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受付

まったく、嫌になるくらいの青空だ―と羽柴は自転車のサドルに跨りながら空を見上げて思った。


その青空を見ながら、羽柴は、―神様ってどこにいるのだろう―と、唐突に思い巡らせた。


彼は、このような晴天の日、なぜかよく『神様』のことを考える習性があった。

『神様』と言っても、『キリスト』とか『豊国大明神』とか、教条的・形而上的な神様ではなく、『悪い行いをしたら神様のバツが当たる』風の、もっと世俗的で土着的な神様、である。


今日のような晴れた日に、羽柴が無意識的にでも神様のことを考えてしまうのは、彼が一般的なイメージとして、『神様は天空のはるか高いところにいる』と子供の時に言い聞かされていたからだろうか。

あるいは『天気がいいのは神様からのプレゼントだ』という感覚だろうか。


いずれにせよ、天気の良さが、プラス方向の、肯定的な意味合いで、羽柴に『神様』のことを惹起させているであろうことは―少なくとも一つの側面として―間違いのないことだった。


しかしこの日の羽柴が、自転車のサドルの上で、ふと『神様』のことを考えたとき、そこには―その思念には―この抜けるような晴天がもたらした以外のものがあった。


先ほどアパートを出る前に、鏡で自分の顔をチェックしたとき、彼は自分の頭髪にぽつりぽつりと群生する白髪(しらが)の存在に気付いた。

―俺って、こんなに白髪が多かったっけ? と、彼は少し怖くなって、恐る恐るゆっくりと頭を鏡に近づけて、手で髪を撫でつけてつぶさに観察し直した。


やっぱり白髪だった。

禿げてはいないが白髪が大量に生えている。


白髪は、一本や二本、たまたま見つかった、というレベルではなく、ぱっと見るだけで、頭の広範囲にわたり十数本の単位で存在している。

まだ20代前半という年齢に鑑みても異様だし、あるいは以前にじっくり頭髪の状態を確認したとき(それがいつだったかは思い出せないが、それほど以前のことではないことは確かだ)から比べて、見違えるほどに白髪が増えていると、彼は思った。


彼は、鏡の前を、ユリとの約束の時間に遅れないよう急ぎ足で離れ、玄関を出て自転車に乗って走り始めてから、その事象に説明を付けようとした――どうして急に白髪は増えたのか。


遺伝的なもの、精神的なもの、食事や入浴等の生活環境・・・もちろん特定することはできない。


分からない。


不思議な力が働いているとしか言いようがない。


仕方ないので彼はこのように考えてみた。

『神様が「そろそろかな」と思い立って指をパチンと鳴らして俺の白髪が増え始めた』

そんなイメージを羽柴は思い描いてみた。


遺伝であろうと、精神的な何らかの作用であろうと、羽柴にとっては『不可知』であり『抗うことができない』ものである。


と、いうことは、それはもうほとんど神様そのものではないか。


問題は、その『指をパチンと鳴らした』神様は、どこにいるのか、ということだ。


細胞核やDNAのように、彼の内側にいるのだろうか。

あたかも小さな宇宙のように未解明で無限の広がりを有する人体の内部の、どこかに神様がいるのだろうか。


だとすると、神様は、『俺』に含まれる存在なのだろうか。

いや、『俺』が神様に含まれる存在と考えるほうが自然ではないか。


結局、神様がどこにいるのか、彼に知る手立てはなかった。


そんなことを考えながら、羽柴は再び頭上に広がる青空を見上げた。


◆◆◆

『申し訳ございませんがハシバ様のアポイントは承っておりません。もう一度ご確認頂けますか?』


KSM社の受付ロビーで、ユリからのメールの通りに来意を告げた羽柴だったが、受付嬢の返答は彼の意に反するものだった。


受付嬢はおそらく20代前半―羽柴と同じくらい―の、いかにも『受付嬢的』な、化粧が派手で自らの容姿に恃む態度がアリアリと表に出ているような女性だった。

大企業の受付嬢の座にあることを鼻にかけて、大した努力も勉強もしていないくせにちょっと美人だというだけで自分は勝ち組だと誇っている―と羽柴が大いなる偏見で持って敬遠したくなるような女性である。ひとことで言うと、大っ嫌いなタイプの人間だった。


真っ白なフロントカウンターの奥に鎮座する彼女は、清潔すぎる淡いピンクのブラウスと、威厳漂う―威圧的ですらある―紺色のベストを着用していた。そしてスカイブルーを基調とした寒色系のスカーフを首に巻いていた。スカーフは羽柴の目から見るといささか巨大で、コスプレ的な不自然さが無くはなかったが、色合いは涼し気で生地に描かれた直線的な模様は上品だった。おそらくそのスカーフだけで羽柴がいま着ている全身の服の値段の総額よりも高価そうな代物だった。


羽柴は受付嬢の、マニュアル的な応対と営業スマイルでは覆い隠せない『値踏み』感に、早くもしどろもどろになっていた。

アウェー感・『お呼びでない』感に呑まれていた。

これならやはりスーツを着てくればよかった、と後悔し始めていた。


彼のナリは―自業自得ではあったが―完全に清掃員のそれである。完全に場違いであった。


『え、、、え、、、ぇ、、、、お、、、、ぉかしいですね。。。ちゃんとユリさんからアポもらってるはずなんですけどね、、、』

彼は深呼吸をしようにも面前の受付嬢の睨みにも似た眼差しに曝されて、体が震えだす始末だった。

震える手でポケットからスマホを取り出し、同じく震える指先で画面を操作してユリからのメールを再表示させた。


『ほ、、、ほら、、、【営業企画部の木下ゆり】さん、、、13時半から、、、』

羽柴はそれ以上は言わず―言えず―黙って受付嬢にそのスマホを差し出した。「自分の目で見てみろ」の意味であった。受付嬢は明らかに怪訝な顔をしたが、羽柴がなおもスマホを差し出すので、仕方なく汚いものを持つように端を指でつまんでそのスマホを受け取り、画面を見た。


画面を見て受付嬢は小さく冷笑した。『こんな私的な文体のメールを見せてくるなんて、やっぱりこいつキモいな』と思ったが、かろうじてその感情を表に出さないように押し止めた。受付嬢はスマホを羽柴に返した。


受付嬢は、実は営業企画部のユリを知っていた。顔見知りだったし、数回、飲み会で一緒になったこともあった。それでお互いに面識があった。

しかしもちろん彼女はそのそぶりを羽柴に見せなかった。


『はい。けどやはり事前の来客予定者申請にハシバ様のお名前はございません。事前のアポイントのない御客様は構内にお入れできません』

と、きっぱりとした、高飛車な口調で言った。


実際は、事前のアポイントがなくても、内線電話で来意を伝え、了承を得て客を中に入れるのがマニュアルなのだが、受付嬢は面倒臭がって―あるいは単に彼を虐めたくなって―羽柴にそのように言ったのだった。


もちろん、事前の申請が受付に出されていなかったのは事実だった。―単にユリがその事務手続きを忘れていただけだったが。


◆◆◆

『ちょ、、、なにかの手違いだと思うから、、、ユリさんに電話、、して貰えませんか、、、?』

羽柴が縮こまって、恐縮しながらまるで哀願するように受付嬢に言った。


受付嬢は肩に垂れかかった髪をふわりと手で払って背中に流し、椅子から立ち上がった。少し離れた隣の席でパソコンを操作していた同僚に、『ちょっとこの方とあっちでお話してくるから、任せていいかしら』と言った。

同僚の受付嬢―彼女も似たようなタイプのいわゆる『受付嬢』的美人だった―は、「ひとりでだいじょうぶ?(私も行こうか?ていうか警備員呼んだほうがいいんじゃない?)」という顔をした。声には出さずアイ・コンタクトでそのように語ったのが羽柴にも分かった。

羽柴は自分が、招かざる面倒臭い客=排除すべき侵入者 として扱われていることに憮然としたが、むしろ藁にも縋る思いだった。

早く、一刻も早くユリにお目通りしたかった。


フロントカウンターから出てきた受付嬢はずいぶんと背が高かった。ハイヒールのパンプスを履いているせいもあったが、羽柴より20センチは高かった。彼は恐縮した。

受付嬢はさらに縮こまってみすぼらしくなった羽柴を手招きしてロビーの端に誘導し、腕を組んで黙って相手の出方を待った。

来客者に対する態度として完全に受付のマニュアルから逸脱していたが、この会社[KSM社]はこのような裁量に寛容で―少なくとも純粋な日本企業のような御役所的マニュアル至上主義ではなかった―彼女は問題になる可能性は絶対無いと分かっていた。(実際、その後問題になることは全く無かった)


『あ、、、あのぉ、、、ほんとに、、、ほんとにユリさんからのメールなんです、、、』

羽柴は腕を組んで見下ろす受付嬢の前で泣きそうになっていた。

スマホの画面にある時刻表示は「13:42」を示していた。


そこに大理石の床を叩く足音が2セット、高らかに近付いてきた。

ユリとジェガンの足音だった。


◆◆◆

ゆっくりと近づいてくる足音に羽柴が振り返ると、足音の主はやはりユリだった。隣には羽柴の知らない男が附いていた。「この人がユリさんのいっていた『年下の部長さん』か」と思った。―羽柴はハン・ジョンファの実の兄であるジェガンをWHIPsのミュージッククリップで見たことがあったが、それは何年も前のジェガンであったし、この時はそのことに思い至らなかった―。ただイケメンで仕事のデキそうな男性だ、と思っただけだった。


『あぁっ! ユリさん!! お待ち、、してましたっ!』

羽柴が言うのを無視して、ユリは

『あら、受付の真美ちゃん・・・久しぶり。何かモメてるの?』と、その受付嬢に話し掛けた。

羽柴はちょうど受付嬢―真美―とユリとジェガンに、正三角形に囲まれるかたちになった。

3人とも背が高く、巨人に囲まれる人間のような錯覚を覚えた。

そしてなぜかユリに無視されたことで、羽柴はパニック的恐怖を感じた。


『このひとが受付にきて、「ゆりさん・ゆりさん」って何度も言うんだけど、来客申請になくて困ってたの。。なんか作業員のジャージ着てて清掃スタッフにしか見えないし・・・場違いも甚だしいっていうか(笑)』

羽柴は受付嬢の言葉を聞いて愕然とし、続いて激しい怒りが込み上げてきた。


しかし先ほどとは違って、今はユリがいる。

優しいユリが、きっと間違いを正してくれるはずだ。

ひょっとしたら、この受付嬢失格の『真美』という女を、KSM社正社員の資格で、クビにしてくれるんじゃないか・・・と内心期待した。さっきからの失礼な言動を言いつけてやろうか・とも思った。


ユリは受付嬢からようやく目線を外し、まるで今まで気付かなかったように羽柴のほうを見て、言った。

『ボランティアさん・・・だめですよ。会社のロビーに迷い込んで、受付の女の子に迷惑かけちゃ(笑)』


羽柴はユリの言ったことを理解できなかった。冗談で言っているのか? どうして受付嬢を庇うんだ? 俺に送ってくれたあのメールは???


『ユ・・・ユリさん? ・・・アポは??』

『??』

『やっぱりこのひと不法侵入?』受付嬢が口を挟んだ。『通さなくて良かった。。てか、ユリさんのストーカー?』その一言にユリとジェガンは笑った。


『ユリさん・・・ちょ・・・ちょとっ・・・きょうはいつもの清掃ボランティアを、、上司の方とホメてくれるって・・・』


彼は必死に挽回しようと、取り繕うとした。必死だった。三人のような余裕は皆無だった。

『ほら・・・まいにちいろいろおはなし・・・ユリさん?! いつも・・・いつもと違いますね・・・』

思わず変なことを口走ってしまった。

『シャンプー、か、変えました? な・・なんかいつもとにおいがちがう・・・』


羽柴はユリとの親密さを、ほかの二人―受付嬢の真美とジェガン―にアピールしようとしたつもりだったのだが、それは最悪の選択だった。


その一言でユリの血相が変わった。

彼女は、つい数分前のジェガンとの「情事」を勘ぐられているのでは?と在りもしないことを思ってしまった。


(この日本人・・・キモチワルイな・・・)と、思った。


虫唾、が走った。


『あぁ、ボランティアさん。何か勘違いしてる? 会社に来いとは言ったけど、ロビーには入ってきちゃダメでしょ。自分の身分が分かってないの?』

ユリは言った。

『私は乞食に成り下がった日本人の痛いファンのボランティアぶりを、部長と一緒に見物しようと思っていたの。。。今すぐロビーから出ていつもの清掃作業を始めなさい。そのためにジャージで来たんでしょ?』

美人な受付嬢に踏まれたい・・・

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