無償
日本人、羽柴の3ヶ月にわたる『百箇所でのお百度参り』の霊験の効果なのか、彼にとっての神々は、それぞれ志望校に現役で合格を果たした。
二人とも最高学府であるソウル帝国大学校で、ジョンファは社会科学大学(学部)、ミリは人文大学(学部)であった。
二人とも、晴れて『華の女子大生』の仲間入りだった。
ちなみに世界各国のトップ大学の学術総合力を数値化した『世界大学力ランキング』では、ソウル帝国大学校の『大学力』は、米国のMITや英国のオックスフォードには依然見劣りするものの、日本の東京公国大と京都公国大を足したよりも高い大学力であると評価されていた。
毎年、世界の大学力を算定している英国の高等教育専門誌の寸評は以下のようなものだった。
『東アジアにおける地殻変動は目を見張るものがある。端的に言うと日本の後退と韓国の躍進である。
韓国は女権革命の成功で女子教育は世界トップクラスを走っており、女子以外も含めた全体の水準も大きく引き上げた。韓国の各大学は日本が長年占めてきたアジア首位のポジションに取って代わって、英・米が独占する世界最高峰の牙城を伺いつつある。今後数年の内に、韓国不動の最高学府であるソウル帝国大学が、世界のトップ10に名を連ねるのは確実な情勢だ。
一方で日本は経済の失墜が各大学の地位低下にダイレクトに繋がってしまった。もはや日本の大学は韓国の上位女子大や国立大から実力的に大きく水を開けられ、地理的に極めて近い隣国の大学の、ファーム、あるいは下請けといった位置づけに甘んじている。そこに過去の栄光は見る影も無い。』
『ソウル帝大の女子学生が日本にいれば、一年生で学部四年生レベル、二年生で院生(修士課程)レベル、三年生で博士課程レベル、四年生で大学講師レベルの能力がある』という冗談さえ、まことしやかに囁かれていた。
◆◆◆
羽柴秀志朗は目標を喪失していた。
『生きる目標』を喪失していた。
彼の心の拠り所で、生活の大半を捧げてきたアイドル=ハン・ジョンファは、大学生となって芸能活動を休止していた。そして、彼女と同期でグループ内の実力ナンバー2のウォン・ミリも、同じタイミングで芸能の場から姿を消していた。
グループとしての『WHIPs』は、他のメンバーで(人数を減らして)存続していたが、羽柴はかつてのように『全てを投げ打って』まで応援する気になれなかった。
全然なれなかった。
もはや何を持ってしても、彼の心に開いた大穴を埋めることはできなかった。
満腔の喪失感だった。
そしてその大穴・喪失感は、日を経るごとに拡大していくようだった。
下宿のボロアパートと、バイト先とを往復するだけの、無為の日々。
彼は歩く糞尿製造機だった。それから二酸化炭素と垢とフケと抜け毛と汚い爪・目糞鼻糞・・・・そんなモノたちを造るためだけに彼はいた。
死ぬことすら考えたが、もはや死ぬことすら面倒臭かった。
◆◆◆
かつては盛んに投稿していたSNSでの日本人ファン同士の交流も激減していたが、細々と、まるで深海魚が身じろぎするぐらい弱弱しく低調に、彼はファン仲間たちの近況を眺めていた。
なじみのハンドルネームが近況を綴っていた。
『トンケ』 ―『糞犬』と書いて『トンケ』である―
彼は大阪市に住み、羽柴と同じくWHIPsの熱烈な崇拝者として日本人ファン・コミュニティーの中でも知れた存在だった。
トンケの推しメン(意中のメンバー)はミリで、ジョンファが推しメンの羽柴とは違っていたが、WHIPsに対する『熱量』は甲乙付けがたいレベルだった。WHIPsの一般的なファンたちは、2人の常人離れした熱狂的な崇拝行動―全国津々浦々のコンサートへの『参戦』や、各種グッズのコレクションの披露―に対して、畏敬の念を込めて『西のトンケ・東のイルケ』と並び称すほどだった(『イルケ』は羽柴秀志朗のハンドルネームだった。)
その『トンケ』が、ミリの大学受験に伴う活動休止から、深刻な喪失感―あるいは絶望感―を惹起し、ロス症候群になったあげく、日々の生活に関わるバランス感覚まで失っていく様子が、そのSNSでの近況報告からうかがい知れた。
彼は勤めていた会社を辞めてしまい、2ヶ月程実家に引きこもった後、大阪の韓国総領事館前に設置されている従軍慰安婦像に毎日通い、像とその周囲の清掃や、お供え物・水の交換といったボランティア活動を始めていた。
・・・大好きだったアイドル―崇拝の対象―を失ってしまったことに対する、先の見えない絶望感。『ロス症候群』による熱意の揺り戻し・・・羽柴には旧友トンケの気持ちが痛いほどよく分かった。
彼のSNSによれば、彼はまだ薄暗い早朝未明に従軍慰安婦の像の前に来て、まず像の本体・それから台座を水拭きして磨き上げる。時折、数日に一度はワックスをかける。花の水を交換し、花自体も定期的に交換する。周辺に目立つゴミが落ちていたら拾い上げ、塵のような微細なものも残らないように念入りに、見える範囲全体を掃き清める。
そして仕上げに、綺麗になった従軍慰安婦像に向かって、ちょうど羽柴がやっていたのと同じような土下座叩頭―三跪九叩―をする。
そこまでの一連の流れを、ボランティアでするのである。
その大阪の総領事館前の従軍慰安婦像は、かつて一度WHIPsにいた頃のジョンファとミリが、イベントで『表敬訪問』し、顕花したことがあることから、関西のファンの間では、一種の聖地のようになっていた。ジョンファが活動休止する前に、映画『慰安婦物語』で、自らの祖母をモデルとした、主人公の少女を演じたことも、ファンがこの像を神聖視する心理に拍車をかけていた。
今までも、何かの折に(たとえば近くを通りかかった際などに)、軽く立ち止まってこの像に一礼する、くらいのファンは多々いたが、このトンケのように、必ず毎日来て、お供えから掃除・額づきまでやっていく『奇特』な行動の持ち主はいなかった。
羽柴はこの行動に軽い感動を覚えた。
「…すごいファンがいる。俺も見習わないと…」と羽柴は思った。
大事なのは無私の精神・『ボランタリズム』だと、彼は思った。




