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自由2

ジェガンが振り返って考えるに、この日のユリは、『自由人』を通り越して、ほとんど『猟奇的』だった。少なくとも『猟奇的』に近い『自由人』だった。

ジェガンが、―ユリは会社での部下・上司という関係を忘れているのではないか―と心配になるほどだった。


そんなユリの『意外な一面』のオン・パレードだった。。。


◆◆◆

ジェガンがユリに連れられて入った店―『多国籍』料理店―は、彼が予測していたよりもずっとセンスのいい、小ぎれいな店だった。

入店後席に案内してくれた日本人の女性店員は、ユリの顔見知りで友だちとのことだったが、驚くほどの美人だった。


案内された席に着いて、メニューを選ぶときに、まずジェガンが、アンガス牛のステーキのセットを頼んだ(彼はどうしても肉が食べたかった)。


ユリは『ビーフシチューのセット』を頼んだ。

日本語で、「ビーフシチューのセット。ごはん大盛りで。食後にコーヒーをお願いします」と言った。注文を取ってくれたのは、先ほど席を案内してくれた、ユリの友だちだという日本人の女性店員だった。


「コーヒーはホットにしますか? アイスにしますか?」と、店員がどちらかというと機械的に、それでも親しさのサインである微笑みを浮かべながら、ユリに訊いた。


ユリは「コーヒーはアイスでお願いします」と言って、それから、慌てて付け加えるように、

「あ、ちなみにビーフシチューはホットで」と、驚くべきことを言った。


ジェガンが驚いたのは、その言い方が、ウケ狙いのジョークで言ったのではなく、あくまで真剣に・真面目に言った、そのユリの表情だった。

「アイスのビーフシチューを持ってこられたら大変だ」という一種の焦りさえ、その表情から感じられた。


そのユリのセリフを聞いて、ジェガンが何も言えず黙って待っていると、店員が、「いわずもがな、ですよユリさん」と、(とうぜん日本語で)ちょっと小首を傾げて両肩をすぼめ、口元にだけ静かな笑みを浮かべて言った。


店員が注文を厨房に伝えるために歩き去るその背中を、ユリは―演技なのかマジなのか―心配そうに眺めていた。その目は「ちゃんとホットのビーフシチューを持ってきてくれるだろうか」というような目をしていた。


店員の姿が厨房の奥に見えなくなってから、ユリはようやく韓国語でジェガンに、

「『いわずもがな』って、どういう意味でしょう?」と言った。―「『いわずもがな』オットンイミイムニカ?」


語尾の上がり調子の「イムニカー」が、ジェガンにとって絶妙に可愛いかった。


その言い方で、ジェガンはやっと、ユリが一連の会話を冗談で言っていたことに気付かされ、『ぷフッ』と吹き出して笑った。

ユリが畳みかけるように「ニホンゴってムズカシイですね」と、今度はわざと片言(カタコト)の日本語で言った。


◆◆◆

食事の最中、ユリは仕事の話をした。


余談だが、ユリのテーブルマナーは完璧で、この日も大盛りのライス付きのビーフシチューセット(幸いなことにホットが出てきた)を食べている最中、まったく口元から音を立てなかったし、食器と食器が触れ合う音さえも殆ど立てなかった。テーブルクロスは言うに及ばず、ライスの食器さえも汚さなかった。

だから(彼女のテーブルマナーが完璧だったから)、ジェガンは余計に、彼女の話した『仕事の話』が、妙に印象に残った。


『パク課長代理ってご存知ですか? 女性で、経理部原価課の』と、ユリがその話を始めた。

ジェガン(とユリ)は営業企画部だったが、ジェガンはその原価課課長代理を知っていた。

年は30代前半で、小柄だが男ウケをする顔立ちの、いわゆる『美人』と言ってもいいタイプの女性だった。独身だが、確か本国に婚約者がいて、近々結婚する予定だ、と聞いていた。仕事ができる、キャリアウーマンのイメージだった。


『知ってるよ。仕事をしたことは無いけど、ウチと原価課は接点が多いからね。彼女がどうかしたの?』


◆◆◆

『いちど会議で大ゲンカしたんです。今年の春くらいですね。パク課長代理が、なぜか会議の間じゅうずっと、私が言うことにイチイチ突っかかってくるんです。ついには「若い子はこういう会議では黙って言うことを聞いていればいいんだ」みたいなことを言ってきたんです。ヒドくないですか? それで私、10人くらいいる会議だったんですけど、完全にカチンときちゃって、、、こっちのキム課長が必死に止めるのも無視して応戦したんです。ほとんど椅子から立ち上がるくらいの勢いでした。そしたら相手もひるまず言い返してきて止まらなくて、、、もぅ、、バトルです。大乱闘シスターズです』


ジェガンは、いまは目の前で大人しくシチューを食べているこのユリが、会社の会議室の机に両手を衝いて、口角泡を飛ばしながら小柄なパク原価課長代理と『バトル』する図を思い浮かべた。この子ならやりかねない、と思った。

『結局ケンカしたまま時間になって、キム課長とか周りの人がもぅほとんど引っ剥がすくらいの感じで私たちを引き離して、会議室からお互い強制退去させられました。そのバトルがあったのが午前中で、私は自席に戻ってからもずっと怒ってたんです。あまりにイライラしてたんで、もぅ会社が終わったらすぐに帰ってやろうと思って、定時のチャイムと同時にパソコンを閉じてロッカールームに行ったんです。そしたらパク課長代理とロッカーで鉢合わせしちゃったんです』


ジェガンは何も言い挟まずに話の続きを待った。ユリはビーフシチューをスプーンで一口、口に運んだ。美しい食べ方だった。そして話の続きをした。


『私がロッカールームに入ったときに、パク課長代理はすでにご自分のロッカーの前にいて、通勤着に着替えられた後でした。私とパク課長代理のロッカーは同じ列の端と端だったんですが、普段は時間がずれていたり、間に誰かが居たりで、私はパク課長代理とロッカーで顔を合わせるのは初めてでした。私はいちおう軽く会釈はしましたが、会議の怒りがフツフツと蘇ってきてムカついたんで、わざとパク課長代理に背中を向けて、そっぽを向いて着替え始めました』

『そんな私の態度を知ってか知らずか、なぜかパク課長代理は着替え終わっているはずなのに、ぜんぜんロッカーの前を去りませんでした。私は「着替え終わったんなら早く帰れよ」と心の中で思いながら、さっさと自分の着替えを急ぎました。けどやっぱり彼女は自分のロッカーの前で何かごそごそしていました。そして私が着替え終わったころ、声を掛けてきたんです』

『「あの、すみません」って背後から声を掛けられました。振り返ったら小柄なパク課長代理がもじもじしながら立っていました。会議の時とは打って変わって低姿勢で丁寧なんです。私はふと(この(ひと)、けっこう可愛い顔してんな)と思いましたが、いちおう仏頂面で「なんですか?」ってぶっきらぼうに答えました』


『ほー。そしたら・・・?』ジェガンが促すと、ユリはもったいぶるようにもう一口ビーフシチューを口に運んだ。


『そしたら、びっくりするくらいの早口で、「きょうは会議ですみませんでした。私も言い過ぎたと反省してます。実は急に日本兵の上陸が始まって、不躾なお願いで恐縮ですが、亀甲船をお持ちだったらお貸し願えませんか。手持ちが切れてしまって」って超ハイスピードで仰るんです。私は早口すぎてよく聞き取れず、聞き取れた部分も意味不明だったので、「すみません、もう一度仰って頂けますか」って言いました。そしたら・・・』


『そしたら・・・???』ジェガンは完全にアンガス牛のステーキを食べる手を止め、ユリの話の続きを待った。


『「意地悪言わないで、ナプキン貸してぇっ」って、悲痛な声で仰ったんです(笑)。その日パク課長代理は女の子の日で、生理用品を切らしてたんです。私はその「ナプキン貸してぇっ」が、あまりにも切実で真に入っていて、日本の国民的アニメ映画―空飛ぶお城―の女主人公の最後のほうのセリフ、「海に捨ててぇっ」を彷彿とさせて、超・可笑しくなっちゃいました。しかも・・・』

『しかも・・・???』

『実は私も、その日は女の子の日だったんです。だから貸して差し上げるときに、そっと・・・』

『そっと・・・・いにしえから伝わる王家の長い名前を教えてあげたの?』

ユリは笑った。

『ウフフ・・・「実は私も今日なんです」って申し上げたんです。「だからいっぱい持ってます」って。そしたら、「あなた、どーりで会議でイライラしてたのね」って仰るから、私は万感の想いを込めて、、「オマエモナー」って申し上げました。お城がバラバラになるくらいの「オマエモナー」が出たところで、なぜか二人で大笑いして、それですっかり打ち解け合ったんです』


ユリの話は、その後、パク課長代理に、お礼として南青山のシガレットバーに連れて行ってもらって(『生理用品を貸したお返しにシガレットバーで葉巻を奢ってもらうなんて最高にお洒落ですよね』とユリ談)、それ以来一気に親交が深まって、今では二人きりで温泉旅行に行くぐらいの仲なのだ、という話で終わった。


◆◆◆


ここで閑話的にユリの『彼氏』である丸山の視点を再び借りたいと思う。


もしこの日のユリとジェガンとのこれまでの一部始終を、『彼氏』である丸山が何らかの方法で見聞したとしたら、丸山はどう思うだろうか。


激烈に腹を立てるに違いない。

丸山はまだこの時期、日本人として健全な思考回路を有していたから、腹を立てるのは当然だろう。


韓国人で年下の、イケメンの『間男』に対して、烈火のごとく怒り狂うに違いなかった。


・・・これは二重の意味での屈辱に違いない。

まず第一に、『男』としての屈辱である。二人のこのような馴れ合いは、彼の貞操観念に照らして、純粋に男として看過するに忍びないものだ―『忠臣は二君に仕えず』に相対する『貞女は二夫に(まみ)えず』をヤマトナデシコ的美徳としてこの時期の丸山は、まだユリに対して求められるほどの立場を有してはいなかったが(二人は付き合い初めで、まだ結婚なんて遥か彼方であった)、それは一般的な『男』として当然の感覚だろう。


そして第二に、『日本人』としての屈辱であった。

彼にとって唯一無二の母国語である日本語と、豊潤な日本文化に対する、当てこすり、下劣なパロディー、鳥のつまみ食いのような安易な誹謗・・・それらが二人の会話と態度に溢れていた。

日本大公国の公都=東京の空気を吸い、土を踏み、その地で起き臥しし、食事する外国人が、何の権利で、こんなにも日本に対して一種の『悪意』を持って小馬鹿にするような会話をしているのか。一方でこの国の『うまみ』を享受しながら、そのくせ何食わぬ顔でこの国の言葉と文化を侮辱する態度は、極論、彼―丸山―個人に対する侮辱に通じるのではないか。


・・・そのように丸山は思ったに違いないが、もちろんこの日の二人が過ごした、二人の幸福な時間について、丸山は死ぬまで夢にも知りえなかった。


◆◆◆

ユリは食後のコーヒーを―幸い彼女の要求通り『アイス』のコーヒーが出てきた。なかなか旨いコーヒーだった―を飲みながら、ジェガンに言った。

ゆったりとした、女性的で柔和な韓国語だった。


『そういえば、私、部長のラインID知らないですね』と彼女は言った。彼女の目はテーブルの上に置かれたスマートフォン(韓国製)の美麗なディスプレイを見ていた。

『ラインIDを教えてください』と直截的にユリは言った訳ではなかったが、もちろん、ジェガンはその意図を読み取って、彼女にラインIDを伝えた。


―ありがとうございます。さっそく何か送りますね。

ユリは、アイスコーヒーのグラスを、コースターごと少しだけ手で押しのけ―『カラカラ』と氷が触れ合う綺麗な音がした―それからスマートフォンを右手で持って親指で素早く文字を叩いた。


間を置かずにジェガンのスマートフォンに着信があった。ユリからのラインだった。

「これ飲み終わったら、アフタヌーンファックしましょう」

と書かれていた。


たっぷり15秒ほど考えて、ジェガンは

『いいけど、どこで?』と、言葉に出して―もちろん韓国語で―言った。

二人の間では大事なことは韓国語でやり取りされるようだった。


『部長さえよろしければ、私の車でやりましょう』

とユリが言った。そしてようやくスマートフォンから目線を離し、ジェガンのほうを見た。ユリは、ヒュンダイの高級セダンに乗っていて、それが会社の地下駐車場に停めてある、と言った。


『了解』とジェガンは言って、紙の伝票をぐちゃぐちゃに掴んで立ち上がった。

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