文化祭準備 研修編(名もなき常連客)
執事喫茶ブームも収束しつつある昨今、秋葉原でも粗雑な執事喫茶は次々と潰れ、残っているのはブームの火付け役となった初期の店舗や、運営に手を抜かなかった優良店舗くらいだ。
さて、そんな執事喫茶の中でも私には行きつけの一軒がある。
雑居ビルにあるそこの執事喫茶は、執事喫茶戦国時代を生き抜き、ブームが下火になった今でも一定以上の客がいる優良店だ。
一週間の仕事の疲れを癒すため、今週もその執事喫茶を訪れた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
私が入ると同時に、執事が頭を下げる。
聞き慣れない声で、すぐに新人さんだとわかったが、その顔を確かめてみると、見たことがあるが、見たことがない執事だった。
正確に言おう。この執事喫茶では何度も見たことがある強面の顔。でも、見たことがあるのは、執事としてではなく、お客として、だ。最近このお店に頻繁に通っていた少年が、今週になって客という立場から執事と言う立場に変わっていた。
正直、そんなに驚いてはいない。執事喫茶に通い詰める男というのは数少ないし、彼がこの店の店長であるシュウ君にご執心だったのはよく知っていた。つまりは、執事に憧れていた男性であることはある程度予想できていたのだ。
改めてその姿を観察すれば、その大きいな体格のおかげでちょっと窮屈そうな執事服が良い。顔がこわばってちょっと威圧感があるが、おそらくは緊張しているのだろう。
彼の後ろにはシュウ君が立っている。目が合うとウィンクされた。どうやら新人の研修として後ろで見ているようだ。
「お嬢様はお一人ですか?」
「……ええ」
……はたしてこの子は将来有望な執事かどうか。
早速だが見極めさせてもらおう。私の評価は厳しいぞ。
執事喫茶めぐりが趣味のこの私を、男に執事服姿で接客されて舞い上がってしまうようなそこら辺の女性客と一緒にされては困る。
自慢じゃないが、私がダメだと判断した執事が大成したことはない。
「でしたら、こちらにどうぞ」
「はい」
その顔に反して物腰柔らかく案内してきた。
私がそれに従って歩き出そうとした時、
「お嬢様、よろしければカバンをお預かりいたします」
「……ありがとう」
新人にしては細かいところに目は行き届いているようだ。
……だが、こんな程度ではまだまだ認められない。こんなのは接客の初歩初歩なのだから。
新人君は私を席まで案内すると、その椅子を引いた。私がそこに座ると、空いている席に私のカバンを置き、布をかける。
正解の対応だ。
なかなかぼろを出さない。いや、ぼろを出すことを期待しているわけじゃないんだけども。マニュアル対応がスムーズにできるところは評価ポイントではある。
「……お嬢様、今日は何をご注文されますか?」
「……えーと」
私は一瞬言葉に詰まった。この喫茶店の常連である以上、接客法も理解している。この執事喫茶では、着席したらこの喫茶店のシステムを簡単に説明するものだが、この新人君はそれを省いた。
これをどう評価するか……単純に忘れたか、私が常連客だと気づいて省いたかのどちらかだ。前者と後者では全く評価の度合いが異なる。前者ならば新人であることを加味して少し減点、後者ならば大幅加点と言ったところだが。
「……いつものダージリンかしらね」
「かしこまりました」
判断がつかなかったので、とりあえず評価を下すのは保留にした。
ここから接客の難易度を上げよう。単純なマニュアル対応では対応できないような質問を投げかけていく。
「あと、ちょっとお腹もすいちゃってるしね……何か、ちょうどいいサイドとかある?」
さあ、どうする? 客からの質問に執事として正しい回答ができるか。
「サンドイッチなどいかがでしょう? 今日のはレタスがシャキシャキしていて美味しいですよ」
私の質問にも新人君は動じている様子がない。むしろ自信を持って答えている。
……やるじゃないか。新人にありがちな『おすすめが紹介できない』を簡単に乗り越えるとは。
別に「サンドイッチ」が正解だったわけではない。ただ、お嬢様である私の問いに自信を持って答えられるかどうかを試したかっただけなのだ。
つまり、新人君の答えは完璧だったといえるだろう。
「じゃあそれで」
「かしこまりました、ごゆるりとおくつろぎください」
新人君が一礼して厨房にいく。
私は椅子に深く座った。
今のところ、かなり良い感じの執事である。新人らしいフレッシュさもありながら、対応によどみもない……いや、まだ評価を下す段階じゃない。まだまだこれからだ。
「お嬢様、お待たせしました、ダージリンとサンドイッチです」
新人君が私の机にダージリンとサンドイッチを置く。
「またご注文ございましたらお声かけください」
「……あ、待って」
彼が一礼して立ち去ろうとした時、呼びとめた。
「はい、いかがなさいました?」
「あなた、名前は……」
「アキラです」
ネームプレートには、カタカナで『アキラ』とある。
「そう、じゃあアキラ君にサービスを頼みたいのよね」
「……かしこまりました」
さあ、出来るかな、『お嬢様サービス』。はっきり言って、お嬢様サービスは素面で満喫することは難しい。客側と執事側がそれぞれ役割になりきらないとダメなのだ。
「どのようなサービスをご希望でしょうか?」
「そうね……壁ドンのフルコースで」
「かしこまりました」
アキラ君の顔を見ると、険しい顔をしている……いや、この子は元から結構目つきが悪いから、この顔が『壁ドンフルコース』に対しての物なのかはわからない。
「それではお嬢様、こちらにどうぞ」
アキラ君は私を壁際まで案内する。
「タイチさん、いいですか?」
「うん? おう、オッケ~」
彰君がタイチ君に声をかけた。
タイチ君がチェキを持ってくる。タイチ君は真面目そうな見た目に反して小悪魔系悪友キャラでこの喫茶店でもシュウ君の次に人気の執事だ。
「何かご希望のセリフはありますか?」
「お任せするわ」
今度は間違いなく、アキラ君の顔が険しくなった。私の要望に怯んだのだろう。
やはりまだこの子に『壁ドンフルコース』はハードルが高かったかもしれない。
そもそもこの壁ドンフルコースを満足にサービスできる執事が、この喫茶店に何人いるか……恐らくはシュウ君とタイチ君くらいだろう。他の執事たちも出来ることはできるだろうが、照れなしの100%全力の壁ドンは出来ないはずだ。
「それでは失礼します……」
「はい、どうぞ」
私が壁に寄り掛かる。アキラ君は私に迫るように壁に右手を置いた。
この子はかなり発育が良い。こんな風に身体を近づけられただけでも、ちょっと嬉しいものがある。
私が間近に迫ったアキラ君の胸板を見つめていると、私の顎に彰君の指が来た。
そして、あごをクイッと上げられ、強制的にアキラ君と見つめ合う形になる。
思わず息が漏れそうになった。
そうだ、壁ドンフルコースはあごクイも含まれていたんだ。アキラ君の真剣な瞳と目が合ってドキリとする。
「……俺だけを見てろよ」
パシャッ
フラッシュがたかれた。
あごクイの不意打ちからの決め顔で決め台詞。これは100点……いや、まだそこまでじゃない。90点の壁ドンフルコースだ。100点の壁ドンはシュウ君しかできない。だから減点して90点にしておく。
「……」
「……」
私はジッとアキラ君の顔を見つめる。
アキラ君がその唇の端をぴくぴくさせ始めた。
「……ぐふっ」
「……ぷはっ」
沈黙に耐えきれなかったようで、アキラ君が息を漏らすと、私もつられて吹き出した。
「す、すみません……」
アキラ君は壁に手を突っ伏すようにして顔を伏せる。猿回しの猿がやるような『反省のポーズ』のような姿勢だ。どうやら顔を見せるのが恥ずかしくなったらしい。
「いやいや、すごい良かったわ、本当に」
「……そ、そうですか」
とってつけたようなフォローだが、本当によかったのは事実だ。まだ恥ずかしさに負けて役になりきれていないところは失点であるが、でも、そういう『こなれていないところ』は逆に初々しくて見てみて気持ちが良いものがある。
「今度またお願いするわ」
シュウ君のような完成された『お嬢様サービス』もさることながら、アキラ君のような反応も新鮮でよかった。この店での推しはシュウ君だが、このままだと浮気してしまうかもしれない。
シュウ君には申し訳ないけど、『女の浮気は女子力』という言葉もあるし、女は時として、牛丼だけでなく、カツ丼を食べたくなるものなのだ。
「は、はあ……」
アキラ君は疲労困憊という表情で返事をすると、フラフラになりながら、厨房に引っ込んでいく。
やっぱり新人の彼には『壁ドンフルコース』はハードルが高かったようだ。無事に飛び越えられたが着地に失敗した、といったところか。ふっかけたのは私の方だし、ちょっと悪い事をしてしまったかもしれない。
私は反省しつつ、ダージリンを飲みながら携帯用タブレットを開いた。
SNSに、今日の執事喫茶での出来事を書きこむのだ。
「ほい、どうぞ~」
タイチ君がすかさず私のテーブルにさっきの壁ドンフルコースのチェキの写真を置いた。
『執事喫茶の感想を書きこむこと』はここに来るたびにやっていることなので、タイチ君もそのあたり分かっているのだ。
『今日の執事喫茶
今日も行きつけの執事喫茶に行ってきました。
いつもはシュウ君に担当してもらうんだけど、今日は新人君に担当してもらいました。
まだ初々しいところのある新人君。将来有望な期待の新人といったところ。
顔がちょっと恐いのが玉に傷かな。』
壁ドンの例の写真を撮影し、その画像を添付して投稿した。
ちなみにこのSNSの存在は家族や会社の人間にも知られている。執事喫茶に行くことが趣味、なんて普通の人なら隠すことなのだろうが、私は一切隠すつもりはない。むしろなぜ隠さなければならないのか。やるべきことをやっているのだから後ろ指を指されるいわれはない。
投稿してすぐにコメントが付いた。
同じ執事喫茶を愛するフォロアー達からだ。SNSというのは同好の士とつながるのに非常に便利なツールである。
『新人君が入ったのなら久しぶりに行ってみようかな』
『これ壁ドンコースですか? あんたも好きね』
『推し変は有罪ですよww』
新着のコメントに丁寧に返信していく。顔が見えないからこそできる気軽なやりとりだ。
コメントを全て追いかけ終わったかな、と思ったその時、また一件、新しいコメントが付いた。
コメントをつけてきたのは私のリアル社会での知り合い、というか、会社の部下だ。
『このお店どこですか?』
『君、執事喫茶に興味があったのか?』
部下のプライベートにまで干渉するつもりはないが、仕事と結婚しているような女で、全く趣味の話をしたことがなかった。そんな女が執事喫茶に興味があるなど意外だ。
少し間があって、『はい』という返信が来た。
『秋葉原にある私の行きつけだ、今度一緒にくるか?』
『場所さえ教えて貰えれば、今すぐにでも行きます』
『さすがに今からはちょっとな』
『そう言わずに』
『明日会社で教えるよ』
今日はオフの日で羽を休めたい日なのだ。気心のしれた部下とはいえ、プライベートな空間まで一緒にいるはさすがに疲れる。
私はタブレットを置くと、サンドイッチを頬張った。