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文化祭編 ワンナウツゲーム(玉城)

『もう休憩時間になった?』


ちょうど俺の休憩時間になった時、ラインでメッセージが届いた。相手は花沢である。


『ちょうど休憩するところだ』

『それはよかった、すぐにグラウンドにきて』

『そういえば、ソフト部で何かやってるらしいな』

『そうそう、きっと君も楽しめるから来てね』


もともと行くつもりだったが、招待までされてしまっては優先して行かなくてはいけないだろう。


俺は先に行く予定だった3年の遠藤先輩の教室をスルーし、そのまま下に降りて下駄箱に向かった。




グラウンドに着けば、『ソフト部の試合』が行われていた。

見慣れないソフト部員たち……おそらくレギュラーでない一年生だろう……が守備陣形につき、バッターボックスには私服の男子(一般開放で入ってきた、他校の生徒だろう)がバットを構えている。


ピッチャーが球を放った。

ボールがバッターボックスを通り過ぎる瞬間、男子はバットを振る。

しかし、バットはボールに当たらず、キャッチャーミットに吸い込まれた。

男子は豪快に空振りしたのだ。


見る限り、ソフトボール体験会、といった感じだ。これがソフトボール部の出し物だろうか。


「……玉城先輩」

「うん? おう、山口君」


ソフト部マネージャー、山口君が話しかけてきた。

この逆転世界の『良識ある男子』だ。女子に対して、ちょっと潔癖気味の一年生である。


「……何ですか、その格好」

「見てのとおり、執事だ」

「……」


山口君が引いている。

そんな引かれるような見た目では……いや、オタクでもない一般的な男子から見れば、執事服を着た男子がグラウンドにいるのはおかしいか。


「……また変なことやってますね」

「変なことじゃない、うちのクラスの出し物が執事喫茶なだけだ」

「充分変なことですよ」


山口君は呆れ顔だ。何度も見たことがある表情である。どうも俺はこの後輩をよく呆れさせてしまうらしい。


「まあ、そう渋い顔をしないでくれ、何だったら山口君もうちのクラスにきてくれていいぞ、歓迎するから」

「行きません、興味ないです」


確かに男性向けのサービスはあまりしていないが、そんなはっきりと断られるのは悲しくなるじゃないか。


「……」

「……」

「……」

「……わかりましたよ、時間を見つけて行きますから」


俺の悲しい雰囲気がそのまま顔に出たのだろう。山口君は「仕方ない」と肩をすくめながら言った。


「それで山口君、ソフト部は一体何をやっているんだ? ソフト部体験会か?」

「違います、ソフト部の催しは……まあ、ゲームですかね」

「ゲーム?」

「ワンナウツゲームって名前らしいですけど……ようはバッターとしてうちの部員と対決して、ホームラン、ヒット、外野フライのどれかを打てれば賞品が貰えます」

「なるほど、そういうのか……ちなみに賞品ってなんだ?」

「フライだとティッシュですね」


山口君がグラウンドの隅にあった段ボールを指差す。そこにはティッシュが満載で入っていた。


「あれ、買ったのか?」

「いえ、ソフト部員がそれぞれ家にあったやつとかを持ち寄ったやつです」


駅前とかのティッシュ配りから受け取ったやつを持ち込んでいるわけか。

まあ、うちの学校のソフト部員は結構いるし、一人数個持ってくるだけでもあの量は捻出できるだろう。


「それで、ヒットを打つと何をくれるんだ?」

「ヒットだとお菓子ですね、一袋に小分けになってるやつを渡してます」

「それも持ち寄ったやつか?」

「いえ、これは買ったやつです、近所にある業務用スーパーで買いました」


業務用スーパーなら大して金もかからないか。余ったものは部内で適当に消費も出来るだろうしな。


「それでホームランは?」

「ホームランを出すと、『ぽんた』の餃子一皿無料券を5枚もらえます、有効期限は今日から一週間ですけど」


『ぽんた』というのは駅前にあるラーメン屋だ。俺たちの高校の生徒の行きつけのラーメン屋で、当然、俺も何度か行ったことがある。


しかし、ホームランの賞品は、ヒット以下に比べて明らかに豪勢だ。確かぽんたの餃子は300円くらいはしたはずだし。


「ぽんたがスポンサーなのか?」

「そういうわけじゃないですけど……なんか、渡部部長が店長と交渉して持ってきたんです」


栞か。あいつは抜け目が無さそうだし、そういう交渉は上手そうだ。


「まあ、ソフト部はたくさんぽんたを利用してますからね、渡部部長たちはほぼ週5で通ってますもの」


そこまで頻繁に通っているのなら、ある程度の融通は効くか。向こうにとってもソフト部員は常連客だろうしな。


「……もっとも、ホームランなんてまず出せませんけどね、今投げてるピッチャーはレギュラーじゃありませんけど、うちの高校じゃなかったら普通にレギュラーレベルの実力はありますし」


俺はバッターボックスを見た。

先ほどの男子とは違う男子がバッターボックスに立っているが、彼もまた、先ほどの男子と同じく豪快な空振りをしている。


確かに、ソフト部の経験者でもなければ、ソフトボールでホームランなんて無理だろう。レギュラークラスの実力者が相手ならば尚更だ。俺も花沢相手にバッターボックスに立ったことがあったが、バットにボールを当てる事すらできなかった。


「よく来てくれたな、玉城」

「彰先輩お久しぶりっす!」


ふと、声をかけられた。

聞き覚えのある声、振り返れば、栞と美波が歩いてきている。


「花沢に招待されたんだ、まあ元々来るつもりではあったが」

「……ああ、そうだ、君は奈江に招待されたんだぞ」

「そうっす、彰先輩は奈江先輩に呼ばれてきたんすよ!」


なんだ、その復唱確認は。意味があるのか。


「……しかし、実際に生で見ると、なるほど素晴らしい」

「うん? 素晴らしい?」

「執事服だ、君、意外とそんな服も似合うんだな」


栞が俺の全身をくまなく見つめる。

隣にいる美波も同じように俺を見つめた。


「ソフト部は面白い事をやっているみたいじゃないか」

「ああ、毎年こんなことをやっているよ、男子の受けもいいし、ついでにソフト部の宣伝にもなる、一石二鳥だ」


スポーツ女子が男子受けをまず第一に気にするのが、貞操観念が逆転したこの世界らしい。

確かにバッターボックスを見てみれば、挑戦者は男子がほとんどだ。


「男子はこういうのが好きなんだろう? 君もどうだ?」


確かにこういう腕試し系は興味がある。

ソフトボール部のエースである花沢の投球ならば打てる自信はないが、今投げている準レギュラークラスの女子ならば、まだワンチャンあるかもしれないし。


「……玉城先輩、ちょっといいですか?」

「うん?」


山口君が俺の服の裾を引っ張った。

内緒話をしたいようなので、山口君の口元の高さまで腰を落とす。


「……これは忠告なんですが、このソフト部の催しは、玉城先輩は参加しない方が良いです……」


ゴニョゴニョと小声で訴える山口君


「なんでだ?」

「……だって玉城先輩ですし……」


それはまったく理由になっていない。俺が参加しない方が良い理由が「俺だから」では訳が分からんぞ。


「……たださえ危なっかしいのに、なんか今日は執事服とか着ちゃってますし……」

「執事喫茶をやってるからな」

「……それはさっき聞きましたけど……」

「山口君は心配性すぎるな」


山口君はこの世界基準の『良識ある男子』だ。この様子だと、彼の良識に反する行為……すなわち『男子に対してのセクハラ』を警戒しているのだろう。


しかし、そんな心配することはない。俺はセクハラされても気にしないし、何よりもこのゲームでどうセクハラしようというのか。だって、ただソフトボールで勝負するだけだぞ。


「……先輩は鈍感ですね……さっきだってかなりイヤラシイ目で見られてたのに……」

「イヤラシイ? 誰からだ?」

「……渡部部長からです……」


あの、俺の全身を見つめる目の事だろうか。

別にイヤラシイとは思わなかったが……後輩の二人の視線に慣れ過ぎたせいかな。それか、執事服を着ているということで、好奇な目で見られる事に慣れてしまったせいかもしれない。


「まあ、繰り返すが心配するな」

「……そうですね、玉城先輩にはぬかに釘ってやつでしたね……」


山口君はため息をついた。

山口君とは夏休みに初めて会った。それ以来ところどころで見せる俺の女子に対しての鈍感な反応に、山口君もいい加減慣れたようだ。


「内緒話は終わりかな?」


俺が中腰の姿勢を戻すと、栞が待ち構えていたかのように声をかけてきた。


「まあな」

「それでどうだ? やってみないか?」

「やろう」


俺は即答して腕を回す。

この格好は動きずらいし、借り物だからあまり汚すわけにはいかないが、せっかくの文化祭だ。それを楽しまないというのも損だ。まあ、ちょっと汚してもクリーニング代をバイト代から差っ引いてもらえばいいだろう。


「そうこなくてはな……待っていろ、こっちも準備をする」

「準備?」

「ああ、君用に準備だ」


俺だけの特別フォーメーションでも敷くつもりなのだろうか。そんな警戒されるようなことはあるかな? ……まあ、この体格なら警戒されるのもわかるけども。


栞がピッチャーマウンドの方に歩いて行く。

一方で美波は俺の背中を押してきた。


「ささ、彰先輩、どうぞどうぞ」

「お、おう、歩くから押さないでくれ」


美波が俺を連れていきたい場所はわかる。バッターボックスだ。

山口君の方を見ると、ちょっと憮然とした顔をしながら俺を見送っている。


「……美波、山口君とはどうだ?」


山口君には聞こえないようにヒソヒソ声で背中にいる美波に話しかけた。


「え? 何がっすか?」

「前に、俺たちで遊園地に行ったよな?」

「行ったっすね」


以前、俺と花沢と山口君と美波の四人で、遊園地に遊びに行った。

目的は遊ぶこと……だけじゃなくて、美波の事が好きな山口君のためを思って、二人の距離を縮めるためのデートを敢行したわけだ。四人で遊びにいったという体だが、いうなれば俺と花沢はオマケである。


「その時に、山口君と連絡先を交換しただろう?」

「したっすね」

「その後どうだ? 山口君と個人的に遊んだか?」

「いえ? 特に遊んでないっすよ」

「……彼から遊びに誘われなかったか?」

「なかったっすね、何でそんなこと聞くんすか?」

「いや……なんでもない」


まったく、山口君め……せっかく俺がおぜん立てしてやったというのにこれでは意味がないじゃないか。また何か企画してやればなるまい。


美波に押し出され、俺はバッターボックスの前まできた。


「はい、どうぞ」


美波からバットを渡され、ピッチャーマウンドの方を見る。

すると、ちょうど栞が花沢の背中を押して、マウンドに上げたところだった。


「……待て、花沢が相手か?」

「そうっす!」

「聞いてないぞ」


準レギュラーの女子が相手ならばまだ勝機があったかもしれないが、花沢が相手なのは話が違う。

ビビっていて格好悪いと思われるかもしれないが、一回花沢の球を体験すれば誰だってわかる。コイツの球は打てない。少なくとも俺のようなリトルをかじった程度のソフト未経験者では歯が立たないのだ。


「彰先輩の特別仕様っす、相手は奈江先輩っす」

「……絶対に打てないんだが」

「そうかもしれないっす! でも頑張ってほしいっす!」


なんだその謎のエールは。


「……そんなガチな設定しなくていいんじゃないか? 別にさっきのピッチャーでも、多分俺はホームランなんて打てないと思うし……」

「ダメっす! これは栞先輩の作戦っす!」

「作戦? だから別にそんなことしなくても俺は打てないっての……」

「彰先輩、ごねるのは格好悪いっすよ!」

「……!」


俺は思わず口を真一文字に結んだ。

確かに美波から見れば、ビビり過ぎの格好悪い先輩に見えただろう。

年下の女子に「格好悪い」と思われるとは……なんて情けない。


「美波……ヘルメットをくれ」

「ウッス! どうぞっす!」


美波からヘルメットを受け取ると、それを目深にかぶった。

もう泣き言は言わない。相手が誰であろうと、全力でバットを振ってやる。


肩幅に足を開いて、花沢の方を見た。


花沢の方も、何やらごねているようだが、こちらを見て栞から押し付けられていたボールを握った。


栞は満足そうに笑うと、ピッチャーマウンドから降りて、こちらを向き、声をかけてきた。


「玉城、提案がある」

「……なんだ?」

「君が相手をするのは奈江だ、曲がりなりにもうちの高校のエースピッチャー、君でも打つのは難しいだろう」

「……関係ないな、相手が誰であろうと俺は全力で打ちに行くぞ」


たった今さっき、美波に格好悪いところを見せたばかりだ。もうそんな姿はみせられない。


「実に勇ましいな……だが、それでも実力差があるのは事実だ、そこで賞品の追加を行いたいと思う、君が奈江の球をヒット以上に出来れば、さらに特別賞をプレゼントだ」

「なんだ、特別賞って」

「それは打った時のお楽しみだ」


ひっぱるじゃないか。しかし、特別賞もいただけるとは太っ腹だ。


「……さらにだ、もし君が打てなかった場合も、ちょっと面白くしてみないか?」

「打てなかったときの事? 何かしらの罰ゲームでも作るのか?」

「そうだ、なかなかスリリングだろう?」


それは……俺にとってかなり不利な提案だ。ハイリスクハイリターンと言いたいところだが、リスクを負ってしまう可能性がかなり高い。


だが、「やる」と言った以上、やるのが男というものだ。ここでまたリスクにビビるなど、格好悪すぎる。


「……いいだろう、その提案、受けた」

「それでこそ玉城だ!」


栞はパン! と手を叩き、花沢の方を振り返った。


花沢は目をキョロキョロと不安げに動かしている。


「さあ、それではゲームの開始だ、ルールの確認だが、ヒットかホームランを打てば玉城の勝ち、賞品プラス特別賞だ、三振するかフライだった場合は玉城の負け、フライだった時は賞品を渡すが、こちらの用意した残念賞を強制的に受け取ってもらう」


罰ゲームではなく残念賞か。まあ、言い方は何でもいいが。


「一つ、質問がある」

「何かな?」

「フォアボールの時は?」

「その時は君の勝ちでいい、だが期待するなよ、奈江の与四球率は3割を切るぞ」


与四球率が3割を切ることがすごいのかすごくないのかよくわからん。だが栞の口ぶりからするに、すさまじくコントロールが良い、ということはわかった。


「キャッチャーは私がやろう」

「……あれ、確かお前は正捕手じゃなかったか?」

「そうだ、普段から私と奈江がバッテリーを組んでいる」


レギュラー二人のバッテリー、なぜか知らないが、相手はすさまじくガチだ。そんなに俺に賞品を渡したくないのか。


栞がバッターボックスまで来ると、キャッチャーの女子と交代して座った。


相手は我が高校が誇るソフト部のエースとその女房役。はっきり言って、勝てる確率は限りなく0に近い。

だが、やってやるさ。全力で。

勝ち目の薄い戦いでも、時として男は挑まなければならないのである。




「スリーストライク、バッターアウト……だな、玉城」


はい、無理。

俺のバットは花沢のボールにかすりもしなかった。


まあ、心構え次第で勝てるような相手じゃないわな。そんなのでどうにかなる相手なら「エース」は名乗れないだろう。


「さて……約束通り、君には残念賞を授与したいわけだが……今さらだが、やりたくないとかそういうことは……」

「ない」


負けたから約束を反故にするなど男の風上にも置けない。


残念賞でも罰ゲームでも何でもやってやろうじゃないか。


「うむ! ……ではこちらにきてくれ」

「どこに行くんだ?」

「部室さ……言っておくがいかがわしいことはしないから、決して、神に誓って、何だったらスマホを握りしめておいてくれても構わない」

「いや、そんな警戒していないから安心してくれ」


貞操観念逆転世界において、『女子が男子を個室に連れ込んで罰ゲームを行う』という状況は通報事案に匹敵するレベルなのだろう。

栞がここまで念を押して「安全アピール」をする気持ちもわかるし、実際に何が起ころうと気にしないつもりだから安心してほしい。


栞に連れられ、奈江と美波とともに、俺はソフト部の部室に向かった。



ソフト部の部室は運動部特有の汗の匂いがした。男でも女でも、汗の匂いというのは変わらないようだ。


俺と花沢は部室の長椅子に隣り合うように座らされた。なぜか栞と美波は座ろうとせずに立っていて、美波は手にスーパーの袋を持っている。

ちなみに部室には俺達以外の生徒はいない。


「ドアは閉めておくが鍵はかけないからな、いつでも出て行って構わないぞ」


だから栞は警戒しすぎだというのに。

しかし、わざわざ部室に場所を移すというのはどういうことなのだろう。室内でしかできない事をやらされるのだろうか。


「それでは、これから君が行う残念賞を奈江の方から説明してもらう」

「え!? あたしが言うの!?」

「当たり前だろう、ここまでやったんだからあとは君の番さ」


栞に肩を叩かれ、奈江はウグッと言葉を詰まらせた。


「その残念賞ってのは、俺が花沢に何かやってやることなのか?」

「……そうです」


花沢が苦しそうな顔をして頷く。


「だったらなんでも言ってくれ、安心しろ、何を言われても断らないから」

「……断らない、の?」

「断らないぞ」


男に二言はない。そして約束も守るのだ。


「じゃ、じゃあ……えっと……」


花沢が美波の方をチラリと見た。


美波は待ってましたとばかりに、手に持っていたスーパーの袋からプリンを一個取り出すと、プラスチックのスプーンとともに、それを俺と花沢の間に置く。


「……プリンがどうかしたのか?」

「……こ、これをね、食べるの」

「……? 誰がだ?」

「あ、あたしが……」


そうか、愚問だったな。俺が食べたのなら罰ゲームにはならない。


しかし、花沢が食ったところで、それも罰ゲームにはならないと思う。これでもし俺がプリンが大好物とかだったら、「目の前で大好物を食われて悔しい」くらいには思うだろうが、特にそういうわけでもないしな。


「それなら、どうぞ、食べてくれ」

「う、うん……」


花沢がプリンの蓋を開けた。


そこで止まる花沢。

どうしたというのだ、さっさと食べればいいのに。


「……ヘタレ処女……」


栞がボソッと呟いた。


花沢が栞を睨む。しかし栞はどこ吹く風といった様子だ。


花沢はしばらく葛藤した様子だったが、いきなりこちらに拳を突き出した。

思わず避けそうになったが、その拳は俺の目の前で寸止めされた。


……これが罰ゲームか? と一瞬思ったが、花沢がその拳を開く。


花沢の手にはプラスチックのスプーンがあった。


「……」

「……」

「……花沢?」

「……これを、使ってください」

「……いや、プリンを食べるのは花沢なんだろ?」

「……はい」


えーと、ちょっと整理しよう。

プリンは花沢が食べる。しかし、プリンを食べるためのスプーンを使うのは俺。


……ああ、つまりこれはアレだな。


俺はスプーンを受け取ると、ビニールを外した。

そのスプーンで、プリンを掬い、花沢の口の前まで持ってきた。


「……どうぞ、お嬢様」


花沢が俺のすくったプリンを食べる。

いわゆる「あーん」。これも執事喫茶の『お嬢様サービス』にあるサービスだ。文化祭の出し物の方の執事喫茶は軽食の類は出さないから採用していないが。


今は休憩時間だが、罰ゲームとして求められれば全力で答えるのが執事(おとこ)というもの。執事スイッチを入れて対応するまでである。


「美味しいですか、奈江お嬢様」

「は、はい……美味しいです」


ちらり、と栞と美波を横目で見る。二人はなにやらひそひそと話し合っていた。

果たして何を話しているのやら……。


「あ、あの、もう一口いただきたいのですけど……」

「はい、お嬢様」


なぜか敬語になってしまった花沢の口元へ、プリンを送る作業を再開した。


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