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弟子

右頬骨陥没骨折―

中村少佐は、勤務時間後の課外活動である韓手道場へ復帰するのにたっぷり1週間を要した。

復帰してからも、すぐには練習に参加できなかった。

練習前後は、準備や後片付け、練習中は見学で時間を過ごした。

道場の脇に起立して、両手を腹のあたりで握り合わせた姿勢で、目前で繰り広げられている乱取り稽古を見学した。

今日は7・8人の韓国陸軍幼年学校の女子生徒と、1ダースほどの日本人の軍人が、乱取り稽古をしていた。

日本軍人たちは所定の白い胴着を着せられていたが、その胴着はいずれも繊維はすり減り、色はくすんで、彼らのみすぼらしさを倍加させていた。

一方、韓国の女子生徒たちは皆、色とりどりで思い思いの私服のトレーニングウェアを身にまとい、殺風景な道場を鮮やかに彩っていた。

下着のように小さく、デザイン性を重視したピンク色のスポーツブラや、ぴっちりとして優美な太腿の曲線美を際立たせるラベンダー色のレギンスを履いている者もいた。場違いではあったが、ファッション・ショウのような華やかさであった。

例外なく、女子生徒たちは体格も良く、健康的で引き締まった肉体を誇るように動かしているのに対して、日本軍人は貧相だった。貧弱ですらあった。その明快なコントラストは、まるで美しい桜の花々【韓国人女子生徒】に群がる異常発生した黒い害虫【日本軍人】のようだった。

『口惜しいけど、我々と彼女らとでは、モノが違う。勝てる筈がない』中村少佐はそう思わずにはいられなかった。

我々にとっては必死の鍛錬・修業が、彼女らにとっては片手間のスポーツ・フィットネスであり、気楽なレジャーなのであった。

さらにその副産物として、我々日本軍人に、韓国女子の体格の良さと技能の精度の片鱗を見せ付けていた。


このカリキュラム―韓国軍女子幼年学校と大公国陸軍の教導団との韓手普及のパートナーシップ協定―が導入されて一か月も経たない今の時点で、すでに大公国軍の参加者たちは、韓国に大いに遠慮し、恐怖心さえ、その心の内に芽生えさせていた。


乱取り稽古においても、日本軍人は身内の同族とばかり組みたがった。たまたま手の空いた女子生徒が近くに来ると、緊張して唾を飲み込み、冷や汗すら顔に滲ませた。

「次は私とやろうよ」等と声を掛けられると、あからさまに『ビクッ』と身を縮こませるように猫背になった。そんな光景を中村は怖々しながら眺めていた。


「あれっ、戻ってきたんだ?」

気付くと隣に一人の女子生徒が立っていて、身を屈ませて中村の顔を横から覗き込んでいた。

先日、彼の捨て身の足もとへのタックルを華麗にかわし、その代償として膝蹴りで彼の右頬骨を陥没骨折させたチェ・ギュリだった。

その顔を見て、中村は背中を巨人の手で宙に引っ張り上げられたように『ビクッ』とした。先ほど眺めていた同僚の『ビクッ』の、今度は自分が当事者だった。

「すごい大きいパッド、顔に貼っちゃってる」

いつの間にか左にはヨンミがいて、彼は左右を女子生徒に挟まれていた。

「ねぇ、痛かった?」

ギュリがふざけて中村の右頬に貼られたパッドのガーゼを指先でつつくと、鋭い痛みが彼の顔全体に伝播した。あの日の激痛を伴う屈辱が、彼の脳裏にありありと蘇った。

「こんなところで立って眺めててもつまらないでしょ? 私が稽古付けてあげるから、おいで」

ギュリは怯え慄く中村の手を取って、道場中央に促した。


◆◆◆

今回はヘッドギアと胴巻きを含むフル防具を与えられたにも関わらず、やはり中村少佐はギュリの攻撃になす術もなかった。

ものの1分半で、立っていられなくなるくらいの打撃を受け、次の1分半で対戦形式の稽古は成り立たなくなり、立位のギュリが四つん這いの中村をローキックでいたぶり続けるというギュリにとっての『おもちゃ遊び』に変貌していた。


「もう立てなくなっちゃった」

「手も足も出ないじゃない」

「サンドバッグを蹴ってたほうが、まだ蹴りごたえがあるわ」

いつの間にかギュリと中村の周りにギャラリーが集まってきた。女子生徒たちがニヤニヤしながら小兵の日本人がギュリに嬲られる様を見物していた。


「やめてください…ゆるしてください…」

中村は、ついには思うだけではなくそう口に出しさえしたが、その願いはギュリに届かなかった。嬉々としながら、ギュリは中村を蹴り続けた。彼女の表情には涼し気な優越感さえ浮かんでいた。


中村は耐え切れずに、決死の覚悟を持ち、自分を蹴り続ける禍々しい凶器と化したギュリの右足にしがみ付いた。

「ねぇ見て、私の靴にクリンチしてる」

ギュリが言うとギャラリーからドっと笑い声が起きた。

ギュリが軽く右足を動かすと、足許の中村は、離れまいと必死だった。

目を固く閉じ、クリンチする両腕に満身の力を込めていた。


「勇気は認めるんだけど」

「さんざん蹴られて…恐いのよ、きっと」ギュリはまるきり余裕だった。

「…いつまでしがみ付いてるつもりかしら?」ヨンミは心配そうに言ったが、その表情は楽しさに溢れていた。「引き剥がそうか?」


「んーん。大丈夫」

ギュリはヨンミにウィンクして応え、軽く息を吸い込んで自らの右足を大きくバックスイングさせると、中村はいとも簡単に引き剥がされた。


「離しちゃって、大丈夫なの?」

そのギュリの声が耳に入るのとほぼ同時に、ギュリの右足は中村の無防備な腹を上から踏み付けていた。ギュリにとっては蛙を踏み潰すよりも容易い一撃だった。


◆◆◆

『弟子入り志願 韓国 土下座』


中村は宿舎のパソコンで、検索サービスサイトに没入していた。


『韓国語 最高敬語』

『五体投地 屈服』

中村は完全に心が折れていた。


◆◆◆

翌日、道場の入り口脇に蹲る中村の姿があった。

「チェ・ギュリ先生、私を弟子にして下さい!!」

かつての仇である14歳の少女の姿を視認すると、中村は丁寧な『五体投地』でもって自身の屈服を、そして敵愾心の完全放棄と崇韓への転向改心を声高に表明した。


弟子入り―それは『師匠』を全面的に信頼し、その人物の言動を模範として人生の指針を授かる。身の回りの世話をし、嬉々として顎で使われる。使われることさえも勉強だと思って、進んでこれに従う。私淑する。従僕となる。滅私奉公する。喜びの奴隷となる。


しかしギュリは厳しい師匠だった。

「毎日、練習が始まる一時間前に道場に来て、床のワックスがけをしなさい。

 それから女の子たちのウェアの洗濯も君の仕事よ。

 私たちが道場入りする時間になったら、今みたいに土下座してお出迎えすること。帰りも同じよ。

 練習の最中は、ドリンクやタオルを言いつけられたら、すぐに走ること。まぁ、パシリだと思って誠心誠意頑張りなさい。

 それを一週間、いちにちも休まずに続けられたら、弟子にしてあげるわ(笑)」

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