黎明3
熊田首相は、もちろん日本大公国を愛していた。
愛するあまり、過激なタカ派発言を辞さなかった。
彼は祖国を守ろうとし、言葉で国民を動かそうとした。
『いつから日本人は、韓国の二等国民・準国民・名誉国民に成り下がったんだ?』
『どうして、自らの頭で考え、自らの足で歩くことを、「必死すぎてイタイ」と言って笑い、韓国の言いつけを守り、韓国の手のひらの上で踊ることを「最先端でクール」と言って、もてはやすんだ?』
そんな当たり前の箴言も、最初は、国民の心に響かなかった。
確かに国民は、『このままでは危ない』と思っていた。
しかし、韓国のスカートの外に這い出て、自ら歩を進めるのは、もっと危ないと思っていた。
あるいは、『どうせ危ないなら、みんなで動かずに、誰かのスカートの中に隠れているほうが楽じゃね?』と思っていた。
そう、ここまでは―つまり熊田首相が出てくるまでは―日本のこうした風潮は、まさに大韓女権帝国の思う壺だった。
はっきり言って、笑いが止まらないほど、大韓女権帝国の対日懐柔政策は上手く行っていた。
上手く行き過ぎるほど上手く行っていた。
それは日本友愛党の党首で、(熊田の前に)大公国総理大臣を3年3ヶ月務めた小波渡雪夫によるところが大きかった。
彼の3年余の『治世』が、日本人を骨抜きにしたと言って、誰が過言と言えるだろうか。
◆◆◆
「とうとう、この国も私たちのモノになってきたねー」
「ホント、とうとう、やっと、私たちのモノになってきたねー」
39歳のパク・ヒョンソ【♀】は満足げに言うと、左右の女性も大きく頷いた。
場所は東京・千代田区の駐日大韓女権帝国大使館の大使室。大使の椅子の後ろには巨大な太極旗が飾られ、天井近くの壁には皇帝と皇太嬢のポートレートが2枚並んで掲げられている。
部屋では3人の女たちが談笑していた。
いずれもまだ若い。
・・・今や日本国の最高政策はこの密室の中で決められていると言ってよかった。
部屋の主は駐日大使のパク・ヒョンソ。30代のハ・ボミと、20代のハン・ジョンファは、それぞれ日本駐在武官、大使特別顧問の肩書きを持つ。いずれも貴族女性であった。
談笑の区切りに、ヒョンソがコーヒーカップをソーサーに下ろして、腕時計―当時の日本人の平均給与の15年分はする高級時計だ―に目を落とすと、文字盤の針は3時29分を指している。
「そろそろ来るわ」
ヒョンソが片方の口角をかすかに引きつらせるように笑いながら言うのとほぼ同時に、部屋のドアが丁寧に2度、ノックされた。
ぴったり定刻だった。
「小波渡・雪夫、参りました!」
扉の向こうで男が流暢な韓国語で言った。
ヒョンソが短く「入れ」と命じた。
ドアが開いて、入ってきたのは小柄な老人だった。
椅子に浅く腰掛けて脚を組んだまま、居住まいを正すそぶりさえ無いヒョンソと対照的に、入ってきた日本人の老人は、ドアを閉めた後、気を付けの姿勢から、3人に向かって深々と頭を下げた。
「失礼致します。ただいま参りました。大使閣下はじめ皆様方におかれましてはご機嫌麗しく…」
「ご挨拶はいいわ、小波渡。そこに座りなさい!」
ヒョンソは手にしたコーヒーカップの表面を指先で撫でながら、少しだけイラついた様子で、応接テーブルの端にあった粗末なパイプ椅子を顎で指し示した。
「ハッ。失礼致します」
小波渡は努めてキビキビした動きで、そのパイプ椅子に腰を下ろした。
ボミとジョンファがくすくすと、噛み殺せない笑いを漏らした。
小波渡は、正面の、執務机の奥の椅子にヒョンソ、左手の応接ソファにボミ、右手の、テーブルを挟んだ応接ソファにジョンファを見る位置であった。
4者の座る椅子の質が、4者の―3者対1者の―立場と格の違いを、何よりも雄弁に物語っていた。
コーヒーを一すすりした後、正面のヒョンソがおもむろに口を開いた。
「ポッポ、次の外務大臣はお前がおやり。総理と兼務よ。今のマエハラは今月いっぱいでクビにすることにしたわ」
「ほ、本当ですか、閣下」
「ポッポ、お前、今年で何歳?」小波渡の言葉を無視してヒョンソが下問した。
「ハッ、今年で67でございます」
「兼務はキツイ? 嫌ならいいんだけど」ヒョンソはこの男と話すときの癖で、口元だけ笑いながら言った。
「と、、、とんでもございません。御意にございます」
「じゃぁ決まりね。オメデトウ、総理大臣 兼 外務大臣閣下」
ヒョンソがそう言うと、三人はお辞儀する小波渡の禿げた後頭部に向かって朗らかな笑い声を浴びせかけた。
「兼 『韓国様と属国民との橋渡し責任者』にござりますぅ」
小波渡は、顔を上げると同時に、ウケを狙って言った。
顔には必死の追従笑いが浮かんでいた。『ドウゾ笑ッテクダサイ』という追従笑いだった。
三人は笑った。
下位者の必死のご機嫌取りに、仕方なく『笑ってあげた』というのが近いかもしれない。―アハハハッ、いまさら何を言ってるの? という笑いだった。
「ポッポ! お前は軽口に気を付けなさいっていつも言ってるでしょ。軽口と軽挙。とにかく軽いのよ。」
「そうよー。この前も『日本列島は日本人だけのものじゃない』って、ネット放送で言っちゃったじゃん。そういうのは言っちゃ駄目でしょ。心に思うだけでいいのよ。私の言ってること理解できてる? メールでも注意したと思うけど」
小波渡はもちろん、相手よりずっと実年齢も政治家年齢も上でありながら、自分の立場を忘れなかった。
ヒョンソの「そんなこと続けてたら、熊田の政友会に復活されちゃうよ? アイツ相当しぶといでしょ。気を付けなさい」の言いつけに、
「皆様のお力添えがございましたら、熊田など恐れるに足りません。というか日本人はみんなバカだから大丈夫ですぅ。日本は未来永劫、韓国様の物ですぅ」と、今日一番の、不気味な追従笑いを浮かべて絶叫した。
三人は、今度は本当に笑ってしまった。―あーあ、やっぱりバカだこいつ。アハハハハッ。
それから小波渡はハンカチで額の汗を拭った。
三人に、ウケて良かった、と思った。
◆◆◆
駐日韓国大使館が本国と協議して、日本の閣僚や行政トップの候補を決め、その候補者を大使館に呼びつけて内示を与えるという慣例が出来てから、約2年になる。現在の総理大臣も、財務大臣も、外務大臣も、この部屋でそのポストに就くことが決められ、この部屋で時の韓国大使からその内示を受けた。
もちろんこの『内示』には、法的な根拠は全く無い。
独立国家の政府首班を外国が決定するなど、ありえない話であったが、この時期の日本は、そこまで堕ちていたのである。
日本大公国は、この時点ですでに、半ば以上韓国の植民地と化していた。その事実を裏付ける格好のエピソードであった。
この時期、韓国が日本を実質的に支配する手法として用いていた制度は他にもある。
『年次改革要望書』がそれである。
これは年に一度、韓国政府が日本政府に手交する文書で、通商政策や産業規制等に関する韓国の要望がつづられており、日本政府はこの要望書に反した行動は絶対に採れなかった。
もちろん法的な根拠は無いが、要望書の力は絶大で、例えば女権暦3年の郵便と保険の完全自由化による外資への開放、同6年の外国人参政権付与や、同7年の重要品目の対韓関税撤廃等は、この要望書に記載されたものを、時の政府が率先して実施したものである。
年次改革要望書がカバーする分野は政治・経済の範囲に留まらない。教育分野での影響力も大きかった。この分野での成果には、韓国語の第二公用語化、韓国への日本人留学者年間100万人計画、全国の大学に韓国語/韓国文化を専攻する学部学科の設置、全国小学校での韓国語学習必修化と韓国への土下座謝罪修学旅行の制度化・・・等がある。
要望書は、実質的に日本の最高施策方針となっていた。
韓国に重要政策を指図され、政府首班はじめ重要閣僚を決定される国、日本大公国。
この時点では殆どの日本人は知らなかったが、すでにこの国は大韓女権帝国の植民地だった。
そして女権暦8年には韓日安全保障条約が締結される。
韓国は対馬・長崎・沖縄・青森に念願の常駐軍用基地を獲得した。さらに付属権益として、一部地域での領事裁判権(治外法権)を得、在日基地の駐留経費―年間約3,000億帝国ウォン―を、『思いやり予算』として、日本政府が負担することを合意させた。
韓日安保は韓国による日本保護領化の明確かつ巨大な一歩であった。
◆◆◆
「すぐに閣僚名簿を作って持って来なさい。お前を入れて友愛党から7人、日本女権党から2・3人、残りはM主党」
小波渡の左手上座に座るボミが、長い髪をかき上げながら、事務的に冷たく言った。
M主党党首時代以降、総理在任期間が3年目に突入してまもなく、さらに外務大臣の兼務とは・・・。小波渡は軽い眩暈を覚えた。
「ボミの言ったこと、聞こえた? ぼんやりしないの!」
ヒョンソに言われて我に返った小波渡首相は、力なく「ハイッ」と返事した。2人の女がまたクスクスと笑った。
「いつできる?」
閣僚名簿のことである。小波渡の「三日あれば…」という言葉を最後まで言わせず、ヒョンソは、
「明日よ。明日のこの時間までに閣僚名簿を持って来なさい」厳命した。
「ホラ、聞こえたらさっさと動く! 時間無いよ!」
小波渡は礼儀正しく大声で返事して立ち上がった。立ち上がると、座ったままの3人の女に、続いて韓国国旗と、壁の皇帝・皇太嬢のポートレートに対して最敬礼し、最後にもう一度、パク・ヒョンソ大使に一礼して、部屋を出た。
(務まるだろうか…)ドアを閉めてもまだ額の汗は止まらなかった。
必死になって責任を果たさねば。
この男にも職業的な使命感はあった。
しかしその使命感の根幹として彼の胸中にあったのは、祖国に対する責任感ではなく、先ほど顔を合わせていた女たちに対する隷属意識、彼女らに逆らったらどうなるだろうという恐怖心だった。




