握手
もちろん、『タレントの靴裏にファンが頭を擦り付ける』というのは、運営側が数々の選択肢から熟考の末に導き出した結論だった。
握手はもちろん、ハイタッチでさえも、韓国人タレントと日本人ファンとの間の格差からすると、身分違いも甚だしく、却下であった。
ところで、ハイタッチ(会)は、かつて―まだK-POPアイドルが日本の地場アイドルと対等に勝負していた時代に―韓国の芸能事務所が考案したやり方であった。
それは、アイドルが日本人ファンと握手することによる気持ち悪さ・生理的不快感を(ゼロには出来ずとも)ずっと軽減させられるというアイドルファーストの考え方と、流れ作業の管理―いわゆる『剥がし』―のしやすさといった大きな利点があった。
また、当時のK-POPアイドルが、日本語が不自由で、おのずと『しょっぱい』対応になってしまうことを避けるための時間短縮、という側面もあった。蛇足だが、握手会をハイタッチ会に変えることで、アイドルが使うアルコール消毒液の量が激減して経費削減につながった、という報告もある。
一方で客単価は大きく落ち込むこととなったが、当時と違い、『CANDY』の登場による韓流タレント・韓流アイドルに対する『ガチの』神格化によって、運営側は、『ハイタッチ会よりももっと接点の少ない、彼ら日本人の身の丈に合った形態であっても、握手会と同等か、それ以上にカネを巻き上げることができる』という自信を獲得していた。
参考にされたのは、宗教的・あるいは歴史的な儀式だった。
イングランドの国王による爵位叙勲式のような、片膝をついた受勲者の肩を国王がサーベルの腹で触れる仕草を、『Whips』の鞭を使ってやったら面白んじゃないか、と言う者がいたが、絵柄がどうしても滑稽になってしまうことと、何よりも、たとえ軽くであっても反復的に鞭を動かす手首に腱鞘炎の危険性があるため採用されなかった。
他の提案者が、古代中国(あるいはインド?)においての宗教的な聖人に対する弟子の挨拶―弟子は聖人の足許に土下座叩頭して、聖人の足を両手で触り、その手で今度は自分の頭を撫でる、という、『聖人の足と自分の頭はようやく同じレベルです』という表明の仕草のことを話した。
こちらはナイト叙勲式よりも賛同を集めた。最大の利点は、タレントが動かなくてもいいことである。椅子に着座したままであれば、身体の疲れもずっと少ない。さらに、『神女』としての文脈にも合致していた。
しかしいざ試行してみると―羽柴ら半運営側のファンを使って実験された―客が手を動かす分、時間がかかるし、される側から、『たとえ靴の上からであっても、不特定多数の日本人ファンに足の甲を触られるのが不快だ』という、至極まっとうな意見も出た。
さらに、『ファンは土下座の姿勢で、彼らが触られることが出来るのはタレントの足の甲だけだ』と運営側が厳しく定めたとしても、人間の急所であるアキレス腱や足首、ヘタをしたらその上―ふくらはぎや腿―にまで手を伸ばす罰当たりな不届き者がいないとも限らない。一昔前、日本人ファンで、握手会で腕を強く引っ張る輩がどうしても紛れ込むことを運営側は知っていた。
◆◆◆
ユリはその会議室で、普通のオフィスチェアに座ったまま、足許に土下座叩頭させた羽柴に自らの靴を撫でさせていた。
羽柴は地面に額をくっつけたまま―つまり対象物を目で見えない状態で、ユリの靴を両手で撫でまわしていた。
「ほら、私が『ジョンファ様』や『ミリ様』だと思って、私の靴を触ってごらん。まずは遠慮せずにやってみなさい。君はウン万円払って、なおかつすごく長ーい行列を待って、ようやく10秒間だけ私の靴を触れる幸せ者なんだから」
羽柴はユリの言う『傍から見れば惨めだけれども、本人は心底幸福なファン』になりきって、冷たい会議室の床に額と鼻を押し付けながら、頭の先に置かれたユリの靴を撫でまわしていた。
惨めだけど幸せなファン、の気持ちは、羽柴にはよく分かった。実際彼は、与えられた役になりきろうと思ったのは、ほんの最初の一瞬だけで、ユリの靴を一撫でするやいなや、込み上げてくる幸福感が勝ってしまい、二撫で目以降は、殆ど無心で、自動的に無我夢中に、その『ご神体』を撫でまくった。
その会議は、ユリのほかに、サランら若い韓国人の男女が1ダースほど出席していたが、彼女・彼らの輪の中心で、くすくすと漏れる忍び笑いを耳にしても、羽柴の高揚感は全く阻害されなかった。
「いまで何秒ですか?」
「十、、二秒です」傍らに立って、この光景を腕時計と交互に見ていた韓国人スタッフが言った。
「ハイ、お客さんおしまいでーす」ユリは言って足で羽柴の両手を払い除けた。
羽柴は「えぇっ」と場違いな声を出し、後ろで立って見ていた剥がし役の男に腰を掴まれ邪険に後ろに引き退げさせられた。
「ユリ、どうだ? これを数百人だか数千人だかやるとして、平気か?」会議に出席していたジェガンがユリに尋ねた。
ユリはちょっと苦笑いしながら、それでも声色は真剣に、
「うーーん。。やっぱりこいつが踵の、足首の近くを触ってくると、びくっとしますね」
と言った。そして自分で今履いている靴―ピンヒールのポインテッドトゥパンプス―の踵の辺りを触った。「なんだか靴を脱がしてくるような、足首を掴まれそうな気がして…」
ジェガンはそれを聞いて、ほんの少し怒気を込めて、「おいブタ」と羽柴に言った。
「触るのは足の甲だけだ。10秒時間厳守。やれ」
羽柴はジェガンの命令に弾かれる様に、ユリの足許に飛びつくように接近し、叩頭してからユリの足の甲を撫でた。
ジェガンに怒られながらも、しかしユリの足を撫でる羽柴の顔は―土下座しているため周囲の韓国人たちはその横顔が俯瞰で僅かに見えるだけだったが―その顔は、喜びに紅潮していた。
◆◆◆
その後、サランらテレビ局サイドからの『映像としての引きの強さ』という観点も交えて、この、『カネのなる儀式』の概要がディスカッションされ、ブラッシュアップされていった。
靴に触れさせる、という概略―それは靴磨きゲーム『CANDY』の世界観とも合致していた―は、ようやく参加者の全会一致を見たものの、肝心の、『どこを、どう触れさすか』が議論噴出で、会議室のホワイトボードには、【We=神女】の項目に『爪先』『足の甲全体』『踵も含めた足全体』『足裏』のオプションが並び、一方【They=信者】の項目には『口(フレンチキス)』『舌も(ディープキス)』『手だけ』『頭をこすり付ける(頬ずりも可?)』といったオプションが並んでいた。
そしてそれぞれの文字は、赤ペンでバツが打たれたり、丸で囲われたり、かと思ったらイレーザーで消されてまた書き直されたり、といった有様だった。
ジェガンが言った飼い犬の話―「ウチのダックスは、俺やジョンファが家に帰ってきたら廊下の奥から走ってきて、玄関に足を踏み入れるやいなや靴に顔をこすり付けてきて、すごく嬉しそうにするんだよ」というのを聞いて、サランが、「そういえばジェガンさんがスマホで撮った、玄関でジョンファの靴にダックス君が頭をこすり付けてる動画、You-tubeにありましたよね。ダックス君が喜んじゃってしっぽを振りまくって激カワイイやつ。ああいうのは映えますね」
その流れで、神女の『靴の甲』に『頬ずり・額ずり・頭ずり』、次点で『靴の裏』に『口(フレンチ・キス)』になりかけたころ、、、
「お、、、畏れながら、、、」会議室で唯一人、椅子を与えられず地べたに座っていた羽柴が口を開いた。
「畏れながら申し上げますと、その、、、私めたち日本人の奴隷・というか信者連にとっては、神女様の御足の甲の部分に、上から被さるように顔を擦り付けるのは、、、『不遜』であります。。。」
韓国人一同―ユリ・ジェガン・サランら会議室の全員―が目をぱちくりさせたが、正座の羽柴はなおも話し続けた。
「先ほどジェガン様が仰った、ダックス“様”の動画は、私めも拝見したことがあります。しっぽを振って大喜びするダックス様と、ちょっと困惑気味のジョンファ様とが交互にクローズアップされて、、、本当に素敵な動画です。ダックス様が本当に羨ましいと思いますが、今の私めは、その、、、犬よりも下位なのです。ずっとずっと下位なのです」
「長広舌をお許し頂きたいのですが、以前読んだ本の中に、忘れられないシーンが一つあります。第二次大戦前夜のナチスドイツを扱った歴史書なんですが、当時のヒトラー人気を表す挿話です。ドイツの田舎町に演説だか集会だかでヒトラーが立ち寄ったんですが、町中の人々がヒトラーを一目見ようと殺到したそうです。もちろんヒトラーは群衆に向かって愛想よく何度も敬礼し、大歓声に応えます。ヒトラーがフォルクスワーゲンの御用車で立ち去った後、群衆の中にいた老婆が、感激のあまり、あるいは自らの熱狂的崇拝心の表明として、つい今しがたヒトラーが歩き去る時に踏んだ小石を、道からそっと、拾い上げました。。。老婆はその小石を大切に家に持って帰って箱に入れ、家宝のように扱いました。時にはその小石を拝みさえした、という話です」
「僕は、、失礼しました、私めは、真の心ある崇拝者は、そのようにすべきと思います。話がヒトラーなのでちょっとややこしいですが、日本の大公でもどこかの国の国王でも、いいんです。カリスマ的な金髪のホストでも、アイドルでもいいんです。崇拝者にとって、大切なことは、持続すること、そして、勘違いしないことです」
「私めは、真の崇拝者でありたいんです。死ぬまで、韓女様を、、韓神女様を、、、心の拠り所として拝み続けたいんです。。。だから、自分の心に嘘は吐けません。地面に、、、地面になりたいんです。道の小石になりたいんです。分身として。お犬様でさえ上位者なんです。私めは地面です。だからおみ足の甲の部分になんて、、とても恐れ多くて僭越で、頬ずりなんてできません。ましてや韓女様の御目前では、決して出来ません。罰が、、、あたります。だから、おみ足の、、、御靴様の裏、、、地面と接するところが、、せめて、、、」
そこまで言って、羽柴は失神したように、床に倒れてしまった。
一拍して、口から泡を吹いた。
会議が終わった後、その会議室のホワイトボードには『決定→→神女様の靴裏に頭頂をこすり付ける! ∵信者は地面になりたい生きもの(笑)』と赤字で大書されていた。




