捕虜
小男の名は丸山博文[ヒロブミ]。かつては日本大公国陸軍中将。大戦中は第4師団の師団長として、師団を率いて女権帝国軍と戦ったが、早くも敗色濃厚となっていた開戦二年目の夏、濃尾平野の会戦で女権帝国軍に包囲されて師団を全滅された上、自身も逃亡途中に捕縛されて捕虜となり、その後舞鶴の捕虜収容所に送られた。
捕虜として収容されていた期間は、彼にとってまさに地獄だった。捕虜虐待は当たり前の日常風景だった。女権帝国軍の女性将校たちは元々の階級が高かった彼を徹底的に虐め抜いた。
―なお、女権帝国軍の高級将校は殆どが女性である。大韓女権帝国で確立された女性上位・女尊男卑の風潮は軍隊内でも徹底されており、軍の佐官以上の高級将校は100パーセント女性だった。下士官も7割が女性。兵は女男約半々である。一方、旧・日本軍は、逆に指揮官は100パーセント男で、後方勤務者を除き、軍隊内に女性は殆ど存在しなかった。旧・日本社会の後進性を示す象徴的な事実である。
戦時中、丸山はまず、自らの師団が包囲殲滅されて幕僚と共に捕縛された戦場からほど近い距離にある韓国軍の野戦基地に送られ、捕虜登録された。
苛烈な拷問でありったけの軍事機密を吐かされた後、彼は他の捕虜たち4,000名と一緒に、歩いて舞鶴まで行進させられた。炎天下のおり、さらに十分な食料も与えられたなかったため、疲労と飢餓で3割強の捕虜たちが収容所に到着する前に死亡した。
女権帝国は東海(旧称:日本海)に臨む天然の良港・舞鶴を占領後、この地に大規模な捕虜収容所を設立した。舞鶴捕虜収容所で女権帝国軍は、捕虜を徹底的に『改造』した。それは『洗脳』というにはあまりにも速成で、力任せで暴力的なものだった。
この『改造』は、かつてのオカルト新興宗教の手法をさらに洗練・高度化させたようなもので、帝国軍内では『精神的奴隷化プログラム』と呼ばれていた。
まず、捕虜に肉体的・精神的な負荷を極限まで与える。例えば何日間にもわたる、断食状態での逆さ吊りや、グラウンドを延々と四つん這いで重荷を引きずらせて歩かせる、などである。薬物を使うこともある。これが『下ごしらえ』で、その後、精神がヤワになったところで、彼らを『教育』するのである。たっぷりと時間をかけて、途切れることなく、休ませず、繰り返し繰り返し、単一のメッセージを脳に与え続けるのだ。元々の自尊心を徹底的に破壊し、祖国を捨てさせて大韓女権帝国に対する恐怖心・畏怖心を刷り込み、最終的には、かつては敵軍として対峙していた当の女権帝国軍の指揮官や将校個人を、『崇拝』させるのである。『崇拝』こそは何にも増して人間に盲目的で強力な力を与える動機となる。また、『崇拝』は、その対象が具体的な輪郭を持つ『個人』であるほうが、例えば『大韓女権帝国』という国家―抽象的な対象―を崇拝させるよりも、ずっと効果があるのだ。女権帝国の高級将校は殆どが貴族で、美しい容姿と洗練された高貴さとを兼ね備えている。また、世界に冠たる女権帝国の牽引者[リーダー]として世界的な敬意を集めている。捕虜の『崇拝』の対象とさせるのにこれほど相応しい存在は無かった。
女権帝国の進んだ精神医学と、軍の確固とした組織力とを総動員すれば、『精神的奴隷化プログラム』の遂行は難しいことではなかった。むしろ人権尊重の観点からの外国世論や、捕虜虐待を禁じたジュネーブ協定などの存在が阻害要因であったが、これらをクリアするのには、『日本人は卑怯なだまし討ちをする憎むべき人種』という、女権帝国が主導して全世界に啓蒙した思想が役に立った。世界的に、女権帝国のやり方を支持する勢力はあっても、世界の孤児である日本を擁護する勢力は皆無であった。
舞鶴捕虜収容所での『精神的奴隷化プログラム』を体験した捕虜たちは、わずか1ヶ月足らずのうちに、ものの見事に帝国軍が欲する『奴隷』となった。軍馬や軍犬のように思うがままに扱えて、よく働き、しかも安価であった。彼らは日本国籍を離脱させられ、韓国式の奴隷名を与えらた。奴隷名には犬[ケ]とか、豚[トン]が入るものが多い。ちなみに丸山は『イルケ[日犬]』と名付けられた。
『精神的奴隷化プログラム』の、いわば修了証書として、犬や豚にちなんだ名前を与えられ、一生外すことの出来ない首輪を嵌められた捕虜たちは、あるものは本国に強制連行されて奴隷労働力として使役され、またあるものは女権帝国軍占領地の基地や兵站線に送られて、かつての敵の後方支援活動に従事させられた。
丸山は、北陸地方の占領地域内に建設中の空軍基地に送られた。女権帝国軍のために飛行場建設の土木工事に使役させられ、基地完成後も引き続き雑用として、例えば基地内の韓国人将兵の居住スペースの清掃や装備の整備、軍服の洗濯などをやらされた。
『精神的奴隷化プログラム』の成果で、丸山は女権帝国軍の女性将校を心の底から崇拝するほど『改造』させられていたので、彼の奉公は完璧だった。基地内では10代から30代の若い女性将兵を崇め、かしずき、精神的に帰依していた。
実は彼の靴磨きの技術も、この空軍基地内で毎日女性将校の軍靴を磨かされていたことで上達したものであった。
ほんの1年前までは、師団長として1万5千人の部下の上に君臨し、指揮刀を振って憎き『鬼畜韓国』と戦っていた男が、捕虜となって『改造』され、指揮刀を靴磨きブラシに持ち替え、かつての敵の足許に這いつくばらされて靴磨きの下僕として使役させられる。丸山は、日本が始めた愚かな戦争と、戦前のグロテスクな思想―男尊女卑という間違った性別観や独善的な国家主義―が産み出した不条理さを一身に凝縮したような存在だった。
「ねぇお前、悔しくないの? 自分の娘くらいの年齢の、敵国の女の子の靴を磨かされるなんて。磨き終わった靴を舐めさせられて、『明日も靴磨きがんばりますぅ』とか叫ばされて。誰が見ても、それって正真正銘のクズよ。クズの中のクズよ。ほんの数ヶ月前まで、誇り高きニッポン軍の師団長だったんでしょ? ねぇ、悔しかったら、もう一度かかっておいでよ。止めないよ? 何回でも相手してあげるよ? ん? どうなの? 中将さん??」
土下座する目の前の椅子に脚を高々と組んで座る若い女権帝国軍女性将兵に、けらけらと笑われながらそう言われて、軍靴の爪先で額を何度も何度も蹴られた。
「空っぽおつむだから負けちゃうのよ。悔しくないの? どうせこの中、スカスカのガラクタしか入ってないでしょ?」さらに爪先で額を蹴られる。
しかし丸山は、もはや悔しさも感じないくらい心根から女権帝国軍を畏敬し、韓国人将兵たちを崇拝していた。
「私めは大韓女権帝国の忠実な奴隷でございます。かかってこいだなんて、畏れ多くて、滅相もございません。私めは負け犬です。完膚無きまでに叩きのめされ、蹂躙された負け犬として、ただこうして勝者様のお足許に這いつくばってご奉仕させて頂くことが、私めにとっての喜びなのです・・・」
「ぷフッ。アハハハハッ。やっぱクズだわ。超ぉーウケる。やっぱり日本人[チョッパリ]って全員クズね。間違いないわ」
女性少尉―パク・ソナその人である―は爆笑しながら、なおも爪先で丸山の額を小突いた。
「ねぇ、聞いてる? やっぱりこの中、空っぽね。つまらない意地もプライドも、キレイさっぱりなくなっちゃったみたいね。替わりに私たち韓国人に対する心からの忠誠心を、たっぷり叩き込んであげるわ。私たちのためなら喜んでなんでもする、操り人形になるのよ。楽しみね。アハハハハッ」