思出
『ソヨンさ、お前兄弟っているの?』
『うんいるよ。妹が一人。4歳差』
『ふーん。。どんな子なの』
『とにかくテニスばっかしてる。左きき。おデコちゃん。おっぱい発育不良。生意気だけど雷が超苦手。あと、ちょっとエスかな』
『なんだそれ、ぜんぜん分かんない…。写真、見せてよ。持ってるでしょ』
ソヨンはスカートのポケットからスマホを取り出し、サイドボタンを押してから唇にマイクを近づけ『ソナの写真』と呟いて、出てきた写真を友人に見せた。
『これ妹さん? 可愛いね、、、なんていうか、破滅的に可愛い。…おデコはぜんぜん気にならないよ。けど「生意気」ってのは分かる気がするな』
写真はソウル校中等部の入校式の時に母親が撮った写真だった。真新しい制服を着たソナはなぜかカメラ目線を嫌がって、レンズの右斜め上方の何かを睨むように見つめながら、不機嫌そうな顔立ちで写真に収まっていた。
『うん。ナマイキなのよー。おデコのサディストちゃん。あるいはサディストのおデコちゃん? どっちでもいいけど(笑)』
ソヨンはスマホを返してもらって、もう一度自分でその写真を見た。何度見てもその眼力に一瞬たじろいでしまう。中学生とはとても思えない。そして友人が言うまでも無く、その写真のソナは「破滅的に可愛」かった。大好きだった。
ソヨンはスマホをポケットにしまって言った。
『戦争が始まったら、Kf-14戦闘機[ガーベラ]のパイロットになって、チョッパリの飛行機を全部やっつけてやる、って鼻息荒くしてるのよ』
◆◆◆
対日戦役の開始で空軍士官学校に編入したソナは歴史の表舞台に立ってあっという間に有名になり、心身ともに加速度的に成長していったが、だからこそ余計に、ソヨンは全国区になる『それ以前の』ソナとの思い出を大事に持っていたかった。
まだソヨンが中学生、ソナが小学生で、ソウルの屋敷に一緒に住んでいた時期、ある夏の、雷雨の夜のことだった。
そのときのソナは雷が怖くて自分の部屋で一人で寝ることができず、かと言って母を頼ると小心であることを咎められると思い、やむにやまれず自分の枕だけを胸に抱えて姉の部屋に助けを求めにやってきた。
ソヨンが『怖いの?』と聞いても、ソナは何も言わなかった。その抱きかかえた枕が、妹のまだ小さい両肩とのコントラストで、ばかに大きく見えた。
扉口につっ立って、上目使いに姉を見つめたまま何も言えないでいるソナに、雷が怖いのなら一緒に寝てあげるよ、とソヨンは言ってやった。ゆっくりと近づいてくる妹にタオルケットの裾を持ち上げて、ベッドに招き入れてあげると、妹は枕を抱いたまま黙ってスルリとその中に身を潜り込ませた。ソヨンは同じタオルケットに納まった妹のほうに体を寄せて、しばらくのあいだ彼女の華奢な背中を優しく撫でてあげていた。
自分の腕の中で目をトロンとさせ、儚げな表情をしているソナを至近距離で見つめながら、緩慢な動作でその背中をなで続けていると、ソヨンは不思議な、名状しがたい気持ちになっていった。いつもの、この年代の女姉妹が互いに持つ微妙で緊張した関係性を忘れ、この自分と他人との中間にいる存在との距離を測りかねていた。ソナの、まるで貴婦人が持つ扇のようにゆっくりと動くまつげと、髪の毛と額の境い目にある産毛が可愛いと思った。考えてみると、こんなに近くで長時間、妹の顔を見るのはおそらく初めてのことだった。
やがてそのまつげは閉じられたまま動かなくなり、息づかいもスースーと規則的に、穏やかになっていった。
もう少し背中を撫でていてあげようとソヨンは思った。
『お姉ちゃん』目を閉じたままソナが言った。
『起きてたの?』
ソナはその問いには答えず、『私のことオカしたいと思う?』と姉に聞いた。
ソヨンはびっくりして聞き返した『オカしたい?』その文節が《犯す/侵す》の連用形と希望を表す助動詞との結合であることに思い当たるまで僅かながら時間が掛かった。
『どこでそんな言葉覚えたの?』
『ガッコウで男の子が言ってた。好きな子の中に入るコトだって』ソナは薄く目を開けたり、またすぐ閉じたりしながら、ゆっくりした口調で―しかしなぜか確信的に―ソヨンに言った。
『ちょっ・・・それは違うわ。意味がめちゃめちゃ・・・っていうかそんなこと言っちゃだめ。その男の子とも話しちゃだめ』ソヨンは4歳年上で中等部に通う姉として、妹に対して、たとえつまらなくても言うべきことを言おうとした。
『分かった、「オカす」はもう言わない』ソナが言った。『けどこれは聞きたい。「好きな子の中に入る」って、どういうことなの』
『ソナ! それもだめ!』ソヨンが言った。『ってか雷が怖いって言うから一緒に寝てあげているのに、変なことばっかり言うと追い出すから。早く寝て』
『ごめん、お姉ちゃん』ソナが言った。
『私ったらお姉ちゃんのこと怒らせてばっかだね…ごめんなさい』
言われてソヨンは「はっ」となって妹の顔を―目を―改めて見た。ソナの目は閉じられたままだった。何の表情も読み取れなかった。ひょっとして、ソナはこのやり取りを楽しんでるんじゃないか、とソヨンは思った。
もう雷は止んでいて、ただ雨だけは変わらずに降り続けていた。時折激しい雨が風に吹かれて窓ガラスを横から叩いた。
ソナはいつの間にか姉の腕の中で、すやすやと寝息を立て始めていた。代わりに、ソヨンが寝れなくなってしまっていた。夜の闇の中で訳の分からないものを背負わされて、一人ぼっちにされた気分だった。
ソヨンの頭の中ではソナの質問―それは中学生の自分にとっても少し難しい質問だった―と、彼女の乳児のような額の産毛と遠雷の記憶とが、生生しく混濁していた。目をつぶっても、それらのイメージたちはぜんぜん彼女の頭を去らなかった。




