体育祭 障害物走(花沢)
まさに青天の霹靂だった。
体育祭本番になって発表された障害物走の最後の障害物、それが『女子運び』だったなんて。
うちのソフト部に実行委員がいて、その子が「女子向けにサプライズが用意されている」と言っていたが、まさかこんなのだったとは。
体育祭実行委員でどんな話し合いが行われたかは知らないけど、とりあえず、この決定を下してくれた実行委員のみんなや、体育祭実行委員の顧問の三ツ矢先生にはグッジョブと言いたい。
あたしのような男と縁のないゴリラ系女子にとって、学校側でこういうことをしてくれるのはありがたいのだ。特にこれは順番的にうちのクラス男子に運ばれる可能性があるわけで、それはつまり、この競技であたしが玉城とめぐり合わせる可能性が大きいといえる。
「まあ多分、二人三脚とかになると思うので、あまり大きな期待はしないでください」
二人三脚は午前の競技でやったので、希望としては、やはり『運ばれる』ことだ。本命はおんぶだが、大穴はお姫様抱っこといったところか。
一般的にお姫様抱っこといえば、女子の夢である。もちろんあたしにとってもそうだ。ただ、あたしのお姫様抱っこへの願望は他の女子とは比べ物にならないと断言できる。
単純にあたしのこの大きな身体を持ち上げられる男子が存在しないのだ。最悪でもあたしより体格が大きくならないといけないのに、あたしはあたしよりも大きい男と出会ったことがない。そして、仮にあたしよりも大きい男と出会ったとしても、その男と、あたしをお姫様抱っこしてくれるくらいに仲良くならなければならない。
この高すぎる二つのハードルを飛び越えられる男子なんて、巡り合えるわけがない……そう思っていた。今年の春までは。
巡りあってしまったのだ。二つのハードルを飛び越えられる男子を。
それこそが、玉城彰である。
彼はあたしよりも体格が大きい。向こうの方が少し目線が高いし、横幅も身体の厚みも、向こうの方がある。
さらにあたしに対して優しい。どれくらい優しいかというと、結構きついおさわりをしても、まったく怒らないくらいだ。
そして『女子運び』が行われているというこの状況、あたしがその夢をかなえるためのお膳立ては、済んでいると考えていいだろう。
問題は順番だ。玉城がレースに出るタイミングで、あたしもコースに出ないといけない。そのあたりはもう神に祈るしかないだろう。
いや、うちの家系は、代々お寺だから仏様に頼むのが筋かもしれない。
お願いします。仏様、観音様、玉城をどうか……
「……奈江、さっきから何やってんの?」
「……仏様に祈ってるの」
話しかけてきたクラスメイトの麻美が「はあ?」と呆けた。
ハラハラとレースを見守る。
順調にレースは進んでいく。そして、あたしの番はもう目の前、というところで……玉城がレースにでてしまった。
「そ、そんな……」
嘆くあたしをよそに、学ランを着た玉城が目の前に走り込んでくる。そして、コースにいたチアリーダーの格好をしたヒロミを俵担ぎにして、ゴールに向かって一直線に走っていく。
「俵担ぎ……そういうのものあるんだ……」
その発想はなかった。おんぶでもお姫様抱っこでもなく、俵担ぎなんて……それもちょっとやってほしいと思った。
……まあ、無理なんだけどね。もうヒロミを担いで走っちゃってるしさ。
仏様はこの世界にはいなかった。あたしはため息をつく。結局、チャンスは回ってこなかった。恐らくもう二度と、こんなチャンスは巡ってこないだろう。
「奈江? 次、私らが障害物になる番だよ? ……え、なんでそんな死んだ顔してるの?」
あたしは肩を落として大きくため息をついた。
それからあたしは、うちのクラスの大して話したこともない男子の障害物役を立派に果たした。
順番が変わって、あたし達女子が走る番になった。
女子がスタートラインの前に整列すると、体育祭実行委員が前に立って、声を上げた。
「えーと、今度は先ほどとは逆に『男子運び』を行います」
女子たちがざわつく。
「女子の皆さんで男子を運ぶのは無理でしょうから、こちらは二人三脚をしてください」
女子たちのざわつきがさらに大きくなる。
あたしはグラウンドの中央を見た。
あたし達がいた場所に男子が集まっている。しかもその中には学ランを着た男子が……つまりは玉城がいた。
……これは、消滅したと思っていたチャンスが再度回ってきた、ということか?
いや、『男子運び』だから男子に運んでもらうのはルール違反なのかな?
でも、そこは柔軟な対応してもらうってことでどうにかできないだろうか。こっちには長年の夢がかかっているんだ。
「それでは、始めます、位置について、ヨーイ、ドン!」
最初の女子がスタートする。
あたしは玉城の方を見た。すでに玉城はこの第一レース目で『障害物』としてコース上に立っている。
そんな……いきなり玉城の番が来てしまったから、もう終了……? やっぱりあたしは玉城に抱っこされることは出来ない運命にあるのか……
第一レース目に走っていた先頭の女子が、早くも三つの障害物をクリアし、『男子運び』の場所に到達した。
その女子は迷うことなく玉城のもとに行くと、なにやら玉城と話し始め、そして頭を下げる。
どうやら、女子は何かお願いをしているらしい。何のお願いをしているかは、おおよそ見当がつく。恐らくは、ここにいる女子のほとんどが願っていることだ。
玉城は戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに決心したように頷くと、ヒロミの時と同じようにその女子を俵担ぎした。
生徒席の男子から湧き上がる歓声。
こちら側の女子から湧き上がる「そっちかよ」の思い。
てっきりおんぶなり、お姫様抱っこなりを要求したのかと思ったけど、俵担ぎをお願いするとは……いや、しかし、戦略的にはこれが正解なのかもしれない。もしここでお姫様抱っこをお願いして断られたら、それこそいたたまれないことになる。それならば、とハードルを下げたのだろう。
玉城がそのままゴールに向かって走り出す。
体育祭実行委員は『男子運び』であるにもかかわらず、男子に運ばれているこの状況を止めようとしない。どころか、実況がそれを煽っている。
どうやら、男子に運ばれるのも「あり」なようだ。
このことは、あたしにとって朗報といえば朗報……なんだけど、でも肝心の玉城がもうこれで『障害物』でなくなってしまうので、結局は無意味な朗報になってしまった。
「はあ……」
「奈江、さっきからため息ばっかりついてない?」
隣にいる麻美が心配そうにこちらを見る。ため息もつきたくなるというものだ。『夢』に手が届きそうなのに、すんでのところで掴み損ねる、というこの気持ち。何度も味わえばさすがに気が滅入る。
レースの方では、玉城が一番でゴールテープを切った。はいはい、よかったね……
玉城はそのまま生徒席に戻らず、またグラウンドの中央に戻った。
「……え!? マジ!?」
「ちょ、何いきなり大声出して?」
「男子って同じ人が何回も『男子運び』やるの!?」
「え? あー、やるんじゃない? だって明らかに人数少ないし……」
確かに、半分くらいの男子が生徒席に戻っているせいで、グラウンド中央にいる男子の人数はあたし達走る女子に比べてかなり少ない。
「多分、男子は自由参加なんでしょ、『男子運び』に参加してもいいって男子だけでローテーション組んでやるとか、そんなんじゃない?」
「なるほど! そういうことだったの!!」
「……さっきまで落ち込んでたのに、なんで急に元気になったの? 奈江の今日の情緒どうなってるの?」
これを元気にならないでどうするのか。つまりこれは、あたしが抱っこされる可能性がまだ残っていることを示しているのだ。
俄然、燃えてきた。あたしの夢をかなえるため、あたしは先頭で玉城のもとに行く。あとは巡り合わせだ。あたしが走る時、玉城が『障害物』としてあのコースに立っていることを願う。
「……またお願いしてるの? 何のお願いなの、それ?」
麻美に質問されたが、答えている暇などない。あたしはとにかく祈りに集中した。
それから玉城は二人目、三人目と、障害物役という名の運び屋業をこなしていった。玉城は他の男子と比べて、明らかにコースに出る頻度が多い。そして、コースに出る度に女子から俵担ぎをお願いされ、それをこなしている。
良い流れだ。これならあたしが抱っこをお願いしても大丈夫な空気だろう。
問題は、目に見えて玉城の体力が落ちている点だ。ゴールをしてからヘトヘトになりながらグラウンドの中央に戻っている。やはり女子とはいえ、俵担ぎを連続でするのは辛いらしい。あたしが行くまで体力が残っているだろうか。それだけが心配だ。
「それでは次の列の人……」
体育祭実行委員に促され、あたしはスタートラインに立った。
『男子運び』には、ヘロヘロになった玉城がいる。おそらく、これが正真正銘のラストチャンス。何としてでもこのチャンスは掴みとらなければならない。
「位置について、ヨーイ、ドン!」
あたしは走った。もう全力で。平均台を飛ぶように走り、網くぐりを自衛隊の匍匐前進のように素早く進み。さらにパン食い走は、つるしている物干し竿ごと噛みとらんばかりにアンパンを齧りとると、そのまま玉城のもとに疾走する。
あたしはトップを独走している。口にくわえていたアンパンを手に持つと、あたしは叫んだ。
「玉城君!」
肩で息をしている玉城がこちらを見た。
「あ、あたしも……あたしにも……」
俵担ぎ……いや、ここはお姫様抱っこをお願いします、と頭を下げようとしたその瞬間、玉城は崩れるように地面と手をつく。そして、
「すまん! 花沢! 二人三脚で勘弁してくれ!」
そのまま頭を地面にこすり付けた。
綺麗な土下座である。
「え!? あ、え!?」
一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐに状況を理解して玉城を助け起こした。
「わ、わかった、全然いいよ! 二人三脚やろう!」
「本当にすまん……」
「いいから! いいから立って!」
みんなの前で男子を土下座させるとかもう最悪だ。玉城はモテる方ではないが、それでもその体格から、女子にそこそこ人気があるし、男子からは一目置かれている。これでは、あたしが悪者になってしまう。
あたしは玉城の膝についた砂を払いながら、玉城の足とあたしの足を、あたしの鉢巻で縛る。
「よし、行こう!」
玉城に声をかけると、玉城はあたしの腰に手を回した。あたしも腰に手を回す。
二人で走り出した。足を出すタイミングはバッチリだ。なにせ『特訓』までしたんだから。あたしと玉城の二人三脚コンビに敵はない。
『おっと、玉城君、どうやら肩で担ぐのは止めたようです、さすがに疲労困憊のようです』
「頑張れ、応援団~」
「応援団、よくやったぞ~」
生徒席のみんなや、アナウンスは、完全に玉城よりの応援をしている。三回も女子を俵担ぎして走った応援団だ。目立つに決まっているし、この障害物走において、玉城はちょっとしたヒーローみたいな扱いになっていた。
そのまま、トップでゴールテープを切る。
「よっし、一位だな、花沢……」
「そ、そうだね、玉城君……」
一位になれたことに、そこまでの感動はない。それよりも結局夢を果たせなかった事への無念の方が大きかった。
やはり、事前に三回も俵担ぎをしたのがいけなかったのか。玉城の体力も限界だったのだろう。もしそれがなかったら……例えば、ヒロミの代わりに、あたしがあそこにでていたら、担いでもらっていたのはあたしの方だったかもしれなかったのに。
生徒席にヘロヘロになりながら歩いて行く玉城の背中を、あたしは名残惜しく思いながら、見つめる事しかできなかった。