あーん』というやつか?」
あたしは無言で頷いた。
栞はブフッと吹き出す。
「……なに?」
「いや、君らしいと思ってな」
「君らしいってどういう意味よ」
「こういう時に要求するものといったら頬にキスとかそういうものじゃないか?」
「……別にいいじゃん、『あーん』してもらったって……」
「今一歩踏み出せないこの感じ、実に処女らしい選択だな」
だから処女はあんたもでしょうが!
美波がコンビニの袋を持って、走って戻ってきた。
「先輩、プリン買ってきたっす!」
「うむ、ご苦労」
栞に命令されればたとえ火の中水の中、近所のコンビニにひとっ走りしていくことくらいは簡単にやってのける。それが美波という女だ。
「これで食べさせてもらうものはOKだな、玉城も来てくれるようだし……さて、お膳立ては済んだぞ、準備はいいか、奈江?」
「……準備って?」
「まずは肩の準備だ、そもそも我々の計画は、玉城がワンナウツゲームで負けることを前提にしている、君の肩が暖まっていないと、計画そのものがおじゃんだ」
ふん、あたしは鼻を鳴らし、肩を軽く回した。
不思議なことに今のあたしの肩の調子は超絶好調だ。いま試合をやらせたら完全試合をやりきる自信がある。
「大丈夫そうだな、後は心の準備といったところか」
「心の準備?」
「いざという時ヘタれるな、と言いたいのさ」
「……」
「……奈江? どうした」
「……栞、やっぱり止めない?」
「言ってるそばからヘタレてどうする」
だって、なんか、頭の中でシミュレーションしてみたら、ドン引きされる未来しか想像できなかったんだもん。
「もし引かれたらどうしよう……」
「安心しろ、引かれたところで君の評価は大して変わらないさ」
「……それ、どういう意味?」
「おや、あれは玉城じゃないか?」
「え?」
栞の見ている方向を見ると、遠目から見てもはっきりわかる『執事』が校舎からグラウンドに歩いてきていた。
「……いや、結構本格的な格好だな」
「……うわさで聞いたけど、なんか今日の日のために執事喫茶でアルバイトしてたとか……」
「……なるほど、玉城も大概アレだな」
アレってどういう意味だ……まあ、確かにその話を聞いた時、あたしもちょっと引いたけど。
しかし、実際玉城が執事喫茶に通った意味はあったとは思う。だって、今の玉城の雰囲気というか、オーラは完全に「執事」だし。あれは人気が出るのも分かる。ちょっと想像していたものを超えているし。
「さて、それでは行って来よう、いつでもマウンドに立てるようにしておけよ」
「……わかってる」
不安だった気持ちも玉城の執事姿を見たら吹っ切れた気がした。ここまで来たらもうやるしかない。まあ、あたしがやる気を出しても、玉城がこのゲームに乗るとは限らないけど……
一体、どういうことなのか。
なぜか、玉城は自分に不利にしかならないこのワンナウツゲームを受けてしまった。
傍目から見れば交渉とも言えない。むしろ栞からの一方的な要求に近かった。だが、玉城は何の躊躇もなくOKしてしまったのだ。
玉城は度胸があるというのか、ただのバカなのか……なんだか後者な気がしないでもない。あたしとしてはとても都合がいいのだけど、将来、悪い女に騙されそうで怖い。
さて、実際に勝負した結果だが……
「スリーストライク、バッターアウト……だな、玉城」
あたしと栞のバッテリーに玉城が勝てるわけがないのだ。しかも栞の配球はガチなやつで、まさか玉城相手に変化球を使うとは思わなかった。
「さて……約束通り、君には残念賞を授与したいわけだが……今さらだが、やりたくないとかそういうことは……」
「ない」
栞が玉城に確認するが、玉城は躊躇なく即答する。
本当に玉城って大丈夫なのか。まだ玉城にはあたしがしてほしい(玉城にとっての)罰ゲーム……もとい(栞曰く)残念賞の正体をしらない。にもかかわらず、「やる」と断言できるなんて。これでエロいこととか要求されたらどうするんだ。
……むしろ、いっそ計画を変更してあたしがエロい事を要求するというのは……
いや、ダメだ! 明日以降、どんな顔で玉城と顔を合わせればいいかわからない。今まで事故に見せかけてセクハラとかしたことはあって、その時は上手く誤魔化せていたけど、さすがに直接要求しては誤魔化すも何もないだろう。
「……ではこちらにきてくれ」
「どこに行くんだ?」
「部室さ……」
栞に目配せされ、マウンドを降りる。他の部員たちもいるし、さすがにこの場で「あーん」はできない。
ソフト部の部室は独特の匂いがある。あたしたちは慣れているけど、玉城にはキツイかもしれない。こんなことなら事前にファブりまくっていればよかった。
「ここに座ってくれ」
栞に言われ、玉城が長椅子に座る。
「……何をつっ立っているんだ?」
「え?」
栞は、今度はあたしに話しかけてきた。
「君は玉城の隣に座るんだぞ?」
「……」
そうだ、玉城に食べさせてもらう以上、あたしは玉城と隣り合わなければならない。
あたしはちょこんと玉城の隣に……一人分空けて、座る。
「ドアは閉めておくが鍵はかけないからな、いつでも出て行って構わないぞ」
栞は念を押すように言った。あたしへの「あーん」は下手したら逃げ出すレベルの苦行なのか……いや、そうかも。誰だって、こんな汗臭い部室を根城にしているゴリラ女への「あーん」はしたくないかもしれない。
「……それでは、これから君が行う残念賞を奈江の方から説明してもらう」
「え!? あたしが言うの!?」
「当たり前だろう、ここまでやったんだからあとは君の番さ」
栞に肩を叩かれ、あたしはうめいた。
せっかくなら最後までやってほしかったのに、ここにきてあたしに振るなんて……
「その残念賞ってのは、俺が花沢に何かやってやることなのか?」
「……そうです」
執事の玉城から尋問されるように問われ、あたしは喉から絞り出すように返事をした。
「だったらなんでも言ってくれ、安心しろ、何を言われても断らないから」
「……断らない、の?」
「断らないぞ」
本当に断らないのだろうか? 今までも何度か無茶なお願いをしたことがあったが、今回はその中でも結構なハードルの高さだ。『ワンナウツゲームで負けたから』を理由にしてもいけるかどうかわからない。
しかし、玉城自身がそこまで断言するのであれば……試しに言ってみるだけの価値はある。
「じゃ、じゃあ……えっと……」
あたしは美波の方を見た。
美波は待ってましたとばかりに、手に持っていたスーパーの袋からプリンを一個取り出すと、プラスチックのスプーンとともに、それをあたしと玉城の間に置く。
「……プリンがどうかしたのか?」
「……こ、これをね、食べるの」
「……? 誰がだ?」
「あ、あたしが……」
「それなら、どうぞ、食べてくれ」
「う、うん……」
あたしはプリンの蓋を開けた。
あたしの動きはそこで止まる。
そして、美波と栞を順番に見た。
「……ヘタレ処女……」
あたしと目が合った瞬間に、栞がボソッと呟く。
言われたい放題である。だからなんで処女に処女だと馬鹿にされなくちゃいけないんだ。
栞だってあたしと同じ立場になったらこういう風になるに決まってるのに……
しかし、実際ヘタレているのは事実だし、それをネタにしていつまでも栞に煽られるのも癪だ。
あたしは意を決して、拳を玉城に向かって突き出した。
玉城は目を白黒させながら、あたしの拳を見つめる。
あたしはそのまま拳を開き、手の中にあったプラスチックのスプーンを見せた。
「……」
「……」
「……花沢?」
「……これを、使ってください」
「……いや、プリンを食べるのは花沢なんだろ?」
「……はい」
みなまで言わないとわからないか。
でも、どうか分かってほしい、玉城。
これが意を決したあたしの限界である。実際に口に出してお願いするのはやっぱり恥ずかしすぎるのだ。
あたしは目力で訴えた。
どうか、どうか……このヘタレ処女の願いを、何も言わず聞いて下さい……執事様!
玉城はあたしのスプーンをじっと見つめながら、静かにそれを受け取ると、ビニールを外す。
そして、そのスプーンで、プリンを掬うと、あたしの口の前まで持ってきた。
「……どうぞ、お嬢様」
……ありがとう、玉城。全てを察してくれて。
「美味しいですか、奈江お嬢様」
「は、はい……美味しいです」
あたしは餌をねだるインコの如く口を開ける。
なんだか横目にヒソヒソ話をしている栞と美波が見えるけど、そんなの気にしない。
あたしは今のこの状況を甘受……ぶっちゃけ緊張気味で正直味とかよくわからないけど……するのに集中した。