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出発

『アフタヌーン・ファック』という不思議な(そしてちょっと愉快な)、言葉の語感とはウラハラに、二人の行為は終始、至極ノーマルであった。

ノーマルに事が始まり、ノーマルな前戯を経て、ノーマルな経路を辿り、ノーマルな到達点に達した。

二人がそれぞれ何度も経験してきた『行為』を、今回もノーマルにこなした結果だった。


もちろん性的な悦びはユリもジェガンも十全に、過不足なく、得ることが出来た。

二人にはそれで充分だった。


『性的に満足した』という以外、とくに内省や感傷に浸ることもなく、二人はたんたんと脱ぎ散らかった衣服を探って装着し、ユリは車のルームミラーで化粧を直し、髪を整えた。服の端を手で引っ張って表面の皺を伸ばし、外見の状態をお互いにチェックし合った。ユリが持っていたペットボトルの飲用水を二人でシェアした。


そして二人は車を出て、ユリがキー・リモコンのボタンを押して『ピッ・』とその愛車を施錠すると、もう二人は午後からの業務(オペレーション)に臨む容姿端麗で優秀なビジネスウーマンとビジネスマンそのものだった。それ以外の何者にも見えなかった。


二人はローファーとハイヒール・パンプスの靴音を高く響かせながら、地下駐車場を横切って地上へと向かった。


◆◆◆

―2時間前・羽柴のボロ・アパート。

羽柴は彼のスマホに舞い込んだ一通のメールを見て飛び上がるほど驚いた。


『羽柴さんへ/はじめてメールさせて頂きます、KSMのユリです。(朝たまに会社の外でお会いしますよね…)/じつは会社で私の上司にあなたのこと(毎朝ボランティアでお掃除して頂いていることです❤)をおはなししたら、「ぜひ会ってみたい」というので、午後から会社に来れませんか?/13時30分に待ってます。1階の総合受付で【営業企画部の木下ゆり】のアポであることを伝えて下さい。おむかえに行きます。/上司も、羽柴さんに何かお礼がしたいと言っています。(上司といっても年下です。緊張しなくてだいじょうぶです♪)/三人でおはなししましょう。/いつも朝は少ししかおはなしできないので、羽柴さんとたくさんおはなししたいです。//ユリ』


羽柴は何度もこのメールを読み返した。ぎゅっと両手でスマホを握り、握り締めるあまりスマホカバーが彼の握力と体温で変形してしまうほどだった。

メールを読んで、彼は眩暈さえ覚えた。

彼はこのような女性からのモーションに全く耐性が無かった。


当然ながら彼はユリのことを認知していた。

ほとんど好きになっていた。

毎朝会うたびに、会話を交わすたびに、『この女性は綺麗な女性だなぁ』と思い、『WHIPsのマネジメントの仕事をしているということは、それだけで尊敬できる人に違いないなぁ』と、無批判に、無定見に考えていた。


毎朝、一目(ひとめ)見る、その『一目』が積み重なるたびに、彼の彼女に対する好意は着実に募っていき、巨大化していった。その想いは、今では風でも雨でもビクともしないくらい筋金入りで磐石なものになっていた。


羽柴は、メールの返事に『分かりました。13時半に伺います。/羽柴』とだけ書いた短文を送り、慌てて風呂に入って全身を隈なく洗い清めた。大量のシャンプーを消費して髪の毛を入念に洗い、無精ひげを剃って、久々に眉も整えた。


不釣合いなのは分かっていたが、少しでも、蟻の一歩ほどでも、彼女に近付くのにふさわしいように我が身を清潔にしようと苦心した。


風呂を出てから、彼は唯一持っていた『とっておき』のスーツをタンスの奥から引っ張りだしたが、そのスーツは右の袖と裾の辺りにカビが生えていた。はっきり『カビ』と分かるように、その部分が白くなっていた。

彼は水で濡らした雑巾やブラシでそのカビを落とそうとしたが、無理だった。

ついにはボールペンでカビの白色を塗りつぶして目立たなくしようと思ってそうしたが、その行為でスーツはさらに致命的なほどに無残になった。


彼は仕方なく、普段の朝ボランティア清掃時に来ているジャージの上下を着ていくことにした。

そのほうが彼女(ユリ)にとって自分だと認識してもらいやすいし、話の取っ掛かりになるだろう、と思ったからだ。

彼女は、『この格好の自分(羽柴)』を、褒めてくれるのだ、と思った。


彼はジャージを身に纏い、さらに入念に姿見で自分自身のナリをチェックした。

ガリガリの、異形の人相がそこにあった。

鏡を見て、特に彼が気になったのは、己の『顔』だった。

「こいつ、カッコよくないな」と、まず思った。

頬や額の肌色が濁ったようにくすんでいて、さらに、顔全体が皮膚表面の重みで下向きに垂れ下がっているように見えた。特に口角(口の端)と眉毛の外側で、その傾向が顕著だった。溶けるように垂れ下がっているのである。


自分の顔を鏡で見ながら、「オレは、こんなことをしていて、いいのだろうか」とまで、彼はふと思った。


その考えを彼は必死に頭の外へ追いやり、玄関のドアを開けた。

ポケットの中のスマホをもう一度ギュッと握り締め、握り締めるだけでは足りず、画面を開いて先ほどのユリからのメールを舐めるように再読した。


そして満身に錆の浮いた―まるで彼自身のような―古びた自転車にすがりついてその上に跨った。

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