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恩寵

「ねぇねぇ、私たちそろそろ寝るから、お仕置きはこれくらいにしてあげる。顔、上げていいよ」

丸山の頭から足を下ろしたソナは、コートのポケットに両手を突っ込んだまま言った。

もう『手軽な倭奴矯正教室』の設定は忘れてしまっていた。結局、一座の軽いノリに過ぎなかったのだ。

簡単な防寒のためコートを着てブーツを履いていたが、夜更けとともにちょっと寒さを感じるようになってきた。


頭上から足をどけられても、倭奴はすぐには顔を上げられず、二人そろって地面に顔を押し付けたまま、上半身全体に広がる痛みと、呼吸の苦しさとに呻吟していた。

「顔を上げなさい」少しだけイラついた様子でメイドが言い、彼らの頭頂部を爪先で小突いた。ソヨンはあきれて苦笑いし、苛立ちを表すように『プッ』と足許の倭奴に向かって唾を吐いた。背の高いソヨンの吐いた唾は、見事に77番のうなじに着地した。

丸山は激痛に苛まれる首筋を酷使してもほんのわずかしか顔が上がらない。メイドが(愚図ね) とでも言うように、その僅かに上がった顔と地面との隙間に足をもぐり込ませ、爪先で顎をしゃくって持ち上げると、ようやく苦痛に歪む丸山の顔が上を向いた。


「どう? 少しは反省できたかしら、ゴミムシくん?」77番も顔を上げさせてから、ソナが二人に言った。

「たっぷり反省して、二度と今日みたいな過ちはくり返しちゃダメよ」ソヨンも妹に乗っかってそう言った。

三人の韓国人女性は立ち上がっていたので、土下座の丸山と77番は遥か天上にある神々の拝顔の栄誉には浴することが出来なかったが、ただ目眩のせいでいびつに混濁する視界のずっと遠くに、三人の神聖なお姿がおぼろげながら浮かんでいた。

丸山は、暖かく清潔な―そして自分たち倭奴の汚らわしさなど遥かに届かないほど隔てられた―お屋敷のベッドルームに帰っていかれるソヨン様とソナ様のお姿を想像した。それはやはり神聖で、崇拝の対象たりうる存在だった。

だからこれに続くソヨンとソナの言葉も、命を引き換えにしてでも守るべき神々の御言葉であり、神託であり聖勅だった。


「私たちはもう寝るけど、二人は朝が来るまで徹夜して私たちの部屋に向かって土下座で拝礼していなさい。今日ひとばん寝るのは不許可よ」


ソヨンは事も無げに言った。授業中に騒がしい生徒を廊下に立たせる小学校の先生よりも、遥かに事も無げだった。「夜が明けるまで、立ち上がるのはもちろん顔を上げるのもダメだからね。今のうちにしっかり周りの景色を目に焼き付けておきなさい」

「それから私たちの『お姿』もね」

ソナは倭奴たちの自分たちに対する崇拝心をもてあそんで、からかうようにそう言った。そして実際に倭奴[丸山]が自分の姿を拝めるよう、わざと丸山の視界にフレームインするように彼の顔を覗き込んで、清純そうな笑顔で微笑みかけてやったかと思うと、その笑みを目許に残したまま唇をすぼめて『ぷっ』と、今度は倭奴の眉間の辺りに唾を飛ばした。乾きかけていた顔の泥の、その部分だけ湿って少し色が変わった。それからソナは立ち上がって丸山の頭を踏んで土下座させた。

丸山は何が起こっているか分からないまま、再び彼の視界は漆黒の地面だけになった。『ソナ様・・・』と、丸山は心の中で彼の絶対者の聖名を唱えた。

メイドが倭奴二人の位置を調節し、二人の土下座の方向が、屋敷の4階にあるソヨンの寝室の方に向くように足裏で彼らを蹴って押して動かした。「これでよし」メイドが言った。


「けどさぁ、ソナ、私たちが寝ちゃったあと、見張りは置かなくていいかな? 」

「いらないと思うよ」ソナは土下座した丸山の頭に足を乗せたまま言った。

「トイレは?」

「垂れ流しでいいんじゃない?」

「うふふっ。お二人とも、トイレの心配よりも、肩、外されたままのキツい姿勢ってことのほうが大変じゃないですか。倭奴クンたちカワイソウ」メイドの冗談に三人は一様に笑い声を上げた。

「ホラ、二人とも、今の聞こえた? 私たちが寝てる間そのままだからね。トイレも禁止だからね」ソナは笑って言って、倭奴の頭にトゥーで軽い一撃をくれてやった。


頭上の笑い声が離れ、その足音から、三人が離れていく気配があった。

土下座する丸山は、やはりこのような境遇を与えてくださった韓国人女性様たちに感謝していた。

つまりこの罰は自分にとって必要なものだと思っていたし、この試練を潜り抜けた暁には、自分はもっと自分らしく、心が綺麗になると思っていた。自分は汚れたボロ布で、巨大な存在[人間]にゴシゴシ洗濯していただける―その巨大な存在がソヨンであり、ソナであった。

ただ、自分の両腕を背中で縛る使い古しのストッキングの存在だけが彼の心を逆撫でしていた。彼はこのありふれた日用品[ストッキング]を憎んだ。少なくとも、その存在を疎ましく思った。

(神様・・・神様・・・)

彼はその心の隙間を埋める『恩寵』を求めた。心中で、密かに希求していた。


丸山の祈りが通じたからなのか、あるいはその心中の汚れをさらに見透かして罰を与えるためなのか、去り際にソヨンが言った。

「まぁ私も大丈夫だと思うけどさ、いちおう、こいつらが夜中に動いたりしないように、何かで押さえ付けておきたいな」


「これでいいんじゃない?」ソナがコートのポケットから取り出したのは防寒用の手袋だった。黒い皮製、手首までの長さしかない短いタイプで、その手首にはベルトをあしらったチャームが付いていた。

ソナはもう一度倭奴のほうに近付き、手袋の右手側を丸山の後頭部に、左手側を77番の後頭部に、それぞれ『ポトリ』と無造作に置いた。

「これでこいつら一晩中動かないと思うよ。さ、寝よう寝よう」

そして三人で連れ立って、屋敷の方に歩いていった。

足音が、遠ざかっていった。


◆◆◆

ソヨンたちは、部屋に戻ってから一度だけ窓を開けて暗い庭の中に沈むように土下座している二人の倭奴を見つけ、

「ねぇ、見て見て! ホラ、あそこ! ちゃんと土下座してるよ」「ほんとだ! ウケる! 虫みたいに小さく見えるね」などとはしゃぎ声を上げたが、すぐに満足して窓を閉めた。そして、朝が来るまで誰も再び窓を開けなかった。


それからもちろん丸山は、一晩中、土下座の姿勢を解かなかった。夜を徹して、頭の遥か彼方にある主たちの部屋を、土下座の姿勢で拝み続けた。

頭の上に置かれた皮手袋は、物質としての重さでいえば、ごくごく軽いモノだったが、その頭上を圧する存在感は巨大だった。そして彼女たちの口から出た『ご命令』は、どんなものよりも、おそらく地球よりも、倭奴にとっては重たかった。


ソヨンもソナも、彼女らに仕えるメイドでさえも、倭奴どもが、自分たちの私物を、履く靴さえをも、尊び崇め奉るその性質を、じゅうぶんに知悉していた。倭奴の頭を押さえ付けておくのに、―たとえば車のタイヤのような―物理的な重量はまったく必要ないのだ。自分たちの『神性』に結びつくような、簡単な私物さえあれば、倭奴を一晩中土下座させておくことなど、たやすく、簡単なことだった。


そして、そうした配慮でさえ、倭奴にとっては『恩寵』なのだった。

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