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足許の見知らぬ小男に軍靴[ブーツ]を磨かせながら、ソヨンは満足げだった。


女権帝国を代表する名門貴族家の長女であり、先の大戦の功労者でもあるパク・ソヨンは、20を少し過ぎたばかりの若齢ながら帝国空軍少将・総督府民政局長の要職にある。学生時代は皇太嬢殿下―現皇帝陛下の長女―の御学友として近侍し、大戦期は東征軍総司令となられた皇太嬢殿下の片腕として日本空域の制空戦で活躍した。戦争末期は空軍トップとして首都大空襲の指揮を執り、日本を屈服させる最終局面でも大きな役割を果たした。戦後は総督府における最重要ポストといわれる民政局長の地位を占め、植民地総督となられた皇太嬢殿下を、今度は行政面でバックアップする立場にある。


今、這いつくばって靴を磨く日本人は、ソヨンの総督府での『仕事』―日本人の馴致・精神的な奴隷化―の、絶好のサンプルだった。

彼は顔を真っ赤にさせて、ガリガリにやせ細った2本の腕と10本の指をせわしなく繰りながら、一所懸命にソヨンの軍靴を磨いていた。


ソヨンは、日本人に靴を磨かせる時は、それが自邸で所有奴隷に磨かせる時であっても、今のように自邸以外で初見の奴隷・乞食に磨かせる時であっても、その日本人を上からじっくり観察するようにしていた。

足許に這う彼らを上から見下ろすと、実に色んなことが観察できた。彼らが韓国人に対してどれほどの忠誠心を持っているか、韓国人を心の底から畏れ敬っているかどうか。彼らの頭上から、無防備に露出している後頭部や背中を見下ろし、その一挙手一挙手を眺めていると、実にそれが良く分かるのだった。


この小男は『ランクA』だ。ソヨンはそう思った。

(こいつは精神的に、完璧に私に服従してるわ…)

心の底から自分を、靴を磨く相手を畏れ、掛け値なしの敬意を払っていて、その様は殆ど神仏を拝むくらいのものだ。靴の磨き方も丁寧極まりない。歳は、見たところもうそれほど若くはない。おそらく40代後半から50代半ばといったところだろう。自分と同い年くらいの子がいても不思議ではない。そういう雰囲気がある。


「お前、歳は?」

立ったまま靴磨き台に右足を引っ掛けた姿勢で、その足をたっぷりと磨かせながら、ソヨンは足許の小男に下問した。

「へっ、51でございます、軍人様」威圧されたようにたどたどしい韓国語で、つっかえながら丸山が答えた。

「アハハッ、パパと同い年じゃない。惨めねー」もちろんソヨンの父親と丸山とでは、同じ年齢であろうと、その身分・人間としての格は天と地よりも離れている。

「お前、今はなにしてるの?」

「へっ、昨月巣鴨の戦犯収容所から出て参りまして、只今は身元もございませんので、こうして野良の奴隷でございます。ご奉仕の口を探しながらホームレスをしております」

「ぷフッ、惨めね」隣で聞いていた妹のパク・ソナが思わず吹き出した。ソナはまだ高校生である。

「戦犯? 何級?」ソヨンが尋ねた。

「へっ、C級でございます。最初はB級戦犯指定でございましたが、有難いことに模範囚にご指定頂きまして、減刑されて1年で出ることが出来ました…」

「ふーん、良かったじゃん」と、ソヨンは長い髪をかき上げながら、あまり面白くなさそうに言った。「B級戦犯だったってことは、戦争中はそこそこ上にいたんじゃない?」旧・日本軍の軍人は、原則的に、全員戦犯とされ、戦中の階級で機械的にA~Eの階級に割り振られた。

「へっ、畏れながら、陸軍で中将をやっておりました。しかし投降した時期も早かったので…」小男は、さも恐れ入った様子で、少し声を細くして言った。

「中将? 今のお姉ちゃんより階級上じゃん。やるぅー」ソナが面白がって、からかうように言った。恐縮している元陸軍中将の即頭部をローファーの先で軽く小突くと、彼はさらに萎縮して、消え入るように「へぇっ」と言った。

「アハッ。どこかで私の軍と戦ったことあるかもね」ソヨンはあくびを噛み殺しながら言った。

「ま、元陸軍中将だかなんだか知らないけど、敗残兵のホームレスらしく、しっかり靴、磨きなさい。ほら、左足もよ」ソヨンが小男の手を右足で払いのけて今度は左足を靴磨き台の上に載せた。小男はソヨンの左足に一礼して「失礼します」と短く言い、即座に左足の靴磨きに取り掛かった。

「そうよ。お前のような最底辺のチョッパリにとったら、お姉ちゃんみたいな総督府の高官なんて雲の上の存在なのよ。分かるでしょ?」ソナが面白そうに言って、小男の側頭部を再度爪先で軽く小突いた。

「お前の汚い手でお靴に触れられるだけでも身に余る光栄だって、そう思わなきゃ! 全身全霊込めて磨かせて頂くのよ!」

彼はまるで押しつぶされた蛙のように身をすくませながら、それでも必死に、ご下命のとおり靴磨き台の上のソヨンの靴を、過剰なまでにうやうやしい態度で磨き上げるのであった。

頭上には美人姉妹の笑い声が、まるで遠いこだまのように、高く続いていた。

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