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 私はパセリ。本名ではない。皆からそう呼ばれているだけだ。何時の頃からそう呼ばれているのかはもはや忘却の彼方だが、私が私であると胸を張って言えるように、私はパセリであることに誇りを持っている。


 私がその世界を認識するようになったのは、広く青い空の下緑が茂るラベンダーの丘でのことだった。当時の私は右も左もわからぬ幼少期。私が在るこの世界が全盲白痴の神が奏でる笛の音によって生み出されたものだとは露ほども理解しておらず、また我々人類など取るに足らない、真の支配階級に足り得ない存在であることなど霞ほども考えていなかった。ただ純粋に、明日は今日よりいい日であれ、と下駄に願いをかける純粋にして純朴、混じりけのない素直さを持ち合わせた少女に過ぎなかった。


 その時の私は道に迷って酷い錯乱状態にあり、どこをどう歩いていたのは憶えていないが何かに導かれるように、あるいは何かを求めるようにこの丘までやってきた。私を出迎えたのは、ディムルッドという騎士だった。


 どの国の年代にも充て嵌らない鎧を着て、鋼の剣を携えている。顔を覆うヘルムのスリットから覗く紅い双眸はまるで珍妙な玩具を見つけた子供のように私を見つめていた。私も彼を見つめる。そして彼はディムルッド・バイヤと名乗り、私はパセリと名乗った。


 ディムルッドは普通ではなかった。それどころか、この世の存在ですらなかった。私は驚いたが、同時に納得もした。彼が纏う雰囲気は今まで感じたことのないもので、まるで悪夢の中から抜け出したかのようなぬるぬるとした温かさがあったからだ。蒼丘に佇む騎士、そしてその背後には身の丈の何倍もある大きな壁。幾何学的な文様が彫られた壁はよく見ると非科学的な生物を象ったかのような像が刻みこまれ、地球上のどの文明にもないような印象的な図形を示している。さらによく観察すると、壁の中央には天と地を結ぶかのような溝があることに気がついた。それで私はこれが何であるかを思い知る。扉だ。人間のためではない、もっと高次元に位置するモノが拵えた、彼らのための物。その扉の前で佇む灼眼の騎士その姿は、一枚の絵画のように高貴で高潔で誇り高く、または正気を疑う光景だった。十にも満たない私にも、真に美しいものがどういうものなのかは遺伝子に刻まれていたのだろう。その神秘的と形容するたたずまいに私は魂を奪われたかのように目を奪われた。


 今思えば奇妙なことだが、私とディムルッドは日本語でコミュニケーションを取っていた。だがそんなことは意に反さず、彼は自らを《夢の住人》と言い、私の住むこの世界とは全く異なる世界からやってきたのだという。本来ならそんな作り話は一笑に付し、世迷いごとだと吐き捨てるのが正しい選択だろうが、私には彼の話は魅力溢れるものに聞こえた。彼はその世界のことについて語ってくれ、私を楽しませてくれた。私が笑うと彼もヘルムの下で笑い、私が悲しむと共に悲しんでくれた。彼の声音は低く重く、さりとて圧迫するでもなく、また耳で捉える音ではなかった。念波を脳に直接意味を送り込んでいる、とディムルッドは説明したが私にはどうでもいいことだった。 私は音波で意思を伝え、彼は念波で応える。傍から見れば私が一人で喋っているだけのように思われるが、それは間違いである。私たちは確かに会話を楽しんでいたのだ。そもそも、この場面を目撃した第三者なぞ存在しなかったのだが。


 彼のことは私だけの秘密にしたいと思い、家に帰った後も誰にもこの不思議な会合を話さなかった。


 翌日、頼りない記憶を基に例の丘まで足を運んだ。果たして、そこにはまた現実離れした巨大な扉と騎士がいた。いつも彼はそこにいて、私に向こうの世界の話をしてくれた。向こうの世界――彼言うところの《幻夢の世》では、木の実を擦り潰して絞ったレバンガという飲み物があり、これはこちらで言う酒のようなものだという。飲むと気分が良くなり、思考をかき乱す。ディルムッドもレバンガが好物で、よく飲んでは失態を晒すという人間味溢れるエピソードを聞かせてくれた。私もそれを飲んでみたいと彼に頼んでみたが、《幻夢の世》の物をこちらに持ってくるのはご法度で、規律で定められた品物以外は持ち込みできないと断られた。


 彼はどんな時でも扉の前にいた。何かを待っているかのように。あるいはその場に縫い付けられているかのように。私はその理由を問うてみたが、お茶を濁すばかりで答えは得られなかった。その代わり、扉のことについては教えてくれた。扉の名称は《彼我の門》といい、《幻夢の世》とこの世界を繋ぐ役割を持っている。彼もその門をくぐってこちらにやって来たのだそうだ。この門をくぐる資格があるのは銀の鍵と呼ばれる鍵を持つ者だけで、私がいくら頼みこんでも向こうへは連れて行ってもらえず、門を開いて覗くことすら許されなかった。


 季節が一巡する頃、私はディルムッドにある提案をした。私の友人であるドリガルとエスタシアもこの会合に参加させてはもらえないだろうか、と。だが彼の返答は断固とした否だった。彼は私以外の人間に会うことを極端に嫌っていた。そのことは私のアドバンテージとなり、密かな優越感に浸る要因となった。


 それから私は、足繁くこの場所へと足を運ぶようになる。雨の日も風の日も、暑い日も雪の日も。






 外なる宇宙より飛来する禍ツ神々にとっては蝋燭の揺らめき、刹那の夢でしかないような時間でも、私にとって取り巻く環境が大きく変容するために十分すぎる永き時が過ぎた。金畑学園高等部に進学し三年も経過すると。かつて夢見た理想が所詮は幻想に過ぎないという世界の理が身に染みていた。いくつもの出会いと別れを繰り返したが、私は親友のドリガルとエスタシアとの縁だけは切れないようにと願い、事実その通りとなって現在に至る。ディルムッドや《幻夢の世》のことについて語ってみたものの理解してもらえなかったが、私から離れて行くようなことはなかった。そんな彼女らには感謝の言葉を重ねに重ね、熨斗をつけて贈答したい。


 さて、日本に置いて高校生活の三年目とは人生に置いて大きな節目となる。大学進学か就職か、はたまた別の道か。成績に大きな問題はなく、出席日数もこのままいけば足りるので私は留年ということはないだろう。だがしかし、問題は別のところにあった。クラスメイトが自らの進む道を見定め、そこに向かって己を高めて行く時期になったというのに、私は一向に進路が決まらなかった。志望校。模擬試験。受験。内定。そういった言葉を耳にする度に、言いようのない不安と吐き気、おぞましさを感じる。夢に向かってひたむきに努力する姿は尊く眩しいものだと頭では理解していても、その後ろ、私を見下ろす私はなんと無意味な行為だろうと冷めた目線で見ている。


 夢の世界へ行くことができれば。ディルムッドがもたらした光はこの年になっても私の心を捉えて離さなかった。

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