体育の時間(玉城)
体育の時間、今日は体育の教師が出張でいないので、男女共同で自習ということになった。
自習時間なんてサボりの時間の言い換えのようなもので、体育ならばなおさらだ。
暇な一時間をどう過ごすかでクラスのみんながざわつき始めた時、うちのクラスのまとめ役であるソフトボール部のエースがこう提案した。
「じゃあさ、みんなソフトしない?」
この提案にソフト部のエースの取り巻きや運動部の連中は賛成し、文化部の連中は難色を示した。
緩い話し合いの結果、やりたい人だけソフトをする、ということになり、俺も一時間ブラブラしているのはヒマなので、ソフトボール組への参加を申し出た。
チーム分けは男女別ということにした。女子はソフト部の主要メンバーがいるので、男女の運動力で差が出ることはないだろう。
「打順どうする? 玉ちゃんとか運動できそうだよね?」
長谷川は、普段の授業は消極的だが、こういうお遊び的なものには積極的に絡む。さっそく持ち前の快活さを活かしてリーダーシップを取り始めた。
「俺は小学校の頃リトルをやっていた」
「マジ? あれ、今なに部だっけ?」
「帰宅部だ」
「中学の頃は?」
「将棋部」
「なんでだよ! リトルやってたんなら野球やれよ! ……ホント玉ちゃんおもしれえなあ」
リトルといっても真剣にやっていたわけではない。ガキの頃から体格だけは良かったからレギュラーではあったが、野球自体はそんなにうまくなかった。
「じゃあ、玉ちゃん1番ね、一番面白かったから」
「わかった」
よくわからないで理由で俺が1番打者となった。まあ、あくまでお遊びなんだから適当にやるのがいいだろう。
バッターボックスに立つ。野球をやっていた頃の感覚はもうすでに忘れているが、まあソフトボールくらいのデカい球なら打てるだろう。
「玉ちゃん君、準備いい?」
「いつでもいいぞ」
キャッチャーが俺に話しかけてきた。長谷川が俺の事を「玉ちゃん」と呼ぶので、クラスで俺のあだ名は「玉ちゃん」になっている。女子はそこにさらに君付けをする。
俺はソフト用のバットを構えてピッチャー……ソフト部のエース、花沢奈江を見据えた。
「ゴリラー、暴投するなよー!」
「しねーよ!」
「ゴリラー、玉ちゃんは仲間じゃねえぞー!」
「うるせえな! どういう意味だそれ!」
花沢は外野の野次に怒鳴り返した。
花沢のあだ名は「ゴリラ」もしくは「メスゴリラ」もしくは「ゴリ沢」である。花沢は俺と同じくらい身長が高く、運動部で鍛えているだけあって体中の色々なところが太い。体格だけみれば間違いなく「ゴリラ」なのだ。
まあ流石に女子相手に「ゴリラ」なんてあだ名は可哀想なので、俺は呼んだことはない。というかクラスメートもそこら辺は弁えているらしく、花沢をからかう時くらいにしか使われないあだ名である。
花沢は止まない野次を無視して振りかぶる。
腕を水車の如く大きく回し、そのまま下手からボールを放った。
「ストライクー」
キャッチャーミットに良い音がなり、ボールが収まる。そしてキャッチャーが気の抜けたストライク宣言をした。
「……速くないか?」
俺は半分呆けながらキャッチャーに尋ねた。
ボールを放ったと思ったら俺の横を通りすぎ、ミットに収まっていた。バットを振る隙すらなかった。俺の予想よりもはるかに速い。
「そりゃあ奈江の平均球速90kmだし」
「90km? 本当にそんなもんなのか? かなり速く感じるぞ」
リトルでもそれくらいの速度を投げるやつはいた。そして俺はそのボールをホームランにしたことがある。
「いや、ソフトで90kmってめっちゃ速いよ、野球と違ってマウンドがバッターと近いし」
「……なるほど、確かに近いな」
「なんか野球に比べて体感速度は1.5倍くらい……だったかな」
「90kmの1.5倍? ……野球でいうと140kmくらいで投げてるってことか?」
「確かそんな感じ」
そんな球打てるか。
俺はその後の二球も見逃しと空振りを行い、凡退してベンチに戻っていった。
体育の時間が終わり、クラスメートたちはダラダラと教室に戻っていく。
俺も教室に戻ろうかと思ったが、ソフトボールの用具がまだほっぽりだされていることに気付いた。
周りのクラスメートは特に片づける様子もない。というかそもそも用具がまだ残っていることにも気づいていない様子だ。
気付いてしまった以上、無視するわけにもいかず、ボールやバットを持ってみんなとは違う方向……体育倉庫に向かった。
体育倉庫のシャッターは開いていた。
中を覗くと、ブツブツと声が聞こえてくる。
「ったく、あいつら本当に……」
声の主はイライラしているようだが、中がうす暗く誰かまではわからない。
「片づけろっての、あたしだけじゃんか……」
「悪いな」
「へ!?」
どうやらソフトボールの用具を片づけなかった事にイラついているらしいので、とりあえず謝っておいた。
急に話しかけられて驚いたのか、暗がりの声の主はガタンっと大きな音を立てながら、焦ったように明りの前……俺の目の前まで来た。
「あ……玉城君」
「花沢さんだったのか、悪いな、片づけ一人に任せちゃって」
「い、いや……」
「俺が持ってる用具で最後だと思う」
「……ありがとう」
花沢はバツの悪そうな顔をして、俺から用具を受け取った。
彼女はそのまま用具を体育倉庫の奥まで持っていく。俺はというと、花沢が出てくるまで体育倉庫の前で待つことにした。
おおよそ一分ほど経ったか、いまだに花沢が戻ってこない。
もしかして、中で何かあったのか、と思い声をかけた。
「花沢さんー?」
「え? 玉城君まだいたの!?」
体育倉庫から驚いた様子の声が聞こえる。
「何かあったの?」
「あ、いや、ボールが一個無い気がして、数え直してたんだけど……」
ボールか。ソフトボールで使う以外にもヒマしてた連中がキャッチボールをしていた。もしかしたらまだグランドのどこかに落ちているのかもしれない。
「ちょっとグランドまで戻って探してくる」
「え? ……いいよ、玉城君が授業に遅れるじゃん」
授業の間の休憩時間は10分しかない。着替えるのを含めると今グランドに戻れば恐らく授業に遅れるだろう。
「でもないと困るんだろ?」
「困るけど……いや、本当、あたしが探すからいいよ」
「それだと花沢さんが授業に遅れるんじゃないか?」
「それはそうなんだけどさ……」
「どうせなら二人で遅れよう」
「え……」
授業に遅れて怒られるようなら、一人でなく二人で怒られた方が気が楽だ。
「じゃあ、グランド行ってるから」
「あ、待ってあたしも行く……」
花沢が体育倉庫から出てきたので、二人でグランドに向かう。
結局、ボールは見つかった。サッカーのゴールポストの影に隠れていたのだ。
しかし、見つけるまで少し時間がかかった。次の授業が始める本鈴が鳴ってしまったのだ。
「始まっちゃったね、授業……」
「そうだな」
「……ごめんね」
「花沢さんが謝ることじゃないだろ、それに授業に遅刻するのは覚悟してたことだし」
「うん……」
花沢は元気なさげに返事をする。
どうにも花沢がいつもと違う。普段、クラスで見かける花沢はもっとよく喋る。それこそ今日の体育授業の時のように、野次に怒鳴り返したり、三振を奪うたびにガッツポーズをしたりと元気いっぱいの印象だった。
しかし、今の花沢はまるで借りてきた猫のように大人しい。
「とりあえず着替えて教室行くか」
「そうだね……」
「花沢さん制服どこ? 教室?」
「いや、部室……」
「そっか、俺の男子更衣室にあるから、まずは部室棟に寄ってから、それから男子更衣室だな」
部室棟に向かう途中、何度か話しかけてみたが、やはり花沢さんは元気がないようで生返事というか、特に会話が続くことはなかった。
ソフトボール部の部室まで来ると、ちょっと待ってて、と言って花沢は部屋の中に入っていった。
女子の着替えというのはどれくらい時間がかかるものだろうか、まあ、授業に遅れているから急いで着替えてくれるとは思うが……
そこで、気付いた。花沢は部室に入ったままドアを閉じていない。
ドアを閉じていないということはまだ着替えを始めてすらいないということだ。
一応、急いでいるのだから早く着替えてほしいのだが……そう思い、部室の中をチラリとのぞいてギョッとなった。
そこには体操服を豪快に脱いで、制服に手をかけている花沢の姿があったのだ。
当然、花沢は下着姿である。
いや、ちょっと待て、なぜコイツはドアを閉めずに着替えているんだ。
軽くパニックってその場に固まっていると、花沢が視線に気づいたのかこちらを向いた。
「あ、ゴメン、早く着替えるからちょっと待ってて」
「え? あ、ああ……」
なぜか花沢の方が俺に謝ってきた。
この状況なら謝るのは俺のはず……とここまで考えて、思い直した。
ここは貞操逆転世界だ。
つまり女と男で裸の価値も逆転している。
女子が下着姿を男子に晒すことに価値が生まれないのだ。
例えば、花沢は今、完全にこちらを正面に向く形で着替えている。
本人はそんな気ないのだろうが、元の世界であれば完全に「見せつけている」といっても過言ではない。
花沢はブラウスのボタンを閉めると、スカートのホックをしめ、ファスナーを上げる。
俺はなぜここまで冷静に花沢の事を観察しているのだろう。ドアを閉めて……少なくとも目を背けなればいけない場面ではないか?
いやしかし、この状況は元の世界なら女子が男子の着替えを見ているようなものだ。そう考えると、別に見ること自体はOKなのでは……?
ダメだ、頭が混乱してきた。
着替えているのは花沢だ。「ゴリラ」なんてあだ名はあるが、それは体格から来るものであって、顔までゴリラというわけではない。ベリーショートの髪型で女性らしさは少ないが、俺はパッチリとした目の愛嬌のある顔だと思っている。なんだったら髪を伸ばせばモテるかもしれない。
待て、今は花沢の分析をしている場合ではない、とにかくドアを閉じよう、それからだ。
「あたしの着替えてなんか見て楽しいの?」
「あ、スマン」
花沢に声をかけられ、反射的にドアを閉じた。
「ちょっと、着替えたんだから閉めないでよ」
ドアが開く。そこには制服姿の花沢が苦笑しながら立っていた。
「……スマン」
「いいって、それよりも玉城君も着替えないと、男子更衣室だよね?」
「ああ……」
本当に何をしているんだ、俺は。
この世界には慣れたと思ったのに、まだまだ全然慣れていなかった。
頭をかきながら男子更衣室に向かう。
男子更衣室は教室棟の各階に一個ずつある。俺達は二年の教室の男子更衣室の前まで来た。
この世界だと男子には男子更衣室が与えられ、女子は教室で着替える。花沢のように部活をやっている人間は部室でも着替えるらしいが。
更衣室内にはぽつんと俺の制服が残されているだけだった。俺は体操服を脱ぎながら更衣室に入ると、その制服に手をかけた。
「ちょ!? 何やってんの!?」
「え?」
急に花沢が大声を出したので何事かとそちらの方を向く。
「どうかしたのか?」
「どうかって……」
花沢はパクパクと口を開けている。
更衣室を見渡しても変なところはない。もしかして俺がおかしいのかと思って自分の身体を見てみるが特に変わったところもない、と思う。
「え、何、あんた平気なの……?」
「だから何の話をしているんだ?」
「いや、裸……」
「……あ、そういことか」
そうだ、ここだと男と女の裸の価値が逆転する。つまり、現在、更衣室のドアも閉めずに着替えようとしている俺はとんでもない痴女行為……ならぬ痴漢行為をやらかしているわけだ。
奇しくもさっき部室での状況とは逆の立場になってしまった。
やっぱりまだ全然この世界に慣れていないな、俺は。
「ま、前……隠した方がいいと思う……」
花沢は顔を背けてはいるが、チラチラと視線だけはこちらに送っている。花沢は意外とむっつりなのかもしれない……まあ、こんなこと思っている俺は、堂々と花沢の下着姿を見ていた立派な変態だけども。
「……見たければ見てもいいぞ」
「え!?」
ちょっとした悪戯心で言ってみたが、花沢はかなり動揺したようで、視線をあっちこっちに飛ばす。しかし、確実に何度かこちらを見ている。
あんまりからかうのは可哀想だ。もし俺が逆の立場ならやられて不愉快になるだろう。
手早く制服を着て、更衣室を出る。
「おまたせ」
「え? あ、う、うん……」
「そんじゃあ行くか」
これから怒られに向かうというのも陰鬱な気分にさせられるが仕方ない。一応、こっちは二人だ。怒られるのも半分で済むだろう。