体育祭 昼休み(加咲)
『二年の玉城君、至急朝礼台横のテントまで来てください、繰り返します、二年の玉城君、至急朝礼台横の……』
このアナウンスに生徒席で私とはっちゃんは顔を見合わせた。
「二年の玉城君って、玉城先輩だよね? ……どうしたんだろう?」
「騎馬戦で大将を変更したのがダメだったとかかな?」
玉城先輩は、顔は恐いけど性格は温厚な人だ。呼び出しを食らうような人じゃない。だとすると、何か体育祭でマズイことがあったのだろう。
「あー……それあるかもね、まさかあそこで玉城先輩が来るとは思わなかったし……」
「うん、驚いた」
はっちゃんの言葉に頷く私。
「それに……エロかったね、先輩……」
「うん、エッチだった」
はっちゃんの言葉に深く頷く私。
先輩は体操服を引っ張られ、鎖骨のあたりまで見えていた。学園ものアニメのサービスシーンとして騎馬戦のネタはよく使われるけど、実際に見てみると、その迫力もさることながら、体操服が脱げてしまうんじゃないか、というハラハラとしたエロが見れて、とても興奮してしまった。
「スマホで撮っておけばよかったかな、あー、持って来ればよかった……」
「……稔が撮ってるかも」
「お、さすが稔ちゃん! やるね」
「わからないけどね、でも稔なら……そういうところ抜かりないし」
妹は私と違って要領が良いうえに、私とエロに対しての趣向が似ている。騎馬戦の時、スマホのムービーモードで先輩を撮るくらいの機転を利かせててもおかしくはない。
「あれ? でも稔ちゃんって、学校どうしたの? 休み?」
「うん、今日は休みにしたの」
「へえ……あ、咲ちゃん、これからどうする? どこでお昼ご飯食べる?」
「家族で食べる予定、お母さんがお弁当作ってたし」
「マジ? そっちで食べる?」
「うん、はっちゃんも来る?」
「そうだね~……」
お母さんは、今朝かなり大目に弁当を作っていた。きっとはっちゃんが食べにきても大丈夫だろう。
「発子、発子……」
私達が話していると、若い女の人がはっちゃんに話しかけてきた。
雰囲気がはっちゃんに似ているし、多分はっちゃんの家族だろう。お姉さんだろうか。
「あ、お母さん」
どうやらはっちゃんのお母さんだったようだ。初めて見たけどかなり若い。
はっちゃんのお母さんがこちらを見て会釈をした。
「発子のお友達? 発子と仲良くしてくれてありがとうね」
「……どうも」
私も会釈で返す。
「こっち咲ちゃんね、加咲たわわちゃん」
「ああ、あなたが咲ちゃん」
はっちゃんが、はっちゃんのお母さんに私を紹介し、
「んで、こっちがお母さん」
私に、はっちゃんのお母さんを紹介する。
私はもう一度、軽い会釈をした。
初めての人って何を話していいかわからない。家の喫茶店にくるお客さんとかだと、定型文で対応できるんだけど、それ以外のこういう場面だと黙ってしまう。
「お母さん、なんかよう?」
「なんかよう、じゃないわよ、お昼ご飯、作ってきたんだから」
「ええ、なんで張りきっちゃってるの?」
「張り切ってるわけじゃないけど……なに、お昼いらないの?」
「いらないとは言っていない」
「どっちなのよ!」
はっちゃんとおばさんって母娘というより、見た目通りの姉妹に見える。私はお母さんとこういう気軽なやりとりをしたことはない。
「咲ちゃんも一緒に食べるかしら?」
おばさんに聞かれ、私は首を横に振った。
「咲ちゃんは咲ちゃんの家族で食べるんだってさ」
「あら、そうなの」
「というわけで私もそっちで食べるので……」
「あなたはこっちで食べなさい」
おばさんがはっちゃんの首根っこを掴んだ。本当にコントみたいなやりとりをしている。
「あ、お姉ちゃーん」
聞き覚えのある声がしたので、そちらを見ると、稔が手を振ってこちらに近づいてきた。隣にはお母さんもいる。
「お、稔ちゃーん、それにおばさんも」
「はっちゃんさんもいたんですね、うちで一緒にお昼食べます?」
私よりも先にはっちゃんが対応し、稔も気軽に返事をした。
「発子」
おばさんが小さな声ではっちゃんに声をかける。紹介してほしい、ということなのだろう。
「稔ちゃん、おばさん、こっち私のお母さんね」
「どうも発子の母です、娘がお世話になっております」
おばさんが頭を深々と下げると、それと負けないくらいお母さんが頭を下げた。
「こちらこそお世話になっております、たわわの母です」
「あの、喫茶店をやってらっしゃると……」
「ああ、そうなんです、駅前でやっておりまして」
「それなら、帰りによってみようかしら?」
「すみません、今日は臨時休業してまして……」
「あ、そうよね、私ったら……」
「いえいえ、もし近くまで来たら是非寄ってください、歓迎いたします」
お母さんが敬語になるのって珍しいな、と思いながらはっちゃんの方を見ると、稔と何か話していた。
私はそんな四人の様子をぼうっとしながら見ていた。私は三人以上人がいると、会話に加わらなくなる。そういう性格なのだ。
「ちなみに秋名さんは、お昼ご飯はどうされますか? よろしければ一緒に?」
「あら、いいんですか?」
「ええ、みんなで食べた方が美味しいですし、たくさん作ってきましたから」
「実は私も少し多めに作ってきたんです」
どうやらはっちゃんのうちと合同でご飯を食べることになりそうだ。
「いまうちのお父さんが、玉城さんと二人で話してるよ」
「え、マジで?」
稔の「玉城さん」という言葉に反応して、私はお母さん達の会話ではなく、稔とはっちゃん達の会話に耳を傾けた。
「なんかね、お父さんが話したいことがあるんだって」
「へえ~、何を話すの?」
「知らなーい」
そういえば、昨日の夜、お父さんが帰ってきた時にお母さんが玉城先輩の事をお父さんに話していた。
個人的に話したいことがある、と言ったが……私の事を話すのだろうか。オタク趣味の娘です、とか余計なことをばらさないといいんだけど……
「そういえば、咲ちゃんのお父さんって単身赴任してたんだっけ」
「うん、今日だけ休みにしてもらったんだって」
何の仕事しているのかよく知らないけど、お父さんは忙しい人らしく、休みの日もあまり帰って来れない。またすぐに明日の朝に発つ予定だ。
「発子、加咲さんのシートにお邪魔することになったからね」
「オッケー、そこに玉城先輩もいるらしいよ」
「あら、そうなの、挨拶しとかなきゃね」
「それじゃあ、たわわ、稔、行くよ」
「はーい」
私は特に返事をせず、お母さんの後に続いた。
シートに行くと、お父さんと玉城先輩が、手をシートにつけて頭を下げあっていた。
「あれ、何やってるんですか、玉城さん」
稔が声をかけると、玉城先輩が顔を上げて振り返り、少し驚いた顔をすると、取り繕うように言った。
「いやまあ、男の話をな……」
何だか、私を見て言葉を濁しているようだ。お父さん、まさか本当に私の事でよくないことを言ったんじゃ……
「玉城先輩、咲ちゃんのところにいたんですね」
「ああ、稔に誘われてな」
「……立ち話も何ですし、どうぞ、座って下さい」
お父さんに言われ、私達はシートに座った。結構大きめのシートだけど、さすがに七人で座るにしては狭い。私はどうせ会話に入らないし、隅っこで静かにしてようと思った。
「玉城君、何でそんなところにいるの、こっちに来な」
玉城先輩の方を見ると、シートの端の方に足を半分出す形で座っている。どうやら私と同じ発想だったらしい。ちょっと親近感がわいた。
「いや、でも……」
「いいから来なって、玉城君が主役みたいなものなんだし」
「え?」
確かにこのメンバーの中だったら玉城先輩が主役だ。お父さんを除いて唯一の男性だし、一番気を使わなければいけない人だろう。
先輩が不安そうにキョロキョロしながら少し前に出る。
「それじゃあお昼にしましょうか」
お母さんがシートの隅に置かれていた重箱を真ん中に持ってくると、どんどんふたを開け始めた。一段目には山盛りのから揚げ、二段目は山盛りの卵焼きやサラダや煮物など、三段目は隙間なく敷き詰められた混ぜご飯。どれも美味しそうだ。
はっちゃんのおばさんも鞄からタッパを取り出し、蓋を開ける。
「お母さん、なに作ってきたの?」
「今日は発子の好きなハンバーグね」
「ええ!?」
先輩が急に驚いたような大声を出した。
「どうしたんですか、先輩、大きな声を出して?」
「そちらの女性は……お前のお母さんなのか?」
「……いやあ、そうなんですよ、恥ずかしながら」
「ちょっと発子、恥ずかしながらってどういう意味よ」
玉城先輩も、はっちゃんのお母さんには初めて会ったようだ。確かに最初は少し年の離れた姉妹に見える。
「玉城君……よね? 発子から聞いてます、仲良くしてくれているようでありがとうね」
「い、いえ、こちらこそ……」
おばさんと玉城先輩がお互いにお辞儀をした。
「玉城君、うちのハンバーグとかどう?」
「え? いいんですか?」
「いいのいいの、遠慮しないで」
「それなら……いただきます」
おばさんが紙皿を取り出すと、そこにハンバーグをてんこ盛りにする。
「玉城君、うちのから揚げもどう?」
「あ、いただきます」
すると、お母さんがおばさんに対抗するように、から揚げをたくさん紙皿に置いた。
さらにおばさんが新しいお皿とりだすと、そこにおにぎりを置く、お母さんも混ぜご飯をそこに大量に盛る。
あっという間に、玉城先輩の前に大盛りの二皿が出来上がった。
何かこんな光景、おばあちゃんの家とかに行くとよく見かける。
玉城先輩はその二皿を受け取り、少し戸惑いながらも、から揚げにかぶりついた。
「お母さん、今日は咲ちゃんのお父さんが単身赴任で久しぶりに帰ってきたんだってよ」
「え? そうだったの? ……すみません、お邪魔してしまって……」
「あ、いえいえ、気にしないでください、うちの人は大人しいから、人がたくさんいてくれた方が賑やかでいいんですよ」
「……ちなみに、どういったお仕事をされてらっしゃるんですか?」
「メーカーに勤めていまして……いまは九州の方に」
「そうなんですね~……加咲さんは喫茶店を経営してらっしゃいますけど、そちらのほうはずっと奥さんが?」
「もともと加咲家が喫茶店をしていまして、それは私が継いだんです」
「あ、加咲さんは奥さんの方の性なんですね」
「僕は婿養子ですので……」
お母さんとお父さんとおばさんで話が盛り上がっている。大人の話だ。当然、私は入っていけないし、行く気もない。もしゃもしゃとから揚げを食べる。
「だからさ、本当に意味わかんないわけ、なんで体育祭を練習しなきゃいけないのかって」
「わかるぅ、うちの学校も運動会の練習してるけど、開会式の練習とか特に意味わかんない」
はっちゃんは稔と一緒に体育祭の愚痴で盛り上がっていた。はっちゃんと稔は同じ陽気属性持ちで波長が合うのだろう。この二人が揃うと、いつも私そっちのけで話し始めるのだ。
まあ、それでもいい。私はこのから揚げを食べるだけだ。
私だけ会話の輪に入れてないけど、別に寂しくはない。私は昔からこんな感じだし。根暗だもん。むしろ人と会話するのが面倒くさいというか辛いというか……
「……たわわ」
「はい?」
玉城先輩が私の隣に移動してきた。
「ど、どうしたんですか?」
「これ食べるの、手伝ってくれ」
玉城先輩の両手にはあの大盛りの皿がある。
「たくさん貰ったんだが、食べきれないんだ」
そういって、私の横に座る。
先輩が二つの皿を私達の前に並べた。
二人ならんで、お皿に盛られたから揚げやハンバーグを食べ、混ぜご飯をつまみ、おにぎりをほおばる。
私と先輩の間に会話はない。あるのは咀嚼音くらいだ。
このシートは五人の話声で喧騒に包まれているけど、私と先輩の周りだけは不思議な静寂に包まれている気がする。
まるで見えないバリアを張ったかのように、私達側と向こう側で分かれているような不思議な感覚……しかし、それは決して居心地が悪いものではなかった。
むしろ、話す努力をしなくていい分、私にとっては楽な事に思える。
前にお母さんが話していた。「同じことをすると仲良くなれる」って。今まさに、先輩と私はそれをしているのだと思う。
お母さんもお父さんもおばさんも、話すことで仲良くなっている。
稔もはっちゃんも話すことで仲良くなっている。
私と先輩は食べることによって仲良くなっているのだと思う。
チラリと先輩の方を見た。
先輩は黙々と皿の上のおかずを食べている。しかし、一定のリズムで食べている先輩の様子は、どこか、声を出さずに意思の疎通をはかろうとしているのではないかと思えた。
ふと、先輩の視線が重箱の方を見た気がした。
私はすかさず重箱をとると、二段目を先輩の前に置く。
「気が利くな、ありがとう」
サラダをつまみながらお礼を言う先輩に、私は会釈で返した。
脂っこいものばかり食べていた先輩が野菜を欲したことを察した私のファインプレーだ。
……いや、違う、これはきっと「声を出さない会話」をしていたせいだろう。普通なら声に出して、「サラダをくれ」と頼むところだが、もう私と先輩の間にそんな無駄な会話は必要ない。
言うなれば、私と先輩の関係はより親密に、一段上のステージに昇ったと考えていいはずだ。
この事実を自覚した時、私はちょっとした幸福感と優越感に包まれた。男子とこんな特別なコミュニケーションが出来る関係になれるなんて、夢にも思わなかった。
「……あら、ごめんなさい、玉城君、主役だとか言っておきながら放っておいたりして」
「ああ、いえ、大丈夫です、お昼ご飯を美味しくいただいていました」
お母さんが玉城先輩を放置していることに気が付いた。
でも大丈夫だ。先輩はずっと私と声のない会話をしていたから、先輩は寂しい思いはしていない。
「お姉ちゃんもさ、玉城さんに話しかければいいのに、なんかずっと黙ってたよねえ」
「咲ちゃんはね、こういうところだと話さなくなっちゃうんだよね」
「わかるぅ、お姉ちゃんってそういうタイプ」
陽気な二人組が陰気な私をいじることで意気投合している。本当にこの二人は揃うと手が付けられない。というか、鬱陶しい。
でも、この二人は分かっていない。私が先輩と会話をしていたことに。
私は、ふっ、と二人を鼻で笑った。私はすでにこの二人とはステージが違う。
「……咲ちゃん、どうしたの?」
「あれはお姉ちゃんが調子に乗ってる顔ですよ……」
こちらの様子を見て、ヒソヒソ話をする二人。
まだイジるというのなら、見せてやるしかない。先輩と私の会話を。
私はジッと玉城先輩を見た。
その瞬間、お母さんたちと話していた先輩が、チラリとこちらを向く。
声をかけたわけでもないのにこちらを向いた……これはもう、完全に意思の疎通が出来ている証拠だ。
ドヤッと二人を見る。
「……咲ちゃんはさっきから何をしてるの?」
「さあ……」
まだわからないのか。
それならと、私はさらに先輩をジッと見つめる。
『先輩、そのお皿に乗っているから揚げを私に下さい』
そう念じながら。
「……たわわ? どうした?」
先輩が心配げな顔でこちらに声をかける。違う、声を発してはいけないのだ。私の思いを感じ取ってほしい。
「たわわ?」
「……」
「……本当にどうしたんだ?」
「……」
私は目を見開いたり、細めたりしながら、なんとか自分の思いを伝える。
「……これが欲しいのか?」
先輩が紙コップにカフェオレを注いで、渡してきた。
……実はちょっと喉が渇いていたのだ。だからこれも間違いじゃない。うん、思いは伝わっている。
私はカフェオレを飲んだ。美味しい。そうだ、私はこれを飲みたかったのだ。
「ごめんね、玉城君、変な娘で……」
「……ねえ、稔ちゃん、咲ちゃんの一連のあれは結局なんだったの?」
「さあ……」
外野がとやかく言っているけど、そんなのは無視だ。
まあ、私の想定していたステージに行けてなかったということがわかったけど、でも確実に先輩との関係は深まったから色々含めて結果オーライだと思う。
私は自分を誤魔化すようにカフェオレを一気飲みした。