驕慢
「マコ! 雑巾係! ぼぉっとしてないで、そこの豚のお漏らしの処理、しなさい!!」
ゴージャスなステージ衣装を身に纏ったジョンファは、ミリとサラン[女子アナ]との爆笑が一段落したころ、狭い部屋内を見回し、宇喜多真子の姿を見つけ出して彼女に厳命した。
演者[エンジャ]であるだけでなく、絶対的な上位者であるジョンファ様の鋭い声で、真子はようやく『はっ』となって五ヶ月前の某・楽屋での暗い記憶の回想を脳外に閉め出した。
そして朗らかに笑うジョンファ様をおずおずと見上げ、その御命令を即座に実行に移した。
無論、カメラは回っていたが(ネットでの生配信が継続中である)、真子は「はいッ」と短く返事して手に持っていたレフ板を邪魔にならないよう部屋の片隅に置いた。
ニヤニヤしている他のスタッフから雑巾を受け取り、依然腰を抜かしたままの羽柴のそばに素早く駆け寄って、屈みこんで床を拭き始めた。
真子は自分でも思い出せないくらい久しぶりに、ジョンファ様が自分の―スタッフの中でも一番下っ端の日本人の女の―名前を覚えて頂けていたこと、ジョンファ様から直接お仕事を仰せ付かったこと、を心の片隅で認識した。
これは、普段の真子だったら、『いつも無視されて家畜よりも低い身分として扱われる境遇から一歩進んだ』と、この年下の韓国人アイドル様の気紛れの御命令を喜ぶだろうが、今は悠長にそんな喜びを噛み締めている場合ではなかった。
『神聖なる』番組の途中なのである。
真子は一生懸命、努めて機敏に迅速に、羽柴の漏らした『うれしょん』の後始末に手を動かした。
まだ『あが、あが、』と、言葉にならない言葉を発しながら、尻をペタンと床に付けたまま、羽柴は動けずにいた。
その股間から漏れ出た尿は、量こそ少ないものだったが、それでも雑巾を伝って真子のてのひらをひんやりと湿らせた。それは紛うことなく、尿だった。人間の尿だった。それでも真子は我慢して床に雑巾を添わせ続けた。
「ホラ、お前も、いつまで『介護』してもらってるの? お漏らしおじいちゃん!」
今度はジョンファと同じステージ衣装のミリが、汚いものを扱うように、足のつま先で『ツンツン』と羽柴の即頭部を小突いて言った。
「ミ、、ミリ様、、、す、すみません、、、」羽柴は韓国語で返事した。感覚が、羞恥心が麻痺していて、もはや17歳の韓国人の女性に頭を足蹴にされても―しかも生放送のテレビカメラの前で―、なんとも思わないような異常な精神状態になっていた。
むしろありえないほど嬉しい夢を見ているような、そんな感覚だった。
「マコ、メスのチョッパリ!」ちょっとだけ大きい声でジョンファが、カメラの向こうの視聴者に『彼女は日本人だ』と説明するように改めて言った。「…オスのチョッパリ君の股間もちゃんと拭いてあげなきゃ」
床はほぼ拭き取れた、ということか。真子は「はいッ」と丁寧に御返事して、最初は恐る恐る躊躇していたが、思い切って羽柴の股間に雑巾を持つ手を伸ばした。
そして、四つん這いの姿勢のまま、その大きく黒くシミになった部分に手にした雑巾をあてがった。
「、、、ちょ、、、ちょちょっ、、やめてぇっ、」何故か羽柴が逆ギレするように真子の右手を払いのけようとした。おそらく急に女に股間を触られ、びっくりしたのだろう。
「、、いや、、ちょ、、、私だってこんなことしたくありませんよっ!」真子が、逆ギレに逆ギレを重ねるように言った。
尻餅と四つん這いの姿勢のまま睨み合う二『匹』を見て、ジョンファとミリを始め、一同は笑いに包まれた。
「漫才みたーい」
「野良犬の喧嘩みたーい」
そう言って場の韓国人たちは一様に笑い合った。
◆◆◆
ジョンファはその光景を見て、以前観た映画のワンシーンを思い出していた。
ソウルの自宅で夜中に一人、映画専門の衛星放送のチャンネルをザッピングしていたときに、偶然目に付いた映画だった。
モノクロのアメリカ映画で、南北戦争前の南部の、白人が経営する大農園が舞台となっていた。高慢な白人の奴隷主一家と、たくさんの黒人奴隷が出てくる映画で、黒人奴隷の青年がヒロインである奴隷主一家の令嬢(白人)に恋心を抱くという粗筋だった。
まったく無名の、知らない映画だった。
ジョンファはその時代のアメリカに特段興味や思い入れがあった訳ではなかったが(もっと派手で分かりやすい映画を探していた)、映画の根底に流れる一種異様でアブノーマルな雰囲気と、ヒロインの妖しい魅力が目に止まり、リモコンを置いた。女優としての、演技や表情の作り方の参考になるかもしれない、とも思った。
これは後で知ったことだったが、その映画はネオ奴隷制度支持者がかの『アンクル・トムの小屋』的解放主義に対するアンチテーゼを含意して製作した、いわゆるアングラ映画だった(冷戦時代初期の封切りだった)。当時のポリティカリーコレクトネスは意図的に、大胆に無視されていた。
そしてその手のアングラ映画にありがちな、前衛芸術的で一種変態的な妖しい魅力が内包されていた。
端々にそのような魅力が、17歳のジョンファにも感じ取れるように伝わってきていた。
そのシーンはヒロインである白人令嬢の、20歳だか22歳だかのバースデーパーティーで、盛大な食事会が屋敷の大広間で執り行われていた。イギリスのブレナム宮殿のような大屋敷である。ヒロインはバースデープレゼントに、大農場主の父親から、乗馬用の馬と乗馬用具と馬丁の『セット』を与えられていた。―《凄い時代だ》とジョンファは思った。
ヒロインと、その家族・親類が豪勢な食事を食べ終えた後、余興として、一家で働く黒人奴隷たちによる出し物が披露された。現代風に言うと『一発芸大会』であろう。若い奴隷から老いた奴隷まで、一組ずつ順番に、即席で作られた簡易なステージに上って芸を披露していく。ダンスを踊ったり歌を歌ったり楽器を弾いたり…。
そんな様子をヒロインは高級葉巻をゆっくりと燻らせながら、安楽椅子に深くもたれて見物するのであった。
そのときのヒロインの表情が、異様に、驕慢であり美しく、ジョンファには強く印象に残った。
《…この女優は、誰だろう》ジョンファは思った。おそらくローレン・バコールやオードリー・ヘップバーンと同じ年代だろうが、まったく知らない女優だった。しかしジョンファには、この二人に並ぶか、ひょっとしてそれを越えるくらいの女優だと思えた。美しくも冷たい、気高くも驕慢な『品格』が、モノクロの映像効果と相俟って、飛び抜けた異彩を放っていた。ジョンファでさえそれに見惚れていた。
ヒロインに叶わぬ恋心を抱く青年役の黒人奴隷が、もう一人の奴隷と一緒に、漫才のようなものをした。純粋に漫才の内容が面白かったのか、あるいは単に若い黒人奴隷に不釣合いな蝶ネクタイにタキシード風の仮装が受けたのか、白人の一座はどっと笑い声を上げるが、ヒロインは葉巻を吸いながら『くすくす』と可笑しげに微笑むだけだった。
そして全員の余興が終わったあと、(なぜかよく分からないが)、ヒロインの令嬢から今夜最も面白かった芸を披露した奴隷に、賞品を授与することになった。そしてその栄誉に浴したのは、先ほどの漫才芸の奴隷だった。
「この葉巻をプレゼントしようかしら」ヒロインが、シガーケースにたっぷりと準備されていた葉巻―ちょうどいま自分が吸っているものと同じものの新品―を一本とり出して、隣に座っていたヒロインの母親に尋ねた。
「あなた、そんな高級なモノ、駄目よ。彼らは奴隷なんだから、その半分の長さでもいい位よ」と母親が言う(母親役は並みの女優だとジョンファは思った。)
「よし、じゃぁ」とヒロインは言って、吸い掛けで半分ばかり残っていた葉巻を、先端の火を大理石製の煙草盆で上手に消した。「これがプレゼントよ」
娘の機転に母親も父親も、満足した様子である。
さらにヒロインが言った。「いけない。葉巻は一本なのに奴隷は二人。どうしようかしら」
澄ました表情のヒロインと、もじもじする漫才コンビの奴隷二人の表情が画面に映し出される。
それから極めて自然な流れで(このあたりは脚本とカメラワークの妙だろう)、ヒロインが「よし。いいわ、こうしましょう。決勝戦よ。これから二人で殴り合いの喧嘩をしなさい。勝ったほうにこれをあげる」と言う。その表情も、やはり素晴らしい表情だった。
もちろん、その後に繰り広げられる、彼らにとっては死に物狂いの喧嘩さえも、驕慢なヒロインと白人一家にとっては、上質な余興のタネになるのであった。
◆◆◆
映画は、幸運にも相方に殴り勝ってヒロインから吸いさしの葉巻を授与され―ナイトみたいにヒロインの前で片膝立ちで授与する―、奴隷の青年はますますヒロインに対して恋心を募らせるが、なんとある日その葉巻の匂いを嗅ぎながら自慰しているところを仲間の奴隷に見つかって通報され大変なことに・・・・という内容だった。
ジョンファは、名前も知らないその女優の『驕慢であるがゆえの美しさ』を、深く心に留めた。
それはもちろん、演技を志す彼女にとって、『言うに易く行うに難い』ことである。つまり内面の問題なのである。内面的な美しさ―それは生身の、一人の女性として、生涯の課題と言っても決して過言ではなかった。
そして、いま、時代と空間を越えて―あるいは架空と現実の別を越えて―、あの女優のあの映画と同じような『場面』が、まさに目の前に現出していた。
《私はいま、あの女優と同じくらい美しく・気高く振舞えているだろうか》と、ジョンファはちょっと思った。
「ねぇ、お前たち」ジョンファが言った。
「いまから『トリュフ探し』ごっこ、しましょ。豚の二人にはお似合いでしょ? つまり、二人して口で雑巾を咥えて、床を磨くの。豚だから手は使わない」
驕慢―それは美しさの一つの発現形態なのかもしれない。
「身も心も豚になりなさい。それを私たちとカメラの向こうの皆様に見物して頂くの」




