交換
宇喜多 真子【ウキタ マコ/26歳♀】は目の前で繰り広げられている“惨劇”を戦慄しながら見つめていた。
彼女は、生配信されている韓国向けネット番組『WHIPs' Tokyo Life』の撮影スタッフとしては最年長ながら、ポジションはカメラアシスタント―いわゆる『カメアシ』で、最下層の下っ端だった。
レフ板やカメラのコードやもろもろの器材を、他のスタッフや演者[エンジャ]であるWHIPsや女子アナ―それらはいずれも彼女から見れば雲の上の存在だった―の邪魔にならないようにハンドリングする、黒子であり、縁の下の力持ちである。
年下の韓国人カメラマンから顎で使われる境遇、足蹴にされることも日常茶飯事だった。
この日も、大きな重いレフ板やライトを持って、狭いアパートの部屋に密集した韓国人スタッフ一同の足許を、まるで子ネズミのように(実際彼女は小柄だった)、忙しげに駆けずり回っていた―ジョンファやミリやサラン[女子アナ]の各『御尊顔』が、なお美しく映えるように、持てる微力を一所懸命振り絞っていた。
今日のロケの『ネタ』である羽柴秀志朗氏の一連の醜態は、WHIPsや韓国人スタッフからしたら大爆笑の“喜劇”に違いないだろうが、真子には“惨劇”だった。残酷なショーだった。
同じ日本人で年齢も近い、いわば『同胞』が、ジョンファたちから思う存分、玩具のようにもてあそばれている。愚弄され、嘲笑されている。あまつさえ、失禁させられ、それさえも大々的に嘲弄されている。そして、番組という形で、不特定多数の韓国人に公開されている。
この人気番組のスタッフの末席に連なる一員として、立場としては完全にWHIPs側の人間でありながら、真子の心理に、この惨めな男性[羽柴]に対して、最初、一ミクロンさえも『同情』の念がよぎらなかったと言えば嘘になるだろう。
しかし彼女は、その『同情』を、自然な『同胞愛』を、必死で押さえ込もうとした。
《かわいそう》なんて、思っていられない。
ジョンファ様とミリ様とサランさんの行いは―日本人ファンをオモチャにして嬉々としてもてあそぶその言動は―、正当な、至極まっとうな行いである。楽しいショーであり、上質なエンターテインメントである。そう自分に言い聞かせていた。
《みなさん、ジョンファ様もミリ様も、ほんとうに楽しそうだなあ。
お二人とも、あんなに朗らかに笑っていらっしゃる。
それにしても、お二人のこの男の追い込みのテクニックは、ほんとうに素晴らしいなあ。
天才的だなあ。
美しいなあ。
無謬だなあ。
それに引き換え、この男の醜態は、ほんとうに惨めだなあ。
カス、だなあ、、、、カス。。。》
・・・カメアシとして忙しく動き回りながら、そんな『呪文』で彼女は自らの頭を埋めようとしていた。
変な同情心が、入り込んでくる余地が無いように。。。
《わたしは、たとえ最下層の下っ端でも、この素晴らしい番組作りに携わることが出来て、ほんとうに幸せ者だなあ。
わたしは、この惨めな男と違って、正しい側にいるんだなあ。
カスとは、違うんだなあ。。。
ぜんぜん、違うんだなあ。。。》
真子は、額にじっとりと汗を掻いていた。
べとべとした、嫌なあぶら汗だった。
レフ板を持つ手にも汗が滲んだので、真子は片手を離してジーンズで手のひらを擦り、またすぐレフ板に戻した。メイン・カメラマンの画角を一瞬確認してから、忙しく視線を行き来させてもういちど被写体であるお二人のお顔を注視した。お二人は羽柴を見下ろしながら、なおも笑っておいでだった。申し分の無い顔色の、美しい笑顔だった。
《ずっと年下なのに、、、お二人は、ほんとうに素敵だなあ。。。
韓国の方って、みんな、ほんとうに素敵だなあ。。。
ほんとにほんとに、素敵だなあ。。。
わたしの仕事は、そんな素敵な方々に、すこしでも光を投げかけること。。。
それがわたしの仕事。。。存在意義。。。
余計なことは、かんがえちゃ、だめだ。。。》
◆◆◆
5ヶ月前・東京にある某撮影スタジオの楽屋―
真子は、出番後―歌番組か何か―のWHIPsの楽屋の掃除をしていた。雑巾を持って机の天板を磨いていた。
楽屋は大人数用の大部屋で、フローリングの床の上にロの字型に長机と椅子が並んでいた。
ジョンファとミリが、部屋の最も上座にある肘掛付きの椅子にそれぞれ座っていた。送迎の車が遅れているとかで、二人は出番後もしばし楽屋に残っていたのだった。スマホを片手に、なにやら談笑していた。二人の前の机には、テレビ局が用意したケータリングの御菓子類やペットボトルの飲み物やそれから雑誌なんかが、まるで貢ぎ物のように山のごとく置かれていた。
真子は、二人から最も離れた対角線上の机を雑巾で水拭きしていた。右手に雑巾、左手に除菌スプレーを持っていた。服は、安物のロングTシャツにジーンズ、スニーカーという格好だった。
二人が部屋にいたせいで、もちろん真子は緊張していた。早く終わらせて家に帰ろうと思っていた。
逆に二人は特に真子のほうを気にも留めていない様子で、他愛ない話できゃっきゃと盛り上がっていた(真子もある程度韓国語はできる)。二人でスマホを見ながら笑い合っていた。
真子のほうをぜんぜん気にしていない様子でも、その存在感は真子にとって絶大だった。
二人は既に私服に着替えていたが、メイクは落としていなかった。それで二人ともとても華やかに見えた。ジョンファは斜めにストライプの入ったミニのワンピースの上に蓬色のコーデュロイのコートを羽織っていた。ミリは黒い艶のあるレザーのライダースジャケットで、その下は淡いピンクのロングスカートだった。
ファッションに疎い真子から見ても分かるような、いかにも金のかかった―デザイナーの叡智が傾けられた―華やかなコーディネートだった。同じ『女性』というくくりがおこがましいほどだった。
耳に入ってくる二人の会話のトーンが、ふいに一段下りた。
真子は嫌な予感がしたが、変わらず手を動かし続けた。
『・・・ねぇ、あの日本人の子、名前なんだったかしら』ジョンファが少しだけ小さな声で隣に座っているミリに聞いた。真子の嫌な予感は的中した。
『・・・分かんない、、、たまに見かけるよね』ミリが言った。
部屋に一瞬、変な空気が流れた。真子の頭上を天使だか悪魔だかが通り過ぎていったような「間」ができた。
『ま、、、真子です、、、宇喜多、真子、、、』観念して真子が言った。雑巾を持つ手を止めて二人のほうに向き直った。
『マコ? ああ、そうそう! ちょっとこっちに来て、マコ! 手を休めてこっちへおいで』ジョンファが椅子に座ったまま、そして可笑しそうに微笑を浮かべながら言った。
『はぃ、、、なんでしょう』真子がロの字型の机をぐるっと回るように二人が座っている方へ向かった。
『雑巾は持ってこなくていいから』ジョンファが少し笑いながら言った。ミリも隣でくすくす笑っていた。
『はい、すみません』真子は言われたとおり雑巾と、除菌スプレーをそこにおいて、二人のほうへ急いだ。二人の表情から、どうやら怒られるわけではなさそうだ、と思って少しだけ安心した。真子は二人に合わせて追従笑いを顔に浮かべた。しかし彼女の笑顔は緊張のため歪んだ、不自然なものになった。
『知ってる、これ? 顔交換アプリって言うのよ』相変わらず椅子に座ったままのジョンファが、手にしたスマホを、隣に立った真子のほうに少しだけ傾けて言った。真子は首を伸ばしてお辞儀をするようにしてジョンファの手の中のスマホを見ようとしたが、うまく見れなかった。
『これで私たちと一緒に遊ぼうよ、ね』そんな真子に構わずにジョンファが言った。
『すっごく面白いのよ』ミリが隣で言った。
◆◆◆
「顔交換アプリ」というのは、スマホに内蔵されたカメラと写真加工合成機能を使った一種の遊びで、同じ画面内に正面を向いて写った二人の被写体の、顔部だけをお互いに入れ替えて、画面で見られるアプリである。例えばベンチにこちらを向いて座っている男女を撮影すると、男の胴体と頭髪に女の顔面が合成され、女の胴体と頭髪に男の顔面が合成される。つまり画像の中で顔面だけが交換[スワップ]されるのである。
二人は真子を椅子の間に中腰に立たせ、それぞれ自撮りの要領でスマホで写真を撮った。
何枚も撮った。
そして互いに―ジョンファとミリとで―真子と顔交換した静止画や動画を見せ合って、口々に『これウケる~』とか『こっちもケッサク~』とか言い合って、笑い合っていた。楽しそうに【二人で】遊んでいた。
真子は、『わたしも見せて下さい』とは言えなかった。ただ代わる代わる写真を撮られるがまま、ポーズを命じられるがままにされていた。
二人は、真子の容貌と、自分たちの容貌の、相容れない落差を面白がっていることは明らかだった。はばかることなく、『やだー、私ブサイクー』とか、『見てー、ミリがぽっちゃりおデブちゃんになっちゃったー』とか言っていた。それからミリが、おそらく真子の胴体と頭髪に嵌りながら、自分の鼻頭を指先で少し上に向け、『ブヒブヒ』と豚の鳴き真似をして、その動画を見たジョンファが大きな声で笑った。
『ジョンファもやってみて』同じポーズをジョンファ⇔真子 でも撮影され、今度はミリも爆笑した。
遂には二人とも椅子から立ち上がっての撮影会となった。写真を撮る→二人で見せ合う→大笑いする→また新たな構図で写真を撮る→見せ合う→笑う→・・・ 延々とこのループが続いた。
真子はこのアプリを作った技術者を憎んだ。スマホのメーカーで働く人々のことを憎んでいた。
ただ「早くこの時間が終わってくれ」と祈っていた。
顔が引きつると、ジョンファに『ほら笑ってよ。二人で楽しく遊んであげてるんだからさ。私たちと遊べて嬉しくないの?』と言われ、強制的に笑顔を作らされ、それがまた不自然な笑顔となってますます二人の嗜虐的な熱量を上げることになった。そうして真子にとって地獄の時間が続いた。
『よし。最後に一枚「決め」のやつ、撮ろうよ』ジョンファが言った。
ジョンファは小身の真子の隣にぴったり立って、真子の反対側の肩に腕を回した。真子の身長はジョンファの胸の辺りまでしかない。股下は膝の少し上くらいまでしかなかった。
『ちょっと、マコ、背伸びできない?』ジョンファが言った。
真子は無理につま先立ちをして背を伸ばしたが、それでも頭のてっぺんがジョンファの肩の辺りまでしか届かなかった。『ぷッ・・・短足・・・』ジョンファはもはやはばかることなくそう言って、笑った。
『オーケーよ。何とか入るわ』二人の正面でミリがスマホを構えて言った。
この構図で3枚、写真が撮られた。『マコ、カメラにウィンクしよ。カワイイ感じで』ジョンファが言って、3枚目はお互いが片目をつぶった写真になった。
この3枚目のウィンクした写真が、ジョンファの一番のお気に入りになったようだった。ジョンファの長い髪と完璧なプロポーションの高身長を与えられた真子の顔面は、ぎこちなくいびつに歪んでいた。
『キャハハハッ! これが一番ケッサクね』
『もぉー、マコったら。誰が変顔しろって言ったのよ』
『カワイイ感じ、って言ったのに、、、どうしてこうなっちゃうのよー。。。あー可笑しい!』
『偏頭痛の人みたい。保健室行く、マコ?』
『それもいいけど、野球の試合でビーンボールを避ける左バッターみたいじゃない?』
『・・・これは危険球一発退場ね・・・てゆうか既に当たってる?』
『・・・じゃぁやっぱり保健室だ!』
二人は際限無くはしゃぎ合い、笑い合った。




