満員電車の中(玉城)
揺れる満員電車。
この世界に来てもこの混み具合は変わらないらしい。
学校まではあと五駅。もうちょっと近場の学校に入ればよかったとこんな時に後悔する。
視線を感じた。
ちらり、と横目を向くと、くたびれたキャリアウーマンがこちらを見ていた。
目があった瞬間に向こうが焦ったようにソッポを向く。
この世界に来てから、気のせいでなくよくあることである。
何の気なしに吊り革広告を見ると、今売出し中のグラビアアイドルの『青年』が上半身裸で白い歯を見せながら笑っていた。
この世界は、貞操観念が逆転している。
女性が下ネタを躊躇なく言う。街を歩けば声をかけてくるのは女性のほうだ。この電車に乗って、臀部を女性に触られたこともあった。
なぜ自分がこんな世界に来てしまったのか、それはわからないが、来てしまった以上はしかたない。幸いなことに貞操観念が逆転していること以外は自分を取り巻く環境は変わっていなかったので、この世界に順応すること自体はそこまで苦ではなかった。
電車が止まる。学校まであと四駅だ
ドアが開いた。こんな満員電車でもさらに人は入ってくる。サラリーマンやOL、そして俺と同じ学校に通う学生……。
吊革につかまり、ドアの近くに立っていた俺に、入ってきた女学生が抱きついてきた。
「……」
「……おい」
「あ、どうも先輩」
「どうも、じゃない」
俺に抱きついてきた女学生、名前は秋名発子という。
こいつは決まってこの車両のこのドアから乗り込んでくる……まあ、俺がいつもここに立っているからだが。
「お前な、いきなり抱きついてくる奴がいるか、まず最初に挨拶くらいしろ」
「すみません、眠くて……」
秋名は大きく欠伸をすると、まるで悪びれた様子もなく、俺の腰に手を回し、俺の胸に顔をうずめた。
はあ、とため息をつく。こいつとは前の世界から知り合いだった。といっても顔見知り程度で、直接話したことなどないくらいの知り合いだ。
なんでそんな程度の後輩にこの世界に来てから躊躇なく抱きつかれる関係になったかというと……まあ、それは話が長くなるから置いておく。
しかし、改めて思うと、この状況は前の世界では考えられないことだ。強面で通っている俺に、女子の方から抱きついてくるなんて。
秋名は小動物系と言っていいのか、とにかく人懐っこいやつで、俺とは正反対の性格をしている。よく喋り、よく動く。前の世界ではそのコミュ力で「クラスではモテるタイプ」という話を聞いていたが、この世界では「ただのお調子者」として扱われているらしい。
顔は童顔で、俺の美的感覚からいうと可愛いタイプだと思う。背は小っちゃく……俺がデカいだけかもしれないが……頭が俺の胸部分にくる。
体型はスレンダーだが、貧相とは違う。女性らしい丸みを持つ部分もあるし、このように抱きつかれれば当然、胸のふくらみというものもはっきりと感じることができる。
しかし、さっきからやたらとコイツの鼻息が俺の胸にあたる。
もしかしてまた気分でも悪くなったのだろうか?
「……秋名」
「……ふわい?」
俺が顔を下に向けると、
秋名は顔を少し上げ、目をこちらに向けて返事をした。鼻から下は決して俺の胸から離れない。
「大丈夫か?」
「なにがでふか?」
俺の胸から口を離さないせいで声がくぐもっている。
「また気分悪くなっていないか?」
「はいじょぶでふ」
大丈夫です……と言っているのだろう。
「そうか……息が荒かったから、もしかして、と思ったんだが……」
「……」
「というか、気分が悪くないのならもう離れてもいいんじゃないか?」
「……ふごくひぶんがわるふなっへひまひた」
すごく気分が悪くなってきました……かな、ずいぶんと都合よく気分が悪くなるようだ。
というか、こいつが俺の胸に口をつけて話すせいで、俺の胸がこいつの吐息で熱気を帯びている。これ、制服の胸の部分は絶対湿っているだろうな……。
「……」
「……」
俺が見下ろし、秋名が見上げる。秋名の目は心なしか潤んでいるように見える。
「……」
「……」
数秒のお見合いのうち、俺が視線を外した。
俺からの許可が降りたと判断した秋名はまた顔全体を俺の胸に押し付ける。
はあ、とまたもため息をつく。この世界に順応できたと思っていたが、やはりまだどこか、この世界の異常性に慣れきれていない自分がいる。