交換2
『あー、久々に笑った。。。』ジョンファとミリがお腹をさすったり目尻に指をやったりしてようやく朗らかな笑い声が収まると、『・・・グスッ・・・』という、むせび泣きの声が聞こえてきた。
真子が泣いていることに二人は初めて気付いた。
『・・・ごめんね、マコ・・・泣いてるの?』ミリが心配そうに言った。
『・・・ごめんね。私たち、言いすぎたかもしれない。いや、完全に言いすぎよね。』ジョンファがハッキリとした口調で言った。
『女性に・・・頑張ってくれてるスタッフさんに・・・ヒドイこと言ったわ、私たち。しかも人生の先輩に・・・』
ジョンファがバッグからコットンのハンカチを取り出した。俯いて泣く真子の顔を覗き込むようにしてその手にハンカチをねじ込むように握らせてやった。
真子は本当に泣いていた。その目から―さんざん嘲笑の的にされた『目』から―、ぽろぽろと玉のような涙をこぼれさせていた。
真子は受け取ったハンカチでそっと自分の涙を拭った。
ジョンファはこの自分の胸の高さまでしか身長がない年上の日本人女性の顔を覗き込みながら、彼女の背後に手を回して、その弱弱しい背中を優しく擦ってやった。ミリも横から真子の顔を凝視しながら、頭頂の辺りを撫でてやった。
◆◆◆
いい香り[パフューム]のするハンカチと、2人がかりの優しい慰撫で、真子はようやく泣きやんだ。
ジョンファが言った。『・・・マコ・・・。ごめんね。私たち、てっきりマコも一緒に楽しんでくれてるんだ、と思ってたの。嫌だったんだね』
先ほどの顔変換アプリで遊んでいたときと態度が打って変わって優しげに、柔和になっていたが、芯の強さはしっかりと伝わってくる話し方だった。そして真子に対しては相変わらず呼び捨てだった。
『・・・いいんです・・・ジョンファ様・・・』真子も普段と同じようにこの年下の雇い主を様付けで呼んだ。
『・・・ジョンファ様は、私たち日本人スタッフにとっても、憧れの存在ですから・・・年齢とか、関係ありません・・・わたしこそ・・・なんだか急に・・・涙が出ちゃって・・・』
それは真子の嘘偽らざる誠の言葉だった。
真子は昔から、韓流女性アイドルが、そしてその中の完成型であるハン・ジョンファが、めっぽう好きだった。
ジョンファの才能を強く確信していたし、彼女の人知れずする努力の大きさに、限りない尊敬と畏怖の念を抱いていた。そして何より、ジョンファの『顔』が好きだった。ただ単に。。。
『・・・ジョンファ様のハンカチ・・・わたしの涙でぐちゃぐちゃに・・・。家で、洗って返します・・・』真子は続けた。
『いいのよマコ。そのハンカチはあなたにあげる。もういらないわ』ジョンファの言葉に、真子は拒絶されたような気がして、ショックを受けた。
そして、(ひょっとして、まだ終わっていないの…?)と思った。
実際、それは、まだ終わっていなかった。
◆◆◆
『ねぇ、マコ・・・、仲直り、しよ。後味悪いじゃん。。。さっきのいちばん最後に撮ったウィンクの写真、いっしょに見ようよ。マコ、まだ見てなかったでしょ?』
ジョンファは引き続き真子の背中をたっぷりと撫で続けながら、彼女の顔を覗き込むようにして、言った。
『もう見たくありません』とは、真子は言えなかった。
自らの背中にジョンファの厚く柔らかい手のひらの感触を感じながら、真子は、押し黙ったまま、曖昧に頷くことしか出来なかった。
『うん、いっしょに見よ』なおも真子の背中を撫でる手を止めず、ジョンファが言った。
ジョンファは顔が背けられないようにスマホの画面を真子の顔の真ん前に提示した。
そして長い指でスマホの画面を操作して、二人の顔を拡大してやった。
『ホラ、よく見てね、マコ。このアプリ、よく出来てるでしょ???』
画面には二人の女性が写っている。
古式ゆかしい日本人的体型に不釣合いなほどパッチリとした、彫りが深く整った顔立ちの女性―ジョンファ顔の真子―と、最高の原石としての生まれ持った健康美がたっぷり金のかかった高価な衣服で十全に発現された美麗な身体に、顔だけが醜く茫洋とした女性―真子顔のジョンファ。
ジョンファ顔の真子は、顔のパーツは美しいのだが―そしてウィンクも完璧なのだが―、ジョンファのほうが真子よりも顔が小さいためにそれらの顔のパーツが中央に寄っていて、さらに猫背で頼りなげな四肢が戯画的に誇張された不調和を有していた。
一方真子顔のジョンファは、そのガタガタでいびつなウィンクがまず致命的だったが、それを差し引いても造りモノのお面のような見事なアンバランス感に、一種不可思議な説得力があった。
その写真の二人の女性は、極めて雄弁に、まるで天の声のように、「オマエたち二人は、人間としてのデキが全く違うんだ」と語っていた。似ても似つかない、まったく違う二人なのだ、と。
ジョンファは『ん? どう?』といいながら、画面を小さくして全身を見せてやったり、逆に大きくして顔をアップにしてやったりして、たっぷりとその『傑作』を真子に見せつけた。見せつけ続けた。
真子は、黙ってそれを見ていた。
それから、ジョンファはおもむろに真子に訊いた。
『ねぇ、もし次の人生、生まれ変われるならどっちになりたい? 顔だけ私か、身体だけ私か』
それは、とても簡潔でハッキリとした、逃げ道を与えないような口調だった。
真子はその悪意に満ちた質問にびっくりして、顔を上げた。そして目の前に立つジョンファの全身と、顔を見た。
肉眼でいまそれを改めて見ると、不鮮明なスマホの画面で見るよりも、いっそう冷然と―残酷なほどに―その理想的な美しさが『実感』された。
「オマエたち二人は、人間としてのデキが全く違う」あの声が再び聞こえてきた気がした。
・・・もう一度、涙が出れば楽なのに、と真子は思った。しかし涙は出てこなかった。
(ひどい)とか(そんなこと訊く?)とかさえも、思えなかった。ただ頭の中が真っ白になった。
それで真子は全く当てずっぽうで『・・・顔だけ・・・ジョンファ様・・・』と、死んだように答えた。
ジョンファとミリが顔を見合わせて、一様に声を出さずに笑った。
『なるほど。へぇー。私のお顔をご所望か』
ジョンファが言った。
『・・・意外かも。この身体も、けっこう使い勝手いいんだけどなー❤』
そして、呆然として視線の定まらない真子の正面に仁王立ちして背筋を伸ばし、真子のきゃしゃな両肩を、上から両手を同時に振り下ろして、「バンッ」と、強く叩いた。
それから真子の顔を正面からガン見して、たっぷり自分の顔を相手に見せながら、
『この顔が好きなんだね。この顔になりたいんだね、マコは』
言って、ちょっと顎を突き出して唇をすぼめ、挑発的な表情を取った。
真子は小さく首肯した。そうせざるをえなかった。
ジョンファは『ふふふ・・・お目が高いね、マコちゃんは。さっすが、無駄に長生きしてない。年の功、ってヤツね』と言った。
――圧倒的な自信。完璧な自己肯定感。それは氷の刃となって、真子の面前に突きつけられた。自信満々で、「オマエのこれまでの人生は『無』だ」と言われたに等しかった。完全な人格否定だった。
人として、女として否定されたに相違なかった。
◆◆◆
『さぁ、究極の選択よ。よく考えてね。ファイナル・アンサー?』
『・・・・は・・・・い・・・・』
真子は何とか声を絞り出したのだが、ジョンファは何も答えなかった。答えてくれなかった。
真子は全身の力が抜けて、重力になされるがまま、自重に従ってゆっくりと顔を下げた。
そこにはジョンファの靴があった。視界の中心にそれが映っていた。
(ワタシはどうするべきなんだろう)真子は思った。
(あるいは、、、)膝から崩れ落ちるようにしてジョンファ様の御足許に縋り付くべきなのかも知れない。
しかし真子は動くことができなかった。
ジョンファとミリはただ立ち尽くす真子などてんで知らない風で、おのおの自分が座っていた席に戻って、それぞれのペットボトルから飲み物を飲んだ。そして何事も無かったかのように談笑していた。
しばらくしてノックがあり『御車のご用意が出来ましたのでお越し下さーい』という知らない男の声が聞こえた。
『はーーい』二人は朗らかに返事して、それぞれバッグを持って楽屋の出入口のほうに歩いていった。
まずミリが出入口のドアを開け、楽屋の外に出た。廊下から、先ほどの男性とミリが談笑する楽しげな声が聞こえてきた。
『おつかれー。来世、生まれ変われるといいね。今回のカスみたいな人生は、諦めたほうがいいかもね…。チョッパリのカス子ちゃん』
真子の横を、ハンドバッグを持って通り過ぎる時、ジョンファが彼女の耳元で、小さな声でそう言った。
コツコツコツコツ・・・という軽快なハイヒールの足音がそれに続いた。
『あ、そうだ』ドアの近くからジョンファが言った。『お部屋の片付け、頼むわよ。キレイに掃除しておいてね』
きわめて自然に、ジョンファは楽屋を出るときに部屋のスイッチを切った。
部屋が真っ暗になった。
『・・・お母さん・・・』
ドアの閉まる音がして、ようやく真子の両目から涙が流れた。




