体育祭 障害物走(玉城)
暑い。
ただでさえ日が照っているというのに、真っ黒で長袖の学ランを着ているせいで、屋外にいるのにサウナにいるかの如く蒸されている。
なぜ体育祭の競技に学ランを着て参加しなければならないかというと、全ては保体の教師にして体育祭実行委員会の顧問である三ツ矢の思い付きだ。
「応援団とチアはその格好のまま競技に参加した方が盛り上がるのではないか」
俺以外にも学ランを着た男子、チアを着た女子……もちろん、ヒロミを含める……が数人、障害物走に参加している。
「それでは障害物走を始める前にですね、男女で別れて下さい、まず最初に男子が走ります、女子はこっちに来てください」
体育祭実行委員の一人が、女子を誘導してグラウンドの中央に連れて行く。
残った実行委員がこちらに向けて声を上げた。
「男子の皆さん、練習の時はなかったかもしれませんが、今回、本番ということで、一つ、障害が増やされています……『女子運び』と言いまして、レースの途中に女子がいるので、どなたでも構いません、一人運んでください」
実行委員の説明に男子が少しざわつく。
「おんぶとか、お姫様抱っことか、運び方はいろいろありますけども……もし運べない場合は、代わりに二人三脚をしてください、女子と一緒にゴールしてない場合は、ゴールが無効になります」
これはサプライズだな。
体育の時間に、俺たちは練習として障害物走を一度走っている。その時は『女子運び』なんて障害物はなかった。
女子の方を見るが、彼女たちもこのことは説明されていなかったらしい。驚いたり、困惑した顔をしている。
「玉ちゃん、またやらねえか? パシリをかけて」
どうやって運ぶかを思案していたところ、長谷川が二人三脚の時と同じ提案をしてきた。
「お前も懲りない奴だな」
「今回は負けねえぞ、マジで」
長谷川は自信があるようだ。確かに体育の時間でやった時、俺は長谷川に負けた。ただ、あの時は力を抜いて走ったし、なによりも今回のような、『女子運び競技』がなかった。長谷川のような非力な男なら、女子をおんぶで運ぶのも大変だろう。
しかし、俺の図体をもってすれば、いくらでも女子を運ぶことができる。
つまり、俺がかなり有利だということだ。
「悪いな長谷川、今回も俺のパシリになってもらうぞ」
「玉ちゃん、俺を舐めんなよ、今度は絶対パシらせてやるからな」
「ふん、またジュースを買わせてやる」
『それではこれより、二年生の障害物走を始めます』
アナウンスがグラウンドに響き渡った。
「みなさん始めますので……まずは一組から並んでください」
体育祭実行委員の指示で最初の男子がスタート位置に並ぶ。
……
順番が進み、俺と長谷川の番となった。
さあ、二度目のパシリをかけた対決の始まりだ。
「位置について……ヨーイ、ドン!」
パンッ
ピストルの音ともに、一斉に走り出す。横一列でのスタートだが、すぐに一つ目の障害物、『平均台』で差がついた。
まあ、俺が大きく遅れたわけだが。
横幅10cmのこの平均台は、俺にとっては小さすぎる。生来のバランスの悪さも相まって、慎重に歩かないと踏み外してしまうのだ。
『えっと、ゆっくりと歩いている最下位は応援団の……誰ですか? あ、玉城君、玉城君が最下位です、頑張ってください』
「がんばれー! 応援団!」
「急げ、ビリだぞー、応援団!」
やはり、学ランを着ている男がよたよたと平均台を渡っていれば目立つ。実況を兼ねる体育祭実行委員のアナウンスの言葉を皮切りに、生徒席の生徒たちが俺の事を応援……というか、煽り始めた。
くそ、いい晒し者じゃないか。せめてこの格好じゃなかったら「ただのとろい奴」程度で他の生徒たちからはスルーされていただろう。気まぐれでこの格好を提案した三ツ矢を恨むしかない。
やっとこさ、平均台を走り終える。もはや俺の横にも後ろにも誰もいない。
巻き返すためにスピードを出そうにも、すぐにまた次の障害物を突破しなければならず、減速せざるを得ない。
次の障害物は『網くぐり』である。
俺は網をくぐり、四つん這いになって進む。
網をもがきながら進むが、まるで、俺を捕えるために投げられた網から逃れているかのようだ。俺は強面でこの図体だし、きっと観客側からも珍獣大捕物に見えているだろう。
横を向いて、網を地面に押さえつけている体育祭実行委員を睨む。ビリの俺に、もうちょっと手心を加えてあげようとは思わないのか。この身体で網くぐりはマジできついんだ。
しかし、俺の心の中の懇願は実行委員には届かない。彼らの仕事をこなす姿勢は無慈悲なまでに忠実だった。
俺は何とか網をくぐり終え、また走りだす。
ようやくだが、ここからは俺の得意な障害物ばかりだ。やっと挽回できる。
次の障害物は、つるされているパンを、手を使わずに食べる『パン食い競争』だ。障害物走の定番といえるだろう。
この障害物で上手くパンを食えられず、ピョンピョンと跳んでいる生徒が何人かいる。俺はそいつらをしり目に得意満面な顔でパンを咥えた。ここにきてようやく俺のこの図体のデカさが役に立つ時が来たのだ。なにせ、パンの位置がちょうど俺の顔に来るからな。
さて、ここで一気に挽回できたが、俺の勝利条件はあくまで長谷川との一騎打ちに勝つ事だ。つまりは他の男子をいくら抜きさったって仕方ないのである。
長谷川はどこだ、と見渡すと、すでにあいつは次の障害物である『女子運び』のところまでいっていた。
速いな、とは思ったが、あいつに女子を運ぶ筋力はない。ということは、二人三脚をやらなければならないだろう。
予想通り、長谷川は二人三脚をするために女子と足を縛っている。急増の二人三脚ならば上手く走れまい。その間に、俺は女子をおんぶなり抱っこなりして運んでゴールである。
よし、これで一気に逆転だ……と思った矢先、長谷川と二人三脚を組んでいる女子に目が止まる。
……あの女子は確か、午前中の二人三脚競技で、長谷川と組んで二人三脚をやっていた女子じゃないか?
どうやら女子運びは同じクラスの女子を運ぶようだ。しかしこれはマズイ、確かあの二人のコンビは結構速かったはずだ。俺と花沢の息の合ったタッグでなければおそらくは太刀打ちできまい。
長谷川が二人三脚をして走り出す。やはり速い。急増ではないのだし、息がぴったりあっている。
これはどうする……長谷川のパシリなんて死んでもごめんだ。
「玉ちゃん、頑張って~」
そこへ、煽りとは違う、本当に声援が聞こえた。
女子運びのところにいる女子の一人、チアリーダーの格好をしているヒロミが、俺に向かって声援を送っているのだ。
その瞬間に、起死回生の策を閃いた。
俺はヒロミに向かって突撃するように走り寄った。
「た、玉ちゃん、頑張っ……」
俺はヒロミに咥えていたアンパンを渡す。
「え、これ……?」
「お前にやる」
これはこれからヒロミに行ってしまう『粗相』の前払いの慰謝料代わりである。
「あ、ありがとう……」
「それで、ヒロミ! お願いがあるんだが!」
「な、何?」
「お前を運ばせてくれ!」
「ぼ、僕!?」
ヒロミは面食らったようだが、この状況を打開するためには、気心の知れた仲であるヒロミを運ぶしかないのだ。
「べ、別にいいけどさ……」
「いいんだな!?」
「う、うん、いいよ……」
よし、了承は取れた。これはつまり俺の好きに運んでいい、ということだろう。
「ヒロミ、暴れるなよ、危ないからな」
「え?」
俺は中腰になると、右肩をヒロミの腹にくるようにしてそのまま、ゆっくりと立ち上がった。
「え、ちょ、ちょっと玉ちゃん!?」
「暴れるな、危ないから」
「ご、ごめん……」
まるで米俵を担ぐが如く、俺はヒロミを肩で担いだ。
これが俺の思いついた起死回生の策。つまり、『女子運び』の名前のとおり、女子を運ぶ。しかし、おんぶやお姫様抱っこでは上手く走れない。素早く走って運ぶためには、この俵担ぎしかないだろう。
運び方は自由と言っていたし、当然この運び方もオッケーのはずだ。
この格好だと、チア姿のヒロミのミニスカートがめくり上がって、豪快にスカートの中を晒す形になるが、ヒロミはアンスコを履いているし、この世界の男子は女子のスカートの中についてそこまで興味を持ってない。つまり、問題はない、と思う。
「ヒロミ、結構揺れるだろうけど、許してくれよ」
「わ、わかった……」
すでにヒロミの声はちょっと苦しそうだ。俺はゴールに向けて走る。
俺のためにもヒロミのためにも早くゴールしなくてはいけない。
『おおっと、応援団の玉城君、すごい運び方で走っている! 女子を担いでいます!』
アナウンスが煽り、生徒席からひときわ大きな歓声が上がった気がした。周りを見て確認することはできない。俺は脇目も振らずにゴール目指して走るだけだ。
『玉城君、物凄い勢いです、二人三脚をしている白組の男子に迫っています』
アナウンスで前方にいる長谷川がこちらに振りかえった。
その顔は驚愕の表情を浮かべている。
もはや長谷川は捉えた。
ラストは直線。長谷川との距離は約10m。俺はスパートをかけた。
あと4m。向こうも速い。だが確実に距離は詰めている。
あと2m。もう手を伸ばせば背中に触れそうだ。
長谷川と並ぶ。そしてゴールも目の前。
そして、ゴールの白線を先に踏んだのは……微差だが、俺だった。
勝利の余韻にひたるのはおいておき、俺はひとまず、ヒロミを丁寧に下した。
「すまん、大丈夫だったか、ヒロミ」
「だ、大丈夫……じゃないかも……」
ヒロミはお腹をさすりながら少し青い顔をしていた。いかん、勝負事に夢中になってヒロミをないがしろにし過ぎた。
「すまん、本当にすまん」
「う、うん、いいよ別に……」
俺はヒロミのお腹を擦る手を上から握る。これはセクハラではなく、思いやりからの行動だ。
「ち、ちくしょう、そんなのありかよ、玉ちゃん……」
息を切らせながら、長谷川が声をかけてくる。
「ヒロミ、本当に悪かった……お詫びに長谷川が放課後に何か奢るからな」
「え、俺が!?」
俺に負けてパシリになったんだから、それくらいはやって当然だ。
「……あの、すみません……次のレースをやりたいので、はけてほしいんですけど」
ゴール前で、いつまでもグダグダやっている俺たちに、体育祭実行委員が恐る恐る言いに来た。
「ヒロミ、大丈夫か? 歩けるか? 抱っこするか?」
「だ、抱っこ!? ……い、いや、歩けるから……」
「そうか、無理するなよ」
「う、うん……」
俺はヒロミに付き添いながら、コースからはけた。
「すみません、今度は女子が走る番なんですが……えーと、何人かの男子は『男子運び』に参加してほしいんですけど……多分、みんな二人三脚になると思うので大丈夫です」
走り終え、コース外にいる俺たち男子に、明らかに気を使っている声色で体育祭実行委員が呼びかける。
貞操観念が逆転したこの世界だと、異性との接触に気を使われるのは男子の方だ。
「あ、あの、出来れば応援団の方は積極的に参加してください…その方が盛り上がるので……」
そんなことを言われれば、参加せざるを得ないだろう。
「長谷川、お前どうする?」
「うーん、面倒くさそうだからパス」
長谷川は手を挙げて答えると、生徒席に戻っていく。
「人数が足りない場合は、何回か同じ人がやっていただくんですけれども……特に応援団の方は何回もお願いする場合があると思います」
俺は大きく頷いた。
いいだろう、女子と触れ合う機会が増えるのは望むところだ。
「それでは、今残ってる方々で、グラウンドの方にお願いします」
男はだいぶ減ったが……人数から考えて、二、三回くらいやればいいか。
女子の障害物走が始まった。
グラウンドの真ん中で待機していると、早速俺が体育祭実行委員に呼ばれた。
コース上に立つと、女子たちが障害物を乗り越えて走り込んでくる。
先頭で走ってきた女子は、迷わず俺のもとに来た。
コースには何人かの男子が横一列に並んでいるが、やはり、学ランを着ているやつの方が目立つか。
「あ、あのさ……」
「おう」
俺の目の前に来たのは、見知らぬ女子だ。他の組の女子だろう。
「私の事、運んでほしいんだけどさ!」
「うん? 俺がお前を運ぶのか?」
「お願い!」
女子が頭を下げる。
まあ、女子が『男子運び』なんて出来るわけないし、二人三脚になると思っていたが、まさか『俺』が運ぶことになるとは。これでは先ほどの『女子運び』と一緒だ。
だがまあ、運ぶくらいは問題ない。女子と触れ合えるのは、俺にとっても望ましい事なのだ。
「分かった……えっと、どう運ぶかな?」
やはり、順当に考えればおんぶだが……ここはサービス精神を発揮してお姫様抱っこなんてのもありだろう。この世界だと、お姫様抱っこは女子にかなり人気があるからな。
「あの、さっきのやつがいいんだけど!」
「え?」
「あの、チアの子を運んでたやつ!」
あの俵担ぎのことか? あんなのでいいのか?
疑問に思ったが、この子の真剣な目を見て、本気で言っているのだと理解した。
いいだろう、何であんな持ち方がいいのかはわからないが、お望みとあればやってやろうじゃないか。
「ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢出来るか?」
「する!」
女子から良い返事をもらい、俺はヒロミの時と同じく、肩で女子を担ぐ。
オーーー!!
生徒席から歓声が飛んでくる。
『あ、応援団の玉城君、また女子を担いでいます』
この女子はヒロミよりも少し重いが、走れない程ではない。
俺は走った。
もともとトップで走り込んできた女子だ。さらにそこから俺が全力疾走で運んでいるわけだから、当然、一位でゴールテープを切ることが出来た。
「下すぞ」
一声かけて、女子を下した。
「ありがとうね! 玉城君!」
「ああ、まあ、気にするな……ふう」
さすがにヒロミと女子の二連続俵担ぎでの全力疾走は堪える。体力的にも疲れたし、学ランと長ズボンは熱を逃してくれない構造だから、余計に体力を消耗した気がする。
「すみません、応援団の方、またグラウンドの方に行っていただけると……」
「分かってる……」
俺は息を切らせながら返事をすると、またグラウンドの中央に戻っていった。
それから俺は、ほぼ休みなく二回も女子を俵担ぎにしてゴールまで運んだ。
俺の見立てでは、二、三回で済むと思ったのだが、なぜか体育祭実行委員が俺を優先的にコースに押し出すのだ。結果としてまだ女子の障害物走は半分も消化できていない。
しかも、俺のもとに来る女子が、みんな俵担ぎを希望してくる。
これは新手のイジメか、やはり俺はさらし者になっているのか。
そんな疑問もわいてくるが、しかし、それすら深く考えることができないくらいに、疲労がたまっていた。
女子を運びを終え、ヘトヘトになりながらグラウンドの中央に戻ると、またすぐに体育祭実行員が俺をコースに促してくる。
「すみません、玉城さん、またお願いします」
「はあ、はあ……」
俺も荒い息を返事代わりにして頷き、コースに出た。
断ればいいのかもしれないが、なんだか周りの空気が『出ろ出ろ』と言っている気がするのだ。
その証拠に、俺が俵担ぎで女子を運ぶたびに、歓声が上がるし、生徒席では女子ではなく、むしろ俺を応援する声がかなり目立っている。アナウンスも、完全に俺の様子を実況しているという状況だ。
いうなれば、「俺が俵担ぎをすれば盛り上がる」という空気が出来上がっていると言っても過言ではない。
体育祭の盛り上げ役である応援団として、この空気を壊すのは避けたかった。
しかし、体力のギリギリであることには変わりない。正直もうあと一人くらいが限界である。それも秋名クラスの小柄な女子限定で……
「玉城君!」
俺の目の前に、ほぼ俺と目線を同じくする女子が走り込んできた。
この学年で、おそらく最も背の高い女子、そして俺のクラスメイトだ。
「あ、あたしも……あたしにも……」
俺は膝に手を当てて身体を支えながら中腰になると、そのまま膝を地面につけた。
「すまん! 花沢! 二人三脚で勘弁してくれ!」
流れるように土下座で懇願した。
さすがにこんな疲れた状態で花沢を担ぐのは不可能だ。……いや、体力が満タンの時だって、無理じゃないだろうか。
「え!? あ、え!? わ、わかった、全然いいよ! 二人三脚やろう!」
「本当にすまん……」
「いいから! いいから立って!」
花沢が俺を助け起こす。
せっかく盛り上がっていた空気を壊すかもしれないが、無理なものは無理だ。
花沢が自分の鉢巻を取ると、急いで俺の足と自分の足を結んだ。
「よし、行こう!」
俺は花沢の腰に手を回した。二人三脚をやる時はこれだ。
花沢もこちらの腰に手を回す。
俺たちは走りだした。
『おっと、玉城君、どうやら肩で担ぐのは止めたようです、さすがに疲労困憊だったか』
「頑張れ、応援団~」
「応援団、よくやったぞ~」
盛り下がるかと思ったが、意外とオーディエンスの反応は暖かかった。俺はその応援を背に、走る力を強める。
もともと花沢とは二人三脚のペアで組んでいたのだ。俺たちの速度は他に追随を許さない。
二位以下を大きく引き離し、俺と花沢はゴールした。
「よっし、一位だな、花沢……」
「そ、そうだね、玉城君……」
俺は花沢と結んだ鉢巻を取って、花沢に返すと、そのままグラウンドに戻らず、生徒席の方に歩いて行く。
「あれ、玉城君、戻るの?」
「ああ……もう、しんどいからな……」
もうへとへとだ。体育祭の残り時間は大人しく生徒席に座っていよう。