陸軍
姉:『ねぇ、あなたにとって「大韓女権帝国陸軍」ってどんなイメージ?』
妹:『うーん、、、やっぱりジョンファさんとミリさんのイメージが強いかな。お二人とも元アイドルなのにいまや上級大将閣下、だもんね。今度の戦争もお二人のご活躍が無ければ、こんな簡単には勝てなかっただろうし。。。陸軍の顔? 二枚看板?? もちろん私たちの空軍だってそれなりに頑張ったケド、やっぱり我が国は「陸軍国」なのかなって思う』
姉:『そうね。同感かな。。実力に裏打ちされてるけど、あのお二人の平民人気はすごいよね。さすがのあなたも勝てないんじゃない?』
妹:『ちょっと! 私の平民人気なんてまだまだよ。からかわないで』
姉:『あら、ずいぶんなご謙遜じゃない。なかなかだと思うけどな・・・。ていうか陸軍の話。陸軍は優遇されてるのよ。陸が主役で海・空が補助戦力っていうのは、ほとんど国是って感じよね。人員も予算も段違いに優遇されてるしさ』
妹:『うふふ、、お姉ちゃんは陸軍に対して反感がおありみたいね。その口ぶりは』
姉:『えぇっ? 反感というのは、違うわよ。。。ただ羨ましいと思わなくも無いってだけ。けど我が空軍も負けてないわよ。倭州占領後はその占領軍の重要ポストに空・海軍からもかなりの人が割り振られるらしいし。やっと戦争も終わったんだもの、三軍仲良く倭奴統治を頑張らなきゃ』
妹:『私はちょっと反感あるかなー。陸軍に。というか陸軍の人に』
姉:『おっと、、、それは穏やかじゃないわね? 教えて』
妹:『戦争中、お姉ちゃんのいた司令部は違ったと思うけど、私がいたみたいな前線基地って髪のこと超キビしくて、女の子もみんなベリーショートかショートカットだったの。私も、今だとだいぶ伸びたけど、普通はコレくらいまでしかなかったかな。。。』
姉:『分かるわよ。空軍のパイロットの子だけは軍服着てなくても一目でパイロットだって分かったからね。仕方ないじゃん。ロングだと長時間経ったらどうしてもヘルメットの中で痒くなってくるし、基地はどこも風が強いし・・・』
妹:『そんなの陸軍だって似たようなものじゃない? それなのに陸軍の子って髪の毛長くしていろんなヘアスタイル楽しんで、化粧もバッチリで、日焼け止めにも余念がなくて・・・』
姉:『華やかで、予算もいっぱい貰えて、ついでに戦果もいっぱいで・・・(笑)』
妹:『それにあの敬礼! けっこう手のひら見せるやつ。首もちょっと曲げちゃって。こういうやつ・・・』
姉:『・・・こういうやつね。これジョンファさんが陸軍次官のときに考案したらしいよ。「なんか格好いいじゃん」みたいな感じで』
妹:『・・・陸軍ってそういうトコあるよね。伝統ある巨大組織なくせに上意下達でピピピって動いちゃう。そしてなんかちょっと格好いい。おしゃれで華やか』
姉:『これでしょ、これ。こうじゃなくて、こう・・・』
――ソヨンが「ハン・ジョンファ考案の」陸軍式敬礼と、脇を極端に締めて手のひらを見せない空軍式敬礼とを交互に繰り返すと、ソナも面白がって姉の真似をした。そうやって暫く遊んでから、ぴたりと陸軍式の敬礼で止まった。
姉:『・・・やっぱりこっちのほうが・・・』
姉・妹:『『カッコいいよねーー』』
◆◆◆
ハン・ジョンファが臣下(皇族以外)で初めて女権帝国陸軍上級大将に特別進級し、同時にソウル龍山の陸軍省次官から第七独立軍集団司令官へ転出したのは開戦2年目の女権暦17年の春―彼女が26歳になったばかりのときだった。
それは異例の栄転だった。
彼女はかねてから―砲弾が飛び交う倭州の最前線に立って、兵を直接指揮して女権帝国の役に立ちたい。それが女権帝国に生れ育った女子の本望だ―と言っていた。
しかし彼女はその意に反して、陸軍大学校卒業以来、日本通の専門家として主に情報畑を歩まされ、中央官衙勤務が長く続いた。
爵持ちの貴族であり、緒戦の対日戦略立案と帰化日本人部隊の戦力化という功績から、彼女の軍歴は順調だった。陸大は卒業時の席次から恩賜のサーベルを授かるいわゆる『恩賜組』で、24歳で中将特進、それまでに皇帝大本営第四課日本班長、陸軍省軍事課予算班長、同軍事課長、軍務局長を歴任していた(兼摂・代理を含む)。
一見してそれは確かに「エリートコース」ではあったが、女権革命の直後で人材の足りない女権帝国陸軍において、貴族[優性女性]であれば特別な事情がない限り特進を繰り返して重要ポストに次々と上番するため、20代での将官は珍しくなかった。つまりジョンファのそれまでの道のりは、「【既定の】エリートコース」であり、決して【異例の】とか【前人未到の】といった形容が付くものではなかった。
開戦2年目を迎えた女権帝国が、膠着する山陽地方戦線の一挙突破を目指して独立兵団を新設し、その初代司令官の大命がハン・ジョンファの頭上に降下したとき、当の彼女本人を含めて周囲の誰もがその大胆な人事に驚かされることとなった。
それもそのはず、東征戦に参加している第一軍から第三軍(それぞれ5個程度の機械化師団が基幹)の軍司令官は、第一軍の皇太嬢殿下(元帥)を除いて、いずれも階級は大将だった。すなわち、上級大将に特別進級したジョンファは、彼女らを素っ飛ばし、女権帝国陸軍で皇太嬢殿下に次ぐポジションまで瞬時にのし上がったのだった。
まさに【異例の】栄達だった。
当時の大韓女権帝国軍は、元帥である皇太嬢殿下の第一軍とイム・テヒ大将【♀】麾下の第二軍がそれぞれ九州南部と南西諸島の鎮撫・制圧に忙殺され、本州正面を1軍のみで任されていたぺ・ハヌル大将【♀】の第三軍は、下関の東岸から上陸して彦島要塞を確保したものの、敵主力である公国軍第十一方面軍の頑強な抵抗に遭って、開戦以来の無敵の快進撃が止まりつつあった。
つまり韓国軍は九州の北半分を制圧してから南と西の二正面作戦を強いられて苦戦していたのである。
もちろん海戦史上屈指の大勝利となったイ・スンヨン提督【♀】―彼女が16世紀末に初代大公豊臣秀佶の侵略から国を護った李舜臣の末裔であることは有名―による対馬沖海戦で、公国の聯合艦隊はすでに壊滅しており、制海権・制空権が完全に掌握されている玄界灘での兵員・物資輸送は全く問題が無かったものの、それが陸戦での勝利に即、繋がったかと言うとそうでは無かった。
亡国がいよいよ現実味を帯びだした公国軍の本州防衛の士気は頑迷なほどに高く、一方で女権帝国側に慢心が芽生え、それが小さな綻びとなりつつあったのも事実である。帝国のお世継ぎであり、東征軍総司令も兼ねる皇太嬢殿下の第一軍に過剰に甘い(過保護な?)布陣が、決死の覚悟で主力を本州西端に結集させた日本軍の陣容とミスマッチを生じさせている、という側面も否定し得ないだろう。
そのような心理的要因に加え、純軍事技術的な面でも、長大な山陰海岸に巨額の軍事費を投じて施設された「絶対永久防衛線」―いわゆるマジの線―は、人工知能機雷と防衛に特化した特殊潜水艇の機能から依然として開戦前のラインを死守しており、最新鋭の戦闘機を多数温存していた松山と岩国の航空基地が瀬戸内上空での女権帝国空軍の行動に鋭く目を光らせていた。
そして大公国陸軍の精鋭・第十一方面軍である。一般師団8個、戦車師団1個、戦車旅団4個を基幹とする日本最強の野戦軍であった。
戦争の帰趨を決する最後の反撃部隊―それは充実した兵力と虎の子の最新装備を有し、「本州防衛」の旗印の下、士気は極めて旺盛だった。
◆◆◆
日本にとって、それは最後の力を振り絞った、乾坤一擲の編成だった。
第十一方面軍を捻出した残りの防衛体制としては、首都・東京に司令部を置く第一防衛総軍、新潟の第二防衛総軍、京都の第三防衛総軍(第十一方面軍も戦闘序列上は第三防衛総軍に属した)、分断された九州南部と南西諸島を防衛する第六・第八方面軍があったが、いずれも戦時水増しされた師団が主体で、まともな装備も無い、『地図の上だけに存在する』兵団だった。(第六・第八方面軍は既にほとんど壊滅状態で、ゲリラ戦しか遂行する能力を持っていなかった)。
これら第十一方面軍以外の残存兵力は、すべて合わせたとしても、正規軍としての野戦実施能力としては女権帝国軍の師団1個にも敵わない、せいぜい歩兵連隊2個程度でカタがつくような弱体だった。
(後の歴史は、大公国軍が通常正規軍による組織的継戦力を失った後、雑巾を最後の一滴まで絞るような草の根動員による竹槍肉弾戦術へ移行したことを教えてくれるが、それはもはや韓国軍への人的損耗を強いることよりも、時間と砲弾を消費させるためだけの絶望的な抵抗戦であった)
つまり日本軍は後詰めの予備兵力をギリギリまで吐き出して、この期に―九州全土が完全に韓国軍の手に落ちる前、敵が掃討戦にてこずっている間に―乾坤一擲の反撃をこの第十一方面軍に託したのだった。最後の賭け・背水の陣なのだった。
これが女権暦17年春のこの時点で、ハン・ジョンファ上級大将が対峙することとなった大公国陸軍第十一方面軍の陣容[スペック]だった。敵は、日本における最強の野戦軍であると同時に、(ほぼ)最後の組織軍だったのである。
◆◆◆
相手にとって不足は無かった。
大韓女権帝国の軍人として、これほどの舞台も無いであろう。―ジョンファにとってそれはまさに『舞台』であった。その大舞台を前にして、彼女はますます彼女『らしく』なった。
胸が高鳴った。
もちろん、我が方に与えられた戦力にも、それほど余裕がある訳では無い。
下手をすると『窮鼠、猫を噛む』の痛撃を被らないとも限らなかった。
・・・ジョンファには胸に温めていた秘策があった。
それは、かつて組織し、育て上げた、帰化した日本人(日系韓国人)を主体とする外人部隊の活用だった。




